045. ロド・ラーゼン

 フィドローン王国の騎士団にて元次席を務めたロド・ラーゼンは、未明の山間道を北へ進んでいた。

 長身痩躯そうくの彼も初老をとっくに超え、髪に白い物が混じっている。長旅が堪えてもおかしくない歳でも、馬上の彼の精気には、いささかの衰えもない。

 まだ暗い未舗装の山路は、馬で駆るには危うい険所である。猛スピードで疾走できるのは、彼の熟達した手綱捌きがあってこそだ。


 大陸南岸に位置する自由都市、ナーデルからここまで、既に数日が経っていた。

 馬の疲労も限界に近いが、この山を降りれば、そこは久々の祖国フィドローンの森林が広がっている。

 王国国境から、目的地である西のハクビル森林郡に到着するには、あと少しの道程だった。


 この十日間、ロドの元には、幾通もの密書が矢継ぎ早に届けられた。

 かつての王国領土アレグザでの、ゾーン出現。

 ゾーン内にて住民の存在を確認。

 ゾーンに於ける術式戦闘の観測。


 これだけでも、王国の耳目を集めるには充分な事態だが、さらに彼個人が看過できないものもある。

 王国の親書ルートを通して、最速で送られてきた手紙の差出人は、彼の旧友の家人、今は寡婦となったリディア・クレイデルだった。


“娘はアレグザに在り。願わくば助力を請う”


 各所に手を回して古い人脈を頼りもしたが、即応できる者はおらず、この日を迎える。

 だが、彼は、フィドローン王国は、彼女の願いを黙殺したわけではなかった。


 遅きに逸したかもしれないが、帝国の監視下にない南方の特務部隊が、人目を避けてアレグザに向け北上している。

 ロドはこの部隊と合流し、ゾーンへ同行するつもりだった。

 彼が部隊から離れ、単騎で山路を急ぐのは、最後に来た報告が原因だ。


“帝国に、魔弓所持者確保の動き有り。王国西部へ帝国特殊工作班の潜入を確認”


 西部にいる魔弓所持者など、彼は一人しか知らない。

 どうやってか分からないが、英雄クレイデルの遺族の所在を帝国がつかんだと考えるべきだ。


 夜明けだ。

 新緑の美しいフィドローンの森に、オレンジ色の陽光が反射する。


 このペースなら、今日中にはハクビルに到着するだろう。帝国とどちらが早いかは、五分五分である。


 手綱を強く握り直し、ロドは先を急いだ。






 現在リディアが住む家は、ロドが用意したものだった。

 二人は二代遡れば同じ家系の出であり、若い頃からの知人である。


 ハクビルに来るのは、リディアが越す前の下見以来だが、土地勘は残っていた。

 夕刻に村に到着した彼は、村の外の木陰に馬を止め、木立を通って家に向かう。


 リディアたち三人が暮らす家――彼女たちに最も近い隣人は、丘の向こう側だ。

 わざわざそういった土地を選んだのだから当然で、見知らぬ男を家の前に見つけると、それ自体がロドを極度に警戒させた。


 ――何をしている……?


