065. 殺さない理由

 涼一とロドとの話し合いが終わると、ガルドが本部へ連れられて来る。

 手枷てかせをした彼を、ヘイダと同僚のマッケイの二人がめつけた。

 フィドローン兵、特にロドの元に集まった者は、帝国を恨む者ばかりだ。


 ガルドはロドと席を代わり、涼一と対峙する。

 アレグザの独立は、ハクビルにいた時から考えていたことだった。

 ナーダの基地で住民の意向を聞き取りした時に、主要な仲間には彼の希望を話している。


 しかし、帝国との具体的な交渉内容は、まだレーンにしか教えていない。

 独断専行と知りつつ、涼一は敵司令官との会談を開始する。


「まず、こちらの要求を述べます」

「うむ」


 ソフトな切り出しに、帝国の歴戦の将はかえって警戒した。彼の前に座るのは、千を遥かに超す兵を殲滅した男である。降伏する寸前には、神に赦しを乞う兵までいた。

 今朝見た街の惨状を忘れてはいけないと、ガルドは肝に銘じる。


「フィドローン王国との国境も含め、通常の警備兵以外は、アレグザ平原から撤退して欲しい」

「それは、フィドローンから手を引けということかね?」


 ガルドは、涼一の後ろに立つ男を見た。

 騎士然とした初老の兵は、フィドローン人特有の尖った耳を持つ。正規軍でなくとも、王国の思惑で動いているのは明白だった。


「フィドローンからの撤退は、私の手に余る事案だ。少なくとも、南方国軍の司令官辺りに伝えるのが先だと思うが?」


 涼一が頭を振って否定する。


「フィドローンじゃない。アレグザは独立する。王国とは友好的な関係を望んでいるだけです」

「馬鹿な、自由都市にでもなるつもりか。こんな小さな街一つで……」


 そこまで言って、ガルドは言葉を継げない。

 その街が、対策部隊をほぼ全滅させたのだ。軍事力に遜色は無いだろう。


「しかし、国は武力だけで成立できる訳ではないぞ?」

「分かっています。だからこそのフィドローンとの友好協約です」

「それを帝国が許すとでも思うのか?」


 アレグザが叩けないなら、フィドローンを締め上げるまで。涼一の考えは、ガルドには余りに無謀に聞こえた。


「ゾーンに手を出さないなら、帝国とも不可侵協定を結んで構わない」


 これにはロドも、表情を強張らせた。ガルドが説明を求める。


「一体、何を考えている?」


 涼一は一瞬、奥で成り行きを見ているレーンの顔色を窺い、またガルドへ視線を戻す。


「我々のゾーンは、フィドローンと共闘しない。但し、帝国が敵対行動を取るなら、その限りではない」

「つまり……帝国が安全を保証する限り、武装中立を謳うと」

「そうです」


 これは詭弁だった。

 魔素のみを交易したとしても、フィドローンの武力は飛躍的に強化されるだろう。軍事強化を図れるなら、王国はそれで辛うじて納得する可能性がある。

 では帝国は?


