062. 兄と妹

 涼一が動けるようになるまで、レーンは辛抱強く待っていた。

 呼吸が鎮まり、彼の目に力が戻ると、まずは一安心だ。激しく消耗はしているが、転移の術式を使った後の反応と、そう変わりはない。


 ヒューは掃除をしてくると言って外へ出たため、部屋にはまた二人だけが残される。


「……レーン」


 喋れるようになった涼一が、体を起こそうとし、またすぐ元の位置へ頭を落とした。


「慌てなくていい」

「上手く行ったのか?」

「ええ。ヒューがバッチリだって」


 彼は目をつむり、深く息を吐く。


「……ずっと寝てたみたいな気分だ。どれくらい経った?」

「まだちょっとよ。日も明けてない」


 涼一の瞳は、いつもの濃い焦げ茶色に戻っている。回復した視力でレーンの顔を見て、彼はうっすらと笑った。


「血を拭けよ。若葉も言ってただろ、台無しだ」


 彼に言われ、彼女は袖で顔を擦る。


「レーンの体調は、大丈夫なのか?」

「いつも通り。ちょっとクラクラしたけど、もう治ったわ」


 彼女はなぜ、この魔素の奔流に耐えられたのか。話すしかできない涼一は、この機会に聞いてみることにした。

 彼の問い掛けに、レーンはポツポツと語りだす。


「私は……半分、この世界の人間じゃないらしい。ハクビルに帰った時に、母から教えられた。この父の魔弓も、遺物の部品を組み合わせて作ってあった」


 苦い笑みを浮かべ、彼女は魔弓を涼一に見せた。彼が触っていれば、遺物特有の魔素量の多さに気づいていただろう。


「父は帝国人じゃなく、ゾーンから脱出した転移者なのよ。私たちが普通に育てば黙ってるつもりだったらしいけど、転移者の特徴が現れてしまった」


 ゾーンはいくつも存在すると、涼一も教えられた。

 そうならば、転移した者も過去にいただろうし、その子供がいても不思議ではない。

 転移者の特徴というのは――。


「私もマリダも、大量の魔素を体に含んでいる。父の形質を色濃く受け継いだ私は、術式が使えるようになった。母に似た妹は、その魔素に苦しめられたみたい」

「それがあの昏睡の原因だろうよ」


 掃除・・を終えたヒューが、戦輪を綺麗に拭きつつ歩いてくる。


「レーンの妹は、元から持ってる魔素量が多過ぎたんだろう。対術式槍は普通、魔素を吸い取る攻撃をする。しかし、マリダから溢れる力に慌てて、攻撃した者が逆流させたんだよ。大量の魔素を浴び、ついにバランスを崩した結果が、治療前のあの姿だ」


