043. 形代

 食後のお茶でも飲んで、レーンたちが落ち着くのを待っていよう。そう考え、涼一、若葉、そしてヒューの三人は、外のテーブルに戻る。

 リディアの茶葉を失敬して、ティータイムを楽しむことにした。


 ほろ苦い紅茶のようなフィドローンの茶は、日本茶にも似て涼一の好みだ。疲れはしたが、虚脱は心地好い熱さとなって、彼の全身に残っていた。

 両手でカップを持ち、肘をテーブルについた涼一の対面に、ヒューが座る。


「レーンは薬の遺物を持ち帰っていたな?」

「そうだね」


 ヒューが言うのは、パンダ堂で集めた薬のことだ。涼一へ半分使ったことは、後で若葉から聞かされている。


「その薬、少し分けて貰えんもんか。背中の傷が、まだ痛むんだ」


 彼に刺さった矢は、内臓まで届いたものもあった。それで動けるリザルド人も凄いが、絆創膏では治癒し切れていない。

 魔素を正常化できたなら、マリダに使っても薬は余るはずだ。それをヒューへ使うのに異存は無いものの、涼一は他にも回復の遺物があることを思い出す。


「そう言えば、これ使ってみるか? 回復の術式が発動するぞ」


 彼はニトログリセリンの瓶を、ヒューの前で振ってみせる。


「リョウイチ、俺が悪かった。それを俺で試すのだけは、やめてくれ」

「爆発的に治るかもよ。もしくは、治って爆発するか」

「そんな物騒な薬、何に使うものなんだ。お前の世界はおかしいぞ」


 ヒューの黒目が、これ以上ないくらいに細められた。彼が焦る珍しい姿が見られたので、涼一も適当なところで許してやる。


「ぎゅるぎゅるぎゅるー」


 二人のやり取りを聞いていた若葉が、爬虫類風に喜んだ。いつの間に、こんな特技を身につけていたんだと、兄は呆れて妹を見返す。

 ヒューも若葉の発音に太鼓判を押し、しばらくリザルド語の講義を彼女に授けていた。


 若葉が楽しそうにしているのは、様々な不安を脇に置きたいからでもあるだろう。

 長年、妹を見てきた涼一には、彼女が多少無理していることにも気づく。それをわざわざ指摘する必要は無い。


 その後、小鳥のさえずる中、三人は今後について話し合う。

 ひとしきり泣き、笑い疲れたレーンが彼らのもとに戻って来たのは、もう昼になろうかという頃だった。






 お茶会に参加したレーンは、涼一に深々と頭を下げた。


「あなたには、どれだけ感謝しても足りないわ。私の一番の目的は果たした。次はあなたの希望を手伝わせて」


 これほど穏やかな表情の彼女を、涼一は初めて見た。目は力強く、涙の跡もないが、鼻の先は少し赤い。


「お互い様……って言いたいが、これからもよろしく頼むよ」


 涼一の顔はいつになく険しい。彼女が来るまでの茶会で、色々と懸案が増えたからだ。

 今後を考えるとレーンの手助けは必須であり、涼一の方こそ頭を下げたい思いだった。


 ヒューによれば、ゾーンを制圧した対策部隊は、壁の構築完了をもって駐屯部隊と任務を交代するらしい。

 帝都から派遣される駐屯部隊が到着するのは、およそ一ヶ月後。駐屯部隊には、捕虜輸送用の一団も付随する。

 つまり、ゾーン住民の捕虜は、部隊の交代時に帝都に運ばれて行く手筈だ。


 通例のスケジュール通りであれば、アカリたちはこの先一ヶ月の間、アレグザに抑留されることになる。

 想いを叶えたばかりのレーンを前に、涼一は自問自答した。


 ――自分の希望、それは何だ。日本に帰る方法を探す? ここで若葉と暮らす?