「王国への交易も停止するなら、まだ有り得ん話ではないかもな。だが、友好協定を結んだ上での中立は、認められんだろうよ」

「我々が、フィドローンと軍事同盟を結ぶ危険を冒しても?」


 不愉快な想定に、ガルドは唸り声で返した。術式の怪物がフィドローンに参加するなど、悪夢でしかない。

 涼一は敵将への頼みを、ブラフと共にここで口にした。


「あなたにして欲しいのは、このゾーンの戦闘力の正確な報告と宣伝です。昨夜の征圧部隊への術式は、ここの住民なら何度でも使える。遺物の威力も、ご存じでしょう」


 ガルドは涼一への見解を修正する。この男は、軍人でもなければ、凶悪な虐殺者でもない。冷徹な政治家に近いのではないか、と。


「いたずらにアレグザに進攻すれば、昨夜と同様の反撃をします。今度は帝国全軍相手にね。軍の損耗を避けたいのなら手を出すべきではない、それを帝都に伝えて欲しい」


 ――全滅・・か。やりかねんな、アサミなら。

 声には出さずとも、ガルドが涼一をどう評価したかは、表情で窺い知れた。


「馬を貸します。ザクサの近くまでは、護衛を付けましょう」

「いや、アレグザ平原の終わりまででいい」


 敗軍の司令官を、伝令代わりに使う。屈辱だが、今さらガルドに文句を言う気は無い。


「書状を用意するので、出立は明日に。今日は収容所に泊まってもらいます」


 言うべきことを言い、涼一は会談を終えようとした。

 ちょうどその時、タイミング悪く、若葉たちがテントに現れてしまう。

 ガルドの退出前であったのは、何より佐伯にとって最悪の巡り合わせだった。





 佐伯は右腕を中島に、左腕を若葉につかまれ、囚人のようにテントに引き立てられて来る。

 彼女たちが佐伯を引き渡された時、矢野が手を離したのを幸いにして、彼女は逃げ去ろうとまでした。

 連行中、通りに重なる死体を見た佐伯は、歩くのもグズる。

 拘束を嫌がって身をよじるものの、小関の憤激を聞いた後では、誰れも彼女を自由にさせる気にはならない。

 アカリが何度も質問を繰り返したが、かつての教師は無言のままだ。


 本部入口に現れた彼女が何者か、涼一はしばらく分からなかった。

 中島がローブを脱がせると、それが伏川高校の教師だと気づく。


「佐伯先生?」


 ローブの下は、コンビニで別れた時の服装のままである。

 肌の色も良く、それなりの待遇を受けていたことが想像できた。

 不安気に本部内を見回していた彼女は、意を決して口を開く。


「あ、あなたがやったの?」


 何を聞かれたのか理解できず、涼一は返答に詰まる。

 中島が、小関の話を簡単にまとめて伝えた。


「この人、帝国に協力してたらしいわ。生かす捕虜の選別も手伝ったって」


 佐伯はせきを切ったようにまくし立てる。


「私は少しでも皆を助けようと努力しました。無駄な争いは、死ななくて済む人まで犠牲になります。あなたは……いっ、一体何人殺したんですか!」


 四千人くらいかな――涼一はぼんやりと答えを浮かべながらも、その目は彼女の胸の辺りを注視する。

 突然乱入した女の正体を察し、ガルドが誰に言うでもなく呟いた。


「征圧部隊の協力者か。“発光の術式”の女だな」


 レーンが魔弓を抜き、涼一のそばへ寄る。喚く佐伯の前に、二人は進み出た。


「人を傷つければ、必ず報いを受けます。耐えて開ける道があるんです!」


 佐伯は教師時代に培った言葉を滔々とうとうと垂れ流すが、転移後の争乱を生き残った彼らの中で、真面目に聴き入る者はいない。


「そのペンを使ったのか?」

「え?」


 涼一の低い声に水を差された佐伯は、パチパチと目をしばたかせる。

 彼女の胸のポケットには、相変わらず赤鉛筆と蛍光ペンが挿してあった。対象を蛍火でマークする、術式のペン。

 光る傷口が、涼一の頭に蘇る。


「こ、これは……これで協力できるんです。お互いが助け合えば、共存できます!」


 征圧部隊が用意した矢に、術式の色を塗っていた彼女は、その矢の向かう先を敢えて考えないようにしていた。

 青い顔で、言い訳をヒートアップさせる佐伯。彼女を黙らせたのは、小関だった。


「敵だと決め付けずに、もっと……ぎゅぁっ!」


 帝国兵の槍を拾い、佐伯を探して本部に来た小関は、背中から彼女の身体を貫く。

 彼女の腹から飛び出した槍先を見て、アカリが悲鳴を上げ、若葉は思わず後ずさった。


「刺すなら手伝うわよ」


 中島が小関の手を上から握ると、彼はもう一刺ししようと槍を引き抜く。

 崩れ落ちた佐伯は、腹を押さえて転げまわり、涼一にすがるように近づいた。


「いぃ、痛い! 助けてぇ!」


 仇の醜態を見て、中島が押さえていた手から力が抜けていく。

 血塗れの槍はガラガラと地面を転がった。


「こいつはな、俺が協力しなかったら、大門を殺すって言いやがった。次の尋問で見せられたのは、あいつの死体だったよ!」


 ヒューヒューと喘ぎながら、佐伯が抗弁する。


「……私は……通訳した、だけ……ぐぅっ」


 身体を二つ折りにして横たわる佐伯を、涼一が見下ろした。

 レーンは魔弓を彼女に向けたまま、冷たく言い放つ。


「こいつは敵よ、リョウイチ」


 片肺を潰された彼女は、このまま放置すれば息を引き取るだろう。今すぐ術式を使用すれば、助けられる可能性も高い。

 では、助けるのか?


