1. 嵐の前
042. 帰郷
転移を終え、若葉たちの前に現れた涼一は、いきなり悪態をついた。
「クソッ、アカリのやつ!」
「アカリがどうしたの、お兄ちゃん?」
無事、兄が転移した喜びも消え、若葉がオロオロと尋ねる。
「あいつ、鳥居を閉じるって言って残りやがった」
「ええっ!?」
若葉は口を押さえ、兄と一緒にその場で
周囲を見回した涼一は、自分が家の中にいると知った。柔らかい光で照らされた、木造の部屋だ。
奥のベッドには、レーンより暗い髪の少女が寝ているが、レーン本人は見当たらない。
「レーンは?」
「ヒューや自分のために、治療薬を取ってくるって」
ここがハクビルなのか、寝ているのがレーンの妹なのか。確かめたいことは多くても、アカリが気がかりな彼は立ったまま虚空を睨み、家主の登場を待った。
やがて扉を開け、妙齢の女性を伴ってレーンが現れる。
「涼一、無事でよかった……」
彼女は彼の様子がおかしいことを見て取り、その原因にもすぐに気付いた。
「アカリは?」
若葉が、彼女に経緯を説明する。
いくら待てど、アカリが出現することはなく、涼一は床に腰を降ろして固く目をつむる。
「全部上手くは行かないもんだな……」
再び
「あれが妹さんだろ。治せるか試そう」
そう言って立ち上がろうとした涼一は、体をよろめかせた。
若葉が手を貸そうと近寄るが間に合わず、彼は頭から突っ伏してしまう。
「お兄ちゃん!」
「リョウイチ!」
ゴンッという嫌な音はしたものの、外傷は見当たらない。若葉とレーンが彼の身体を仰向けにして、見落とした怪我がないかを調べる。
後ろからヒューが近づき、彼を覗き込んだ。
「おそらく、遺物に当てられたんだ。正確には魔素枯渇だろう。転移を発動させるのに、自分の魔素も莫大な量を使ったはずだからな」
「どうすればいいの?」
若葉が悲痛な声を上げる。
「心配は無い、ただの過労だよ。息は乱れてないんだろ? 一晩寝かせて、様子を見ればいい」
ヒューの見立てに、若葉に加えレーンさえもが、大きく安堵の溜め息をついた。
レーンと一緒に入室してきた婦人が、彼女に提案する。
「あなたの部屋に寝かせてあげたら? ヒューさんと一緒に。狭いけど、女はこの部屋でどう?」
「そうするわ、母さん」
レーンは持ってきた治療薬を自分とヒューの傷口に塗り、治療布を巻き付けた。
その間に若葉とレーンの母で、涼一を運ぼうとするが、重くて難儀する。結局、片腕を怪我したレーンも手伝って、引きずるように隣の部屋に運びこんだ。
ヒューは動けはするものの、どう見ても重傷だ。
治療布だけでは頼りないと、遺物の残りを探した若葉が、兄のリュックから絆創膏を見つける。
「こんなの、効くのかな……」
「治療の術式ではあるようよ」
レーンが遺物を触って、術式の存在を確かめた。
若葉はまず、レーンの左腕の傷に絆創膏を貼付ける。さらに、ヒューの四箇所の矢傷へペタリ。緑の術式光が、小さいながらも、傷口の周りを漂う。
レーンの母は、興味深そうに、その治療行為を見守っていた。
「さあ、あなた達も今夜は休みなさい。まるで野戦病院ね、これじゃ」
皆一様に話したいことはあるが、疲労と怪我がそれを許してくれそうにない。母の言葉に従って、それぞれの部屋で雑魚寝が始まった。
半刻後、母が部屋の様子を見回った時には、全員が静かに寝息を立てていた。
◇
次の日の朝、涼一が目を覚ますと、隣で若葉が兄の起床を待ち構えていた。
「よかった。ちゃんと目が覚めて」
彼の気分は悪くないどころか、好調と言ってもよいくらいだ。昨夜の疲労はすっかり消えて、食欲も有る。
「みんなは?」
「外のテーブルで食事の準備中よ。起きたのは、お兄ちゃんが最後」
ベッドから抜け出した涼一は、妹の案内で階段を降りていった。
彼の遅い起床時間は、今朝に限ってはちょうど良かったらしい。全員が揃って、昼に近い朝食を取ることとなる。
昨晩、挨拶もしなかったことを涼一が詫びると、レーンの母にケラケラと笑われた。
「ずいぶん律儀な人なのね。私はリディア・クレイデル。娘ともども、よろしくね」
物腰から年配の印象があったが、明るい場所で見るリディアは、かなり若い母親だ。
彼女の用意した食事は、見た目だけなら地球人にも馴染みのあるメニューだった。
パンに豆の煮物、ベーコンエッグ。質素でも暖かい食事は、疲れた皆にとって特上の御馳走に映る。
涼一と若葉は会話も忘れ、しばらく無心で朝食に取り組んだ。
食事に使っているテーブルは、レーンの家の軒下に設置されたもので、五人で囲んでも余裕がある。
辺りは森と畑が広がり、アレグザと比べれば、自然の豊かな平和な田舎に見えた。他に家屋は見当たらず、家の横に小屋が二つ建っているだけだ。
食事が一段落すると、まずリディアが改まって話を始めた。
「レーンから、事情は聞いたわ。まったく父親似の無茶な娘だこと」
レーンは母の言葉を聞き流し、平然と追加のパンを
「……ヒューさんは、マリダを診て下さったんですよね?」
目が覚めたヒューはマリダの部屋に赴き、彼女の様子を見ているところで、リディアと出くわしていた。
「彼女は、ただの病気じゃないな。体内の魔素が溢れて、精神を侵している」
