060. 魔光

「うっ……お逃げください、閣下……」

「何だと言うのだ!」


 ゾーン東進入口、ここでド・ルースは投火器隊の指揮を執っていた。

 周りの兵たちが皆一斉にうずくまり、呻き出したのを見て、彼はわめき立てる。


「どこから攻撃された! だ、誰か動けんのかっ!」


 世界は緑色に染まり、魔光のライトで四方から照らされていた。

 駅前にいても、大通りにいても、建物の中に隠れていても、その光から逃れる場所は存在しない。


 魔素の許容量には、個人差がある。地球人の桁外れな値は別として、帝国でも魔素の扱いを得意とする者が神官や魔導兵となる。

 術式を嫌うド・ルースが、そういった職に匹敵する魔素適性を持っていたのは、皮肉なことだった。

 このため、駅前広場に展開する軍の崩壊を、彼は目の当たりにすることとなる。


「うううう……」


 真っ先に倒れた兵たちが低い唸りを上げ、よろよろと立ち上がる。


「お、おお。お前たち、火炎弾を……」


 ド・ルースは途中で口をつぐむ。

 目や口から血を流し、ただ案山子のように立つだけの兵。魔光に脳を焼き切られた、動く死体だった。


 征圧部隊司令は、わなわなと震え、急に身体を二つに折って嘔吐する。

 吐き出したのは、大量の自分の血だ。

 身体の前を赤く汚し、彼は手をついて座り込む。


 ――征圧部隊は……我が軍は、これで終わりなのか……?


 否、まだ終わってはいない。彼の望む結末にはなりそうもないが。


 緑の光に包まれたのは、この街にとって二度目だ。

 一度目は世界間転移の魔法陣によって。

 二度目は今この時、地面から噴出する涼一の魔光によって。


 涼一が形代を知った時、彼はそれを攻撃に使えないかと考えた。

 過剰な魔素はマリダのような昏睡を引き起こす。では、さらに強大なものだったらどうだ?

 彼はその結果も、既に経験済みだ。

 一部の地球人は耐えるが、帝国人の精神を潰す程度の魔素注入。

 マリダを知り、動く死体を見て尚それを攻撃に利用しようという涼一の発想に、さしものレーンも言葉を失っていた。


 住民たちを襲った転移直後の夜、その悪夢が再現される。

 大量の餌の出現に歓喜した死鳥グライが、群れを成して夜空に集いだした。


 ――ああっ、やめろ! このクソ鳥ども! 私の兵を食うなっ!


 部隊司令の声無き叫びの前で、三本脚のカラスが舞い飛ぶ。

 弓兵の頭を握り潰し、魔導兵を連れ去り、上空から叩き落とす。

 黒いカラスは、ド・ルースの前にも舞い降りた。


 ――こいつらは、光が平気なのか……?


 巨鳥は魔光に怯むことなく、獲物を吟味する。

 武人の意地にかけ、ド・ルースが腰の長剣に手をかけると、その手を鈎爪が押さえつけた。


「ぐおぉう!」


 カラスは獲物を仰向けにひっくり返し、黒光りするくちばしで彼の腕を噛みちぎる。


 ――こんな戦闘が……あってたまるか……、儂の戦いが、こんな……。


 鉤爪から上体を力任せに引き抜くと、彼の胸から赤い鮮血がほとばしった。

 横に倒れる兵の剣を残った左腕で鞘から抜き、カラスに切っ先を向ける。


 ――く、来るな! うおぉっ!


