3. 反撃

057. 壁

 山田が起こした雷撃は、稲光のおかげで涼一たちにもよく見えた。

 電気の本体が視界の外でも、アレグザの夜空が一瞬、昼のように明るくなったからだ。


 二人はゾーンから距離をとって馬を降り、南西の監視小屋前まで自分たちの足で進む。

 揺らぎのローブを着たレーンはともかく、涼一は近づくにつれ発見される危険性が高くなろう。


「私の後ろに引っ付いて」


 レーンに言われて涼一は身を屈め、ローブの少女に隠れて付いて行った。

 小さな岩陰に辿り着くと、レーンは監視所近辺の兵を観察する。


 歩哨が二人に、おそらく監視所内にも数名。守備兵らしき者は見当たらない。東への誘導が、上手く働いている証だ。

 だからと言って、強行突破してゾーン内に警告されると厄介なことになる。

 兵たちは静寂の内に始末したかった。

 涼一は肩に掛けていたロープの束を降ろし、斜め前に見えるニセ松を指す。


「あの木から、監視所に睡眠弾を撃つ」

「じゃあ、私は歩哨の相手をする」


 二人はそれぞれの目標を見据え、飛び出す機会を待った。

 直立していた歩哨二人が歩み寄って、何か話を始める。彼らの注意が薄れたのを見たレーンは、涼一の腕を軽く叩いて弓を抜いた。

 涼一はスリングショットを構え、ニセ松までダッシュする。


 彼の睡眠弾は、皆に配った物とは違う。極微量のニトロの粉末が、睡眠導入剤と一緒に弾へまぶしてあった。

 多重術式――これが成功すれば、催眠と爆炎が同時に発動し、粉々になった弾で複数の敵を眠らせられるだろう。


 一度試して成功はしたが、電池以上の集中力を要求される技術だった。

 走りながら撃つことはできそうにないので、木陰を利用して落ち着いて狙いたい。

 ニセ松の陰に走り込み、監視所に狙いを付けたところで、歩哨たちが涼一の方へ向き直る。

 レーンの魔弾が二発、すかさず彼の後方から発射された。


 ――落ち着け、チャンスは一度だけだ。


 レーンの腕を信用している涼一は歩哨を見ず、目標だけに集中する。

 兵が倒れる音がすると、監視小屋の扉が開いた。


 弾受けを掴んでいた右手を放す。爆散睡眠弾とでも言うべき涼一の特製弾は、アーチを描いて小屋の中へ消えた。


 直後、癇癪玉が破裂したような音が響き、ガタガタと騒々しく中の兵たちが倒れていく。

 思ったより大きな音が続いたことに少し焦り、涼一はじっと耳を澄ますが、他に物音はしない。

 安全を確認したレーンが、ロープを持って彼の所にやって来た。


「行きましょう、リョウイチ」


 残りは堀と壁だ。

 奥に進んだ涼一は、堀の縁に手を掛け、素早く中に降りる。

 着地の際、溜まり水が跳ね散る音が堀の中に響いたため、またも彼はビクついた。用心していても、なかなかレーンのように静かに行動はできない。


 涼一は耳をそばだてながら、レーンが降りるのを手伝う。

 堀の幅は三メートル近くあり、山田の自転車がスッポリ落ちたのも当然だった。高さは頭が出る程度なので、それほどでもない。

 水の中をゆっくり歩き、涼一は反対の壁をよじ登る。レーンを引っ張り上げると、目の前には障壁がそびえていた。


 涼一がロープの端を投げ、それをレーンが魔弾で壁の上に射止める――彼らが考えたこの攻略法は、壁の高さを考えると難易度が高い。

 ロープには適当に間隔を空けて、結び目をいくつも作った。梯子代わりのロープを手に、彼は壁を見上げる。


「投げるぞ、レーン」


 彼女は既に弓を上方に構えていた。

 レーンにとっても的は小さく、一瞬を狙うその顔は真剣だ。


「いつでもいいわ」


 涼一は全力でロープの端を上に放り投げた。端に作った結び目は大きく、野球のボールくらいはある。

 壁の上端に届かず失速しかけたロープを、魔弾がすくい上げるように射抜く。

 赤い矢は、壁上へ結び目を見事に縫い留めた。