 そういうことかと、涼一はクレイデル家について色々と納得がいく。

 リディアが彼ら転移者をあっさり受け入れたのは、既に馴染みのある存在だったからだ。

 重い倦怠感も消え、涼一はようやく体を持ち上げた。


「ありがとう、レーン」


 立ち上がった彼女は固まっていた足を伸ばし、太腿をトントンと叩く。


「立てそう?」

「ああ、もう歩けそうだ」


 レーンの手を借りて立ち上がり、彼も肩を回して強張った身体を解した。

 彼女の話を聞き、涼一は一つ疑問を抱く。


「レーンの父さんは、“地球”の出身なのか?」


 どうかしら、と、レーンは目を伏せた。


「……分からない。答えようがない、かしら。父は自分の故郷について、あまり話さなかったって」

「そうか……」


 地球にいた頃、どこかの街が一瞬で消えたなんて史実は聞かなかった。

 知らないだけで、昔はあったのか。そもそも、時間の流れは同じなのだろうか。手掛かりが得られそうで、今一歩、届かない。


「父のいたゾーンについては、聞いているわよ。第十ゾーン、ナズルホーン。フィドローンのすぐ北にある。調べる値打ちがあるかは、分からないけど」


 それを考えるのは、まだ先だろう。涼一の目下の関心は、ここアレグザだ。

 レーンの肩につかまって、彼は収容局から外へ出る。街路には、大量の帝国兵とカラスの死体が散乱していた。動く死体が無いのは、ヒューの掃除の賜物だ。

 トイランドに向かおうと歩き出した三人に、リンリンと自転車の警告ベルの音が鳴った。


「お兄ちゃーん!」


 ハイツの立つ方向から、若葉がやってくる。


「若葉!」


 手を振る涼一は、妹が来るのを待つ間に、もう一つだけレーンに質問した。


「なあ、レーンの父さんは何て名前なんだ?」


 今度は迷い無く、答えが返ってくる。


「レンジロー。レンジロー・クレイデルよ」


 レーンへ顔を向けて、彼は立ち止まった。もう少し詳しい話をしてもらおう、そう決めるには十分な響きの名前だ。

 自転車を走らせやってきた若葉は、自分を無視して見つめ合う兄と少女に気づいて、盛大に頬を膨らませた。





「……ふーん、だからレーンさんに寄りかかってるんだ」


 若葉の機嫌は、まだ直っていない。


「遺物が強烈だったんだよ。足元がふらつく以外は、元気だぞ」


 自転車を押す若葉の後ろを、ヒューがついて来ている。

 彼を見つけた時、若葉はギュルギュルと喜んだ。妹の要求に応え、二人はハイタッチまでしている。

 付き合いのいいトカゲ男だと、涼一は多少呆れた。


「それで、今はどうなってるんだ?」


 彼の真面目な声色に、さすがに若葉もふざけはしない。


「みんなには、北と東に行ってもらった。私たちは、南を攻撃する。捕虜がいないか心配だけど……」

「それなら大丈夫だ。捕虜は全員、中央収容所に連れて行かれた。もう誰も南には残っとらんよ」


 ヒューが事前の偵察結果を報告した。彼は涼一たちと会う前に、南部陣地を探っていたそうだ。

 憂いが無いなら、遠慮もいらない。涼一は無差別攻撃を提案しようとする。


「それじゃあ、南部――」

「南部司令部ごと徹底的に潰す、だよね」


 若葉が途中からセリフを盗り、カラリと笑った。

 妹が楽しんでいるわけではないのを、彼は知っている。稀にしか見られない、怒る妹だ。

 最近見たのは、蒸発したはずの父から電話があった時だろうか。妹だけを引き取ると言い出した父に、笑いながら呪詛を吐いていた。

 こういう妹を、涼一は鬼若葉と呼んでいる。もちろん、本人の前では言わない。


「武器はたっぷり持ってきたよ」


 自転車の籠に入れていたビニール袋の中身を、若葉が皆に見せる。

 袋を覗き込んだ涼一は、自分の使う遺物を選んだ。


「……ライターかな」

「あれっ、意外。私が蛇花火やるね」


 そうだよ、それは若葉こそ得意な術式だと、涼一は思う。それに鬼若葉に、蛇はお似合いだ。

 南伏川ハイツまでの道は、動く死体さえいなければ、久々の兄妹の散策だった。ゆっくり二人で歩く機会なんて、日本でも少なかった。


「お兄ちゃん、帝国軍を追い払ったら、その次はどうなるの?」

「考えはあるが……、平和な暮らしは無理だろうなあ」


