054. 雨中の戦い
「ダメだダメだ。そんなの自殺行為だろ!」
ニセ松林に、涼一の声が響く。
「やってみなくちゃ、分かんねーって。ここで試してみようぜ」
電池の術式を使ってみると、山田は主張する。直接手で電池を持って、電撃を飛ばすと。
しかし、電池の威力を知っている涼一は、危険な火遊びにしか思えなかった。
制圧部隊兵の体を跳ね回った電気の蛇を、山田は見ていないのだ。
「やめた方がいいって。制御できそうになかったよ、それ」
若葉も兄に加勢する。
「でもよ、武器に使おうと思って持ってきたんだろ、涼一?」
「そりゃそうだが……」
雨になったら有効かと考え、涼一は若葉に電池を用意させた。ただそれにしても、発動タイミングを失敗すれば自分が電撃を浴びてしまう。
ライターにしろ、電池にしろ、触れると爆裂する地雷のようなもので、魔素注入には細心の注意が必要だった。
「ともかく、一回だけ、な?」
「うーん……」
確かに電池を使い捨てにせず、小出しに術式を発動できるなら、戦力アップになる。山田にそんな精密な操作ができれば、なのだが。
悩む涼一に、横で座って見ていたレーンが言い放った。
「リョウイチ、フィドローンにはこんな言い回しがある。“自己責任”」
「その言葉は日本にもあるぞ、レーン。俺も大好きだ」
怖がっていては何事も始まらない、そう涼一も心が傾く。
「……軽く試すだけだぞ」
山田の顔が、パッと明るくなった。
「まあ見とけって。校舎に穴を空けた実力、ダテじゃねーよ」
意気揚々と山田が単三電池を拾い、手を掲げたのを見て、若葉が慌てる。
「山田さん、向こう! あっちでやって!」
心配性だなあと言わんばかりに、彼は渋々南へ歩き、皆から距離を取った。
巨大な岩に向けて電池を突き出し、深く息を吸う。
ガッ!
昼の荒野に、稲妻が落ちた。
山田の手から水平に走った稲光は、地面をデタラメに跳ね、岩に当たる。
岩は粉微塵に砕け、瓦礫へと姿を変えた。
「山田、電池を離せ!」
「あばばあばああ!」
彼が手を開いても、電池は貼り付けたようにくっついている。
レーンは彼の掌ごと電池を撃ち落とそうと、魔弓を構えた。
山田には幸いなことに、魔弾を食らう寸前に、魔素で発光していた彼の体はその光を失う。
電池はポトリと砂地に落ちた。
「ばいぜいばうばば?」
山田の言いたいことは、誰も理解できなかった。
レーンが弓をホルスターに戻し、涼一が溜め息をつく。
「ぜいごうだお?」
意外に平気そうなのが涼一の
「いざと言う時に、使えるかもしれないのは分かった」
山田がウンウンと、嬉しそうに首を振る。
「だがな、絶対雨の時は試すなよ」
一拍置いて、山田が頷いた。心配そうな涼一や若葉を横目に、彼はあばあばと仮眠場所に向かって行く。
若葉が持って来てくれたのは、睡眠弾と電池五本。睡眠弾には、涼一専用の物もある。
術式で無茶するのは自分も似たようなものだと、専用弾を手に、涼一も皮肉な笑いを浮かべた。
◇
一夜明け、数時間の睡眠を取ったガルドは、再び兵に指令を出し続けた。
「監視施設を破壊された箇所は、防衛線を内側に下げて構わん。夜光ランプをあるだけ並べて、せめて外周を照らしておけ」
アレグザの地形図を彼は指でなぞり、東進入口の上で止める。
「ここに窪地があるな?」
東の障壁より外側には、自然の塹壕のように凹んだ地形が点在していた。レーンが突入時に利用した場所である。
「東口の兵を障壁まで引き、窪地に伏兵を置け」
この地点を狙ってくるなら、待ち伏せできよう。
「今晩は、雨になりそうですな」
外で指示を出していたクラインが、司令部テントに戻ってくる。
雨具を用意した彼は、いつでも着られるように、ガルドの分も柱のフックに掛けた。
「敵はまた夜襲だろう。お前も今の内に寝ておいた方がいい」
「恐縮です。そうさせて頂きましょう」
木綿布一枚に隔てられた司令部の奥が、参謀たちの寝所である。
布の向こうに消えたクラインを見送ると、ガルドは入り口から垣間見える朝焼けの空へ視線を移す。
