第三章 ゾーン

1. 決戦前夜

064. 捕虜

 ガルドをトイランドの店員事務所に監禁し、涼一たち住民はわずかな睡眠を取る。

 さすがに疲れ果て、昼前まで誰も起きなかった。

 特務部隊員は日頃鍛えた成果か、短い休憩のみで捕虜の監視を務め、ナーデルや王国へ作戦の結果を知らせに行く者もいた。


 正午を迎える前に、山田が住民たちを起こして回る。昨夜の彼の怪我は酷かったが、夜明け前から寝ていたため、声にも元気があった。


「涼一、起きてくれ。悪いけど、お前がいないと始まんねえ」


 目を開けた涼一は、店内の縫いぐるみたちを眺め、自分のいる場所を思い出す。

 立ち上がった彼は、今日の予定を考えながら、ガルドのいる事務所に歩いていった。戦いが終わっても、気の抜けない日はまだまだ続くだろう。


 事務所ではロドが、彼の登場を待ちわびていた。

 部屋の隅にはガルドが座らされ、隊員が彼に短剣を向けて立つ。


「来たか。アイングラム司令をどうするつもりかね?」


 ロドの声に、ガルドも開いた扉の方を向いた。

 あまり非常識なことにならないよう、涼一は一応の確認をする。


「この世界の、一般的な捕囚の扱いは?」

「普通は戦争集結まで拘束する。相手に捕虜がいれば、交換交渉することもあるな」


 ガルドは怪我の治療を拒否し、左の耳から首にかけて、火傷のあとが残ったままだ。帝国の将は、黙って涼一を見返す。


「彼には頼みたいことがある。その後は、開放するつもりだ」

「人質を手放すのは、悪手にもなり得るぞ?」

「……構わない。将一人で攻勢を止めるほど、帝国も甘くはないんだろ?」


 涼一の話に興味が湧いたガルドが、口を開いた。


「私に人質の価値は無い。頼みを聞いても、何もできんと思うが」


 誇り高い男なのだろう、その口調は堂々としたもので、自嘲の響きは無かった。


「大した頼み事じゃないさ。とりあえず、中央の捕虜収容所に移動しよう。彼と住民を入れ替える」

「よかろう、部下に準備させてこよう」


 ロドは指示を出すために退席し、涼一も仲間に予定を告げて行く。


 若葉はユキシロに出向き、兄のために新しいコートを取ってきた。住民組の衣服はボロボロで、新調した者が多い。

 自転車に荷物を積み、全員の準備が整うと、彼らはトイランドを出発した。





 一度、駅前まで北上し、大通りを西進する道を選んだ彼らは、通りにあふれる動く死体に辟易する。転移後とは、その数が段違いだ。


 雨上がり後の春風でたなびく鯉のぼりは、場違いを通り越し不気味ですらあった。

 数を増やした節句の飾りに疑問を持ちつつも、涼一は淡々と集団を先導する。自分が招いた結果とは言え、彼にも気分の良い光景ではない。


 ガルドも兵の変わり果てた姿に、自然、険しい面差しになる。涼一は、この惨禍をこそ、彼に見せておきたかった。

 とは言え、これでは日が沈むと獣の狩場になるだろう。

 住民だけでは、街の安全を確保するのも一苦労だ。彼はロドと相談することを反芻しつつ、荒れ果てた大通りを進む。


 ゾーンの中心地に近づくと、近代建築とは趣の違う、野外テントや小屋が道を占拠していた。

 ここだけは、さっさと動く死体を一掃したい。


「部隊に死体の処理を頼んでいいか?」

「構わんよ。ナーダからの連中も、そろそろ到着するだろう。この本部周辺だけなら、深夜には片付くはずだ」


 ロドは征圧部隊の荷車を利用するつもりだ。街内には曳かせる馬が生き残っていないので、人力に頼る作業になる。


「……西に学校がある。広場になってるから、最後はそこに集めるのがいい」


 本部テントの北には、やや大ぶりな小屋がいくつも見えた。

 その木造の建物群に目を遣った涼一は、住民メンバーへ振り返る。


「捕虜収容所があるはずだ。山田の鍵で開けて、救出してくれ」


 ガルドを近くのレストラン内に括り付け、皆がそれぞれの仕事に取り掛かった。

 山田を先頭にして救出班が小屋に向かい、涼一はレーンと一緒に、司令本部を自分たち用に整える。

 ヒューの姿は今朝から無く、また単独行動に戻ったようだ。


 倒れた参謀や下士官たちを外に運び出す作業は、ここ数日の戦闘より涼一の筋肉を酷使させる。

 小一時間ほどして、テント内から遺体が無くなると、彼は参謀用の椅子に腰を下ろした。

 血生臭ささえ我慢すれば、話し合いくらいはできる。落ち着いてから、消臭できそうな遺物を探せばよいだろう。


「では、今後の相談と行こうか」


 テーブルを挟み、向かい側にはロドも座った。

 レーンは少し離れ、腕を組んで柱にもたれ掛かる。


「フィドローンが関与しているのは、こうなってはもう隠せまい。帝国には、ゾーン鎮静化を王国が行うと通告する。実際にすぐ動かせるのは、自由都市にいる特務部隊だけだがな」


