073. 導線
涼一の通信を聞き、神崎は特務部隊に矢の換装を指示する。
「水矢を用意してくれ!」
マッケイが手を挙げて、それに応えた。
「水矢班は準備せよ! 他はそのまま牽制だ!」
南の術式発動点となるのは、マンション駐輪場の神崎と、伏川神社近くにいる花岡で、二人には電卓から回収した太陽電池が渡されている。
三ボルト程度しか生まないものの、日中は何度でも使用できる発電専用の遺物だった。
街の縁に立ち、神崎は合図を待つ。
彼の握る電線の先は地中に潜り、障壁外まで続く遺物の導線に繋がっていた。
戦闘中は後方支援に回っている帰還組だが、アレグザの外周を囲む導線は、彼らが昼夜を問わない作業で作り上げたものである。
火矢の迎撃が手薄になったのを契機に、帝国兵は一斉に壁を越え始めた。
盾を構え、壁内で隊列を組み直し、包囲陣を形成する。
火炎弾の援護が、ついにマンション外壁に到達した時、矢野のゴーサインが出た。
『もう十分だ。迎撃を!』
神崎が太陽電池を発動させると、微弱な電気が指先に走る。
彼は電線を離し、変化を見逃すまいと前方に注目した。
最初に生まれた電気の虫は、導線を伝うにつれ、魔素を吸着して成長する。
虫は鼠に、鼠は犬に。
討伐部隊に届く頃には、何体もの雷狼が出現し、兵に飛び掛かった。
「おお、すげえ」
狼にまで大きくなった雷獣は、神崎たち街の中の者からもはっきり見える。
「水矢、撃てぇっ!」
特務部隊がこの絶好の機を捉えた。敵の頭上に強化した造水の矢を射ると、スコールのように壁周辺へ術式の雨が降り注ぐ。
「雷撃だ、逃げろっ!」
敵部隊の隊長たちが退避を叫んでも、雷の速度を上回れる兵などいない。水を浴びた兵たちは、次々と雷撃で動きを封じられる。
雷狼は大蛇になって壁上に絡み、取り付く敵を丸呑みにしていった。
「ああぁ……ダメだ、こっちにも来るぞ!」
南部の壁の外には堀がある。特務部隊によって埋められ、軽い足止め程度にしか役立たなくなった堀が。
その堀に板を渡し、火炎弾の投下器を並べた兵たちは、自分たちの足元に何があるかを知らなかった。
堀を充填していたのは、涼一によって魔素を過注入されたゾーン対策部隊の遺体だ。
ギィィィギギギィィ……。
地鳴りのような不気味な唸りを発し、堀の上まで跳ねた大蛇が、さらに一回り大きく伸長する。
「な……何だ、あの化け物は……」
後方のクルーゼンからも、その巨体は見逃しようもない。
雷龍が、万の兵を平らげようと口を開く。
そこに兵士の自負は無く、ただ逃げ惑い、絶叫を上げる人の群れが広がるだけだ。声を涸らした悲鳴が、アレグザの荒野全域に響く。
統括司令の周りにいる参謀も、後続部隊を率いる隊長たちも、兵たちは皆、馬鹿のようにぽかんと動きを止めた。
「……神罰だ」
「ば、馬鹿者っ! 相手はただの人間だっ!」
クルーゼンの言うことは正しくとも、眼前の龍は誰もが神話を想起する。
神に討ち滅ぼされるのは、神域を侵した彼ら討伐軍だった。
◇
「敵の損害はどうだ?」
涼一は矢野に報告を頼む。
一瞬間があった後、マンション屋上から通信が届いた。
『……凄まじいね。敵の半数以上が黒焦げだ。北の龍も見えたけど、南のは桁違いだ。全部で四匹はいたな』
この攻撃の本領を見たのは、高所から見下ろせた矢野に尽きるだろう。
外周の敵を食う雷龍たちは、彼のいる場所ですら身の危険を感じるほどだった。
『くあー、南の龍、俺も見たかったぜ』
どうも雷撃に魅了されているらしい、山田の感想である。
電気の持続的な供給は無いため、一通りの獲物を始末する頃には、龍は虚空へ消えていった。
火炎弾の攻撃は止み、進入口でも動く敵兵の姿が消える。
「敵は撤退してますか?」
半数を失ったなら退くだろうと、涼一は考えた。
