055. 松木篤朗
東進入口前の襲撃、並びに南東監視所の陥落は、数こそ少なくとも被害は前夜を上回った。
南東には電撃が走り、壁沿いの通行を妨げている。
敵の突入を阻止するために、ガルドは難しい決断を迫られていた。
電撃が切れた瞬間に、そこが最弱の穴になるのは明白。かと言って、東の侵入口を手薄にするのも許されない。
「苦戦されているようですな、アイングラム司令」
数人の下士官を連れ、ド・ルースが司令部テントへ入って来た。
「制圧部隊で守りやすいのは、東と南東のどちらだ?」
二人の部隊司令が、ゾーンの地図を挟んで立つ。ガルドの問いに、ド・ルースは東口に指を置いた。
「東は中央本部から直結している。大部隊の移動も容易だ」
「ふむ。では東をそちらの部隊で固めてくれ。障壁部隊は、南東を最優先にして警戒する」
総司令の指示を部下に伝えたド・ルースは、そのままテーブル脇の椅子にドカッと腰を下ろす。
「……貴殿は優し過ぎるのだよ。そちらから昨日送られた捕虜は、二十人以上もおったぞ。中央収容所と変わらん数ではないか」
「我々の仕事は、住民を含む遺物の確保だからな」
ド・ルースが溜め息とともに、大きく首を横に振った。
「それが間違っておるのだ。上院の指示は、遺物の安全な“処理”だ。我々では、あの術式の怪物たちは御せん」
「怪物か……」
お互い反目していても、操術士を前に、奇妙な共感は生じていた。ド・ルースに、ガルドを嘲笑するような雰囲気は無い。
「中央の捕虜も、難物ばかりだ。いずれ処理対象になるだろうな。一人だけ、積極的に協力している者はおるが――」
「“発光の術式”か」
中央捕虜の制作品として、ガルドは遺物を利用した術式装備を受け取っていた。
攻撃対象を光らせる魔矢は、今朝帰還したばかりの追跡部隊へ支給されている。
「昼に本国から、帰還命令が来たよ」
いきなりな総指令の言葉を聞き、ド・ルースは返事に窮する。
「今すぐではない。ゾーンの状況が安定したら代理を立て、一度帝都に戻れということだ」
そして解任というのが、予想される結末だ。ガルドが任を解かれる理由は、いくらでも思いつく。
それに対し、ド・ルースは自兵の損失こそ多くても、制圧は完遂させた。
「では……」
ド・ルースが言い淀む。順当に考えて、彼が次の司令に任命されるだろう。
それを察した彼には、喜びより、戸惑いの方が大きかった。
「まだ先の話だ。ともかくも、敵は早晩、突入に動くはずだ。よろしくな」
小声で何やら口ごもりつつ、ド・ルースは難しい顔でテントを去る。
彼を見送ったガルドは、小さく笑い声を上げた。
「ふっ」
面白そうに口元を緩める司令官に、周りの参謀は一斉に怪訝な視線を送る。
――あやつにも、少しは悩んでもらわんとな。
困り顔の制圧部隊司令を思い出し、ガルドは少しだけ気を晴らしていた。
◇
全力で馬を走らせていた松木たちは、東進入口が完全に見えなくなるまで離れると、馬の速度を落とした。
ターセムは革鎧を外し、脇腹の傷に治療布を当てる。
鎧と言っても、少し分厚い皮革というだけで、防御効果は低い。それでも、鎧は矢が深く刺さるのを防ぎ、激しい出血は見られなかった。
二人が首を捻ったのは、怪我よりもその矢の効果だ。
傷周辺が黄緑色に発光し、ローブで覆っても透けて見える。これではまるで、蛍である。
松木は最初、毒矢ではないかと疑ったが、ターセムは痺れや不調を感じないと言う。ちょいと痛いだけだ、と。
「何にしろ、目立つのはマズいです。起点で光を覆う物を探しましょう」
松木の提案に、ターセムも頷いた。
第二起点へ帰る道は、本格的な雨に降られ、二人の服も水浸しだ。見通しも悪く、雨と蹄の音だけが彼らを包む。
夜雨は姿を隠して行動するには、都合が良い。
松木たちにとっても、彼らを追跡する者にとっても。三人構成の障壁部隊追跡班には、蛍火が行き先を示す指標となっていた。
ニセ松林が前方に見え、馬がその走行ペースをさらに落とす。
彼は馬を降り、眼鏡の水滴を改めて拭く。
ターセムが起点の裏へ馬を留めに行く間、松木はニセ松に寄り掛かって、東方に広がる荒野を見渡した。