転移が起こって以来初めて、アレグザの空は厚い雲に覆われていた。
◇
起点で昼間を過ごし、暗くなるのを待って、涼一たちは再び動き出す。
山田組は予備の追撃要員として待機、若葉は連絡係として第一起点に移動した。他は撹乱を継続する。
ここからは、障壁部隊の配置を予測しながらの戦いだ。
敵の守備に偏りが生まれたら、作戦は次の段階に移る。すぐに後方のロド本隊に知らせ、突入を援護してもらわないといけない。
松木とターセムは、北東から出発した。
昨夜の涼一の忠告もあって、松木は慎重に進路の先を警戒していた。
「雨足が強くなりそうだ。火炎は効かなくなるかもしれん」
ターセムの危惧も、もっともだった。
この攻撃が終われば、松木組は第二起点に戻る。そこに行けば、火炎の魔石以外の武器も用意されているはずだ。
本格的に降り出す前に、手早く襲撃を済ませよう。そう考えて目標地点に急ぐターセムに、松木が待ったを掛けた。
「おかしいです。敵の陣地が空になってる」
慧眼の術式は、遥か遠方の東進入口前の様子を彼に見せた。
「……罠かもな。俺達を引き込む気か」
ターセムは馬の速度を落とした。
前方を懸命に探る松木の眼鏡から、魔素の光が漏れ出す。
――兵はどこにいる? なぜ何も見えない?
眼鏡に降りかかる水滴を指で拭い、松木は何度も敵陣を見回す。
彼が警戒した場所よりもずっと手前で、不自然な光が瞬いた。
「曲がって! 敵です」
ターセムが直角に近い角度で、強引に進路を曲げる。
警告灯のような赤い光――兵が発動準備した魔石の輝きだ。
膨らんだ紙袋を叩き潰すような破裂音が、次々と松木たちを追い立てる。ターセムの急加速のおかげで、火炎は馬の後方に連なって現れた。
返礼とばかりに、松木は自分の魔石を窪地に投げ落とす。
石が地面に吸われた途端、紅蓮の火柱が立った。魔導兵の魔石にも誘爆したらしく、倍増された威力で地面が震える。
「Uターンしてください、魔石を放り込んで行きます!」
「無理言いやがる」
そうボヤきながらも、ターセムはもう一度、馬首を回した。ジグザグに火炎を避けながら、彼らの馬は来た道程を戻る。
パンッと弾ける音がしたかと思うと、松木の頬が熱で煽られた。敵の着弾が近い。
爆煙をくぐり抜けつつ、彼は敵の潜伏地点を見極める。
「そこだっ!」
放った魔石は、綺麗に敵陣を捉えた。再び立ち上がる火柱の奥に、さらにもう一弾。
窪地から飛び出して叫ぶ兵を、ターセムが次々と射殺する。
伏兵たちは、二人のコンビネーションが封殺した。
力無く倒れる潜伏兵を炎が燃やし、やがて火は雨で少しずつ勢いを失う。
「よし、帰るぞ」
「待って下さい!」
潜伏地点は潰したが、本来の仕事はまだだ。
「雨がきつくなる前に、火炎を使い切りましょう。奥まで進んで下さい」
「本気かよ」
言葉とは裏腹に、ターセムの口調は楽しげである。
「今度こそ全速力だ。行くぞ、マツキ」
「はいっ」
二人は火柱を越え、進入口へ猛スピードで迫った。東口の周辺には堀が無く、壁まで平地が続く。
「夜光ランプの並びに突っ込むと的になる。ここから狙えるか?」
「やってみます、外周沿いに走って下さい!」
壁際は無理でも、手前に並ぶ小屋なら弾が届きそうだ。松木の要望通り、ランプ光の際を北上するコースで馬が走る。
端から順に建物へ魔石を撃とうとした時、弓兵の矢が彼らに射掛けられた。
「
投石器を持つ松木の左腕を、敵の矢がかすめる。
血は吹き出すものの、傷は浅い。構わず小屋を狙い、彼は石を発射した。
「射程外に出るぞ、馬がやられる!」
壁前から離れようとするターセムから、鈍い衝撃が松木へ伝わる。
敵の攻撃は、騎手の腹に突き刺さっていた。
「ぐっ!」
脇腹の矢を、ターセムが力任せに引き抜いて捨てる。
「ターセムさん!」
「平気だ、それよりあれを狙え!」
進入口の斜め前方に、壁より背の高い監視塔があった。その木製の脚を目掛けて、松木が投石器を構える。
馬が壁から離れ、投石器が届かなくなるギリギリのタイミングで魔石は撃たれた。
