048. アレグザ監視所

 特務部隊の本隊は、ハクビル村の南方に集結している。

 彼らと合流するため、涼一たちは未明にリディアの家を出発した。


 ロドは四人乗りの馬車を用意してくれていたので、広い道を選って走り、部隊の待機地にはすぐに着いた。

 そこからアレグザへも、馬車なら半日もかからない行程だ。しかし、大きな街道には帝国の国境警備兵がいる。

 敵は少人数とは言え、事を構えていいものか涼一が尋ねると、ロドは問題無いと言う。


「但し、兵の死因は術式がありがたいな」


 元騎士団次席、今は特務部隊隊長は、一応の隠蔽を希望した。部隊が動いたと知られるよりは、涼一たちの居場所がバレる方がいいという判断だ。

 涼一にはリスクの大きい要請ではあるが、帝国が彼らの戦力を見誤るのを期待できる。それに遅かれ早かれ、彼らが帝国と戦うつもりなのはバレるだろう。


 国境を目前にして、特務部隊は藪の中へ展開する。帝国兵が詰める建物からはかなり離れており、涼一のスリングショットが辛うじて届く距離だ。

 作戦は、涼一のニトロを嚆矢として始まった。


 街道の両脇を固めた重歩兵二人が吹き飛ぶと、爆音に慌てた十名を超す兵が、ワラワラと詰め所から湧き出て来た。

 外に出た敵兵を、特務部隊が一矢一殺で始末する。

 監視所に立て篭もった敵は、涼一がもう一度、爆炎の術式で建物ごと吹き飛ばした。


 警備兵の遺体を彼が燃やして回れば、越境作戦の終了である。

 レーンと若葉は、馬車の横で成り行きを眺めていただけだった。ウインクでもしそうな顔で、ロドは彼女たちへ振り返る。


「我が部隊も、なかなか優秀だろう?」


 王国への進攻戦当初に、帝国がフィドローン兵に手こずったというのも頷けた。

 物量で押す帝国軍と比べ、彼らの強さは種類が違う。敵に回すとゾーンの軍より厄介かもしれない、それが涼一の感想だった。


 その後の馬車は、涼一と妹、そしてレーンの三人だけで乗り合わせたため、道中ゆっくりと話す機会が持てる。

 涼一はレーンの考えを、改めて確認した。


「俺を助けるとは言ってくれたけど、王国と対立した場合はどうする?」

「意地悪な質問ね。妹の恩人に従うわ、心配しないで」

「でも、王国を再独立させたいと思ってるだろ?」

「フィドローンは祖国だけど……帝国への恨みの方が強い。リョウイチが独立に手を貸さないなら、私が手伝う理由も無い」


 彼女の答えは、彼にはやや意外だった。もっとも、彼女はこうも付け加える。


「母や妹の安全を考えると、王国には逆らいづらいでしょうけどね」


 言葉は悪いが、リディアたちは人質のようなものだ。しばらくは、ロドと協力していくしかないというのが、彼らの結論だった。





 特務部隊のアレグザ監視所は、ゾーンから二キロほど南へ離れた場所にある。涼一の言うニセ松・・・の木立に隠すように、小さなテントが張られていた。

 そこからでは帝国軍の様子が窺えないので、実際の監視はもっと北へ移動して行う。


 昼に監視所へ到着した涼一たちは、ロドの案内で、さっそく監視兵のいるポイントへと出向いた。

 ゾーン対策部隊の南部司令所から一キロ程度の位置まで接近すると、身を隠せる岩場に出る。

 巨岩が数個、半ばまで土に埋もれて転がっており、監視には都合がよい。


 当直の兵はロドへ敬礼し、涼一とレーンに場所を交替する。

 二人は岩の隙間から、顔を並べて出した。

 彼は双眼鏡を取り出し、ハイツの屋上で使った時とは逆の方向、外からゾーンに向かって目を凝らす。

 脱出時は欠けた箇所の多かった障壁も、今は小さな出入り口用の間隙を残すだけだった。


「壁は、ほとんど完成してるな」

「あの大きいのが、本部テントかしらね。よく見えないわ」


 涼一は双眼鏡に、魔素を流し込む。以前とは違い、遠視の術式を苦もなく発動させた彼は、レーンを超す視力を得た。


「兵の宿舎らしきものに、厩舎、テント多数……。馬車も来てるな。何台かいるけど、荷物の運搬用みたいだ」


 涼一たちが乗って来たような幌馬車が、最も手前に五台ほど並ぶ。

 レーンの言った司令部らしき大テントは右の奥、中央には木造の小屋が建っていた。

 その中に入っていく姿を見て、彼は思わず大きな声を上げる。


「アカリ!」

「アカリがいたの? お兄ちゃん!」


 後ろで控えていた若葉が、彼の背中に取り付いた。


「ああ、アカリと何人かが、小屋へ入っていった。捕虜もここにいるみたいだ」


