051. ナーダ隠匿基地

 南部陣地の被害を聞くガルドは、兵がどもるほどの憤激を表情に宿している。

 彼は損害にではなく、自身の見通しの甘さに怒っていた。

 涼一たちの襲撃から一時間が経ち、混乱した状況が把握されてくる。


「――以上、本部守備兵は、六十二名が死亡、九十八名が負傷しました。負傷兵を含む、二百を超す兵が今も昏睡しております。弓兵隊の損害が大きく、狙撃班の再編も困難です」


 本部付きになった弓兵はリゼルの選抜を経て、狙撃隊へ追加編入される予定だった。本国への増援要請は、避けられそうもない。


「焼失した兵舎テント六基、食料保管所一棟、資材保管所三棟。騎馬兵部隊八十名も、全員帰還していません。東部守備隊から補充の歩兵隊を、こちらへ移動済みです」

「東部の部隊は、ここの救護に二十名を残し、ゾーン周辺の探索に向かえ」


 この規模の襲撃を繰り返されると、いずれゾーンを守る壁が綻びる。ド・ルースに助力を求めるのも仕方あるまいと、ガルドはゾーン内部への指示を伝えた。


「征圧部隊に連絡し、ゾーン外周の警戒態勢を指示せよ。障壁突破の恐れ有りと、伝えておけ」

「はっ、すぐにゾーン中央本部に馬を向かわせます」

「本国に増援と、脱走者の報告を入れる。フィドローンが裏で関与しているのも、間違いないだろう。クラインを呼んでくれ」


 脱走者の追跡は、もはやゾーン対策部隊の管轄を越えてしまった。正規の南方第六軍か、北のハータムから別動隊が組織されるだろう。


「閣下、それが……」


 クラインは現場で指揮を執っているとガルドは思っていたが、騒動後、一度も姿を見ていないことに彼は気付く。


「やられたのか!?」


 尋問小屋は、馬車や捕虜収容テントからも近く、クラインが戦闘現場に出向いていても不思議ではない。

 冷静沈着を売りにする参謀が、まさか血気に逸ったかとガルドはその身を案じた。


「主席参謀殿も、昏睡状態で医療テントに収容中です。術式を使う拳法家に襲撃されたようです。尋問小屋周辺で、素手で兵を制圧する姿が目撃されています」

「武装兵を素手で、だと? 操術士は、まだそんな手札を隠し持っていたのか。その拳法家は、術拳士として操術士とともに最警戒対象とする。こちらも本国への報告に含めよ」


 クラインまで落とされているとは、下手をしたら司令本部を強襲され得た可能性すらある。大失態に、ガルドの頬は強張ったままだった。

 術式への対応不足だったのは明らかだ。

 彼は自らの不見識を省みて、ゾーン防衛体勢の抜本的な見直しに取り掛かった。





 ロドの特務部隊が行軍する際には、行動隠蔽用の二騎が最後尾に配置される。

 彼らは掃き箒のような足跡除去器を引き、サラナの実の粉を撒きながら後ろを走った。サラナはフィドローン特産の白い野草で、実には消臭効果がある。

 今回の逃走時には、監視所からも四方向へ隠蔽兵が馬を出したので、そう簡単に追跡は出来ないだろう。


 ゾーンからアレグザ平原を南下すると、巨大なクレーター状の窪地に行き着く。カルデラ地形のナーダ山脈だ。

 緩い峰を越えると、深い草原が広がるかつての火口になり、ここに特務部隊の隠匿陣地があった。


 この山脈からさらに南に行けば、ナーデル自由都市との国境があり、帝国の南方第六軍が展開している。

 特務部隊がナーデルに戻りたいときは、この最短ルートは使えず、フィドローン経由で大きく迂回して入国する。


 涼一たちが隠匿陣地に着いたのは夕刻のことで、すぐに負傷者の治療が始まった。

 穏やかな風の吹く盆地は、休養にも適した環境だ。ハクビルよりも魔素が濃く周囲に感じられ、術式の練習にも適していそうだった。


 暗くなる頃には、催眠の術式の効果も切れ、昏睡していた者の目も覚め出す。戦闘に参加しない住民は、しばらくここに逗留する予定である。

 涼一は今後の希望を確認するため、アカリと一緒に住民たちに会って話を聞いて回った。


 神崎は参戦を希望したものの、足を骨折していて動けないため、この臨時住民キャンプでのリーダー役を引き受けてもらう。

 中島は、助け出した小さな女の子と、配給された夕食の豆煮をつついていた。


「中島さんは、これからどうしますか?」


 アカリの問い掛けに、彼女は即答できない。

 隣の女の子を見守る姿からしても、何を気にしているかは明らかだ。


「涼一くんたちには、協力したいのよ。でも……」

「その子を守るのも、大事な仕事ですよ」


 アカリの言葉にも、彼女の顔は納得していない。


「でしたら、ここで出来ることを頼みたいんだけど」


 涼一は催眠の術式の説明を受けて、考えついたことがあった。


「睡眠導入剤、まだありますか?」

「もうほとんど無いわ。三粒分くらいかしら」

「それで足りるでしょう。武器を作って欲しいんです」


 涼一の依頼は、睡眠弾の制作だ。といっても、大した作業ではない。

 薬を限界まで水で薄め、それを用意した素材に染み込ませて行く。威力は彼が魔素を送り込み、底上げしてやればいい。

 魔素に慣れた今、彼にはチャレンジしたい高度な術式操作が色々と思い浮かんでいた。


「それくらいは、お安い御用よ」


 中島は快諾してくれる。


「ワタシもてつだう!」


 彼女にすっかり懐いている少女からも、張り切った声が上がった。小学生くらいの年齢で、中島以外に頼れる者もいないのだろう。

