059. 発動

 NNT収容局前に集まった征圧部隊は、ヒューも正確な人数の把握が困難だった。

 ざっと見渡せば、概算で百人以上は存在する。

 兵の配置は東寄りだろうに、まだこれだけの即時出動が行えるのが、征圧部隊の厄介さだろう。


 彼らは槍歩兵が大半だが、総数は千五百人に近く、制圧戦で多数を失ってもまだ余裕はあった。

 ド・ルースが残しておいた南西部への突入に対応する遊撃部隊が、この百二十人である。


 味方の守備兵の全滅を見て、索敵のために斥候が散る。

 電波塔前の道路沿いの建物は、北から順番に兵が検分を始めた。


 ――この人数が相手では、一人では食い止められんぞ、リョウイチ。


 ガーンッ……ガーンッ……。

 建物の奥から、時折、大きな打撃音がする。いつ敵兵が気づくか、ヒューの心配事が増えた。

 収容局玄関の中に潜み、戦輪を広げる。彼は涼一の計画の成就を待つばかりであった。





「どこに行けばいいか、分かってるの?」

「知らん」


 レーンの不安にも、涼一の答えは簡潔だ。手当たり次第に部屋を当たるしかない。


「鍵のかかってる部屋の扉は、片っ端から壊してくれ」


 山田の鍵を借りなかったのを後悔しつつ、涼一は手っ取り早い方法を選ぶ。

 目当ては近いと思いたい。上層階の探索を諦め、電話局に移動する案もあるが、その時間は無いだろう。


 用意した手回しライトを持ち、一階の端の部屋から開けて行くと、強烈な腐敗臭が漂ってきた。

 ここにはまだ、死体が残っている。

 最初の部屋は机とPCの目立つオフィス然としたもので、臭いの酷さも半端なものではなかった。

 二人は鼻と口を押さえて、扉を閉める。


「小さい机が並ぶ部屋は、素通りでいい」


 レーンはローブで鼻を隠したまま頷き、隣の部屋に移った。

 涼一も手分けして、それらしい施設を探す。


 フロアの奥に行くと、ようやく事務仕事などしそうにない広い部屋が現れた。長く細い通路の脇に、大量の端子が並ぶラックが、これも隙間無く壁に設置してある。


 部屋のあちこちを、二人のライトが忙しなく照らして回るが、文系の彼には意味不明な掲示が続いた。

 MDF、スプリッタ、CTF――。


「こっちも似たような感じね」


 より先に進んだレーンが、隣の通路を覗いて言った。

 ラックの上には、無数のケーブルが繋がっている。

 涼一はケーブルの行き先を照らし、目で追った。分岐したケーブルは、少しずつまとまり、より小さなラックへ集束する。


 通路を走り回った彼は、最奥近くで、なんとか意味の分かる表示を見つけた。

 OLT、光信号伝送装置、予想してたより大きな設備だが、これで行けるだろう。


「レーン、手伝ってくれ。こいつをコートで覆うんだ」


 自分のコートを脱ぎ、カーテンのように装置に掛けて端末を隠す。

 涼一は、巨大なチューブのような設備を想像していた。苦笑いを浮かべながら、コートの袖を押し込んで固定する。


 伏川町の電子情報は、ここに全て集約されていたはず。街の全てのファイバー線の源だ。

 収容局の光ファイバー群にも、術式は組み込まれている。“伝達の術式”、それも彼の期待通りに強力な物なのは、少し触れただけで伝わった。

 涼一がポケットからお守りを出すと、レーンがその手を押し止める。


「これを使って、リョウイチ」


 彼女が差し出したのは、リディアから受け取った父の形代だった。

 勾玉型のペンダントが、暗い部屋で淡く光って見える。


「決着はこれで。ド・ルースは、父を捕縛した部隊の指揮官だった」

「仇討ちか。了解だ」


 彼は勾玉を右手で握り、左の掌をコートに当てる。


「レーンが倒れる前に止める。ヤバい時は、ちゃんと言ってくれ」


 彼女はコクンと頷いた。コート越しに、涼一はファイバー線の力を感じ取ろうとする。


 ――デカい!