 カラスを近づけまいと、血みどろで剣を振り回す彼の背後に、また一匹、静かに降り立つ黒い影。

 漆黒の傘が彼を覆い、その背を猛禽の爪が貫いた。


 グシャッ。

 ド・ルースの心臓が、鷲づかみに潰される。


 死鳥の奇怪な金切り声が、街に反響していった。





 ゾーン内部の状況は、どこも東部と変わりはない。

 駅前大通りは配置兵も多く、通信回線も充実していたため、犠牲者が最も多い。

 マルテを含む中央本部の待機兵は、真っ先に動く死体の巣窟となり、捕虜以外に生きている者は消えた。


 駅前から進入したカラスは、ギガカメラから学校へ、そして警察署へと西進して獲物・・を食い散らかす。

 転移時との違いは、即死者がおらず、全て精神破壊された点だ。レーンを基準とした威力の調整は、見事に機能したと言える。


 北部の街外には、まだザクサへ帰還していなかった地方対策部隊が、予備兵として詰めていた。

 魔導兵のヴェルダも、夜勤中に術式発動を目撃する。

 北部の街外周に配置された征圧部隊は、ヴェルダの目の前で血を噴き、立ったまま死体となっていった。


「た、たすけ……てく……れ」


 境界を越え、彼にすがって歩いてきた兵たちの姿に、彼は恐怖する。

 街外で“死体”となった者は、ヴェルダのようなゾーン外の守備兵が、とどめを刺して回った。

 矢や槍で、出来るだけゾーンの境界から離れて、味方を開放・・してやる。


 街の中まで踏み入る兵など、誰もいなかった。

 誰もが未経験の陰惨な有り様に、この作業に従事した兵は、揃ってここに来たことを後悔する。

 征圧部隊は全てゾーン内に配置され、その数、千五百名。

 同じくゾーン内で作業中の工作部隊兵が、二千余名。その全てが魔素に焼き尽くされる。


 涼一の宣告した“全滅”は、この結果とともに開始された。





 ゾーン南東に近づいたロドたちは、迎撃を警戒するが、矢の一本も飛んでは来なかった。

 街の端や国道には、征圧部隊が列を作って立っているのが見える。


「矢で戦列に穴を開けろ!」


 隊長の命令で、部隊兵たちが射撃を始めたが、敵は逃げも反撃もせず、次々とただ倒れていった。

 不可思議な状況に戸惑いつつ、皆は街へと近づく。


 敵兵の顔が見えるようになり、ようやく涼一の作戦が成功したことを皆は確信する。

 ここにはもう兵がいない。

 動く死体が、射撃の的として立つだけだ。


「隊長、グライどもです」


 北から黒い群れが近づいてくる。


「面倒な……近づくやつは撃ち落とせ」


 ロドは街の縁に向かった若葉たちにも叫んだ。


「光が完全に消えたら、目的地まで先導してくれ!」


 緑光は薄くなりはしたものの、まだ仄かに街路に浮かんでいた。

 判断に困る若葉の横に、山田を抱えたヘイダが追いつく。


「ヤマダの面倒を代わってくれ。私が行けるか試す」


 彼女は街に踏み入り、邪魔な動く死体を蹴り飛ばして進んで行った。

 固唾を飲んで様子を見る若葉たちへ、ヘイダが力強く宣言する。


「これくらいなら平気だ、皆も呼べ!」


 聞いた若葉が、振り向いて叫んだ。


「ロドさん、行けますっ!」

「よし、突入だ! 目的地は――」


 地球での名称に詰まったロドを、若葉とアカリが助けてやる。


「トイランドです!」


 部隊員たちの援護を背に、ヘイダや若葉を先頭にして皆が街へ進入する。

 路地や切断された民家をくぐり抜け、国道を越えると、トイランドは目の前だ。


 若葉が扉を開け、隊員が夜光石を店内に投げ込む。ぼんやりと、山積みされた玩具が照らされた。


「商品はまだまだ残ってる。アカリはそっちを見て!」


 若葉とアカリが率先して、武器になりそうな物を探して商品棚を漁って回る。

 奥に寝かされた山田は、また動こうとするのをヘイダに止められた。


「あなたは十分働いたわ。あとは私たちに任せなさい」


 彼女の後ろから、中島も顔を見せる。


「心配しないの。私も活躍させてよね、山田くん」


 中島がウインクすると、彼は拳を少し挙げて応える。

 何かを見つけたアカリが、隊員たちに呼びかけた。


「誰か造水の魔石を持ってきて!」


 主に飲料水を作るのに用いられる魔石を集めるように指示し、彼女は水鉄砲とバケツを抱えてやってくる。


「これに水を入れる。手伝って」


 隊員から渡された魔石を発動してバケツに溜めた水を使い、アカリと中島は水鉄砲を充填し始めた。


 若葉はと言うと、カートに花火を満載し、隊員からはさらに火炎の魔石も徴収する。


「よくもやってくれたものよね。倍にして返してやるわ」


 般若の顔で若葉が言い放った。

 度重なる理不尽が限度を超えた時、彼女は兄も恐れる怒りを爆発させる。


 用意した遺物を店外の駐車場に運び、反撃準備が整うと、若葉が皆の前に立った。

 雨は完全に止み、雲間から月が薄っすらと見える。


 この夜の攻守の方向が、入れ替わった瞬間であった。





 南部障壁部隊は、ロドたちへの追撃ができずに右往左往していた。東部部隊が合流しても、事態は好転しない。

 理由はいくつかある。


 一つは、征圧部隊に期待し、街の外で待機してしまったということ。

 また、グライの襲撃が激しく、街の外縁を危険な緩衝地にしてしまったということ。

 そして最大の理由が、それらをもたらした涼一の攻撃を、にわかには信じられなかったということだ。


 矢継ぎ早にガルドへ報告が入るものの、その内容は混乱を極めていた。


「東部進入口の火炎弾部隊、潰滅です!」

「街外縁の部隊兵は無力化しております」

「征圧部隊と一切の連絡ができません」


 全ての報告が、ゾーン内は全滅したのだと示唆する。

 南東ポイント近くまで来ると、ガルドにもゾーンの外縁が見えた。

 見渡す限り、グライの食事風景が続く。征圧部隊兵は動く死体となり、ただ無様についばまれていた。


「我々は、餌にされたのか?」

「閣下?」


 司令官の言葉の意味を捉えかね、クラインが聞き直す。


「操術士は、兵を獣への供物にしたのだな」


 ガルドの声は、憤怒とも悲哀ともつかない静かなものだった。


「……兵を街に入れますか?」

「その危険は冒せまい。南東を中心に、街外周を障壁部隊で囲え」


 しかしこの命令は、すぐに修正される。


「閣下、グライが凶暴で、手がつけられません! 羽虫までよって来ています」


 ガルドは眉をひそめる。

 グライや羽虫如きに、何を手こずるのか。かつて若葉の嫌悪を煽った“蛾”も、所詮、虫にしか過ぎない。


「弓兵で射落とし、火炎で焼けばよいではないか」

「それが、兵を積極的に狙う上に、多少の攻撃では死なんのです!」


 転移時から魔素含有者を食べ続けたカラスや蛾は、精神を歪めつつあった。

 身体能力が高まったのではないが、彼らは攻撃性を増し、痛みや恐怖を忘れ始めている。

 今回の涼一の術式は獣たちへのダメ押しとなり、残り少ない命を散らす前に、獲物を探し始めたのだった。


「……全軍でグライどもの相手をせよ。魔石を惜しまなくてもよい。敵包囲は、その後だ」


 ――なんたるザマだ。敵を前に、鳥の相手とは。


 ガルドはこの戦いの終わりを、感じ始めていた。

 万一、障壁部隊まで失っては、敵との交渉もままならない。部隊に痛恨の被害を与えた相手と、どう停戦するべきか。


 彼は若葉の怒りを、甘く見ていたのだった。

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