あちこちに水溜まりができ、黒い斑点が平原に散らばる。
――火が欲しいな……。
衣類を乾かすために、焚火をしていいものか。上手く煙を隠せるのなら構わないだろうと、松木は相方と相談することにした。
落ち着くと、冷える体が気になり、腕を
身を縮こませる彼の背後から、ターセムの足音が近づいた。
ヒュンッ。
今夜、何度も聞いたこの音に、松木は慌てて振り向く。
ゆっくり歩いていたターセムの脇腹へ、再び矢が撃ち込まれた。
「ぐっ……」
「ターセムさん!」
先の傷とほぼ同じ場所から、光る矢の軸身が飛び出している。
膝をついた仲間へ、松木が駆け寄ろうとすると、さらに二本の矢が彼を襲った。
一本は松木の足元に外れたが、もう一本が右腕に刺さる。
「うあっ」
彼はターセムの横に滑りこむように倒れた。松木の左の二の腕にも、蛍光する矢が貫通する。
「林の中に入れ!」
「はいっ!」
木立を盾にしようと這う二人の頭上スレスレに、追撃の矢が飛んで行く。発光の術式の矢ではなく、仕留める気で急所を狙ったものだ。
「マツキ、敵が見えるか?」
眼鏡に魔素を送り、松木は暗闇に目を凝らす。
二人がいるのは、第二起点の東端。敵は南から、彼らを遠巻きに円を描いて北へ走って行くところだった。
「北の岩陰へ向かってます。武器はクロスボウみたいだ」
ターセムへ告げると同時に、彼は敵の進路へ火炎の魔石を撃つ。
だが、腕に刺さった矢が、投石器の狙いをブレさせた。発生した炎は濡れた地面のせいで弱々しく、敵を阻む障害としても中途半端だ。
火で照らされるのを嫌った追跡兵たちは、松木たちから距離を取り、三方向に散開した。
「あと何発ある?」
東進入口に、魔石は使えるだけ使ってしまった。
「……一発だけです」
「ちっ……、奥に補給があるだろ。取ってこれないか?」
起点の北のニセ松の根元に、補充の弾が隠してある。松木も場所は知っており、頷いて了承を伝えた。
「行け、マツキ!」
弓を手に、ターセムが立ち上がる。囮になる気だ。木立から身を出した彼の腹に、二本目の矢が命中する。
「ぐおっ!」
矢を喰らいながらも反撃するターセムだったが、敵を視認せずに射っては牽制にしかならない。
「すぐ戻ります!」
歯を食いしばり、背を向けて走り出す松木も、クロスボウの標的となった。
左肩に衝撃を受け、錐揉みするように木立へ叩きつけられる。
ヒュンッ、ヒュンッ。
ターセムにも二本の矢が追加されると、彼もその場へ力無く倒れ込んだ。
――弾を……。睡眠弾でいい、反撃する弾を。
体中を泥にまみれさせて、立ち上がった松木が木立を進む。
怪我の無い右手で傷を覆い、彼は少しでも蛍光を隠した。起点の中央を過ぎ、北のニセ松へ。
後ろから撃たれた矢が、彼の近くの木の幹に当たる。
――大丈夫だ、起点の中なら、そう簡単には命中しない。
そう自分に言い聞かせた時、矢が松木の右のふくらはぎを貫いた。
先とは逆回転で、彼の体が弾かれる。
振り返った彼は、黒いローブに身を包む追跡兵が間近に迫るのを見た。相打ち覚悟で、松木は最後の魔石を取り出す。
兵がクロスボウを彼へ向けた瞬間、その首をターセムのナイフが後ろからかっ
そのままターセムと追跡兵は、ドサリと重なって倒れる。
地面を打つ雨音だけが、騒がしい。
「ターセムさん……」
松木は呆然と、動かなくなった仲間に近寄っていった。
相棒を守るターセムの働きを持ってしても、追跡兵はまだ二人残っている。無防備な松木を、彼らが見逃したりはしない。
亡骸の横に膝で立つ松木の胸へ、腹へ、二本の矢が突き立てられた。
地に溜まった泥水を跳ねさせ、バシャリと彼は頭から崩れ落ちる。
獲物を仕留めた二人の兵は、しばらくその様子を眺めた後、静かに立ち去った。
松木はまだ生きている。
生きているが、猛烈に身体が重い。
隣のターセムの目は開いたままで、もう閉じることは無いだろう。
彼の遺体を掴むと、松木は自分の上半身を起こし、顎をその上に乗せる。
この瀕死の状態でも、慧眼の術式は発動した。
――まだ敵はいるのか?
