046. 深夜の攻防
ハクビルの夜は暗く、静穏だ。
アレグザと違い、カラスのような猛獣は少ないため、夜も比較的安心して外に出られる。
家の中には夜光石のランプがあり、普段なら玄関先にも吊してある。今夜は外灯を仕舞ったため、月明かりしか軒先を照らす物はなかった。
涼一は周囲に目を配りつつ、外のテーブルに独り座る。
眼の前には、リディアの作った夜食が置かれ、時折り思い出したように口へ運んだ。ハムのような肉をパンで挟んだ料理は、サンドイッチそのものだった。
若葉のチャーハン、あれは違う。チャハーンだと、醤油もチャーシューもネギも無い異世界に、少しだけ文句を言いたくなる。
その若葉は、家の中で仮眠を取っている。長丁場だ、交代で休み休み警戒するしかない。
テーブルに片肘を付き、風に揺れる木立を眺めていると、家の中からロドが出て来た。
「それで着火するのかね?」
「ええ」
サンドイッチの横には、発火の魔石が置いてあった。リディアが炊事用に使っているもので、武器に使えるほどの火力は無い。
一般に流通している魔石は、こういった日常道具として用いられている。
魔導兵の使うようなものは、軍の専用品だ。第一、素養がなければ高威力の魔石は扱えない。
「説明を聞いても、想像がつかんな。さっきの糸クズが、火炎の魔石となるとは……」
「あの繊維が、火を産むわけじゃありません。魔素をたっぷり含ませた、ガソリン代わりですよ」
“ガソリン”は、ロドには未知の単語だったが、言わんとするところは理解できた。
「君には頼みたいことができた。アレグザに行く前に、話を聞いて欲しい」
「これを片付けてからですね」
ロドも木立の奥へ目を向ける。
「もちろん、それでいい。君にとっても、悪い話じゃない」
それだけ言うと、ロドは家の中へ戻ろうとした。だが途中でその歩みを止める。
「どうかしましたか?」
涼一の問いを、掌を口に当てたジェスチャーでロドが制した。
その様子を見て、涼一はテーブルの魔石を握り、スリングショットを取り出す。
「リョウイチ――」
軒の上から、囁く声が呼び掛けた。ヒューは上にいたようだ。
「――囲まれてる。敵は全方位からだ。合図で発動してくれ」
それだけ言うと、また音も無くヒューの気配は消えた。涼一にはまだ何も見えないが、ロドも接近者に気付いている。
「私は玄関に回る。頼んだぞ」
彼が静かに立ち去ると、涼一だけが残された。
テーブルのあるのは家の西。この方向には、罠を仕掛けていない。
着火点は玄関方向、家の南側だ。
罠のない方向の敵も気になるが、涼一は着火点に向けスリングショットを構えた。
数秒後、不自然に揺らぐ下草が、彼にも見える。風に吹かれたのではない、左右に倒れる微妙な草の揺れ。
敵が注意深ければ、家を囲む大量の魔素の流れに気付いただろう。
極細のタオル片は、西だけが欠けた弧に敷かれている。着火点には、微塵にしたクズを撒いておいた。
溢れる寸前まで魔素を溜め込んだ繊維は、淡く魔光を発してしまっているが、ロドがそれを枯れ草や葉で丁寧に隠してくれている。
――そのまま進め……。
涼一の希望通り、ゆっくりと不穏な影が近づいた。
早く来い、そんな願いをからかうように、敵は歩みは遅々として進んでこない。
敵兵の動きに涼一が焦れ始めた時、彼は自分の思い違いを知る。注視していた敵よりも近くに、別の影が在った。
接近者は皆、もう罠の円の中だ。
屋根にいるヒューが、合図を叫ぶ。
「今だ!」
発火の魔石が、標的へ目掛けて撃たれた。
暗くても狙いはスリングショットの力が補正してくれる。涼一の適当な照準でも、石は絶妙のカーブを描き、二メートル四方はある着火点にちゃんと届いた。
落下した魔石に糸クズが反応して、赤い火が
その火が弧を走り、一瞬で家を囲む壁となった。
立ち上がった火は、瞬く間に色を変える。オレンジから黄色へ、そして青く。
闇夜は払われ、ハロゲン球で照らしたような明るさがもたらされた。
赤い火炎の壁を予想していた涼一は、この青い炎に驚く。
――これじゃまるで、巨大なガスコンロだ!