 要はフィドローンの兵が進駐し、既成事実を作りたいということだ。それは帝国軍の消えた、今しかできない。


「残る全特務部隊の到着をもって、アレグザはフィドローン王国の保護下に入る。よろしいかな?」


 特に問題は無いだろうと返事を待つロドへ、涼一は静かに切り出した。


「まず、この奪回に協力して下さったことを感謝します。その恩義を踏まえた上で、えて言わせてもらいます」


 彼は一度、言葉を止める。騎士の顔を見据え、はっきりと涼一は宣言した。


「伏川町……アレグザは、王国の保護を拒否します」


 ロドが慌てて問い質す。


「王国を敵に回すのかね!? 自分たちだけでやって行けるとでも?」

「今の街は死体だらけだ。これを片付けるだけでも、住人では足りない」

「その通りだ。それに――」

「それに加え、食糧と水も必要です。王国には部隊の派遣と、それら物質を補給して欲しい」


 彼の要求に、ロドは混乱してしまう。


「それは王国領に復帰するのと、どう違うのだ。我々は君たち住人を排除する気は無いぞ」

「無償の施しはいらない。こちらも王国に提供できる物はある」


 涼一は席を立ち、テーブルの上に小さな瓶を置いた。

 ニトログリセリンの入っていた薬瓶――その中身を、今は別の物に入れ替えてある。


 蓋を開け、瓶を傾けると、涼一の掌にパラパラと粉が落ちる。

 昨夜、彼の体から噴き出た高濃度の魔素結晶だ。日中でも緑に輝く結晶を摘み、向かいに座る騎士へ見せた。


「この街の特産品、魔素です」


 街を覆った緑光を思い出して身構えるロドに、涼一は説明を続ける。


「これ自体は武器じゃない。なんの術式も組み込まれていないし、放出もしていないからね。でも、これに例えば、着火の魔石を合わせたとしたら……」

「あの青い炎か」


 ハクビルで敵兵を燃やした火は、ロドも忘れようがない。


「これはつまり、交易です。互恵的に、相手が必要な物を提供する。王国と友好協約を結びたい」


 この申し出は、ロドの権限を越える。至急、本国に掛け合わなければ――ロドの頭を書くべき報告の内容が駆け巡った。

 涼一の宣言が、この会談の最後を締め括る。


「我々は、王国と対等な関係を期待します。アレグザのゾーンは独立する」


 さて、考えることは山積みだと、涼一もまた頭をフル回転させていた。





 捕虜収容所は、本部テントからずいぶん北に離れた場所に建てられていた。中央と呼べるギリギリの位置だ。

 山田が扉を開けると、いきなり動く死体と対面した。ホラー映画のように襲ってはこないが、心臓に悪い。

 彼は死体の腕を引き、外に押し出す。


「きゃっ」


 後ろに控える者を考慮しない彼の所業に、アカリが小さく悲鳴を上げた。


「誰?」


 入口近くの部屋で、誰かがアカリの声に反応する。鍵を開けると、彼らも知る人物が、隅でうずくまっていた。

 伏川高校の教師、佐伯だ。


「その格好は……」

「えっ、山田くん!? どうして……」


 山田が眉根を寄せるのも無理はない。彼女の服装は帝国の魔導兵と同じ、戦闘用のローブ姿だった。

 部屋も小ざっぱりした個室で、事務室といったしつらえである。


 佐伯はキョロキョロと見回し、礼もそこそこに皆を避けて外へ向かう。

 彼女も気になるが、奥には本格的な牢屋があり、そちらが救出の本命だった。


 家具もベッドも無い大きな牢屋は、一部屋に五人程度が収容されている。全部で十二部屋が存在し、二部屋は無人だった。

 全部屋を開錠して、囚われていた住民を外へ誘導する。


 南の捕虜収容テントから移送された者には、アカリも見覚えがあった。やつれてはいるが、そこまで印象に変化は無い。