「一発じゃ不安ね。もう何発か打ち込んどくわ」


 垂れ下がったロープを、彼女は上から順に魔弾で釘打ちする。

 強度を確かめるように何度かロープを引っ張ると、レーンは身軽に登り始めた。彼女が壁の上に到達すれば、次は涼一の番だ。


 ロープの結び目を足掛かりにして、ほとんど腕の力だけで体を持ち上げる。

 レーンはロープの上端に手を添えて、万一に備えた。


 ――キツいな、これ……。


 一メートル、二メートルと上を目指し、もう少しで登り切ろうかという時だ。ロープ上端を留めていた魔弾が、周囲の土ごとボロリと崩れ抜けた。


「くっ……!」


 慌てて結び目を強く握り締めたレーンに、涼一の体重が一気にかかる。

 衝撃で二人とも落ちそうになるが、彼女は何とか持ちこたえた。


「一旦放せ、レーン!」

「イヤよ、そのまま登って!」


 壁上まで、もういくらも無い。

 腕を伸ばし、土に爪先を立て這い登る彼を、壁に添って哨戒していた帝国兵が発見した。


「おいっ、何をしている!」


 歩哨は腰の警笛に手を伸ばす。


「リョウイチ、早く!」


 間に合わない――二人は笛の音を覚悟した。しかし、聞こえたのは兵のうめき声だ。

 笛を持った手は、空中へと斬り飛ばされる。回転する刃はブーメランのように兵へと戻り、その顔へ突き刺さった。


 涼一は壁を登り終わり、四つん這いになって息を整える。

 レーンは歩哨のいた方向に弓を構えたものの、筋肉を酷使した直後では筒先も震えてしまう。

 事態を飲み込めず、闇に目を凝らす二人へ、数日ぶりの声が掛けられた。


「詰めが甘いな、リョウイチ」


 戦輪を回収しようと現れたのは、トカゲ顔の諜報員だった。





 南東ポイントの攻防は、やや膠着状態に陥っていた。

 電撃の壁を越えて飛び来る矢もあり、ロドたちにも負傷者が出始める。魔導兵の投げる魔石は、電気に触れると爆発してしまうのがまだ幸いだった。


 特務部隊が用意した攻壁器とは、両端に大きなかぎが付いた伸縮式の昇降補助器、つまりは梯子である。

 攻壁ついや破壁球など、大仰おおぎょうな兵器を持ち込む余裕は無く、壁を越えたければ梯子を使って生身で挑むしかない。


「攻壁器が掛かったぞ、登れ!」


 特務部隊第四班が梯子を設置し、一人が先導して登る。攻略速度を重視するべきなのは確かだが、それは余りに不用心な行動だ。

 壁上に突出した兵は、敵の弓兵の目を引き、矢をその身に集めた。

 真っ先に壁上に立った隊員は、十二本の矢を射掛けられ、うち四本が命中した結果、そのままフラフラと後退する。

 全身から血を噴き出す死体が、壁下にいたアカリの前に落下した。


「きゃっ!」


 運よく直撃はしなかったが、彼女は血のシャワーを浴び、汚水が顔へ跳ね上がる。

 尻餅をつきそうになるのを、友人の様子を見に来た若葉が後ろから支えた。


「私が壁を作る!」

「壁ならもうあるわよ?」


 壁を見上げた若葉は、梯子の下段に手を伸ばす。

 アカリはまだ動転が解けず、目を白黒させた。


「術式で壁を作るのよ」

「……そっちの壁ね」


 合点のいったアカリは、若葉の後に続く。


「一人じゃ無理よ、私も手伝う!」


 梯子を中段まで登った若葉は、首を後ろへ回し、大声で他の住民たちに叫んだ。


「障壁の魔石、全部持ってきて!」


 矢は次々に飛来し、彼女の近くの壁にも突き刺さる。壁の上まで無防備に登ると、先の隊員の二の舞だ。

 アカリが梯子の横に魔石を投げ、乳白の壁を発生させると、梯子の右側は魔素の壁によって守られた。

 間髪入れず、すぐに左にも障壁の術式が発動する。こちらは駆け付けた中島が作った物だった。


「オバサンにも出番を頂戴ね」


 女子高生二人が相手では、さすがに若ぶる気は無いらしい。


「ほら、みんなも投げて!」

「おう!」


