041. 覚悟
それはもう少しで伏川神社登り口という地点でのことだった。
再度の襲撃を受け、涼一は激戦を覚悟する。
実際、右のふくらはぎに矢を受け、彼は重傷を負う事態だった。超回復が無ければ、どうなっていたか分からない。
しかし、ヒューとレーンの活躍で、敵部隊は退いて行く。
彼の予想を覆す結果に、いくつかの疑問が口をついた。
「なぜ奴らの青い矢は、当たらなかったんだ?」
「空中の魔素で、撹乱させられたんだよ」
ヒューが光の粉を手の平で受けながら、涼一の疑問に簡潔に答える。
もう一つの質問はレーンへ。
「……魔弓は使えないんじゃなかったのか?」
「手で投げたのよ」
レーンも、くどくどと説明はしない。
弓を使わず、矢を手投げしただけでは、威力も飛距離も児戯に等しい。だが精密操作なら可能だ。
迫る突撃兵の目を狙って彼女の投げた矢は、正確に敵の視力と命を奪った。
そして、涼一が最大の疑問をヒューにぶつける。
「どうしてニトロを使うのを止めた?」
矢の放たれた方向にニトロで攻撃すると、ヒューは彼を強く制止した。おかげで、敵への爆撃は一度だけで終わってしまう。
ヒューは登り口を指して、彼の問いに答えた。
「遺物を破壊する訳にはいかん。あれがここに来た目的なんだからな」
涼一はしばらくヒューの示す方向を凝視した後、キョロキョロと辺りを見回した。
「……どれが遺物だって?」
やはり、彼には特に気になるものはない。
「まず、そこまで行こう」
ヒューに連れられ、石段が始まる地点まで、皆で移動する。全員が揃うのを待ち、深緑色の手が遺物を紹介した。
「これだよ、リョウイチ」
それと気付かないはずだ。遺物と言えば、小物や道具と考えていた涼一には、予想していない存在だった。
「鳥居か……」
木製の古い鳥居が、参道入口に建てられている。色も剥げ落ち、木肌そのままの材に、手入れされている痕跡は無い。
軽く柱に触れた涼一は、慌ててその手を引っ込める。
「おい、普通じゃないぞ、これは!」
何が普通かはともかく、ニトロが一瞬の熱湯だとしたら、鳥居から感じるエネルギーは太陽だ。こんなもの、発動に失敗したら街ごと吹き飛ぶ。
「普通じゃなくても、やってもらわないと困る」
ヒューは、それしか手が無いと断言する。
遺物をしげしげ見ていたレーンは、まだ納得できないと説明を求めた。
「……こんな術式、見たことない。これで何をする気なの?」
「お前は見ているはずだ。三日前に」
三日前、まさか――。
「転移の術式!」
「そうだ。脱出に、これほど有用な物はないだろう」
ヒューは涼一以外のメンバーに振り返り、状況を確認する。
「征圧部隊の行軍が聞こえるだろう? 先行する斥候部隊は、いつ現れても不思議じゃない。発動までリョウイチを守るぞ」
「はいっ!」
「もちろん」
アカリと若葉が、力強く返事をする。レーンはベルトの魔弾を抜き、準備は出来ていると、態度で示した。
「魔弾の残りは三発。撃ち尽くさせてもらうわ。行くわよ、ヒュー」
アカリと若葉は涼一周辺の警戒を務め、レーンとヒューは敵の接近に備えて物陰へと身を潜めた。
◇
涼一はもう一度、今度は慎重に鳥居に手を掲げる。
触れないまでも、ある程度の距離まで近づけると、彼へ大量の魔素が流れ込もうとする。
力に引き寄せられて吸い付けられそうになったため、接触する寸前で手を戻した。
この遺物の機能、それは転移だとヒューは言った。ならば、目的ははっきりしている。
問題はどこへ、だった。
涼一がはっきりと映像にできるのは、地球、それも日本だろう。
伏川町では無意味なら、生まれた町である宇田市か、大学のある北津市か。
大学キャンパスをイメージし、鳥居の柱に手を触れる。
「うっ!」
