047. それぞれの再戦へ

 特殊工作班が襲撃した翌日、ロドは配下の特務部隊を迎えに行った。

 どれほど急いだのかは知らないが、夜にはその一部を連れてハクビルへ戻ってくる。


 隊員の何人かは、リディア家の護衛として駐在すると言う。マリダが動けるほどに回復したら、ナーデル自由都市へ避難する手筈らしい。

 涼一たちと接触する隊員は、念話の術式を発動済みで、コミュニケーションを取るのも問題は無かった。


 ここでやっと、ロドは特務部隊としての目的を皆へ語る。

 顎髭を短く生やした初老の騎士は、現在、フィドローンの公職には就いていない。それはナーデルの特務部隊員も同じだ。

 公式には、彼らは祖国を出奔した傭兵という扱いである。


 その“傭兵”は自由都市連合各地に散り、総数八千を超えた。それは帝国の次なる進攻地となり得る自由都市連合への援軍であると、一般には見做されている。

 しかし当初から、特務部隊の主目的は他国の援助にはなく、彼らはフィドローンの再独立を画策していた。

 王国の現状を簡潔に説明し終わると、ロドは涼一へ直截に願い出る。


「君の力を、我々フィドローンのために貸して欲しい」


 これだけなら涼一の答えはノーだ。

 だが、手土産無しで頼むほど、この百戦錬磨の騎士は愚かではない。


「我々は、アレグザの監視所を君に開放しよう。現在、私の直下の百名も、アレグザ南方に待機している。彼らも好きに使ってもらって構わない」

「そちらの具体的な要求は?」


 フィドローン内戦には関わりたくはない、それが涼一の本心だった。


「アレグザでの争乱。それもできるだけ大規模な物を。我々は口実が欲しいのだよ。南方部隊を動かせる切っ掛けがね」

「それだけじゃ、ないですよね?」


 顎に軽く手を当て、ロドが涼一を値踏みするように見詰める。


「君はゾーンを落とせるかね、この少人数で?」

「そのつもりです」


 普段なら冗談にもならないが、昨夜の術式を見た後では、ロドも笑い飛ばすわけに行かなかった。


「もしゾーンを奪取した暁には、アレグザを再びフィドローン領とする。その際、遺物を含むゾーン全ては、王国の所有と理解して欲しい」


 そして、それを機に全軍による独立戦争か――涼一にも、彼らの筋書きが見えてくる。

 横で沈黙を守っているレーンの顔へ目を遣り、再びロドへと向き合った。


「いずれにせよ、街は奪回します。フィドローンと敵対する気はないですが、それは俺たち住人の扱い次第です」

「……まずは、そんな所だろう。では、よろしく頼む」


 騎士は席を立つと、涼一に握手を求めてきた。


「私のことはロドで構わん。王国人としては、無官だからな。あまり無茶な命令はしてくれるなよ」


 怪訝な面持ちで手を差し出す涼一に、彼はフッと失笑する。


「特務部隊、百名の指揮を誰が執ると思っとる。私も同行させてもらう、君の友人としてな」


 心強い味方、なのか。ロドの本心までは見通せないが、ゾーン奪回への戦力が増えたことは間違いなかった。





 翌朝にアレグザへ出発することとなり、涼一と若葉はいつもより早く寝た。

 ヒューはロドと入れ替わりで、既にハクビルを発っている。


「俺が戻るまで、ちゃんと生きていてくれよ」


 そう彼は涼一に言い残して去った。


 レーンはというと、家族と話したあと、工作小屋へと移動する。この一週間、家から少し離れて立つこの散らかった粗末な小屋に、彼女は篭りきりだった。


 母リディアは、無鉄砲な娘を叱りはしない。

 帰還した次の日、母が聞かせたのは説教ではなく、これまで伏せていたクレイデル家の物語だった。いずれ娘は父の後を追うだろう、そう考えていたと言う。


 この作業小屋の床下には、母が王都から持ち出した父の遺品と弓が隠されていた。

 都落ちの際に帝国が追ったのは、リディア達ではなく、この英雄の弓だったのだ。

 レーン用に父が作ったのは、英雄の弓のレプリカであり、その性能差は帝国の特殊工作班が証明してくれている。


 障壁の術式をも破る、本当の“重飛の弓”。この弓のため、専用の矢をひたすら作ったのが、彼女の一週間だった。

 母からは、もう一つ餞別を貰っている。父の物だった形代のペンダント――決してリディアの感傷から、これを形見として渡したのではない。


「帝国に一泡吹かせてやる、よくそう言っていたわ。使い道があるなら遠慮はいらない。任せたわよ」