 鳥居の時とは、また感触が違う。あれは巨大な鉄の球を揺らすようだった。

 光ファイバーは波動――大海の波濤はとうだ。

 涼一が試しに少し魔素を流しても、全て吸い込まれて手応えが無い。


 街中を網羅する回線は、今はゾーンの全魔素を繋ぐラインとなっていた。

 彼は映像を目の前に作る。

 街を巡る光のラインを。魔素が溢れる伏川町を。

 ここから北一杯に広がる死の網を。


 コートを透かして、端末が緑の光を発し始める。光は涼一の体も包み、伝達の術式が発動した。

 波にさらわれそうな感覚に抗いつつ、彼は右手の勾玉にも注意を払う。

 自分の体から流れ出て行く魔素、それと同量を形代から吸い出そうと試みた。この作業が、最も神経をさいなむ部分だ。


「リョウイチ」


 作業工程を事前に聞いたレーンも、険しい目で彼を見つめている。

 吸収した物をすぐに送り出さないと、涼一が大量の魔素に屈してしまう。彼の役割は、形代の魔素をファイバーに送り込む、ポンプかつパイプ役だ。

 そしてその送り込む量も、スピードも、型破りなレベルが必要とされた。相手は街だ、のんびりやっていると日付が変わる。

 涼一から出る魔素光が、一段と強さを増す。

 もう夜光ランプを超える明るさである。


「気をつけて……」


 レーンが彼の体に手を伸ばし、寸前で引っ込めた。もう彼女が触れられる魔素量ではない。

 光はケーブルを伝い部屋全体に伝播し、フロアを光らせ、収容局を緑のクリスマスツリーとして浮かび上がらせる。

 涼一が押し込んだエネルギーが、ケーブルに内在する力をトコロテン式に動かし、建物の外へと流れ出した。





 最初は点だった。

 光の小さな点が、胡麻を撒いたように道路に現れる。

 溢れた魔素は、土中へ、電柱へ、建造物へと押し寄せ、街を活性化していく。


「何が起きてる……」

「そこら中が光ってるぞ!」


 収容局周辺にいた兵が異変に慌てるが、この現象の意味を理解する者はいない。

 点は鋭く光の筋を立ち上げ、兵士たちを下から照射する。満天の星空が、街の地面に映し出された。

 華麗な緑のプラネタリウムは、南から触手を伸ばすようにその照射を拡大する。


 ゾーン中央地区の責任者であるマルテは、捕虜収容所にて深夜待機していた。彼も突如、建物内に出現した光源に驚く。

 彼が収容所の外に飛び出すと、街は煌々と輝いていた。

 ギガカメラも、フラワーショップも、イタリアンのシューゼリアも、転移前の街と変わらない光が店の内外を満たしている。


「敵襲か!?」

「分かりません、南から広がっています」


 伝達の術式は、与えられた力を周囲に伝える。

 ファイバー線のみならず、近接した電線や電話回線にも魔素が流され、現象の拡散を加速させた。

 光点は次第に繋がり合って縦横に走り、何重もの光のラインが道路や壁に浮かび上がる。

 美しさに見とれるマルテの横で、兵が口を押さえた。


「うっ、す、すみません。気分が少し……」


 よろめいた彼は、壁にもたれ掛かり、そのままズリズリと膝から崩れる。

 魔素光は眩惑的で、芸術的ですらあったが、大量に摂取すれば猛毒でもある。過剰な魔素を身に浴びて体調を崩す兵が、通りのあちこちに見受けられた。


 同時刻、収容局の前でも、既に半数近くの征圧部隊兵が地面にへたり込む。


「……あ、あの建物からだ」

「この光を止めろ!」


 玄関になだれ込む兵士の首を、ヒューの戦輪が尽く斬り飛ばした。


「そう簡単に通しはせんよ」


 ふらつく槍兵が相手なら、少しは時間も稼げよう。まだ涼一の術式は発動したばかり、成否が掛かるのはここからだ。

 彼は戻ってきた戦輪を右手で受け、左に逆手で短剣を構える。


「かかってこい、雑兵ども!」


 屋内の狭い空間を盾にして、ヒューは涼一たちへ通じる道に立ちはだかった。





 火炎弾の攻撃が中断されたのを、最初に気付いたのはロドだ。彼はヘイダに呼び掛ける。