 どちらも遠い未来なら、魅力的な選択肢だ。

 しかし、思い出すのは、昨夜別れた友人の顔であった。


 ――恩を売られたら、返すまでだ。アカリを助けよう。……もちろん、山田も。


「捕まったアカリたちを助けたい」


 涼一は皆に伝える。アカリは殺されているかも、などと彼は微塵も考えていなかった。


「もう一度、あそこへ行ってくれるか?」

「いいわよ」


 レーンは迷わず返答する。


「私もカウントしてるんでしょうね?」


 見つめ合う兄とレーンに、若葉が割り込んだ。

 意気込む妹に、涼一は言葉に詰まる。その気持ちは嬉しいが、若葉をまた戦地に連れて行きたくはない。

 彼が答える前に、ヒューが話に加わった。


「俺は国に報告を入れなければならん。救出は手伝えんが、リョウイチとワカバを鍛えるくらいなら構わんぞ」


 彼としても、涼一たちが無為にやられるのは困る。術式の応用くらいは出来るようになって欲しいと、ヒューは考えていた。


「どれくらいで、鍛えられる?」

「一週間で、知っている術式の知識は教えよう。実際に使えるかは、お前たち次第だ」


 今にでもアレグザに向かいたい涼一だが、手ぶらでどうこうできる相手でないのは理解している。


「じゃあ、頼む、ヒュー。若葉も戦えるようになるなら連れて行く、それでいいな?」

「いいよ、お兄ちゃん」


 若葉は拳を振り上げ、気合いをアピールした。


「あとは武器と、作戦か……宿題が多いな」


 手持ちの遺物は少なく、敵の情報も無い。ゾーン脱出以上の難題に、彼は最初の難しい顔へ戻ったのだった。





 フィドローンでは昼食が無く、早めの夕食と合わせ、一日二食が基本らしい。

 夕食までレーンは妹の看病に戻ったが、薬はほとんど使わずに済む。


 ヒューにも治療薬の一部が渡され、こちらは涼一が治療を担当した。

 分けてもらった薬を、涼一が黙ってトカゲ皮の背中に振り掛ける。いつになく無口な彼へ、ヒューは後ろを向かずに尋ねた。


「作戦でも考えてるのか?」

「……ああ。大量の敵兵だけを、都合よく無力化できるようなやつをね」


 涼一が自嘲気味に答える。そんな作戦があれば、苦労はしない。


「ゾーンは全てが魔素と術式の塊だ。私でも把握できないほどのな。リョウイチの求める遺物も、どこかに在るかもしれんぞ?」


 鳥居のように大きな遺物もあることは、涼一自らが実証した。

 とは言え、歴史ある伏川町も再開発が進み、曰くのある建造物は伏川神社くらいしか残っていない。東に多くあった寺社は無くなり、駅前として整備された。


 転移が可能な遺物は魅力的だが、もっと欲しいというのは高望みし過ぎだろう。それは無理にしても、他に使えそうなものはなかっただろうか。

 涼一は必死に、街の様子を思い出そうとする。


 噴水、電波塔、図書館――。

 何かが心に引っかかりつつも、彼は今まで聞きそびれていた質問を、ヒューに尋ねた。


「なあ、転移を生き残った住民は、遺物を使う能力がある。合ってるよな?」

「うむ」

「俺の発動した術式は、規模が大きかった。花火も鳥居も、凄まじい効果だ。あれを皆が使えるのか?」

「どうだろうな。リョウイチくらいだろう、使えるのは」


 どういう意味だと、治療の手が止まる。


「俺の、何が特別なんだ?」

「それは――」


 ヒューの回答は、若葉の呼び声で途切れた。


「お兄ちゃーん! ご飯よ!」


 回復の術式を改めて発動し、ヒューの治療を終えたと同時に、妹が二階へ駆け上がって来る。

 手を動かしていたいと、若葉はリディアの料理を手伝っていた。


「私も地球式で参加したのよ。日フィド合作料理、食べてみて」


 妹に引っ張られて、強引に食卓に連行される涼一の頭の中を、バラバラの思考が飛び交う。

 大規模術式、涼一の特異性、遺物、マリダの治療、転移、荒廃した伏川町……。

 彼の思考がまとまるのは夕食の席、妹の会話がきっかけだった。





 やや上の空の涼一の前で、レーンと若葉が料理の寸評を始めていた。


「ワカバ、やるわね。この鹿肉のチャハーン、いけるわ」

「“チャーハン”ね、レーン。ホントはもっと小粒の穀物で作るのよ」