目だけを泳がせ、周囲を見回す。些細な動きも、見落としてはいけない。
――ああ、そこか。見えてるぞ、お前ら。
敵兵二人は、起点北の岩の裏にいた。たとえ小さく、暗くても、動く影を松木は捉える。
この身体で、反撃は厳しい。立ち上がるのも無理だろう。
生暖かい感触が、服を汚す液体は雨水でないことを教える。
敵は待ち伏せをする気らしい。
誰を? その答えは簡単だ。
――次に来るのは、俺たちのリーダーだ。ここで失ってたまるか。
ターセムの手から、彼はナイフを引き剥がそうとする。
握りこんだ指の力は死してなお強く、弱った松木では離させることができなかった。
諦めた彼は、ナイフをターセムの手ごと持ち、自分の左腕に当てる。
「っ!」
松木は
おおよそ光が地面に落ちたのを確認し、彼は相方の手を離して、ズリズリと体を動かし始める。
数十センチを移動する、それだけのことが何と面倒なことか。
松葉が触り、刺さった矢が地面に押されるだけで、絶叫を上げそうになる。松木は何度もギリギリと歯を食い縛り、漏れる悲鳴を噛み殺した。
静かに、だが、急がなければ。
北で監視する者どもから死角となるべく、東へ這いずって進む。
涼一の計画を成功させる、その執念だけが、彼の体を運ばせていた。
芋虫の思わせる動きで、少しずつ、木立を縫って這う。右手を前に出し、左脚を身体に引きつける。
縮んだ体を無理やり伸ばして距離を稼ぐと、腹や胸から体液が噴き出た。
木の根を掴み、泥を掻き分けていく内に、指にも無数の傷が刻まれる。彼の人知れない努力を見るものは、雨雲と風に揺れる針葉樹だけだ。
敵の声も無く、矢も飛んでは来ない。
――このまま起点外に抜けてやる。
彼が進んだ後には、泥と血が混じった溝が刻まれていた。
赤い血が、彼の体のどこから流れ出したものなのか、松木にももう分からない。
蛇行する黒い跡が、東へと伸びて行く。
雨を吸った服は、松木を押さえ付けるように重さを増す。
恨めしい。さっさと降り止めばいいものを。
ゴールを見ようと顔を上げるが、ポタポタと前髪から落ちる水滴が邪魔をした。
どこへ向かえばいいのかも判然としないまま、不格好な這い摺りを繰り返す。
もう休みたい、じっと動かずに寝てしまいたい。彼はそれを願うが、手足の動きを止める気もなかった。
右手が掴む柔らかかった泥地が、硬い砂と
――ああっ、出口だ!
ひたすら続いた彼の苦行も、林の切れ目で終わりを告げた。
さて、どうやって危険な待ち伏せを伝えるのか。思考をまとめることが難しい。手足の先に感覚はなく、体温が低下しているのが自分でも分かる。
松木に出来ることは、もうほとんど無い。
レーンの駆る馬が見えるまで、意識が途切れないことを目的に、彼はただ闇雲に自分の記憶を漁り始めた。
「うぅっ」
前方がよく見えるように無理やり体を起こし、ニセ松を背もたれにすると、思わず小さな呻き声が漏れる。
頭に浮かぶのは、ぼんやりとした幼馴染みの顔。
高校のクラスの悪友。
幼い頃の夏休みに飲んだ、ラムネの味。
思い出を遡り、小学生時代まで戻った彼の前に、ようやく向かってくる馬の姿が現れた。
――ちゃんと見ていてくださいよ。
手に握った火炎の魔石を、松木は残った集中力を注ぎ込んで発動させる。
待ち望んでいた熱が、右腕から伝わってきた。
――ああ、暖かいや。
オレンジ色のベールが、彼を包み込んだ。
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