068. 縛虎
剣虎を殺すのではなく、捕獲するとなると、それなりの準備が必要だ。
捕獲メンバーは、術式に慣れた面々だけに限定して選ばれた。
薄明の街の北西へ、男性陣とレーンが出発する。
神崎、花岡、山田の三人が今回の任務に参加しており、矢野は住民の指導に残った。
他二人の参加者である若葉とアカリは、今朝もトイランドに自転車を走らせる。
「会員カードがあれば、ポイントがドッサリ貯まってるよね」
「誰かと代わってもらうか?」
連日になる妹の玩具店出勤に、涼一が気を遣った。
「練習になるから、何回でも行くわよ」
そう若葉は笑う。
彼女の言う練習と言うのは、自転車の術式のことだ。
涼一は昨夕、自転車や単車でも実験していた。
駆動部分に意識を集中すれば術式で加速することもできたが、そうすると車体の操縦まで気が回らない。
乗りながらの魔素制御に悪戦苦闘しているそんな兄の姿を見て、若葉も試すと言い出した。
小規模の術式発動を短時間に繰り返すというやり方で、妹は自転車運転のコツをつかむ。
電気自転車ならぬ魔素自転車を動かせる若葉なら、自動車の運転に関しても、何か良いアイデアを出してくれるかもしれない。
若葉たちが帰って来るまでに、他のメンバーは現場で作戦準備を完了させる予定だ。
まずは敵を観察するため、涼一とレーンは公園を南から見下ろすビル、伏川信用金庫の屋上へ向かう。
ビル屋上から見る剣虎は、昨日と同じ場所をうろついていた。
しばらく涼一が観察を続けると、虎は木陰に身を沈めて動かなくなる。
「今から寝るみたいだな」
双眼鏡を覗く涼一の傍らで、レーンは帝国魔導兵が使う投石器を調整していた。
「なんだか頼りないわね、これ」
「魔弾じゃ殺しかねないからなあ」
レーンの使用する弾も、今日は睡眠弾だった。
トラックまで誘導し、虎が乗ったところを寝かせて終了。これがベストだが、失敗しそうなら、すぐに睡眠弾を撃つべきだろう。
寝た剣虎に一瞥をくれ、涼一は背を向けた。
「俺はみんなを手伝いに行く。レーンはこのまま、監視していてくれ」
「了解」
双眼鏡を彼女に渡し、涼一は引っ越しセンターへの道を進む。途中、二度左右に曲がると、山田と花岡が作業している現場に着いた。
「ああ、涼一くん。ここまで設置出来たよ」
ボタン電池をセロテープで街灯に張り付けながら、花岡が手を挙げる。
「僕は、虎が好きなんだ。危険な奴じゃなければ、楽しみなくらいなんだけどなあ」
「地球の虎も、大概な威圧感ですけどね。それよりゴツいですよ」
実物を知らない花岡は、剣虎捕獲を楽観していた。
引っ越しセンター近くにいた神崎も混ざり、四人で作業を進めて行く。彼らの目的は、虎を誘導する道路を作ることだ。
脇道に逸れるポイントには、道路を横断するように小型電池を並べ、電気で通行止めにした。
公園から追い立てれば、自然とトラックに収まる手筈になっている。
公園近くまで電池が設置できると、山田がその発動を担当する。
起動用の電池を投げるのではなく、彼はボタン電池から直接雷撃を放って回った。
「それ、手が焼けたんじゃなかったのか?」
「この程度なら、ビリッともしないぜ。涼一もサンダーの練習をしたらどうだ?」
「あれだけ使えば、上達もするか」
だからって、真似はしたくはないなと、涼一は山田の惨状を思い出す。
炭化した指が崩れるまで、あと一歩のところだったと、ヘイダは言っていた。
山田の効率の良さもあって、あっという間に電気の壁が出来て行き、引っ越しセンターからの経路が確立される。
銀行ビルからレーン、脇道から若葉とアカリが出てきて、参加者が全員揃った。山田も公園前に戻り、いよいよ捕獲作戦の開始だ。
「剣虎はのんびり寝ているわ」
レーンの報告に、涼一が頷く。
「公園の入口も電気封鎖する。これでトラックまで一本道だ。みんな睡眠弾は持ったな?」