 特務部隊の監視役が、これまでの観察結果を報告してくれる。


「西に三つ並んだ大型テントが、捕虜収容用と思われます。真ん中の木造小屋は、住人の尋問用かと」


 涼一はレーンに双眼鏡を渡し、ロドと相談した。


「まず、あそこの捕虜を解放したい。術式で夜襲し、俺が敵を引き連れて来たら、どれくらい討ち取れる?」

「四十、いや五十だな。相手は精鋭だ。国境警備兵のようにはいかんよ」


 奇襲が成功しても、味方の被害は二十を優に超えるだろう、そうロドは予想した。

 涼一が陽動、特務部隊が待ち伏せ。その間に、レーンが捕虜のテントを襲う。

 捕虜を連れ出せば、瞬時に百を超す帝国兵が集まり、追ってくるだろう。犠牲者を出さずにその追撃を振り切る妙案が、涼一には思いつかなかった。


 岩に拳を当て、彼我ひがの戦力差に唇を噛む。

 荒野を逃げるのが難しいのなら、いっそ障壁の切れ目から、街の中へ突入するべきか。彼が頭を悩ませていると、甲高い笛の音が平原に響き渡った。


「見つかった!?」


 急いで敵陣を見遣みやる涼一へ、レーンが叫ぶ。


「捕虜が……出てきたわ!」


 双眼鏡を奪い返した彼は、動き回る人影を目で追った。テントから出た捕虜たちが、立ちはだかる敵兵を倒している。


「ロド、特務部隊を呼んでくれ!」

「分かった!」


 髭の騎士は、既に後方に走り出していた。


「俺達も行くぞ」


 レーン、涼一、若葉の順で、前方の騒乱へと駆け出す。

 一体何が起きているのか。涼一は走りながらも、急に訪れた契機を活かすべく、必死で考え続けた。





 涼一たちが監視場所に着く、その少し前のこと。日課となった通訳任務のために、アカリは尋問小屋に呼び出された。

 この時のクラインは、尋問対象の住民よりもアカリを観察していた。

 キョロキョロと落ち着かないものの、それはいつものことだ。不審というほどの行動は見られない。


 彼はアカリを試してみようと、小屋にいくつか細工を施した。

 奥のテーブルに無造作に置かれた作戦地図にナイフ。立て掛けられた槍。

 どれもチラッと見ただけで、彼女の態度は変わらず。


 クラインの机の上には、鍵束が置かれている。

 故意に横を向き、尋問に集中するフリもしてみたが、彼女は鍵に一瞥もくれない。

 ここから逃げる気はない、少なくとも今すぐ何か行動は起こさんだろう、彼はそう一応の納得をする。


 この日、二人目の住人を尋問した後、アカリは珍しく外の空気を吸いたがった。

 脇に二人の警備兵がいる状況では何もできまいと、クラインは彼女のままを認める。

 小屋の外に出て、グルグルと腕を回し、深呼吸するアカリ。彼女の目的は、荷馬車の作業状況を確認することだった。


 次の住人を連れて来る間に、中へ戻ったアカリは、横に何度も不自然な視線を送る。

 クラインはすぐにその仕草に気付き、壁に何かあるのかと目を向けた。しかし、彼女が気にしている物が分からない。

 彼の軍帽、小さな帝国の国旗、手を拭く布。

 布の傍らには、緊急時のための警笛。


 アカリに対して、やや警戒を解いてしまっていたクラインは、彼女の動きに即応できなかった。

 壁には彼より、彼女の方が近い。

 いきなり警笛にダッシュしたアカリは、それを思い切り吹き鳴らした。


「取り押さえろ!」


 外で待機していた二人の警備兵がなだれ込み、彼女を床に倒す。

 兵は後ろに彼女の手を捻り、俯せに押さえつけた。


「誰への合図だ?」

「…………」

「午後の尋問は、お前自身になりそうだな」


 黙る彼女を睨みつけ、南部一帯へ警戒令を出すよう、クラインは片方の兵に命じる。

 彼が真に警戒しているのは操術士だ。

 アカリの知らないところで、リゼルの狙撃班が配置され、外を監視している。防衛兵の厚さを考えても、彼女を奪回される可能性は低い。

 正面からやり合えば、障壁部隊は操術士たちを数で圧倒し得る。


 敵を侮るつもりは無いが、陣内の警戒レベルを上げておけば充分対処できるだろうと、クラインは考えた。

 警備兵が戻ってくれば、すぐに指示を出そうと待つ彼の元へ、外から騒がしい兵の声が届き始める。


 次に尋問小屋に現れたのは警備兵でも操術士でもなく、やけに楽しそうな水浸しの男だった。

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