発動した本人がこの調子なのだから、敵の受けた衝撃は、それ以上だった。
リディアの家を一斉に急襲するつもりだった敵兵は、円形に家を包囲する。前後列に分かれて包囲円を狭めて行く彼らを、ヒューはギリギリまで招き入れた。
前列は素通しして、外周の兵に罠を踏ませる。まずこの三人が火炎の餌食となった。
特殊工作班の全員が耐火ローブを着用していたが、涼一のトラップ相手には意味を為さない。
ローブごと一瞬で丸焦げになり、上空に打ち出される三つの亡骸。残った前列の兵は、異様な人型の花火を唖然と見守るだけだった。
発動した術式は、それでも単なる発火の術式である。
異常な量の魔素を燃料とした結果、ジェットエンジンのようにエネルギーを噴出させたのだ。
生き残った三人の後ろに、炭化したかつての仲間が落ちてくる。
地面に衝突し、ボロボロと崩れる遺体を見た彼らは、もう任務遂行が困難になったのを認めるしかなかった。
「あー……三人残ったな。残敵を狩るぞ!」
さしものヒューも、罠の威力に少し動揺している。それでも、すべきことは忘れていない。
敵が逃げるとすれば、炎の無い西からだけだ。
彼は屋根から飛び下り、家の西側に移動して退路を押さえにかかる。
残った兵は、北、東南、南西に一人ずつ。炎の明かりのせいで、闇に隠れることは不可能となった。
脱出口に近い南西の兵は火の無い西を目指し、北と東南にいた兵は、一か八か家に向かって駆け出す。
ヒューは逃亡を防ごうと急ぐが、兵の方が早い。
近づく彼に向かって兵が魔石を転がすと、乳白色の壁が現れた。
「障壁の術式か!」
壁を回り込もうとヒューが試みる隙に、ローブの兵は距離を稼ぐ。
火の壁の間隙を抜けて、再び木立に紛れようとする敵兵へ、戦輪が構えられた。彼の射線遮るべく、またもや眼前に障壁の術式が発動する。
戦輪では障壁を破れないと、彼も理解していた。壁を回り込ませようと、ヒューは戦輪の投擲方向を調整し直す。
その頭上を、赤い魔光が伸びて行った。
ヒュンッと冷えた外気を切り裂き、レーンの魔弾が敵の後頭部を一直線に狙う。
障壁に当たった魔弾は一瞬そのスピードを落とすが、ドリルを捩込むように前進し、壁は白い光の粉となって砕ける。
赤い線が敵に達した瞬間、兵は頭を貫かれ、その場に崩れ落ちた。
北から家へ向かった兵は、涼一の担当だ。
スリングショットで、用意しておいたニトロの弾をぶち込む。慌てた彼はやや兵の前方を狙ってしまったが、爆風が敵の身体を吹き飛ばした。
ローブの力で、爆風だけなら致命傷は防げよう。しかし、飛んだ方向が悪い。トラップの青い炎に触れた工作兵は、声も無く焦げ焼きにされた。
最後の一兵が巧みに涼一の死角を突き、家の正面まで進む。
そこにはフィドローンの騎士が待っていた。手には、細身のサーベルが握られている。
「この家に踏み入ることは許さん」
特殊工作班には、魔弓対策として障壁の魔石が多数支給された。正面突破を避け、兵は横に跳びながら、騎士を囲むように魔石を連投する。
サーベルの刃を返したロドが、至近に投げられた魔石の一つを峰で打ち、払い落とした。
術式の障壁には隙間が生じ、剣閃の通る道筋が残される。
兵は咄嗟に、ローブの中に右手を入れた。
「させん!」
地を蹴って敵兵を間合いに入れると、ロドは下から斜め上に斬り上げる。
「ぐっ!」
腰から鉄製の吹き矢を抜こうとしていた敵は、右手に深手を負って大きくよろめいた。
ローブがはだけ、顕わになった首へ、サーベルが水平に振り切られる。
ゴブゴブと血を吐き出し、膝を落とし倒れる兵が、戦闘の集結の合図だった。
「精進不足だな」
ロドはサーベルの血を拭き、鞘に戻す。
後ろから、遺物を持った若葉が扉を開けて覗いていた。
「出番無しかあ……」
「いいじゃない、手早く済んでよかったわ」
レーンが彼女の肩に手を置く。
「六人だけなら、敵はこれで最後よ」
ヒューの代わりに屋根にいたレーンは、窓から家の中へ入ってきた。魔弾を装填し直しつつ、彼女は家の外へ哨戒に出る。
工作兵はそこまで戦闘に特化した訓練を受けてはいないが、優秀な兵には違いない。それを一人残らず撃退したのだから、彼らの力は本物だ。
玄関前に戻ってくる涼一を、ロドは考え深げに眺めていた。
罠の炎が消えた後も、皆はしばらく警戒を続けていたが、ヒューの言葉で緊張が解かれる。
「もう大丈夫だろう。死体は明日片付けよう」
涼一たちが家の周りに集まって、今後の相談をしようとしたところ、ロドの姿が無い。
ヒューが辺りを見回すと、彼は一人でトラップ跡に立っていた。
「しかし、凄まじい術式だな。これが操術士か……」
炎があった場所で、ロドが誰ともなく呟く。
様子を見に来たヒューが、それを訂正した。
「リョウイチは、そんな生易しいもんじゃない。遺物の使い手、“起動者”だ」
疑問の視線を向けられ、彼は少しだけ説明を加える。
「彼は転移円の始まる場所にいたらしい。膨大な起動魔素に耐えた特異な存在なんだよ」
若葉たちは既に家の中に入り、涼一は玄関先でヒューたちを待っていた。
「話の続きは明日だ。今夜の警備は一人でいいだろう。後で交代してくれ」
「承知した」
二人は家へと帰って行く。
幸いなことに、この晩、ハクビルに襲撃者が現れることはもう無かった。
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