067. 実験
街を取り戻して、まず涼一が試したかったのは、自動車の活用である。
彼とレーンは、人のいない脇道で、手頃な対象を探す。まだ死体の立ち並ぶ街の北部を、実験場所に選んだ。
マリダにしたのと同じ手順で、見つけた無傷のセダンから魔素を抜き取る。抜いた力の先は、一昨日使ったレーンの形代だ。
魔力を帯びない車は、移動手段として使えるのではないか、彼はそう考えた。楽観的に成功を期待していた涼一は、しかし、結果に失望する。
「吸収しきれない?」
「ああ。駄目だ」
ボンネットに両手を付き、彼は大きく息を吐いた。
失敗の原因は、二つある。
一つは、車が含有するエネルギーが、想定を大幅に超えたこと。今の涼一に扱えない量ではないが、何度か目眩を覚えるくらいには大きかった。
もう一つが、魔素が枯渇するほどには吸い取れないということだ。
残り少しまで減らすと、自動車が周りの力を吸い始め、彼の能力と拮抗してしまう。
これでは、ガソリンの暴発を防げそうにない。
遺物を文明の利器に戻そうという試みは、徒労に終わった。
「それじゃ、第二案だ」
二人は車の後ろに回り、前に人がいないことを確かめる。
涼一は車のリアに手を当て、その術式を探った。トランクからサイドへ、そして足回りへと、魔素の光が広がる。
「ああ、扱えそうにないな……」
涼一が諦めるのと同時に急発進したセダンは、動く死体を跳ね飛ばして直進した。
数十メートル進んだ車は、歩道に乗り上げ、街路樹に激突して停止する。
白煙を吹き出す実験対象を見て、レーンが彼に説明を求めた。
「で、これは成功なの?」
「失敗だよ。動かしはできる。でも、これじゃ移動に使えない」
彼はタイヤ四本分の術式を発動させて、それ以上の操作を諦めたのだった。エンジンや電気系統には、手を出していない。
多重に絡み合った自動車操縦のための術式は、複雑過ぎて意のままには動かすことが出来なかった。
「若葉なら、曲げるくらいはやりそうだけど……」
「真っ直ぐに進むだけでも、使い道はあるんじゃない?」
馬での移動に慣れたレーンは、この失敗にも落胆していない。
「……そうだな。練習はしとくよ。発動自体はできたんだし」
彼らはその日の実験を切り上げ、街の北西へ足を伸ばす。
こちらの探索では、涼一の期待に添った収穫が得られた。
彼らが赴いたのは、伏川公民館や市の合同庁舎が並ぶ官庁街だった。
官庁街の本体は隣街になり、ゾーンの範囲外だ。地方裁判所や市役所の一部は転移されていないが、それらに彼の関心を引く物は無い。
涼一の目的は、公民館とその前に広がる市民公園だった。
アスファルトとコンクリートばかりを見てきたレーンは、公園の存在に驚く。
「いい雰囲気じゃない、ここ。池まである」
ニコニコする彼女を見ると、涼一もベンチで休みたくなる。
予算の掛かったこの市民公園には、ビオトープや環境エネルギー施設が併設され、自然との共生をテーマにしていた。
公園の中央近くに、小型の風力発電機が、そして公民館の屋上は太陽光発電パネルが設置されている。
転移後の停電でも、これら施設が作る電気は供給され続けた。
市役所には蓄電池が有り、非常用電源として利用されたために大規模な発火の原因となる。
風に煽られ、火は街に燃え広がり、転移翌日は黒煙が空を覆うほどだった。
レーンは池のカエルを、楽しそうに目で追っている。
涼一は申し訳なさそうに、彼女を仕事に引き戻した。
「あの建物の屋上に、びっしりパネルが敷き詰めてある。それが目的の遺物なんだ」
「あんなに小さいと、蛙も可愛いわ……。分かってる、遺物が目的よね。行きましょ」