『真西に集結してるが……ああ、西進入口から突入する準備をしてる。まだやる気だよ』
敵の学習能力の無さは、涼一の予想以上だ。
平原の向こうから、ゴロゴロと押される戦車の姿が、彼からも見えた。
「導線の先を発動させる。変化があったら教えて欲しい」
矢野にそう依頼すると、涼一は電線の端を両手で握る。
西口の導線は、迫る戦車のずっと先、後詰めの兵がいる辺りまで伸ばしてもらった。
先の雷撃で、黒く変色した地面が導線の位置を教えている。
涼一は目でその線を追い、遠く離れた遺物に意識を向けた。
これが街の中なら、溢れる魔素が集中の邪魔をしただろう。しかし、平原には導線以外にはガイドとなる物は存在しない。
緩やかに、だが迷わず一定の方向を目指して、彼は自分の魔素を流し込む。
「リョウイチ……」
いつも以上に手間取る発動に、レーンと若葉が彼の様子を窺った。
細い糸の分岐した先に、彼はいくつかの紫色の波動を感じ取る。彼はこの術式に、覚えがあった。
涼一は確信を持って、その目標目掛けて発動映像を叩き込む。
平原に展開される特大の魔法陣――鉄の鎧を引き付ける“磁力の術式”だ。
「おおぉっ、ひっ、引き寄せられる!」
帝国兵を材料にして、奇怪な鉄の団子が育っていく。
進入口近くに来ていた戦車も、後ろへ引かれ、立ち往生し始めた。
「前へ進めません! う、後ろに……引っ張られて……」
盾が、槍が一点に集まり、団子の中心にいた兵が悲鳴を上げて圧殺される。
『成功だ。一体何個の磁石を埋めたんだい? 五つくらい塊ができてるよ』
矢野の報告は、次の手への合図だ。
「若葉、手伝ってくれ!」
「車ね、お兄ちゃん」
東口まで運んで来ていた自動車の後ろに回り、二人は術式発動を試みる。導線はこの自動車たちの発射経路にもなっていた。
難しい操作は必要ない。ただ前方へ、自動車を送り出す。
赤い軽自動車が、黒いタクシーが、白のワゴンが、順々に導線上を走り出した。
オイル塗れの、増燃剤を積んだ特効車両たち。
帝国兵をタイヤで踏み越え、進入口を抜け、導線の端までアレグザ製の自爆戦車が走って行く。
スピードの乗った車は、帝国戦車を弾き飛ばし、兵の塊にぶつかって猛烈な爆発を引き起こした。
戦太鼓を上回る、ゴォーンと轟く大音量が平原に響き渡る。
粉々になって散る兵士の体は、焼夷弾と化して討伐部隊に降りかかった。
不気味な轟きは、全部で三回。
この爆発で、街の西に集結しつつあった帝国部隊は、深刻な被害を被った。
クルーゼンは崩壊し始めた自軍に、わなわなと口を震わせる。
「あ、あれは……あれは……」
「閣下、撤退を進言いたします! 後退して、部隊の再編を!」
進攻を開始して、まだ如何ほども経っていない。アレグザに、何らダメージを与えたとも思えない。
この成果の無さが、統括司令の引き際を誤らせる。
「もう一度だ。フィドローン国境軍も呼んで、包囲からやり直す。兵をここに集めて、立て直せ!」
「閣下っ!」
当初は街をぐるりと囲った帝国軍も、西の野営地点に再集結しようと包囲を解いた。
このまま睨み合うのは、涼一たちの望む展開でもない。
戦いの最後は、街の外、アレグザ平原で決せられた。
◇
「敵は西に退き出した。掃討戦を始めてくれ」
涼一の指示が出ると、北からは山田たちが、南からは神崎たちが障壁の外に打って出た。
特務部隊との連携はスムーズで、術式の効果が最大限に発揮される。
「ヘイダさん、水撒いてくれ!」
「あいよ!」
水矢でずぶ濡れになった兵に、山田たちの電撃が飛んだ。
北の帝国軍は南へ、南の軍は北へ、全軍は涼一たちの正面へと誘導される。
アレグザ側の攻撃は帝国兵の射程を上回り、涼一たちには死者すら出ていない。
たまに届く矢や魔石の攻撃で負傷した者は、すぐに街に戻され、後方の帰還組により治療が施された。