 涼一は槍を拾い、その先端を佐伯へ向ける。

 昨晩の一戦で、彼の手はもう拭い去ることが出来ないほど赤く染まった。躊躇ってはいけないと、自分に言い聞かせる。


 抵抗は有った。若葉やアカリの前で、知人を始末するのは避けたい。

 しかし、興味深げにガルドが見ている以上、それは殺さない理由になり得ない。

 佐伯は涼一へ手を伸ばし、助けを求めた。


「……か……回復を……」


 彼が彼女の手を蹴り飛ばすと、佐伯の顔に、信じられないという驚愕が張り付く。


 グシャッ。

 槍が彼女の首を刺し潰し、不快な呼吸音を消した。

 血溜まりが広がるのを見た小関が、嗚咽を漏らす。


「うっ……大門っ……」


 彼を中島に任せ、涼一はガルドへ振り返った。


「つまらないことで、待たせてしまいましたね」

「戦場での茶飯事だろう」


 裏切り者の処刑は涼一の印象を強め、彼の評価を高める。この男に甘さは無い、そうガルドは確信した。

 顔を背けるアカリの肩を抱き、若葉が外へ連れ出す。


 望み通りの結果を得た涼一だったが、格段、嬉しくもなかった。





 部隊員が、ガルドと遺体を本部から運び出すと、ロドが今度はレーンに話を振る。


「君は英雄の娘だ。フィドローン再独立の先頭に立つ気はないのかね?」

「前にも言ったわ。私はリョウイチと行動を共にする。落ち着いたら、母と妹もここに連れて来て欲しい」


 戦禍に巻き込まれる危険だけを考慮すれば、ナーデル自由都市にいる方がリディアたちは安全だ。

 レーンがそれを望まないというのは、フィドローンの庇護を嫌ってとも受け取れた。


「父に似て、なかなかかたくなな娘だよ。その名を出せば、士気も上がるのだがなあ」


 やれやれと、ロドは肩をすくめる。


「私がフィドローン人なのは、半分だけよ。感謝はしている、話も聞く。でもそれ以上は、彼次第ね」


 二人は涼一に視線を向けた。


「リョウイチ、本気で独立を考えているのなら、アレグザも組織を立ち上げてくれ。君個人と交渉はできん」

「分かった。ナーダの住民が来たら、ここで会議を開くよ。特務部隊にも場所が必要だな。兵舎を一つ、部隊用の本部に改造しようか」


 では一番大きいテントを貰おうと、ロドは遠慮なく指定する。

 山積する問題を片付けに、彼は隊員たちの指揮に戻って行った。

 涼一はレーンと二人で、中央のテーブル周りに椅子を並べ、アレグザの地図を真ん中に広げる。


「リョウイチは、ここで寝泊まりするの?」


 本部テントには、奥に司令官と参謀達のために仮眠所が設けてある。


「その方が便利だな。司令気分でも味わうか」

「じゃあ、私は参謀の寝所を使うわ」

「……それはマズいんじゃ」


 レーンはキョトンと、可愛らしい顔を作ってみせた。


「ちゃんと布で区切られてるし、平気よ。一人で寝かせるなんて危な過ぎる」


 もっともな言い分だが、優しい微笑みが引っ掛かる。どうにもわざと、からかっているようにしか思えない。


「そういうことだから、魔弾の制作でうるさくしたら謝るわ。帝国兵の武器を加工して、作れるはず」

「お、おう」


 押し切られた涼一は、怪しい挙動を取りながら、仕事に頭を切り替えた。

 彼はテーブルに向かい、話し合うべき内容をメモに書き出していく。


 その作業中、衰弱していた住民たちも、回復の術式を受けたあとはよく寝ていると、山田から報告があった。

 ただ、小関はそうもいかず、術式を使って眠らせたらしい。


 花岡と矢野が近場から調達してきた乾燥食品が、今日の夕食だ。

 消臭剤も無事に見つけられたので、皆で手分けして、食事までに臭いを消そうと奔走する。


 ナーダからの住民は到着が遅れ、神崎たちがテントに入って来たのは、涼一がカロリーフレンドを頬張っている時だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る