071. 決戦前夜
ロド・ラーゼン特務部隊隊長の一日は、夜勤の隊員の報告を受けることから始まる。
早朝の特務部隊本部テント前には、ロドを待つ隊員が既に並んでいた。
「おはようございます、隊長。昨夜はグライの襲撃もありませんでした。障壁周辺の異常は見られません」
「ご苦労」
死体の処理も概ね終わり、それに伴って、死鳥を見る頻度も減った。
彼は夜勤兵を労うと、街の要所の巡回を開始する。
特務部隊の本部は、街の中心より西寄りにあった兵舎を衣替えしたものだ。
本部のすぐ横にフィドローン王国公使のいる小屋があり、こちらは帝国の工作部隊長が控えていた場所を転用した。
大通りを西に進むと、伏川高校が右手に見える。
当初は帝国兵の遺体が山積みされたが、今は住民の戦闘訓練所である。消臭の遺物の効果は絶大で、もう死臭はどこにも感じられない。
「早くから訓練かね?」
「おはようございます。早朝練習が性に合ってるんです……」
学校のグラウンドでは、小関が一人で術式の練習をしていた。
中央収容所の捕虜も、体調が回復した者から順に各種作業に参加している。
小関のような防衛戦闘への参加希望者は、術式の使用を期待されており、教官役は山田が担当した。
「もう大丈夫なのかね?」
ロドの質問は、身体のことだけを聞いたのではない。
「じっとしてると気が滅入るから。何でもやりますよ」
まだ吹っ切れたようには見えないが、小関の声からは若々しいやる気が感じられる。
「高度な術式は、得難い戦力だ。我々には使えんしな」
「任せてください。蹴散らしてみせますよ、あんな奴ら」
危うさはあっても、今の彼らに休ませる余裕は無いのだ。術式の使える人材は、いくらいても足りなかった。
小関は、この世界で生きることを決めたと言う。これは中央捕虜の中では少数派で、大半は地球へ帰ることを希望した。
帰還を希望しない者が残留組、希望する者が帰還組、自然とそう呼ばれるようになっている。
帰還組は、フェルド・アレグザの運営からは一歩引いた立場を取った。
夕食会議に出ているメンバーでは、唯一矢野が帰還組だが、これは例外的な存在だ。彼は帰還組の代表ともなっていた。
ロドが学校を過ぎ、街の西端まで行くと、大きなトラックが嫌でも目に入る。
歩哨二人が、敬礼で彼を迎えた。西進入口の警戒も兼ね、トラックの剣虎にも常に注意が払われている。
「猛獣は大人しくしておるか?」
「はっ、昨晩はずっと寝ていた模様です」
捕獲した剣虎は、目が覚めると猛烈に車体を揺らして暴れ出した。そのままでは脱走の不安があるので、定期的に若葉がオルゴールで眠らせている。
レーンが言うには、一週間くらいなら、餌が無くても問題ないらしい。
念のためにカラスの死骸を与える作業は、花岡が率先してやってくれた。
難航したのは、この西進入口まで車を運ぶ作業だ。虎が寝ているうちに、涼一と若葉が移動の術式を発動させ、少しずつ動かしていく。
擦り傷や凹みだらけの車体が出来上がったが、外部から自動車を操作する練習にはなった。
二人が運んだ車は、トラック以外も進入口近辺に散らかっている。
ロドはその間をすり抜けて、障壁まで赴いた。
壁の傍らには既に住民の一団が集まり、神崎の指示で作業を行っている。
防衛システムの構築は、住民の手で着々と進められてきた。
ナズルホーンにあるかもしれない転移の遺物を知らされると、地球への帰還に望みを持つ者も増える。
そのためには、まず近づく帝国軍を退けなければならない。
「おっ、隊長さんか。相変わらず早起きだな」
「君もな、カンザキ」
神崎が右手を挙げて、ロドに挨拶する。
アレグザを囲む障壁は、十キロを越える。この長い壁に、術式防御を設置しようと住民たちは働いていた。
とは言え、大層な仕掛けを講じる暇はない。必要なのは、術式を行き渡らせる導線だ。
焼き切れた電線が、解した毛糸が、果ては公園の土までもが運びだされ、障壁と街を網の目に結んでいく。
涼一は毎日、空いた時間を見つけては、これら遺物に魔素を送り込む作業を繰り返していた。
「ずいぶん遠くまで、壁から導線を伸ばすんだな」
平原の遠くで作業する人影に、ロドが気づいた。
「“レール”なんだとよ。涼一の指示だ。魔素のガイドラインだな」
「帝国軍の展開先を想定したものか」
帝国南方軍はザクサを通過し、いよいよアレグザ平原に迫っている。
北西から来る軍が直進すれば、街の北と西の進入口が、最初に接敵する場所だ。
神崎と別れ、壁に沿って南下すると、堀で埋葬作業をする特務部隊兵が報告に寄ってきた。
「隊長、遺体に土は掛けましたが……」
街の中の帝国兵の死体は、ほとんどが堀に集められ、上から土が薄く掛けられて葬られた。
堀が無くなるほど埋めてはいないため、浅い溝が残っている。
「これ以上は時間的に難しいだろう。埋葬班も、午後からは街内の部隊に合流するように」
「はっ、了解しました」
街の南西で折り返し、ロドはまた街の中に戻ると、電波塔の前に設置した監視テントを通過し、一度中央へと帰って行く。
その途中には、特務部隊の武器庫に利用されている立体駐車場があった。
