063. 夜明け

「あの男を止めろ! 皆殺しにされたいのか!」


 ガルドの怒号が、ニトロの爆音にも負けず、部下たちへ飛ぶ。

 前列は爆発で維持できず、衝撃と火炎によって、後列からの射撃も散発的なものへと貶しめられていた。


 司令を守るようにリゼルが立ち、操術士を狙って追魔の矢を乱射する。だが、その矢は尽く、涼一に寄り添うレーンの魔弾が撃ち落とした。

 後退をこらえるガルドの至近にも爆炎が届くと、彼も遂に地に膝を突く。

 司令の左半身を燃やす火を、周りの兵が必死で消し止めようとし、近くにいたクラインの絶叫が障壁部隊に木霊こだました。


「退けえっ、退けえーっ!」


 その号令も、実行するには時既に遅い。

 街側には蛇花火の壁、外側には自分たちが築いた障壁が行く手を阻む。

 北に退却しようとした兵士には、アカリと中島の水弾が猛威を振るった。





「中島さん、水が切れそう!」


 アカリの訴えに、造水の魔石が手渡される。


「まだまだあるわ。余るくらいね」


 伏川駅から外に出た二人は、北東まで敵部隊を攻撃した後、また東進入口まで戻ってきている。

 ガルドの本隊と合流しようとした兵を追撃したためで、この兵たちの判断は致命的な過ちだった。


 もっとも、北東の監視所近辺は、アカリの投げた電池で雷獣が跳ね回っている。

 山田の活躍に感化された彼女は、自分でも雷撃を試していた。

 中島が回復の術式を使用していなければ、今も腕の火傷で苦しんでいただろう。


「あの爆発、涼一さんよね」


 アカリからは、まだ涼一たちの姿までは見えない。

 空になった水鉄砲を補充しながら、中島が尋ねた。


「もっと南に進む?」

「……電池でふたして、北へ行きましょ」


 アカリは当初の目的を優先する。

 中島は火傷薬を取り出し、やれやれと彼女を見返した。


「無茶なところとか、あなたたちよく似てるわ」

「涼一さんと?」

「山田くんとよ」


 アカリは肩を落とし、電池を投石器にセットする。


「そこはせめて若葉にして……」


 ガルドたち障壁部隊の撤退は、こうしてアカリの嘆きと一緒に放たれた雷獣によって、絶望的となった。





 ゾーン北部と西部にも、数で言えば他所と変わらない兵が配備されていた。

 しかし、その内訳は地方対策部隊と工作部隊が多く、障壁部隊も二線級の予備歩兵が大半である。

 まだ戦闘経験の少ない矢野と花岡でも、監視所周辺を手際よく破壊していく。

 動く死体につられて来るカラスたちの方が、余程厄介だ。


 花岡は休日に伏川町を訪れていたサラリーマンで、友人たちと飲み明かす約束をしていた。

 転移直後に魔素で家族を亡くした矢野と違い、花岡は目の前で友人を征圧部隊に焼かれる。

 涼一たちに道を示され、彼は恨みを火炎の術式に込めた。


「花岡君、あんまり先走るなよ。反撃もあるんだから」

「あ、ああ……」


 花岡が魔石で着火し、ライターで増燃させる。

 矢野は適当に障壁を張り、歯向かう敵をウォーターガンで始末する役割分担だった。


 このコンビがゾーン北から西回りに半周すると、壁内外の兵はほとんどがアレグザ平原に逃げ出してしまう。

 征圧部隊が潰滅したあと、動く死体と対面していた兵たちに、果敢な士気を期待するのは無理な話だろう。


 電波塔が見える場所まで南下すると、矢野は地面に花火を設置する。彼らには、トイランドで最大の打ち上げ花火が若葉から渡されていた。


「着火を頼むよ」


 矢野に促され、花岡は魔石で花火に点火する。

 魔光を撒き散らす大輪の花が、暁の空に開く。火花は少なくても、魔素が広く輝くために見応えがあった。


「……もう一発あったよな」

「そうだね。使ってしまおう」


 花岡の意を汲んで、矢野は予備の花火も取り出す。

 再び開く、季節外れの花火。

 二人は光が消えるまで、動かずに空を見上げ続ける。


 矢野は、相方が静かに泣いているのに気がつくが、何も言わずに黙っていた。





 ゾーン南に花火が上がると、しばらくして、北の空にも同じ光が散った。

 祝砲のようなこの光景は、当然ガルドの目にも映る。彼の左頬は、ニトロの爆風を浴びて焼き腫れていた。