 今、二人を引き離すのは、涼一も躊躇ためらった。


 中島たちの補助と、完成した弾などの物資は、主に若葉が指揮をとってアレグザと基地を往復して運ぶことになる。

 彼女も重要任務だと、やる気を見せていた。


 食事中の住民を回り終わると、涼一は治療所に使われているテントに入る。

 松木は馬車から落ちた時に胸を強打したので、ここに収容されていた。


「ボ、ボクも行きます!」


 彼は戦闘参加の意思を、はっきりと涼一へ伝える。

 気が弱そうに見えていたため、アカリには多少意外な返答だったらしい。帝国軍には思うところがあるらしいが、詳しい事情は聞いていない。

 怪我人ではあるものの、術式が使える人員が欲しい涼一は、彼にも戦闘メンバーへ参加してもらった。


 他数人の戦闘希望者には、術式発動を練習するように頼む。遺物を上手く使いこなせるようになれば、彼らも戦力になるだろう。

 南伏川ハイツの駐車場で、住民のまとめ役をしていた男性二人の姿もあり、彼らは特に参加意欲が高かった。


 涼一の今日最後の相談は、ロドへの代筆依頼である。

 帝国の言語で、宣戦布告と降伏勧告を記してもらう。


「リョウイチも、古風なことをするもんだ」


 帝国軍はあまり文書による戦争外交はしないようで、ロドが王国人のようだと笑った。


「言い訳が欲しいのかもしれません、自分へのね。従わない場合は、“全滅”を覚悟するように、必ず書いておいて下さい」


 ロドは彼を推し量るように見詰めるが、会話以上の情報は得られない。


「全滅、ねえ……」


 全ての仕事を終えると、若葉のところに戻り、彼は仲間と遅い晩飯を食べることにする。

 山田は若葉と歓談中で、レーンは涼一の側で武器の手入れを始めた。


 オレンジ色の夜光石を囲み、地面に直接座って、配給食を用意する。

 涼一は食事をしながら、今回の殊勲者であるアカリに感謝を伝えた。


「いろいろ無茶してくれたみたいだな。収容所では、皆を引っ張ってくれたって聞いたよ。ありがとう、アカリ」

「いやあ、若葉にはコッテリ絞られましたよ。でもまあ、ピンチの時は、来てくれそうな気もしたし……」


 暖色のランプが、彼女の顔を赤く照らす。


「明日からは、また動かないと行けないし、しっかり休んでくれ」

「はい、涼一さん」


 モソモソと豆煮を食べ終わると、アカリは女性用の野戦テントに入って行く。

 それを見た若葉が、彼の横に来て座った。


「お兄ちゃん…… 気付いてる?」

「何にだ?」

「二人とも、お互い下の名前で呼んでるけども――」


 彼もいつの間にか、そうしていたことに気が付く。


「なんかさ、“アカリ”って呼ばれる度に、反応してる気がするのよねえ」

「そう言われても、今はそれどころじゃないしなあ」

「違うのよ。そうじゃなくて」


 涼一は盛大に首を傾げる。

 女子高生が好きな色恋の話かと思いきや、どうも彼女の言いたいことは別のようだ。


「アカリの胸元が、こう、明るくなるような。お兄ちゃんが蜂にやられた時も、光ってたよ」

「……彼女の形代かな?」


 ヒューの話では、形代は転移の衝撃を吸収する物だということだった。今になって、他の何かに反応したりするのだろうか。


「大した意味は無いのかもね。ちょっと気になっただけ。おやすみ、お兄ちゃん」

「おやすみ」


 伝えたいことを言い終わると、若葉もテントに向かった。

 術式に魔素に形代、分からないことだらけだと、彼はボンヤリ夜光石を眺める。

 涼一たちの会話を聞いていた山田も、おもむろに立ち上がった。


「俺も寝るわ、涼一」


 さすがに疲れていた山田だったが、若葉の術式で眠った失敗が相当悔しかったらしい。次はそんな目に遭わないようにと、念を押すのを忘れなかった。


「その念話の魔石っていうの、できたら俺の分も用意してくれよな」


 了解の意味で、涼一は手を挙げる。

 後には彼とレーンだけが残された。やや弛緩した他の仲間に比べ、彼女は戦闘の緊張を未だに持続している。


「リョウイチ、どうやって攻める気?」

「少人数で、多方向から突いて行きたい」


 特務部隊の協力を得てから、彼は街の奪還計画を考え続けていた。

 たとえロドたちの加勢があっても、帝国軍の大部隊と直接対決しては押し潰される。それなら、動く人数を絞って、ゲリラ戦を仕掛ける方が補足されにくい。


「波状攻撃?」

「ああ。相手を休ませず、警備の穴をつくるんだ。中へ突破するのは、数人でもなんとかなる」


 そこでしばらく考え、彼は彼女の弓の腕を確認した。


「レーンの弓、馬に乗っていても撃てるのか?」

「問題無い。さして精度も変わらないわ」

「じゃあ、今日の戦闘の馬上版だ。二人乗りで、レーンは防御役を頼む」


 彼女の口の端が、少しだけ持ち上がる。


「振り落とされないでね。私、馬の扱いは荒いわよ」


 涼一に手を振ると、彼女もテントへ休みに行った。

 一人になった彼は、障壁攻略の作戦を練る。明日の朝には、その内容をロドを交えて皆に説明する必要がある。


 彼が寝たのは、山際にあった月が真上に来る頃だった。

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