 娘と同じく、母はフィドローンの狩人の目をしていた。

 レーンは小屋の床板をしっかりと嵌め直し、開けた痕跡を消す。


 リョウイチのために、母のために、もう一度アレグザに行く。

 彼女の決意は、最初のゾーン突入時と比べて少しも鈍っていなかった。





 アカリが通訳任務を命じられて、一週間以上が経とうとしていた。


 クラインによる住民への尋問は、司令部近くの小屋で行われる。

 住民を一人づつ呼び出して行われるこの聞き取り作業は、尋問というよりは懐柔に近い。

 帝国への帰属を受け入れることで、ある程度の生活を保証しようというものだ。

 抵抗すれば投獄するというのだから脅迫と取れなくもないが、ゾーン制圧の苛烈さとは打って変わった帝国の態度に、返答に悩む住民も現れ始めていた。


 昼の尋問小屋と、夜の捕虜用テントを往復する途中、アカリは南部陣営内を注意深く観察する。

 遠間に見えるゾーンの障壁は、もう欠けの無い一枚壁となった。新たに木造施設も建てられており、いずれ布テントと置き換わっていくと予想される。


 クラインは決して高圧的ではなく、害の無い質問には答えてくれた。彼との会話から得た知識で、ゾーン中央にも捕らえられた住民がいるとアカリは知る。

 南部の住民も一ヶ月以内に街の中央へ移され、最終的に帝都に移送されるとのことだった。


 脱出する気なら早い方が良さそうではあるものの、彼らには機を待つ必要がある。

 この日の夜、アカリはようやく計画決行に目処が立ちそうだと、皆に報告した。


「明日、馬車が来る」


 神崎が待ってましたと、身を乗り出す。


「使えそうなやつか?」

「食糧を運ぶために街から来るって。商人らしいから、民間人よ。御者もゲットできるかもね」

「そいつはいい。軍兵よりは、言うことを聞いてくれそうだしな」


 南部拠点から脱出するには、どうしても馬が要る。徒歩で追撃兵をかわせるとは思えなかった。

 神崎はテント中央にいる青年を呼び、アカリの報告を繰り返した。

 青年の名は松木篤朗まつきあつろう、伏川町に帰郷していた眼鏡の学生だ。

 テントの中で彼だけ乗馬経験があり、神崎が強引に仲間へ引き入れていた。


 彼らの他に脱出に参加表明したのは、未だテント内の三分の一にも満たない数である。残りは返事を保留した。

 尋問小屋で勧誘はできないため、他のテントへ計画を伝える手段が無く、彼らへは脱出時に決起を促すしかないだろう。


「松木、馬車でもいけるか?」

「自信無いです……」

「無くてもなんとかしろよ。御者が言うこと聞いてくれるとも、限らないしな」


 松木の態度には少々不安が残るが、他にアテになりそうな人材は見当たらない。

 アカリは四日前にも、食糧を運び込むのを見ている。荷車は昼に到着し、彼女が夕方、仕事から解放される時にはもういなかった。

 今回も同様なら、食糧を降ろし終わるのは昼過ぎ以降だ。

 明日の午後、アカリの合図で行動を開始する。


「水袋、もうちょっと要求しといてくれ」


 山田が彼女の耳に口を寄せ、コソコソと頼んだ。

 水袋とは、捕虜が水を飲むのに一々兵に言うのは面倒だと、軍に要求したものである。革で出来た水筒のようなもので、既に三つを用意させた。

 これにかめの水を入れて回し飲みしているが、もう一つくらいなら貰えるだろうか。

 衛兵がウンザリするようにと、しょっちゅう水を要求したため、山田は水腹になっていた。


「明日の朝、水袋は頼んどくわ。決行準備、みんなよろしくね」


 万一、言葉を理解されると困るので、アカリは常に囁き声で話す。山田まで小声になったのは、単なる彼女の真似だが。


 薬の準備を割り当てられた中島は、皆が計画の細部を詰めている間、一人無言で作業を進めた。座った太腿の陰で、彼女が持っていた薬を全て、粉々に砕く。

 決行日が迫らなければ迷いもしようが、決まったのなら薬を残しても仕方がない。彼女は小石使って、包装ごと押し潰していった。


 脱出計画そのものには積極的な彼女にも、気掛かりが一つある。

 ここまで一緒に逃げてきた子供――今は別のテントに収容された小さな少女の顔が、度々思い浮んだ。


 ――もう一度、連れ出すのは、危険に晒すだけだろうか。


 明日を控え、中島には悩ましい命題であった。

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