『涼一、北の兵は全部そっちへ行ったぞ』
山田が追い込み任務の完遂を告げる。
『南のナーデル国境軍は、壊滅しそうだ。追い立てるまでもない』
矢野も南側の敵兵消滅を報告した。
西口から外に出た涼一たちは、射程に入った敵に片っ端から攻撃を浴びせる。
磁力の術式が広く働き続けているため、
涼一と若葉はウォーターガンを、ロドたち特務部隊は火矢を使用して、順調に敵を討っていった。
後退を繰り返した帝国軍は、遂に撤退を決定する。
『敵の残り部隊のスピードが上がった。西に逃げ出してる』
矢野は本格的に遁走し始めた敵を、双眼鏡で追う。
『行き先は林だ。ちょっと厄介だね。追撃は諦めるかい?』
クルーゼンは大型術式を恐れ、平原西にあるニセ松林の中を通過するルートに逃げ込んだ。
特務部隊なら森林戦はお手の物だが、術式矢は使いにくくなる。
そういうことなら、妹の出番だと、涼一は若葉を呼んだ。
「ここで待っててくれ。トラックを移動させる!」
「オーケー、お兄ちゃん」
敵の殿軍を縫い続けているレーンにも、彼は声を掛ける。
「レーン、若葉の援護を頼む! 導線上は避けろ!」
「分かった。ワカバ、私の後ろへ!」
二人に背を向け、涼一は街の西口に走り出した。
林の中が得意なのは、フィドローン兵だけではない。全力疾走で息を荒らしつつ、彼は西口に駐車した一際大きい二トン車に近づく。
「精密運転なんて、できそうにないよな……」
やることは自爆車と同じだ。導線に沿って、車を送り出すだけ。
彼が荷台後ろの扉に手の平を当てると、何かを察したのか、中で獣が起きる気配が伝わってくる。
足回りの術式が発動し、トラックは静かに涼一から離れていった。
徐々に加速し、進入口を越えて、やはり終着は帝国兵が団子になった磁力のポイントを目指す。
四度目の大爆音。
もはや生存者のいないその兵の山に、引っ越しセンターのトラックが突っ込む。
爆薬は積んでなくても、トラックに残るガソリンが発動し、派手な炎が上がった。
一瞬、空中に浮いた車体は、横倒しになって地面に激突する。
衝撃で荷台の扉がひん曲がり、暗い口を開けた。
「ワカバ、鞭を!」
「う、うん!」
炎上するトラックに魔弓を構えたレーンが駆け寄り、少し遅れて、猫じゃらしを持った若葉が付いて行った。
グルルルゥ……。
低い唸りが聞こえたかと思うと、荷台の扉が大きく跳ね開けられる。
炎の中から、白い剣虎がのっそりと現れた。
若葉と、その手にある短鞭を見た虎は、ビクリと身構える。
恐れる物など無い荒野の王者だが、この頭を掻き乱す術式だけは駄目だ。虎にとって、それは生涯初めて味わう恐怖だったのかもしれない。
「さあ、働いてもらうわよ」
若葉は鞭を振り、剣虎の行き先を指し示す。
暗闇に閉じ込められ、飢えに苛まれてきた猛獣は、退却する帝国軍を追って地を蹴った。
◇
トラックを送り出した涼一は車を追いかけ、自身も前線へ復帰しようとしたが、ちょうどその時、今まで特に通信の無かった中島から交信が入った。
『敵の小部隊が接近中。ローブを着てる。魔導兵かしら……』
彼女とアカリが担当するのは、街の東口、伏川駅周辺だ。
偵察ならいいが、ローブ姿は単なる一般兵ではない。慎重に迎撃するよう、中島に指示した涼一へ、さらに交信が届く。
『簡単に壁を越えられた、街に侵入してくるわ!』
東側にもそれなりに防御は敷いた。敵はどうやって越えたのか。
「そいつらを街の中に入れたらダメだ!」
『…………』
「クソッ」
応答が途絶えたトランシーバーを握り、彼は未知の敵への対処を優先することに決める。
炎上するトラックの方をチラリと見ると、涼一は街の東に向けて猛然と駆け出した。
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