066. フェルド
ナーダへ連絡する際、部隊員は遺物の薬もいくらか持って行った。
術式のおかげで、神崎もやっと普通に歩けるようになり、涼一たちへ笑顔を向ける。
「やってくれたなあ、胸がすくぜ!」
神崎の歓声は、捕虜や佐伯のため沈んでいた空気を少し軽くしてくれた。
涼一の心配は、佐伯の死の現場にいた若葉とアカリである。彼女たちに自分の考えを説明しようとした涼一は、不要だと言われた。
「涼一さんができないなら、私がやってました」
強がりではあっても、アカリの覚悟が本物だと知り、ひとまず彼は胸を撫で下ろす。
彼女たちも今は席に付き、コーンスナックを口に運んでいた。
円形のテーブルを囲んだ総勢七人のメンバーが、夕食を食べつつ、伏川町の今後を話し合う。
ナーデルから増えたのは神崎で、彼は基地にいる間に避難住民の代表として認識されていた。
街の奪回に参加した者では、矢野と中島が出席する。
山田と花岡は、涼一に任せると言って中央捕虜の兵舎に戻った。あとは涼一とレーン、それに若葉とアカリの四人だ。
昼の会談の経緯を涼一が説明すると、神崎から質問が出る。
「ここを独立させるってのは聞いてたよ。でも、帝国とも仲良くするつもりか?」
不可侵協定についてである。涼一は詳しく意図を語った。
「帝国が友好的になるとは思えないな。手を取るのは、やはりフィドローンだし、自由都市連合だよ」
「ならさ、フィドローンに加勢するべきじゃないのか?」
「地図を見てくれ。これが帝国全土、ここの太線で囲んだ部分がアレグザだ」
ゾーンを基準にすると、各地方の広さが分かる。
アレグザ平原の大きさは、小さな日本の県ほどもない。比率から考えて、ベルギア帝国は北アメリカ大陸ほどの大きさがあった。
形は全く違うが、アレグザの位置はフロリダ半島の付け根くらいだ。帝都は遥か北西、アメリカとカナダの国境中央部くらいにある。
ナーデルに似たカルデラ状の地形が多いことから、大陸全土が火山帯であったことが推測できた。
「帝国は、こんなにデカいのかよ……」
地図を確認して、神崎が嘆息を漏らす。
「この大陸全部が帝国ってわけじゃない。自治領も多いし、フィドローンもそれなりの大きさだ。ただ、まともにやり合える規模じゃないことは分かるだろ?」
神崎だけでなく、矢野や中島も難しい顔になった。
「それで、フィドローンの戦争には加担できないってわけね」
「そう。いくら遺物があっても、十万単位の軍を相手にするのは自殺行為だ」
中島は腕を組んで、考え出す。
「フィドローン領にならないメリットは何?」
「それがさっきの不可侵協定――最終的には、集団安全保障かな。アレグザに手を出した国は、他国とも対立する構図にする。そのために、外交がしたい。この街の代表を決めないと」
涼一の答えに、今度は矢野が反応した。
「選挙でもするのかい? 住民は百人もいないけど」
「今すぐ、民主的な制度は無理だよ。軍事政権みたいなものだろうね。フィドローン人も受け入れて、当面は住民代表が統治する形がいい」
神崎はその方針に納得し、賛意を表明する。
「それでいいよ。どうせ
反対が無いのを見て、涼一が話を先に進めた。
「当分は毎夜ここに集まって、合議で決めることにしよう。首席代表は――」
涼一が神崎に視線を送る。
「おい、馬鹿言うなよ。俺に務まるわけがない」
泡を食った神崎は、猛抗議した。矢野が笑って提案する。
「これくらいは民主的に行こう。候補者を挙げて、ここの参加者で決を取ればいい」
今まで黙っていたアカリが、手を挙げた。
「涼一さんがいいです!」
涼一自身は神崎を指名するが、次々に口にされるのは涼一の名前ばかりだ。
「やっぱり、お兄ちゃんかな」
「リョウイチが適任だ」
レーンの言葉を最後に、首席代表が決定する。もう少し自由に動ける立場を欲していたため、涼一の表情は渋い。
今までリーダーシップと戦闘力を見せつけて来た彼には、それは過ぎた望みだった。
◇
その後の会議は、明日からの細々とした話が続いた。
涼一は夕方一杯かけて書いた自治条例案を、全員に回して見てもらう。法律と言うのもおこがましい、市民生活のためのルールだ。
ゴミの処理、水の共有方法、夜の警戒任務。決めるべき事項は、多岐に
この街を復興させるに、一体どれほどの労力が必要となるのか。
会議を終えて皆がいなくなっても、本部の灯りが消えることはない。
レーンが魔弾を制作する音を聞きながら、彼は作業の指示や振り分けを書き出していく。
深夜を過ぎる頃には、テーブルの上に分厚い紙束が出来ていた。
途中、レーンの寝場所を聞き付けたアカリが、毛布を持って本部に来た。
自分の寝所を飾り付けているところを、若葉に連れ去られている。
彼女の悲鳴を聞くのは、今日二度目だった。
「リョウイチ、そろそろ寝た方がいい」
レーンが真後ろから覗いていたのに気づき、涼一が振り返った。
「いつから見てたんだよ。レーンには聞きたいことがあったんだけど……」
「明日でも大丈夫でしょ?」
彼女の手には、不釣り合いな縫いぐるみが抱かれている。
確かコンビニにあった、青いマスコットキャラ、モルロの人形だ。
「それ、好きなのか?」
「アカリが置いていったのよ。どこで拾ってきたのやら」
クールな彼女には似合っていないが、この組み合わせには覚えがある。
「確か、コンビニでも気にしてたよな?」
「だってこれ、デンチより魔素を含んでるわよ」
「……うん?」
こんなモフモフに、何か術式でも組み込まれているのか?