 中島の声に、他の住民たちも魔石を取り出し、術式の壁を重ねていく。

 最上段まで上った若葉は、自分の魔石を壁の右上へ乗せるように投げた。アカリも息を合わせ、左上へと投げつける。

 壁の上面にも、左右を術式が守る通路が完成した。

 敵の苛立ちを表すように、出現した障壁にカツンカツンと敵の矢が当たる。


「壁があるうちに、急いで!」


 若葉が再度叫ぶと、それを受けたロドの号令が発せられる。


「第四班、登れ! 全軍、壁を越えろ!」


 壁の厚みは二メートルほど。障壁の魔石が左右二つあれば防御はできるが、あまり長く保つ術式ではない。

 アカリと若葉は壁の上に陣取り、消える前に次々と障壁を発動させる。


「みんな、早く!」


 汚れた顔を拭きもせず、アカリが隊員たちへ呼びかけた。魔石はここで使い切る勢いだ。

 第四班が、攻壁器と一緒にまず上がり、降りるための梯子を設置する。

 壁の内側に降りた第四班の面々は、着地場所で展開して周囲を警戒した。今のところ内側に敵は見えず、彼らは後続に壁越えを指示する。

 他の住民や特務部隊員たちも戦線を壁近くまで下げ、順番に障壁の中へ向かった。しんがりは山田とヘイダ、そして隊長のロドが務める。


「ヤマダ、皆が壁を越えたら電撃で突入点を封鎖してくれ」

「戻れなくなるけど、いいのか?」


 ロドは悩む素振りも無く、構わないと言う。


「ここに来た時点で、既に逃げ場は無い。我らの命運を握っているのはリョウイチだ」


 壁上にいる部隊員が援護する中を、ロド、ヘイダ、山田の順で梯子を登る。


「ほら、つかまりな」

「痛ててっ、引っ張り過ぎだよ、ヘイダさん!」


 山田が壁上に足を掛けた時、大きな太鼓の音が鳴った。


 ドーン、ドーン、ドーン。

 戦鼓の合図。鳴らしたのは障壁部隊だ。


「いかん、全員散れ!」


 ロドは壁下に向け、喉が裂けんばかりに絶叫する。

 トイランドの方向を中心に扇型に隊員たちが散開するが、少し遅かった。


 ドゴンッと轟音を立て、皆の至近に火球が着弾する。

 征圧部隊が放つ火炎弾が、彼らを襲った。


「ぐおぉっ!」

「固まるな、走れ!」


 彼らにとって不運なことに、火炎弾の初撃はほぼ直撃に近い。隊員六人と住民一人が爆砕し、装備に着火した者は十人を上回る。

 次弾、次々弾は少し目標を外れ、彼らが逃げる先を火炎で妨害するに終わった。命中精度の低い火炎弾であっても、このまま凌ぎ切れはしないだろう。


 壁上の若葉とアカリは梯子を必死で降り、ロドとヘイダは四メートルの高さをジャンプした。

 ヘイダは綺麗に前転して着地し、怪我も無いが、さすがにロドには無理があったようだ。

 山田は半分ほど梯子を下ったところで、足を押さえるロドの近くに飛び降りた。


 どこに落ちるか分からない火炎弾は、逆に完全に避けるのも難しい。

 遮蔽物を求めた山田はロドに肩を貸し、街へ向かって走ろうとする。


「俺達はトイランドに行けばいいんだろ」

「待て!」


 ロドは彼を止め、撃ち込まれる火炎を見回す。

 発射元は街の東口近辺。火炎弾は、彼らを囲うように着弾している。


「壁際に閉じ込める気だ。全員、壁に沿って南へ走れ!」


 不正確な投射のおかげで、まだ火の包囲は閉じていない。隙間を求めて、ロドたちは皆、散り散りに南方へと駆け出した。


 いずれにせよ、ロドたち部隊の人間は、涼一に釘を刺されている。トイランドは作戦目標だが、住民以外は絶対にゾーンに立ち入るなよ、と。

 ロドも彼が何をする気か詳しくは聞いておらず、知っているのは、もたらされる結果だけだ。


「急いでくれよ、涼一……」

「起動者の力、見せてもらおうじゃないか」


 電波塔の漠とした影が、遠く南東の空に立っていた。

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