弾かれるように、彼は鳥居から離れた。大学の映像は魔素の流れに押され、瞬時に掻き消されてしまう。
もう一度試みようとした時、警笛が響き渡った。
北側から駆け寄ってくる兵が四人。征圧部隊の斥候だ。
涼一はニトロを取り出すと、魔素を流し込む。
ヒューの特訓で慣れてきた彼は、さして時間も取らずに、赤く光る錠剤を斥候へ撃ち出した。
爆発と共に兵が二人、派手に後ろへ吹き飛ぶ。爆破の範囲外だった他の兵も、飛んだ二人に巻き込まれて四人全員が地に倒れた。
警笛を聞き付け、西からも六人の哨戒兵が現れる。
ニトロの次弾を用意する涼一に、ヒューは怒鳴りつけた。
「リョウイチ、お前の仕事は発動だ! 兵は俺達に任せろ」
倒れた兵の喉を、彼は順に投擲矢で突いて回る。とどめを刺し終わると、ヒューはすぐに後から来た兵へ走った。
――すまない、ヒュー、レーン。
敵の相手をしてくれる仲間へ、感謝の言葉を思いつつ、涼一は鳥居に向き直る。
若葉とアカリは、敵の動きを目で追いながらも、チラチラと彼を心配そうに見ていた。
◇
新しい哨戒兵には、まずレーンが攻撃を開始した。前に三人、後ろに三人並んだ槍兵だ。
三本の魔弾を右手の指で挟むと、彼女はそのまま兵たちの前に走り出す。
接近戦に虚を突かれた兵は、慌てて槍先を彼女へ向けて構えた。
その隙に、レーンが右手を横に振り払うと、矢が宙に放たれ、三本の赤い光線が兵たちの顔へと伸びる。
「がっ!」
「魔弾だっ!」
二本の矢は左右に曲がり二人の兵の目へ、残る一本は真ん中にいた兵の眉間に刺さった。
視覚を潰された兵が転がる中、後列の兵が彼女へ槍を投げる。槍はレーンの左腕をかすめ、衝撃から彼女は後ずさって膝を突いた。
その彼女をヒューが跳び越え、倒れる兵の上に着地してその腹を踏み抜く。
ジャンプと攻撃は、同時に行われていた。槍を投げた兵は、彼の投擲矢を首に受けて絶命する。
体勢を立て直したレーンは、骨砕きを腰から抜いて獲物に飛び掛かった。
目を負傷して顔を押さえる兵の軽兜を、一撃で叩き砕く。これでまた、敵の数は減った。
ダラリと下ろした彼女の左上腕から血が流れ、道路にポタポタと
残る敵は二人、彼女たちも二人。
四人が相手の出方を窺って対峙する、そこへ涼一の叫びが届いた。
「レーン、来てくれ!」
ヒューは敵兵から視線を外さず、レーンに頷いた。
「構わん、行ってやれ」
彼女が鳥居へ走り出したのを機に、二本の槍がヒューに突き出される。
彼はフィギュアスケーターのように体を回転させ、槍の一本を華麗に
もう一本が脇腹の肉をえぐるのも構わずに、兵の一人へ肩口からぶつかっていく。
バランスを崩した兵の頸動脈は、すかさず投擲矢で切り裂かれた。
これで一対一。
突かれる槍をスライディングで避け、兵の足を払う。よろめく敵を引きずり倒すと、ヒューは顔面に全力のパンチを叩き込んだ。
グシャリと果実を潰すが如く、最後の一兵は顔の中央を陥没させ、自身の血に窒息し息を引き取る。
全ての敵を始末したヒューは、涼一たちへ振り返った。
ヒュンッと空気を切り裂く一筋の敵意が、ヒューに向かう。
彼の背中へ、狙撃班長リゼルの放った矢が深々と突き刺さった。
◇
涼一に呼ばれたレーンが駆け寄ると、彼はいきなり彼女の手を
「レーン、君の行きたい先を教えてくれ」
彼女の目が、涼一を真っ直ぐに見返す。
彼が望む結末は、日本に逃げ帰ることではなかった。祖国を思っても、目的地のイメージは薄く淡い。
実際に地球へ転移できるのかはともかく、そんな弱い像では遺物の力に圧倒されるだけだ。
彼女は今の住処、辺境の村ハクビルの名を教える。
それを聞いた涼一は、
「違う、俺に画像が流れ込むくらい、強く思う目的地を」
彼に否定され、レーンは考える。
――目的地? 私はどこへ行きたい?