 涼一は、転移者が束縛を受けずに生活することを望んでいた。それはゾーン奪回より、面倒な戦いになる。

 協力してくれそうなのは、今のところフィドローン王国くらいだろう。


「私の祖国は、大陸北西の島国だ。リズダル自治共和国と、帝国では称されている。リョウイチ次第で、協力関係になれるかもしれん」


 涼一の考えを読んだように、ヒューが検討すべき提案をする。


「それも考えておいてくれ。ほら、着いたぞ」


 爬虫類の指が、ハイツの先を示した。

 脱出を試みた時と同じく、駐輪場から真南へ進む。前回と違い、障壁を越えるつもりは無い。今の彼らなら、壁越しに陣地を狙えよう。

 酷く焼けただれた駐輪場を抜け、四人がアレグザの荒野を行く。


「兵の姿が見えないな。レーン、ヒュー、索敵を頼む」


 レーンは少し前に出て敵兵を探し、ヒューはさらに壁近くまで走っていく。

 結局、涼一たちは壁際まで到達し、ここに来てようやく、ヒューが警告を発した。兵がいるのは、壁の外側だ。

 山田が落ちた堀には大きな板が渡してあり、これが敵陣地に続いている。

 進入口から見える敵施設を見て、ヒューが解説した。


「よほど東に軍を寄らせたな。壁に監視兵、その向こうに、予備兵たちがいるようだ。ほらテントが並んでるだろ?」

「皮肉なもんだな。あんなに苦戦したのに」


 脱出するのも、再突入するのにも、多大な犠牲を払った。

 若葉によると、特務部隊の四分の一近くが失われ、住民も新たに五人が亡くなったらしい。


「決着をつけよう。着火点を作るから、若葉は蛇で蹂躙してやれ」

「オーケー」


 涼一は南部進入口、壁の切れ目に向けてライターを放つ。皮膚を震わせる爆音とともに、内部への通路は炎で閉鎖された。

 その炎に、若葉の蛇花火が撃ち込まれる。


「ぐあぁぁっ!」


 壁が邪魔で、敵陣の様子が分からない。

 兵の悲鳴だけが、大音量で聞こえてきた。


「逃げろっ!」

「助けてくれ、潰されるっ」


 レーンと涼一が、顔を見合わせる。


「これじゃ戦果も分からないわね」

「むー……」


 彼は足踏みをして、体調の回復を確かめた。


「よし、問題無い。投石器を使おう」


 若葉は重弩弓型の魔石投具を二つ、自転車の後部台座に積んで来ていた。若葉の使った様子を見る限り、スリングショットより飛距離が稼げそうだ。

 涼一は自分も投石器に持ち替え、ライターを撃ち出して行く。


 壁を越えて着弾したライターは、高く火柱を上げた。

 ハンドルを廻し、弩弓の弦を引き、次弾をセットする。

 悲鳴は、意味を成さない絶叫に変わって行く。

 壁沿いに移動しながら、六発を敵陣にお見舞いした頃、ヒューが敵の接近を告げた。


「やっとお出ましだ。壁の内側、南東にいた部隊が来るぞ」

「よーし、若葉、ニトロを寄越せ。八瓶もあるんだ、多少無駄遣いしても平気だろう」


 涼一はスリングショットに持ち替え、錠剤を景気良く前に撒く。

 のっそりと近づくニトロの重戦車となって、涼一は障壁部隊の生き残りたちへ接近した。

 時折、若葉が無発動のライターを撃ち込む。ライターがニトロの爆炎に触れると、一際大きな炎が上がった。

 壁際に避難する兵士たちを認めると、若葉はロケット花火の軸を折り捨て、先端部分を弾にする。


「逃げられると思わないで」


 投石機でニトロの火にくべられたロケット部分は、炎から飛び出し、誘導弾となって敵兵に着弾していく。

 そんなこともできるのかと、涼一は妹の術式に感心した。まるでレーンの魔弾のようだ。


「反撃も退避も無駄。そう思うまではやめないから」


 鴨撃ちのように障壁部隊を掃討する若葉は、兄から見ても情け容赦が無い。

 今までの戦いからすると、ロクな抵抗を受けないこの進軍は、涼一たちにはどうにも牧歌的ですらあった。

 圧倒的な火力に、残存兵の戦意はことごとく奪われしまう。


 北に逃げ出す兵が続出する中、涼一の爆撃はトイランド前まで続いた。

 肉片が焼け、血の雨が降る。

 兵士たちは経験させられたのは、この世界で初めての無機質な近代戦だ。


 非情な行進が終わった時、南部と東部の障壁部隊で生き残り得た兵士は、百人に満たない数であった。

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