「ヤマダを止めてやれ、北の圧力が無くなった!」


 歩くのもやっとの山田を、ヘイダが抱き止める。


「よくやったわ。あれを見て!」


 彼がゆっくりとゾーンに振り向くと、緑光を背に街のシルエットが浮かんでいた。


「ぼぜーよ、りゅーいぢ」


 文句を言いながらも、彼は満足げだ。

 山田の指先は黒くなり、手は握った形に固まっていた。シャツの袖は中程まで焼け、両腕には葉脈状の火傷の跡が覆う。

 街の変化を確認したロドも、皆へ勢いよく号令を飛ばした。


「ゾーン南東へ進め! 光が消えたら突入するぞ!」


 生き残った特務部隊員と住民が、火炎の脅威が失せた平原を走る。





 南部障壁部隊では、彼らの動きを見たクラインが、司令官に指示を求めた。


「敵がゾーンへ移動しています。追撃しますか?」


 ガルドは即答できない。街の光は、禍々しい凶兆に思えた。


「あやつらは、あれを待っていたのか……? 慎重に前線を上げろ。征圧部隊と挟撃する」

「はっ!」


 心の中で、ガルドは答えの無い疑問を反芻する。


 ――これは何だ。我々は、何をされている?


「馬をここへ、私も前線へ向かう」


 クラインは泡を食って止めようとするが、司令の意志は固い。

 危険でも、その結末を見届けようと、ガルドは決めたのだった。





 涼一から漏れる魔光は、もう眩しいくらいになっていた。直視が難しかろうと、レーンは彼の顔から目を離さない。

 目を閉じた彼は、ずり落ちるように膝を床に突く。


「リョウイチッ!」


 鋭い叫び声で、涼一はまた目を開け、重い頭を回して顔を彼女へ向けた。

 レーンの声が無ければ、彼の意識は飛びそうだった。

 そんな顔をしないでくれと、彼は思う。自分まで不安になるじゃないか、と。


 彼の額や腕に、キラキラと光る粉が浮かび上がる。レーンは最初、それを汗かと考えたが、粉はパラパラと床に落ちて跳ねた。

 高濃度の魔素が、彼の毛穴から噴き出し、固形化しているのだ。

 その一粒で、ニトログリセリンを上回る魔素を含有している。魔素が地球のエネルギーであったなら、彼自身はまるで核融合炉と化していた。


 緑碧の瞳で、涼一はレーンを見つめる。

 彼女の顔が歪み、鼻から赤い血筋が流れ落ちた。


 ――バカ野郎、限界なら言えっていったじゃないか!


「おおぉ……!」


 必死にコートから手を離そうとする彼を、魔素の流れが引き止めようと抵抗する。一度生じた大海のうねりが、彼の持つ魔素を根こそぎ奪おうとしていた。

 強引に数センチ浮かせた左手には、蜘蛛の糸のように魔素光が絡み付く。


 彼は形代を手放し、全ての筋力を後退に注いだ。

 床を足で押し、右手で左手をつかんで、光ファイバーの端末からズリズリと身を引き剥がす。


「あと少しだけ、が……頑張って」


 レーンは魔弓を抜くと、彼の背後に立った。


「魔弾よ……縫い……止めろ!」


 人の頭ほどの隙間が、涼一と機器の間に空くのを見て、彼女は魔弾を放つ。

 ガンッと端末に直撃した弾は、機器を砕き、細かな破片を部屋に飛び散らせた。

 光ファイバーから発せられていた魔光も、魔弾によってひび割られ、やがて薄く消えていく。


 急に魔素の引力を失い、背中から倒れ込んだ涼一の頭をレーンが受け止め、自分の膝に乗せた。

 少女に膝枕をされたまま、力尽きた彼は身動みじろぎしない。

 しばらくは、荒く呼吸を繰り返すだけだろう。


 光を失い、散った魔素粉だけが舞う部屋へ、ヒューが足音を響かせて現れた。


「文句無しだ、起動者殿」


 傷だらけの諜報員は、子をあやすようなレーンと横たわる涼一を、暗闇の中で静かに見守る。

 収容局のこの一部屋だけは、この後の街の地獄絵図とは無縁だ。


 彼の術式が引き起こした悪夢は、ゾーン対策部隊がその身をもって思い知ることとなった。

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