効果目的が見当も付かないようでは、涼一がいくら“起動者”でも発動できない。
レーンは大魔素量の遺物を嫌って、モルロを寝所から追い出した。
作戦テーブルに乗せられた縫いぐるみは、ますます場違いな自己主張をする。
「おやすみ、リョウイチ」
「ああ、おやすみ」
こんな会話は、ハクビルでも無かった。
ほんの束の間の平穏な夜が、彼らが激闘で勝ち得た戦利品だった。
◇
翌朝、涼一を起こしたのはロドの大声だ。
「リョウイチ! いるかね?」
レーンですら寝てる早朝のテントに、彼は勢い良く飛び込んでくる。
涼一が服を着て起き出ると、ロドは既に作戦テーブルの前に座り、モルロの髭を触っていた。
「それ、気をつけた方がいい。レーン曰く、危険物だそうです」
ロドが慌てて手を引っ込める。
「何かあったんですか?」
「ハータムの密偵から、報告があった。ゾーン駐屯部隊に、待機解除の命令が出たらしい」
対策部隊がゾーンを掌握すれば、駐屯部隊と任を交替するのが通常だ。
アレグザにも一月経たずに、北の軍事都市ハータムから駐屯部隊が派遣される予定だった。
「解除と言うことは、朗報ですね」
部隊が来ないのなら、それに越したことはない。
「それが、そうもいかん。ハータムの主力国軍が、進軍準備を始めた。駐屯部隊の数倍の規模になりそうだ」
ああ、悪い知らせだったか――爽快な目覚めが、涼一から逃げて行く。
「フィドローンとの国境にいる帝国軍は、そのまま王国を抑えるつもりだろう。王国軍は、まだ動かん。軍の国境通過を巡って、帝国と外交戦の最中だ」
「ナーデルの特務部隊は?」
「自由都市からは、段階的に特務部隊が派遣される。全部揃うまで、まだ時間がかかると思ってくれ」
「ガルドの報告を聞いて、思い留まってくれればいいんだけどな。とりあえず、街の正常化でしょう。死体の処理を最優先して欲しい」
「それは構わんが……、火葬するにせよ、どこに運ぶ?」
「可能なら街の外へ。堀に埋葬できるなら、それが一番いい」
遺体を壁外に運ぶのは、相当な重労働になる。それでも、埋めて弔えるならそうしたいと、ロドは思う。
「善処しよう。住民はどう動く?」
「遺物の確保と、街の整備を」
報告が終わり、出て行こうとするロドを、涼一が呼び止める。
「フィドローンでは、このゾーンを何て呼んでるんです?」
「アレグザのゾーン……いや、単にアレグザかな。もはやアレグザ平原は、ゾーンを抜きにして考えられん」
涼一たちは昨夜の会議で、この都市国家の名前を考えていた。
伏川もいいが、ここで生きて行くなら、郷に従った名前も悪くない。フィドローンの言葉を使って、最後はレーンが名付けてくれた。
「この街の臨時代表は、俺に決まりました。フェルド・アレグザ、それが街の名です」
「フェルドか……」
その言葉に込められた意味は、ロドにもよく理解できる。
涼一の顔は、不敵に笑っているようにも見えた。
◇
涼一に遅れて起きてきた住民に、彼は昨夜作った指示書を手渡していく。
神崎は中央にいた捕虜と懇談。
花岡、矢野をそれぞれリーダーにして、男性陣は街の建物の整備と、遺物の回収を行う。
浄水の術式などというのがあれば、一番だ。特務部隊の造水の魔石に頼らずとも、水不足に陥らずに済む。
女性陣は、集まった遺物の整理や、細かい制作を担当する。
中島には、小さな女の子がついて回っていた。
「おねえちゃんと、いっしょがいい」
何故かお姉ちゃん呼びなのはともかく、奪回戦で別れて寂しい思いをしたためか、彼女は中島の裾をつかんで放さない。
この幼い少女が、唯一の子供の生き残り、
アカリと合わせて三人には、テント内で行う食糧関連の作業が割り振られた。
「若葉、この子のために、トイランドのおもちゃを運んで来てくれないか? 山田も使っていいから」
「了解。お兄ちゃんにしては優しいね」
色々な遺物の実験がしたいからという彼の本音は、黙っておいた方が良さそうだ。
「トランシルバニア・フレンズがほしい……」
「オーケー」
有沙に頼られて、若葉の機嫌もいい。
小さな吸血鬼の人形をコレクションするシリーズは、女の子に人気が高かった。
涼一にはさっぱり分からない趣味だが、妹なら上手に選んで来るだろう。
全員が働き出すと、いつの間にシャワーでも浴びたのか、石鹸の匂いをさせたレーンが涼一の横に来る。
「私たちは、何をするの?」
「まず実験をして、昼からは街の北西に行こうと思う。使える遺物があるかもしれない」
「アテがあるのね。武器?」
彼は大規模術式を求めていた。街を防衛するなら、大きい方がいい。
「ん、防衛兵器が欲しい。アレグザは、ただの自治都市じゃない」
フェルド・アレグザ――フェルドとは、王国に伝わる古い昔話に登場する街の名前だ。
攻め寄せる神敵の軍勢を、五十人の聖騎士が守り抜いたと言われる。
城壁に囲まれた難攻不落の砦。
涼一は、この街を要塞都市にするつもりだった。
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