 最初から北に収容された者たちは、二十名程度。その頬はこけ、顔に精気も見られず、歩かせるのにも手こずる。

 一人一人を確かめていた山田が、求める顔を見つけ叫んだ。


「小関!」


 背の高いサッカー部員は、やはり捕虜になっていた。


「あ……、山田さん……」


 虚ろな目は、衰弱が原因だろうか。若葉と中島が回復の術式を、全員にかけていく。


「小関くん、何をされたの?」


 アカリの質問に、回復が効いた彼が喋り始めた。


「みんな……尋問されたんだ……」


 字面は南部収容所と変わらない。中央でも、住民の懐柔と恫喝が行われた。

 但し、恫喝の比率が圧倒的であり、肉体への拷問も含まれる。山田の袖をつかむ小関の指には、爪が存在しなかった。

 目の焦点が合い、意識がしっかりしてくると、彼は詳細な経緯を語る。


 現在の三倍以上いた捕虜たちは、当初、南部と同じ造りのテントへ入れられた。

 捕虜用の小屋が完成すると、征圧部隊は部屋数に合わせて捕虜を間引く。


「間引くって?」

「殺したんだよっ」


 小関が歯を剥いて吐き捨てた。

 尋問には部隊の担当官数名と、住民の通訳が立ち会い、彼らが殺す対象も選んだと言う。


「通訳は、誰がしたの?」


 南部で同じ役割を果たしたアカリが尋ねる。


「ああ……、あいつはどこだ?」


 猛烈な勢いで、小関は人を探し始めた。

 逃げ出そうとでもしたのか、花岡と矢野に腕をつかまれる佐伯を見つけて、彼は激昂する。


「そのクソ女だ! そいつが大門を殺しやがった!」


 弱っていたはずの小関を押さえるのに山田だけでは足らず、最後は花岡も加勢した。

 黙して震えるだけの佐伯は、何も喋ろうとはしない。彼女は女性陣に囲まれ、本部テントへ連行された。


「とりあえず体を治せ、小関」

「だけど、あの女が――」

「逃がしやしねえよ。街は俺たちが取り戻したんだ」

「街を……?」

「そうさ。だから落ち着けって」


 山田に何度も諭されて、ようやく彼も平静を取り戻す。

 住民たちは、死体を片付けた兵舎に案内され、そこで復調を待つことになった。

 自転車を持ち出し、サドルにまたがった花岡が、薬の補充を探してくると申し出る。


「ドラッグストア、あったよな?」

「パンダ堂か。学校を越えたところだよ」


 殺虫剤を集めに行ったのが、山田にはえらく昔に思えた。


「栄養剤を探して来るよ。多分効きそうだし」

「あったらファブクリアも頼むよ」


 この血の匂いの中で寝るのは、できたら勘弁して欲しいというのは、皆の共通の思いだ。

 強力消臭剤のリクエストに花岡も同感し、了解だと出発した。


 残された山田と矢野は、捕虜収容所以外も確認するため、二人で各施設を回ることにする。

 建物のほとんどは兵舎で、それ以外には帝国軍の武器庫と、収集した遺物の保管所があった。


 征圧部隊は遺物調査に不真面目だったが、それでも木造の小屋にびっしりと収集品が詰め込まれている。

 エアガンや電池など、自分たちが使われた遺物を主に集めたようだ。

 一通り施設をチェックして住民のいる兵舎へ戻ると、花岡もドリンク類を抱えて帰ってくる。


「よし、飲ませて行こう。山田君の方が、術式には慣れてそうだね」


 矢野に言われ、山田は栄養ドリンクを受け取った。

 まずは後輩に飲ませるか、そう彼は小関を探すが、見当たらない。


「おーい、小関っ」


 それは山田が名を呼んで、返事が聞こえないのに首を傾げた時のことだ。


「きゃーっ!」


 本部テントから、アカリの大きな悲鳴が届いた。

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