帝国軍の槍や盾も集められているが、フィドローン兵の主力武器は、やはり弓矢だ。
駐車場では涼一の指導の元、ちょうど彼らの矢の術式化が行われているところだった。
「今日はここにいたか、リョウイチ。これら全てが、火矢なのか?」
「ええ。赤いのが着火の術式、向こうの青いのは造水の術式が仕込んであります」
矢はサインペンで色分けされている。魔石粉を接着剤で塗り固めた、フェルド・アレグザ特製の矢だ。もちろん、魔素の増幅が施されている。
「そっちの緑のは何だ?」
「あなた方が扱える魔石と言えば、後はこれくらいだった」
涼一は部隊の標準装備、信号用の狼煙を指す。
「発煙の術式か」
「たっぷり増強したら、単なる煙じゃなくなったよ」
ロドにとってこのフィドローン兵用の装備の有効性は、大いに気になるところだった。上手く働くなら、王国の軍事力底上げになる。
彼が現実味を増した独立戦争に思いを馳せていた時、偵察隊からの伝令が飛び込んできた。
「帝国軍が、アレグザ平原に到達しました!」
「いよいよだな」
ロドの午後は、各方面からの報告をまとめ、現状把握に努めることで費やされる。
この日の本部テントでの夕食会議には、彼も参加することとなった。
◇
本部の作戦テーブルには、今もモルロが鎮座している。
それどころか、中島の配膳についてきた有沙の仕業で小さな人形の友達が増え、随分と賑やかになってしまった。
そんなファンタジーな雰囲気に逆らって、ロドが物騒な報告を語る。
「南方軍は統括司令のクルーゼンが指揮しているらしい。こちらに向かっている軍は三万。統括司令が動くからには、ナーデル国境の一万も加わる可能性が高い」
彼の予想が当たれば、相手は四万名の大軍勢だ。
フィドローン製のパンをちぎりながら、涼一が確認する。
「主力が北西から、ナーデル国境軍は南から来ると考えていいですね?」
「そうだ。平原に展開し、街を囲むつもりだろう。その後、攻城戦というのがセオリーだな」
「引いて守られると厄介だな……」
涼一は神崎に、作業の進捗を尋ねる。
「魔素導線の整備は終わりましたか?」
「ああ、バッチリだよ。壁から外への導線も、もうすぐ完成する」
「敵が来る前に、導線の先に遺物を埋めたい」
アレグザの拡大地図を広げ、涼一はいくつかポイントに印を付けた。
「遺物って……なるほど。遠隔発動させるつもりか」
「ええ。難しいけど、試す価値はある」
続けて涼一は、食後のコーヒーを楽しむレーンに向く。
「レーンの魔弾も強化しよう。構わないか?」
「私が使える範囲で頼むわ。ヤマダサンダーは御免よ」
山田がフォークを振り回して抗議する。
「なんでだよ。カッコいいじゃん、サンダー!」
「アバるのは、私のスタイルじゃない」
山田の醜態が、ついに動詞化されていた。
「いや、多重術式は考えてないよ。純粋に魔素量を増やすつもりだ」
「それならいい。飛距離が伸びるのかしら」
自身の武器の強化に、彼女は少し嬉しそうな顔を見せた。
会議を締めようとする涼一に、アカリが発言を求める。
「あの、このあいだの戦いは、帝国に伝わってるんですよね?」
「残存兵もいるし、アイングラム司令も帰したからな」
答えたのはロドだ。彼はそのまま話を続けた。
「今度のクルーゼンは、ド・ルースを可愛がっていた男だ。古臭い軍人で、戦い方もよく似ている。報告を聞いても、策を弄してくるとは思えんな」
「司令を帰した効果は無かったってこと?」
アカリの不満そうな愚痴を、ロドが打ち消した。
「フィドローン国境軍を始め、南方全軍は動いていない。帝国としたら、これでも様子見のつもりかもしれん。本国が及び腰でも、クルーゼンのような男は止められんよ」
食事も話も終わった面々に、涼一が会議の終了を告げた。
「敵の進軍スピードから考えて、明後日早朝あたりの開戦が濃厚だ。みんなしっかり休んで、備えてくれ」
決戦を控えた本部テントに、一同の力強い返事が響いた。
◇
クルーゼンも、もちろんガルドの戦闘報告には目を通していた。
しかし、彼の常識を超える記述に対し、これは失策を誤魔化すための過大な表現だと考える。
特に街内を一掃した術式、この報告は酷い。大方、征圧部隊を見捨てたガルドが、言い訳に思い付いた絵空事だろう。そう憤る彼に下された命令は、南方軍でのアレグザ包囲だった。
彼は自身の権限が及ぶ全兵を集め、悠然と進軍を開始する。
今回編成された軍は、クルーゼンによってアレグザ討伐軍と呼称された。
「閣下、予定の駐留地点には、夜半過ぎに到着予定です」
軍用馬車に乗るクルーゼン司令の元に、下士官の伝令が並走する。
「予定地点で野営の準備だ。ナーデル国境軍の到着を待って、突撃を仕掛ける」
「はっ」
彼に包囲で終わらせる気は無かった。物量による総攻撃、それが討伐軍の狙いである。
この戦闘の当事者以外にも、各国の諜報員がアレグザ平原に集う。
大陸の耳目を集めた決戦が始まるのは、夜明けの日差しが生温い早朝のことだった。
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