 玄関の前で若い男とリザルド族がしゃがみ込み、地面に手を付いて話し込んでいる。

 話しているのは、もっぱらリザルドのようで、彼らの手元まではよく見えない。


 ロドは武器を構え、無駄に音を立てないように男たちへ近づいて行く。木立を抜け切る前にリザルドが気付き、こちらを向いて立ち上がった。

 ボーガンで彼らを狙ったまま、ロドは声を張り上げる。


「動くな。何者だ?」


 いつの間にか、リザルドの手にも武器が握られており、魔素を纏わせて飛ばす戦輪だと遠くからでも見当がついた。

 ロドの声を聞き、人間の男の方もその場に立つ。フィドローン人ではないが、帝国風でもない。

 二人とも殺気立つ素振りは見せず、静かにロドを見つめた。


「フィドローン人だな。この家に用か?」


 誰何すいかに質問で返したのは、リザルドの方だ。


「……リディアに会いたい。友人だ」


 ロドの発言を確認するため、リザルドが家の中に向かって叫んだ。


「リディア、来客だ! 顔だけ出して、確かめてくれ」


 しばらくして、リディアが外に飛び出してきた。


「ロド!」


 懐かしい顔に、彼女の顔は綻んでいる。ロドは武器を背中にしまい、彼女へ男たちとの関係を尋ねた。


「長くなるわ、そこに座って。みんなもね」


 玄関から覗いていた娘たちにも呼び掛け、彼女は家の横の屋外テーブルに全員を集めた。


「これは一体……君はレーンか?」


 ロドは成長したレーンに、幼少時の面影を探す。立ち尽くす彼へ、リディアが再び促した。


「ほら、座って。話があるでしょ、お互いに」


 テーブルを六人で囲み、簡潔に自己紹介をし合う。ゾーン出身者という彼らに驚き、詳しく聞きたいことが次々とロドの頭に浮かぶ。

 しかし、西方に傾く陽の光を受けて、彼は先に自分の来た主目的を告げた。


「帝国の部隊が来る可能性がある。レーンを捕らえる気だろう。ここを出よう」


 リディアが眉を寄せ、顔を強張らせる。


「それは……すぐに来るの?」

「早ければ、今夜にでも。私が得た情報では、特殊工作班六人の編成だ」


 捕獲対象と聞かされたレーンが、きっぱりと彼に宣言した。


「迎撃する。妹を動かすのに、あと数日は欲しい」

「待ってくれ。相手は戦闘のプロだぞ。協力があっても、私一人で相手できるかは――」

「戦闘のプロなら、こっちにもいるわ。リョウイチ、ヒュー、構わないわよね?」


 不敵な笑みが、レーンの顔に浮かぶ。ゾーン内でも時折見せた顔だ。

 男たちから反対意見が出ないのを見たロドは、皆の自信に仰天して、もう一度最初の質問を繰り返すこととなった。


「……お前たち、何者だ?」





 ロドが現れたのは、涼一たちがアレグザを脱出して五日後のことだった。

 ヒューの教えで、涼一は的確な術式発動を目指して鍛練していた。ただ、イメージトレーニングのような形の練習はもどかしく、微々とした向上しか見られない。

 そこで、能力向上の即効性を求めて、彼は大量の魔素を制御することに取り組んだ。


 遺物に魔素を流し込み、またそれを体内に取り入れる。それを繰り返すことで、涼一は徐々に熟練していく。

 短時間に大規模な魔素を動かすことは、彼の計画にも必要な能力だった。


 若葉に頼んでタオルを細かく裂いてもらい、繊維の束を得る。その繊維を地面に広げ、端から魔素を注入した。

 全体が発光し、魔素が溢れ出す寸前で、今度は一気にそれを吸い込む。


 初日は息切れも起こり、体は熱を持って、彼はしばらく動けなくなってしまう。マリダの治療後と、同じ現象だ。

 だがそれも繰り返せば、作業として急速に慣れる。五日目には数秒で、この魔素の循環工程を完遂できるようになった。

 直後に立ちくらむのは変わらず、連続で行うのは難しいが、数日の成果としては出来過ぎなくらいだろう。


 家の前にロドが来たのは、この訓練の最中で、ちょうど魔素を吸い終わった時であった。

 謎の男が現れても、彼はすぐに反応が出来ない。彼が敵であったなら、これは危険な隙となる。

 魔素制御の注意点として、涼一は覚えておくことにした。


 ちなみに、若葉は魔素の制御より、術式を発動させる方が向いていたらしい。

 彼女は効果の分からなかったトイランド産の遺物を、次々と発動させていた。この辺りは、涼一に比べれば夢想的な性格が、妹に有利に働いたのかもしれない。


 ロドを迎え入れ、レーンの迎撃案を採用した後は、その方法について協議が始まった。

 リディアはマリダに付き添うため、家の中に戻る。

 襲撃があった際も、リディアはマリダの部屋に籠もり、若葉は一階入り口付近で待機することになった。

 こういった小部隊相手の戦闘は、ヒューが最も詳しい。彼の主導で、話が進行する。


「定番は罠を張って待ち伏せだな。街の脱出戦と同じだ。リョウイチ、あれを利用しよう」


 ヒューは家の前に広げられた、練習用の繊維を指した。


「敵の侵入ルートは、ロドが来た東方向か、南の林が第一候補だ。そこに繊維の罠を仕掛け、他の方角から来たら直接叩く」