遺物と違い、軽く触れた程度では、マリダの症状が魔素由来だとは気づきにくいと言う。
一見、衰弱して生命感の薄い彼女の奥底には、エネルギーが渦巻いているそうだ。魔素そのものに親和性の高い者であれば、それを感じ取ることも出来る。
レーンが手を止め、真剣な面持ちになり彼に問い返す。
「妹の魔素がおかしいのは、私も薄々気づいてた。治し方は分かるの?」
ふむ、とヒューが腕を組んだ。
「身体の衰弱は、治癒の術式でもあれば直ぐに直る。魔素異常、これは何かの原因で、急激に体内の魔素が増えたからだ」
「怪我の時だわ」
リディアには心当たりがあるようだ。
「対術式槍、それがマリダが受けた足の傷の原因よ」
レーンは初耳だと驚く。ヒューの方は納得した顔になり、話を続けた。
「対術式槍は、刺した相手の魔素を操作する武器だ。普通は魔素を吸い取って、敵の術式使用を妨害するんだがな。逆に、魔素を注入されたか」
そんな妙な攻撃をした理由、彼にはそれが推測できたが、今は治療法が先だろう。
「治すには彼女の魔素を吸収し、一度低いレベルに減らしてやればいい」
「どうやって?」
レーンが我慢しきれないように、ヒューへ話の先を急かす。
「魔素の制御ができ、膨大な量の魔素を吸い込んでも平気にしている者。そんな奴を知っているか?」
レーンの視線は、ゆっくりと涼一に向いた。見つめられた彼は、居心地悪そうに自分の顔を指す。
「……俺か?」
◇
レーンの当初の目的は、遺物から得る財だった。次に、劇的な効果を発揮する治癒の遺物。
最後に選んだのが、遺物を使うゾーンの青年。
これが正解だった。
彼女は涼一の手を取ると、マリダの元へ急ぐ。呼び止める母の声を無視し、二階へ駆け上がった。
「リョウイチ、診るだけでもいい。マリダの手を握ってやって」
レーンの気迫に圧されなくとも、涼一に断る理由は無い。彼はマリダの白い左手を、両手で丁寧に包み込んだ。
話は聞いていたので、涼一も何を期待されているかは、分かっている。
彼が静かに集中する間に、リディアや若葉たちも部屋に入ってきた。
眠るマリダの顔は病弱な患者のそれだが、よく見ればレーンに似ている。髪は姉より黒く、長く胸まで伸びており、丁寧に
涼一が触れると、マリダの魔素が自ら彼に向かって流れてこようとする。
彼女の持つ魔素量は、ヒューの言ったように多い。この感触に似ているのは、やはり遺物だ。電池やニトロが近いか。
ともすると、魔素を放出しようとバチバチと流れが爆ぜる。
しかし、鳥居に比べれば大したことはなく、その激しさから思えば、小川みたいなもの。
転移を発動させようとした時には、何度も逆流を食らって弾かれ、全力で抑え込むのに苦労した。
ただ、今回は流れを逆に、弾ける魔素を自分へ迎え入れなければいけない。
ゆっくりと注意深く、彼は自分の身体をマリダの魔素に
初めて経験する作業で、涼一の額には汗が浮かび始めた。
会話の時は、冷静に娘の病状を尋ねていた母も、祈るように胸の前で手を合わせている。
レーンも落ち着き無く、妹と涼一の顔を交互に視線を動かし、妹に手を出しかけては引っ込めていた。
涼一の集中が半端でないことは、その厳しい表情を見れば分かる。
ほんの数分の出来事が、回りの者には息の詰まる永い時間に感じられた。彼の身体が、そしてマリダの手が、うっすらと青く
波打つように光は強弱を繰り返し、やがて一定の緩やかな輝きで止まる。
聞こえるのは、涼一のやや荒れた呼吸の音だけ。彼がポタポタと落とす汗で、床に染みが出来ていった。
一切のものが静止した、無言の時間が過ぎる。
窓から差す陽光が方向を変え、涼一の握るマリダの手を明るく照らし始めた頃、ようやく変化が起きた。
魔素の青い輝きが淡くなり、そして緩やかに消える。
「上手くいったの?」
小さな声で呟くレーンの肩へ、リディアは安心させるように手を置いた。
涼一はマリダの手を離し、深く息を吐き出す。
「ふーっ。かなり吸い込んだんじゃないかな」
終了を軽い口調で告げるが、彼の体は熱を持ち、マラソン後のような疲労感が襲っていた。
結局、一晩寝て回復した体調を費やしてしまったが、その報酬は何物にも代え難い。
レーンがベッドに乗り掛かり、マリダの頬を撫でる。
「マリダ?」
リディアも娘の顔を確かめに、より傍に寄ってきた。
「マリダ……」
何度も名前を呼ぶ姉の手が、動きを止めた。顔の筋肉の微妙な動きを、感じ取ったからだ。
「起きる!」
レーンの言う通り、マリダの
「……ふふっ、どうしたの、姉さん?」
寝ている間の記憶が無い妹にとって、それはただの日常の起床に過ぎない。姉にとっては、その日常を取り戻したということ。
レーンは目を潤ませ微笑んだ。
「お帰り、マリダ」
レーンもリディアも、その後は何も言わず、二人でマリダの手を握る。それで十分だった。
若葉に汗を拭かれながら、涼一は、その家族の姿を暖かく見守る。
しばらくは彼女たちだけにしておこうと、ベッドから離れない親子を残し、涼一たちはそっと退出した。
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