「レーンは気に入ると思った。母さんも久々に頑張ったわ」


 リディアまでが、何故か得意げだ。

 若葉はもぐもぐと頬張りつつ、リディアの胸元に下がる勾玉のようなペンダントを指した。


「それ、綺麗ですね。光ってるみたい」

「本当に光ってるのよ。魔素を含んでるもの」


 よく見えるように、リディアはペンダントを持ち上げた。


「あなたのと一緒。形代よ」

「え、私? カタシロ?」

「服の下だけど、してるんでしょ、形代」


 聞き慣れない言葉を聞き、首を傾げる若葉へ、ヒューが解説してやる。


「自分の代わりになって、身を守ってくれる物だ。若葉や涼一のは、とてつもない魔素を含んでると思うぞ。ゾーン転移の際の魔素を、引き受けただろうしな」

「俺も? どれだ……このお守りか?」


 涼一のベルトには、友人から貰った小さな飾りがクリップチェーンで留めてあり、本体はポケットに入れていた。精緻な金属製の台座まで付いていて、高級感が漂う。

 一応、大事にしてると見せるために、街に来るときに付けてきたものだ。

 同じ物を、若葉はペンダントトップにしている。


「……これが、術式を発動したのか。転移の瞬間に」


 鉱物の周りに硬質ガラスの層が重ねられた、目玉型の小さなお守り。形代とは“護身の術式”の遺物だと、ヒューが教えた。


「ゾーン住民で生き残った者は、皆、形代を持っている。そうでなければ、魔素の奔流にやられ、よくて“動く死体”になってしまう」

「形代にも魔素が入ってるんだな?」

「涼一たち自身が持つ魔素も甚大だが、形代にも同量以上が含まれているはずだ。扱いには気をつけろよ」


 ヒューの説明は、涼一の頭に一筋の光を走らせる。


「俺はマリダの魔素を操作したが、物体相手にもできるんだよな?」

「もちろんだ。術式発動でも、似た操作はしてる」

「それなら、こいつから魔素を引き出すことも可能か?」

「普通ならさせない。扱う魔素の量が転移の遺物並だ。だが、その転移を成功させたリョウイチなら、可能だろう」


 いつの間にか、食事を中断し、レーンや若葉も涼一を見つめていた。

 彼は自身の持つ形代を、テーブルの上に置く。


「何か思いついたの、リョウイチ?」

「ああ。こいつで、伏川町……アレグザを奪還する」


 テーブルを囲む全員が詳細を知りたがったものの、彼は食事に相応しくないと断った。

 光明が見えたことで、涼一もようやく“チャハーン”を味わって食べられる。久々の家庭料理を、彼は心ゆくまで楽しんだ。





 食事後、レーンの部屋にリディア以外が集まる。

 リディアには計画を聞かれたくないというのが涼一の本音で、話を聞くと、皆も予想通りの態度をとった。


 若葉は絶句し、ヒューは無反応。ゾーン脱出の時の作戦会議でも、似たような雰囲気だった。

 今回違ったのは、レーンまで黙ったことだ。

 作戦を説明し終わった涼一は、まだ残る難点を指摘する。


「……これで町から兵は追い出せる。しかし、捕虜がゾーン外にいた場合は、それとは別に救出しなくちゃいけない」


 立ち直りの早いレーンが、もう一つの懸念を彼に問う。


「肝心の、外壁突破はどうするの?」

「ん、それも宿題だな。レーンの遺物を使えば何とかなりそうだけど、危ないしなあ」


 昼間、涼一は彼女が持ち帰ってきた物を見せてもらっていた。とんでもない遺物だったので、扱いが難しい。

 彼に使いこなせるなら、どうしようもない時の最終手段にはなろうが、積極的に使いたくもない超危険物だ。


「今日も早く寝よう。明日から準備だ」


 涼一の提案で、皆はそれぞれの寝場所に散る。

 若葉とレーンは、レーン自身の部屋に。

 涼一とヒューは、外の作業小屋に寝る所を作ってもらった。


 街よりよほど安全な寝床ではあっても、涼一の寝付きは悪い。

 アカリたちの境遇を想像すると、或いは、計画の細部を考え始めると頭が冴えてしまう。


 一週間後、涼一はその日を考えながら、無理やり目を閉じた。

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