所持品を確かめた各々から、肯定の返事がある。
「よし、剣虎を囲んで、輪を作ろう。俺たちも逃げ場が無いから、危ないと思ったらすぐ寝かせろよ」
涼一たちは公園外周に散らばり、虎を囲む位置に付いた。
虎は公園の北西端近く、ビオトープ際にある木立の中にいる。池の中に逃げられてしまうと、捕まえようがない。
その時は、北担当のアカリと山田が、睡眠弾を撃つ。
神崎と花岡が西側、レーンと涼一が東側から、少しずつ虎に近づいていった。
彼らの立てるわずかな音か、それとも臭いかが原因で、虎がモゾモゾと身じろぎする。
涼一が手を掲げると、反対側にいる神崎たちも歩みを止めた。
三十メートル、これくらいが限界か。
彼はリュックから袋を取り出し、軽く口を開ける。
若葉たちに頼んで、ペットショップから取って来てもらったマタタビの粉末。これを撒いて、いつぞやみたいに酔わせてしまおうという計画だった。
反対側でも、花岡が同じように袋を構える。
マタタビ担当の二人が、距離を縮めようと助走のために前傾した刹那、剣虎の巨体が宙に浮いた。
◇
剣虎の話を聞いた花岡は、実は恐怖よりも興奮を覚えていた。それくらい、四つ脚の猛獣が好きなのだ。
虎や豹は特にお気に入りで、地球では虎柄のスマホカバーまで使っていた。
今も虎の尻尾のチャームを持ち歩いており、趣味が悪いと言われても、好きな物は仕方が無い。
最初に虎に近づくことになるマタタビ担当にも、彼は自ら志願した。
初めて見たアレグザの剣虎は、メタリックでモノクロの体毛が美しい、王者に相応しい巨体の持ち主だった。
体に刻まれた無数の傷は欠点ではなく、誇るべき歴戦の証だ。
見とれかけた彼は、向かいに立つ涼一を見て我に返り、マタタビ粉末を用意する。
袋を振りかぶった時、虎は大地を蹴り、一足で花岡の頭上にまで到達した。
「逃げろっ!」
神崎が睡眠弾を撃たなければ、新しい犠牲者が生まれていただろう。
三十メートルは、剣虎の跳躍範囲だ。
敵の得物を見た虎は、接近戦に持ち込む機会を待っていたのだった。
「かっけえ……」
「馬鹿野郎!」
神崎が花岡を押し倒し、虎の攻撃から逃れようとする。
空中で錐揉みするように回転した剣虎は、睡眠弾を避け、彼らを飛び越して地に降り立った。
その武器は既に見た――獣の脳裏に、帝国兵との戦いが甦る。
火炎の魔石を連投された経験から、剣虎は対術式の戦闘力を磨き上げた。
学習し、強くなったのは、涼一たちだけとは限らない。
「おりゃっ!」
神崎が魔石を投げると火炎が虎を後退させるものの、着弾が近く、神崎たちまで熱のダメージを受けてしまう。
火を迂回する虎に、駆け付けた涼一のマタタビが投げられた。
それを難なく真横にスライドして避ける剣虎。そこへレーンの睡眠弾が撃ち込まれたが、弾は地面に落ち、虎はさらに右へ飛ぶ。
「こいつっ」
追撃した涼一の睡眠弾もかわされると、彼にも相手の化け物さ加減が理解できた。
この虎は、着弾点を予想して避けている。
「なら、これだ!」
彼はニトロ複合型の睡眠弾を握り、多重術式の発動を始めた。わずかに生じる無防備な隙は、レーンと神崎の二撃目が埋めてくれる。
放たれた弾が、虎のいた空間で爆散するが、そこに標的はいない。
剣虎は危険を感じ、大きく後退していた。
その距離は再び三十メートル。
「跳ばせるかよ」
パーンッ……パーンッ……パーンッ。
多少もたつきながらも、涼一が複合睡眠弾を乱射し、爆発した魔素の粉が虎の周りを舞う。
前方の公園は、術式を
睡眠の防壁が虎の突撃を阻害し、彼らの安全を確保する。
「あの光に触れるなよ。みんな寝てしまうぞ」
その威力は剣虎も本能で感じ取り、魔光から逃げるように動いて様子を覗っている。
思いがけない苦戦に、花岡が感嘆した。
「こ、ここまで強いのか!」
目を輝かす彼は虎好きの鏡ではあるが、これでは捕獲どころの騒ぎではない。
涼一の額にも、玉の汗が噴き出す。