「クライン、あれは……そういうことだな」

「……これまでかと、閣下」


 この時点での合図が何を知らせるためかは、主席参謀も推察できた。この夜最後の決断を、ガルドが下す。


紅閃こうせん旗を掲げよ」


 クラインは命を拝し、兵を呼び、部隊旗を付け替えさせる。

 残存兵は武器を置き、障壁近くに固まった。





 二カ所の合図を見た若葉は、兄に作戦の完了を教えた。


「他は終わったみたいよ、お兄ちゃん」

「あとは俺たちだけか。総仕上げだな」


 旗を見たレーンが、攻撃を続けようとする涼一の手を押さえる。


「紅閃旗が揚がったわ」


 白地に、右から斜めの赤いラインが走る旗。意味を問いたげな涼一に、彼女は言葉を付け足した。


「全面降伏の旗印。あそこにいるのは、もう私たちの捕虜よ」


 涼一たちは、行進のペースを崩さず、ゆっくり敵部隊へと歩いていく。途中、ヒューが抜け、彼は後方に留まった。


「敵将と話すのは、リョウイチの仕事だ。私は裏方に徹しさせてもらう」


 ここまでの協力をねぎらい、礼を言うと、涼一たちはまた進んでいった。

 敵部隊からも、単身、ガルドが兵の前に進み出る。

 二人の指揮官が、ここに初めて顔を合わせた。


「あなたが指揮官か?」

「左様、ゾーン対策部隊総司令、ガルド・アイングラムだ。貴殿はアサミ・リョウイチだな」

「ああ」


 ガルドの予想より、ずっと若い男が立っていた。知性的で、意志の強い目をしている。


「我々は降伏する。捕虜として処遇されたし」


 涼一は暫し考える。

 まだ百人近くいる兵を、捕らえる余裕は無い。


「部隊のゾーン近郊からの撤退を要求する。捕虜にするのは、あなただけだ」


 飲めない条件でもないし、拒絶する理由も無い。

 ガルドはクラインを呼びつけた。


「部隊を指揮し、一度ザクサに戻れ。帝都に伝令を出して、経緯を報告するのを忘れるな」

「はっ」

「私は捕虜として、ここに残る」


 参謀は戸惑い、ガルドに翻意を促した。


「何も閣下一人で残ることは……私を捕虜にするよう申し出られては?」

「どうせ帰還命令の出た身だ。残存兵をまとめるには、お前がいた方が都合もよい。それより、報告はありのままを書くんだぞ」

「……はい。了解しました」


 涼一と若葉、それにガルドは、その場でロドたち特務部隊が集まるのを待つ。

 障壁部隊はフィドローンの兵に誘導され、南進入口からゾーン外へと退去し始めた。


 ロドがガルドの腕を縛り、部隊兵で取り囲んだ上で、街へと引き立てて行く。

 その後ろから、涼一たちはトイランドに向かい、他の仲間と合流することにした。

 街の外縁に踏み入ろうかという時、アカリと中島、矢野と花岡も、この南東ポイントに戻ってくる。


「涼一さんっ!」


 アカリが自転車のペダルを勢いよく踏み回す。皆、トイランドではなく、涼一の元へ走り寄った。

 疲れきった顔ばかりだが、張り詰めた雰囲気は少しだけ解けている。


「みんなに何か言ってあげたら?」


 レーンに言われ、涼一は口を開こうとするものの、途中で止まってしまった。


 ――ありがとう、か? 勝ったぞ、だろうか。


 少女の頬に光が差し込んだ。

 アレグザの地平線に陽が昇ろうとしている。朝日は街並を照らし、その影を払っていく。

 異世界で唯一の、見知った場所。


 彼は改めて、皆の顔を見回した。


「俺たちの街だ。取り返したぞ」


 若葉とアカリが掌を合わせる。

 少しだけ笑顔を見せ、涼一たちは、伏見町へと帰って行った。






 このゾーン奪回戦は、ザクサへ、そして軍事都市ハータムに落ち延びた兵によって、帝国人民に伝わる。


 ある者は言う。

 ゾーンには、火炎を操り、大蛇を下僕とする怪物がいたと。

 いや、アレグザのゾーンに立ち入った者には、死の神罰が下るのだ、とも。

 雷撃を繰り出す魔人が跋扈ばっこしていたと、怯えて話す兵もいた。


 この戦いが、公式な記録に載るのは、まだ先のことだ。

 後にこう記される。


 ゾーン戦争の緒戦は、帝国の大敗であった、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る