建物は施錠されており、レーンはいつものように壊して進もうと、骨砕きを構える。
それを涼一が止め、山田の鍵を取り出した。
「収容局でも使えりゃ良かったんだけど、一本しか無かったから。今日の遺物回収で、鍵も集まるだろう」
術式で難無く侵入し、屋上に出ると、涼一は並ぶパネルの端を手でつかむ。
「うおっ!」
その瞬間、パネルに繋がれたケーブルから火花が散った。
「いや、大丈夫だ」
何故か魔弓を抜いているレーンに、彼は問題無いと落ち着かせた。
「発電量にビビったんだよ。俺の身体に電気は流れてない。何枚か持って行けば、電化製品も使えるかもな」
すっと手を引いた涼一は、焼けたケーブルの様子を観察しに行く。
「うーん、相当、抑えたんだけどなあ。電力調整って、どうやったらいいんだ……」
「細切れにすればいいのよ」
「ん?」
レーンは手刀で、
「ああ! パネルを刻むのか」
それで上手く行くなら、電池より使い勝手がいい。
大電力を維持しつつ、暴走しない程度の大きさを調整してみようと、涼一は彼女のひらめきに感謝した。
殺風景な屋上の光景が、急遽、宝の山に見えてくる。
一つ収穫を得て、涼一は中央に戻るためにレーンを探す。
彼がパネルを前に思案している内に、彼女はまた屋上の端に行ってビオトープを眺めていた。
「おい、レーン。帰ろう」
彼女は指を唇に当て、静かにするように涼一に伝える。このジェスチャーは、若葉が彼女に教えたものだ。
妹との交流を有効活用してくれるのはいいが、公園に何かあるのかと、涼一も足音を忍ばせて端まで近寄る。
――あいつ、まだいたのかよ!?
先にレーンに咎められていなかったら、間違いなく声に出していた。
草木に隠れていても、あの白い光沢は特徴的だ。
伏川高校を蹂躙した剣虎が、公園の奥を寝床にしていたのだった。
◇
レーンはチラチラと虎のいる場所へ目を向けつつ、屋上の入口に引き返す。
涼一もおっかなびっくり、その後ろを摺り足で続いた。
「もう喋っても大丈夫か?」
公民館の中に入ると、無言だった彼が口を開く。
「外で喋っても、大丈夫とは思う。一応、念のためよ。あいつ、夜行性のはずだもの」
「昼は安全なんだな」
「起こさない限りね」
今の強化された魔弾なら通用すると、彼女は予想した。
――学校では逃げるしかなかった。ここで倒した方がいいのだろうか?
迷う彼女の考えを察したように、涼一が腕を組んで話す。
「あれと戦う気なら、ニトロの方が確実だ。多分今なら倒せるだろう。けど、うーん……」
「始末するのに、何か問題でもあるの?」
今度は彼が悩む番だ。
こういう顔をして考え込む涼一を、レーンは何度も見てきた。大抵は考えがまとまると、ロクでも無いことを言い出す。
敵にとって、不愉快極まりないことを。
「なあ、あいつ、捕まえないか?」
――ほら、やっぱり。
母親の叱責を待つ子を思わせる涼一の態度は、彼女の頬を緩ませる。
「おかしいか? 笑ってないで、何か言ってくれよ」
「ふふっ、リョウイチらしいと思ったのよ。どうやって捕まえるのかしら」
「それはまあ、中央に帰ってからな」
賛同を得た涼一は、帰り道も捕縛方法に頭を捻った。
――この人はニホンにいた時から、こんな無茶ばかりしてたのかしら。今度ワカバに聞いてみよう。
黙って歩く涼一の横で、レーンは別世界での彼の姿を想像していた。
◇
帝国軍の再侵攻があり得ると知らされ、住民たちも真剣に復興作業に取り組んだ。
実際に進軍が開始しても、最低でも一週間は到達までの余裕がある。
帝国軍は、軍事都市ハータムから一度ザクサに移動し、そこからアレグザを目指すだろう。
当初の駐屯部隊の行軍なら、のんびり半月は掛かる予定だった。