「若葉に頼めば、北もカバーできると思うぞ」


 涼一は、残りのタオルの枚数を思い返す。まだ何枚か持って来たはずだ。


「では、ワカバ、至急もう一束、用意してくれるか?」

「うん」


 彼女は指でOKマークを作った。


「西側、つまりこのテーブルでリョウイチが待機。トラップの起動と、西から来る敵の攻撃を頼む」

「了解」


 会話に入りそびれていたロドが、自分の担当する役割を求める。


「私は何をすればいい?」

「ワカバの護衛だ。万一、家に突入してくる敵がいれば、彼女を守ってくれ」

「リディアやマリダではなく、ワカバをか?」

「そうだ。彼女が最終の防衛ラインだ。発動させれば、ロドも巻き込まれるがな」


 久々に、ヒューはギュルギュルと笑う。

 一昨日、若葉の練習に付き合った彼は、畑でしばらく昏睡することになった。使いどころの難しい術式だ。


「私とレーンの役割は、索敵だ。敵襲はおそらく深夜だろう。今晩現れなかったら、明日の昼の警戒はロドと涼一に任せる」


 全員が役割を理解したのを見て、ヒューが話を締めた。


「では、適度に休みつつ、襲撃に備えてくれ。敵が警戒してはいけない。あまり構え過ぎないように」


 それぞれが自分の仕事に分かれ、食事は交代で取っていく。

 息の合った涼一たちに、ロドは幾分所在無さを感じた。彼は涼一を手伝いがてら、これまでの詳しい経緯を聞くことにする。

 涼一はトラップを設置するため、一旦、繊維を拾い集めていた。


 彼の語った話は、伝え聞くゾーンの異様さを差っ引いても、俄には信じられない下りが多い。

 バーメを瞬殺する毒霧、雷蛇を生む術式、転移の遺物――。


「まるで神話かお伽話だな。フェルドの英雄も斯くや、か」

「フェルド?」

「国難からフィドローンを救った英雄たちの物語だよ。大魔法を使えたらしいが、もちろん現実にあったことではないだろう」


 レーンの魔弾や、造水の術式も、涼一にとっては魔法にしか見えない。ロドが目を剥くのは意外に思えた。

 遺物の力が、この世界でそれ程の驚嘆を以て受け止められるなら、今後の戦闘も楽になる。

 次に驚くのは、ハクビルに来た帝国兵だ。


 涼一は老騎士と共に、罠の作成に取り掛かった。





 家の中では、追加の繊維を得るために、若葉がマリダの部屋に向かう。

 リディアと二人でなら、すぐに作業は終わるだろう。


 マリダの体調は安定し、魔素の乱れも見られない。顔色も赤みを取り戻したが、ベッドでの生活が長く、筋力が低下していた。

 満足に動けるようになるには、まだ少し掛かると予想される。

 若葉が部屋に入ると、マリダは明るく挨拶した。


「今日は初めて顔を見るわね、ワカバ」

「ふふん、修業で忙しいのよ、若葉さんは」


 若葉がわざとらしく両手を腰に当て、踏ん反り返る。

 彼女はリディアにタオルを渡すと、手伝って欲しいことを説明した。

 二人の作業を見ながら、マリダは世間話を始める。同じ年頃の兄、姉を持つ身だからか、彼女はこの数日で若葉に懐き始めていた。


「ワカバはリョウイチさんと似てるわね」

「そう? マリダとレーンさんの方がそっくりだよ」


 若葉は手を休めず、マリダの話に付き合う。


「私は母似、姉は父似、そこまで似てないわよ。名前のまんまね」

「名前?」

「マリダは母から貰った名前よ」


 若葉がその母の顔を見ると、リディアが説明してくれた。


「マリダは、マ・リディア。リディアの血に繋がる娘って意味ね。フィドローンの伝統的な名付け方よ」

「へえー」


 レーンにも意味があるのかな、と若葉が考えていると、マリダが体を起こしてたたずまいを整えた。


「ワカバ、姉さんと一緒に行くんでしょ」

「うん」


 マリダの少し張り詰めた口調は、大事な話なのだと訴えている。


「本当は私も付いて行きたい。だけど、今はできない。ワカバは私の代わり。姉さんを絶対連れて帰ってきてね」

「……うん」


 マリダの気持ちは、若葉にも馴染みのある感情だった。


「ワカバも、もちろん帰ってくるのよ。そうよ! 一緒に暮らせばいいのよ。姉さんと兄さんと、私とワカバ」

「……ん?」


 マリダは楽しそうに言ったが、何か引っかかる発言だった。

 リディアがそれを咎める。


「気が早いわよ、マリダ。気長に待たないと」

「……んん?」


 問い質そうという若葉に、繊維クズの束となった元タオルが手渡された。


「さあ、これで完成ね。リョウイチさんに、持って行ってあげて」

「え、ええ……」


 複雑な顔をしたまま、若葉は部屋の外へ出る。辺りはもう薄暗く、森は黒いシルエットとなっていた。

 追加の罠を含め、全ての準備が完成したのは、それから一時間後だ。


 いつ来るか分からない敵を待って、じりじりとハクビルの夜が更けていった。

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