「あいつ、強過ぎないか?」
「ええ、異常ね……」
風に撫でられた剣虎の体毛が、緑色に揺らめいた。
「魔光が毛から
虎が光ファイバーの術式に耐えた事実を、彼らはよく考えるべきだった。
体毛を魔光で満たしたこの猛獣は、魔素の流れを視て感知する力を手に入れていた。
グルルルルル……。
低い獣の唸りが、公園に響き渡る。
涼一たちを睨み、剣虎が睡眠の魔光を大きく迂回して跳ぼうと身を屈めた。
「おらぁーっ!」
その横面を、山田の電撃が引っ叩く。電気のスピードには勝てず、虎の全身に雷が走った。
よろめく前脚にダメ押しすべく、レーンの魔弾が放たれる。
「縫い付けろっ!」
二本の矢は魔光の霧を突き抜け、虎の顔前に到達すると、真上に上昇した。
横にジャンプした脚を追い、赤い閃光は軌道を変える。獣の動きは電気の痺れで鈍っており、矢の高速追尾を避けきれない。
剣虎の着地の瞬間に合わせ、魔弾が両前脚を釘打ちする。重くエネルギーを増したこの赤い矢は、王者の硬い表皮をも貫いた。
花岡の持っていたマタタビの袋を、涼一が拾い上げる。
「ほら、大好物だっ!」
怒る猛獣の鼻先に、袋ごと粉末が投げつけられた。
学校での闘いに続き、ついに命中したマタタビによって、またもや剣虎は酩酊させられてしまう。
虎の四方に涼一の睡眠弾幕が追加され、その自由な移動を制限する。
剣虎は後ろ脚に力を込め、最大の跳躍で状況打破を図った。
その意図をくじき、最後の仕上げを担当するのが、若葉だ。
ペットショップで手に入れた、大型の猫じゃらし。短い鞭に似た遺物に、若葉が魔素を送り込む。
涼一たちは催眠弾を、レーンは魔弓を剣虎に向けて、発動の失敗に備えた。
黄色く光り始めた猫じゃらしを、若葉は大きく縦に振る。
剣虎は跳躍姿勢のまま、動かない。
彼女がもう一度、短鞭を振るう。
強烈な精神攻撃に負けた虎は、地面に腹と顎を付けた。
神崎と花岡が、深く息を吐き出すのが聞こえる。
彼らは何とか、アレグザの王者の戦闘意欲を削ぐことに成功したのだった。
◇
街をのし歩く白い虎を、花岡は目を細めて眺める。
コンクリートのビルと猛獣の組み合わせは、彼の嗜好を大いに満足させた。
若葉にしてみれば、そんな猛獣ショーを楽しむ余裕など無い。公園入口まで剣虎を導いた後も、ひたすら進路を猫じゃらしの鞭で示す。
絶え間無く術式を発動して、獣の挙動に注目し続ける、そんな神経を擦り減らす仕事だった。
「誰か代わって……」
「ごめんね、若葉……」
「すまん。そんな術式、お前にしか使えん」
彼女の泣き言にも、親友や兄から虚しく謝られる。
実際、涼一も試したが、剣虎の怒りが復活するだけに終わった。
たまに精神操作から逃れられてしまい、山田の電撃や皆の魔石で牽制するが、虎はそう簡単に諦めない。
攻撃を諦め、一時退却を狙った虎は、脇道の電撃トラップが妨害した。
若葉の身も危ないので、最後は弱らせるためにレーンの魔弾を後ろ脚にも撃つ。
何度か冷やっとする場面を経つつ、トラックまで来た時には、若葉のシャツは汗でずぶ濡れになっていた。
「ほら、早く入って!」
彼女の叫びに従って、剣虎はのそりと荷台に乗り込む。
全身がトラックに入ると、六人から一斉に睡眠弾の集中放火が浴びせられた。
ドサリと重い音を立て、巨体が荷台に沈み込む。
神崎がドアを閉めると、胃の痛くなる捕獲作戦が終了した。
「はあぁー」
「お疲れさん、若葉」
溜め息をつく若葉に、アカリがタオルを手渡す。
「涼一さん、これに監視は付けるんですか?」
「一応、ロドに頼んでみるか……」
飼うつもりは無いと言ったが、逃げられても、餓死されても困る。多少の世話は仕方がない。
若葉の奮闘は、この日以降も、まだしばらく続いたのだった。
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