軍が急いで来るかは、アレグザの脅威をどれくらい深刻に捉えているか次第だ。
涼一は剣虎の発見を特務部隊や住民に伝え、北西への立ち入りに注意を呼び掛けた。
彼が捕縛の提案をしたのは、本部テントで報告会を兼ねた夕食の時である。
「――というわけで、あの虎を手駒にしたい」
剣虎を見たことのない神崎が、経験者に意見を求めた。
「そいつは、そんなに強いのか?」
「洒落になんねえよ。帝国兵が、ジャカジャカ喰われてたの見たぜ」
今日は会議に参加した山田が、オーバーに身震いしつつ答える。
メインメニューのラーメンに釣られたらしく、彼は懐かしい味に御満悦だった。
「捕まえられるの、お兄ちゃん?」
山田の他に剣虎を知ってるのは、若葉とアカリだ。
どちらも剣呑な目つきになって、互いに顔を見合わせる。学校での仇敵を利用するということに、少し抵抗もあるのかもしれない。
「別に飼おうというんじゃない。捕まえるだけなら、なんとでもなるよ。睡眠弾も使えるし」
アカリたちは、ああそうかと納得した。今の涼一たちが本気になれば、剣虎も絶対的な脅威とはならないだろう。
「難しいのは、捕まえとく場所だ」
「北西にいるなら、トラックに誘導したらどうだ。引っ越しセンターの二トン車があっただろ」
術式で車を動かせれば、虎ごと移動できる。
涼一は自動車の練習をしようと、ここでも朝の決定を思い返した。
「あの……」
「どうした、レーン、トラックじゃ無理そうか?」
珍しく歯切れの悪い彼女に、涼一が先を促す。
「いや、剣虎はいいんだけど。……その料理、私の分もある?」
花岡の希望で、夕食は即席麺に肉と野菜を増量したラーメンだった。材料を調達してきたその当人は、真っ先に食べて会議には参加していない。
レーンだけは、街の食材を避けて一人別メニューだ。
「食べて平気なのか?」
「少しくらいなら。魔素でクラクラしたら、リョウイチが助けてくれるでしょ」
レーンに魔素耐性があることは、この前の収容局でも実証されている。多少摂取しても、害は無いかもしれない。
「まだ材料はあるよ。中島さんに頼んで来るね」
アカリが炊事テントへ向かう。中島は有沙と一緒に、そこで食事をしている。
帝国兵の残した炊事用の施設に、彼女たちはレストランの調理器具を持ち込んでいた。
レーン用の地球食は、すぐに用意される。皆が固唾を飲んで反応を見守る中、彼女はフォークで麺を啜った。
「……そう注目されると、食べにくい」
「だってさあ、気になるじゃん。どうよ、レーンちゃん?」
山田が感想を求める。
彼女は山田を一瞥もせず、目を閉じたまま初地球食の描写を始めた。
「豊潤な香りの中に、暗霧を切り裂く刺激の閃光。それはフィドローンの森を縫う魔弾のような――」
レーンの語りの中、若葉が兄に囁いた。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
「レーンさんって、たまに中二……」
涼一が目を見開く。
「やめろ、若葉。あれはスルーすべき物だ。大体、俺にだってああいう時期は――」
声が大きくなった涼一に、レーンが微笑みかけた。
「そう。私と涼一は似てるのよ。だって二人はボッチモ――」
「レーンもよせ、俺にダメージが入る」
余計な知識を与えた山田を睨み、涼一は強引に会話を締めにかかる。
「明日は早朝から動くぞ。虎退治だ」
若葉が小さく「おーっ」と返事し、アカリはレーンに山田語の解説を受けていた。
剣虎捕獲作戦は、翌朝の日の出から開始されたのだった。
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