石が監視塔の脚元に転がると、火炎となって柱を焼く。
「おっしゃ、いい腕だ!」
馬が離れて行く間、松木は監視塔へ振り向き続けた。彼らが東の闇に消える頃には、塔は脚を焼き折られ、濡れた大地に倒れていく。
木の軋む音と、騒ぐ兵の声が、
雨は徐々に強くなり、本降りも間近だ。東進入口周辺の炎は沈火してしまうだろうが、施設の被害を防ぐには、もう手遅れだった。
◇
涼一とレーンは、松木たちより南、南東の監視所近くへと近づく。
馬を止め、離れた木立に隠れているのは、雨を待っているからである。
どうせなら、電池の効果を最大限に発揮させたいと、涼一は多少無茶な襲撃を画策していた。
「松木組は、また派手に活躍してるなあ」
彼らからも、東進入口に上がる炎が、小さく見える。
その火が消える頃、レーンが涼一を促した。
「そろそろじゃない?」
強まる雨の中、二人は馬を出した。雨を浴びても、涼一はさほど濡れていない。
ユキシロで手に入れた彼の衣類には、若葉が防水スプレーをかけていた。術式まで発動させると、レインコート並に雨を弾いている。
目標の監視所が近づくと彼は電池を取り出し、意識を集中させた。
山田の二の舞はゴメンだと、発動は慎重に行う。
ゆっくりと、逆流しないように気をつけつつ、電池の術式を自分の魔素で
その状態を保ち、監視所が彼の射程に入るのを待っていると、先にレーンが魔弓を早撃ちする。
弓を抜くと同時に放たれた魔弾は、笛を
彼らの接近は
「回るわよ」
レーンの回頭に合わせ、涼一はスリングショットを掲げた。
バネを縮めるような感覚で、電池に最後の魔素を送り込むと同時に、建物へ向けて撃ち放つ。
ビリビリとした軽い感電を彼の手に残し、単三電池は遠く闇へ吸い込まれた。
パチパチパチパチ――。
数秒間、小さな放電の音以外には、そこにさしたる変化は起こらなかった。
失敗したかと、振り返る涼一の不安を消すように、音は徐々に大きくなり、ようやく跳ねる稲妻が現れる。
“雷獣の術式”、以前よりずっと小さいが、地面を跳び回る姿は同じだ。前回が大蛇を思わせる大きさなら、今回は犬くらいか。
しかし、一度発生してしまえば、広がる勢いは格段に速い。
雷獣は雨滴をあちこちと伝って、見る間に活動範囲を大きくしていった。
ビシビシと鞭打のような音が何度も繰り返し、次第に耳を塞ぎたくなるほど激しくなる。
細かい編み目のような電気の網が空間を埋め、その上を雷犬が走った。犬は獲物を見つけると、数匹掛かりでその者に喰らいつく。
「が、がっあぐあ!」
意味を成さない絶叫が、監視所周辺から沸き起こった。
バチンッ、バチンッ――!
電気の遠吠えを上げる雷獣は、何体かが合わさり、みるみる犬のサイズを超える。
「マズい! レーン、逃げろ!」
雷の勢いは涼一の予測以上で、走り去ろうとする彼らも身の危険を感じた。
雷狼が、馬を目掛けて地を駆け出す。
その顎を振り切ろうと、馬は限界まで速度を上げるが、速さは狼が上だ。
数瞬で涼一たちに追いつくかと思われた雷狼は、だが、発生源から離れるにつれて力を失ってしまう。
雷の勢いが無くなろうかという時、最後の足掻きとばかりに、狼はその前脚を伸ばした。
「ヒィーンッ!」
尻尾を焦がされ、尻に電気を浴びた馬がいななく。そこで雷獣は力尽き、涼一たちは間一髪で電撃を喰らわずに済んだ。
「一個でも、凄い威力ね」
レーンが後ろの雷光を見て呟く。
既に遠くに離れた東南の監視所には、堀を越え、壁にまで届く電気のトラップが発生した。しばらくは、周辺を青白く照らしているだろう。
これなら、ここの守備に穴は空くはず。ロドに連絡して、早ければ朝が来る前に突入に移れる。
第一起点に戻る前に松木たちの報告も聞こうと、涼一たちはニセ松林の第二起点に、まずは帰還することにした。
アレグザの雨は一時のスコールのように去り、また小雨へと戻りつつあった。
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