横で二人を見守っていた若葉が叫んだ。
「ヒューさん!」
背中に数本の矢を刺したまま、ヒューが彼らの元に駆けてくる。
「急げ、さっきの弓兵たちだ!」
リゼルたちは、征圧部隊がやって来る最後のチャンスを待っていた。哨戒兵と目標が交戦したあと、本隊が来るまでの僅かな時間を。
若葉が火炎の魔石を構え、前方に見えた突撃兵たちの方へ投げる。火の壁は、だが、彼らを押し止めるには力不足だ。
敵が迫る中、レーンは心の奥にある自分の望むものに集中した。
ここへ来た目的。帰らなければならない場所。
涼一に、その名前を告げる。
「マリダ・クレイデル」
涼一の左手が、勢いよく鳥居の柱へ押し付けられた。
彼女の妹、マリダのイメージは、涼一の中で鮮明に刻まれる。マリダと並んで立つレーンの姿を、彼は映像としてそこに
空気が弾け、乾いた炸裂が皮膚を震わせたかと思うと、鳥居から青い光の粉が撒き散る。
魔素は渦を描き、涼一を中心とする大きな円を浮かび上がらせた。
雷鳴が轟く。
「みんな伏せて!」
円内に発生した何本もの稲妻を見て、レーンが警告を発した。
小型とは言え、これはゾーンの出現と同じ前兆だ。とすれば――。
重力が歪み、彼らの体が上方へ持ち上がる。このまま空へ運ばれるかという身の軽さから一転して、皆は強烈な力で地面に押し付けられた。
次は左へ、そしてまた下へ。
涼一は鳥居の柱にしがみつき、空いた左手でレーンの手を握る。
「みんなつかまれ、振り飛ばされるぞ!」
レーンはアカリの、アカリは若葉の手を取り、女子高生二人が協力してヒューのベルトを掴んだ。
激しい重力変動を受けた突撃兵たちは、地面を転がった挙げ句に、光る円の外へと
重力の揺れは、徐々に緩やかに落ち着き、円は鳥居に吸い込まれるように縮む。代わって鳥居の二つの柱の間に、細かな文様が浮かび始めた。
鳥居の右側から、文様を囲うように外周が描かれる。時計回りに光が一周すると、これもまた小型の円を形成した。
転移陣――レーンが見るのは、二度目である。
「転移の術式……成功したのね、リョウイチ」
鳥居から手を離した涼一が、膝に手をつき、息を荒らしながらも皆を急かす。
「さあ、誰から入る?」
迷う時間が惜しい。レーンは微笑んで若葉の手を引っ張り、半ば強引に転移陣の中へ進んだ。
「あっ、ちょっと、レーンさん!」
転移陣に触れたところから、二人の体が魔法のように消えてしまう。いや、これは本物の魔法だったと、涼一は苦笑いを浮かべた。
満身創痍のヒューが、次に陣へ入る。
「また後でな、リョウイチ」
彼も音も無く消えた。
最後にアカリの手を引こうとすると、彼女が先に涼一の右腕を掴み、彼を力いっぱい転移陣へ押す。
「ありがとう、涼一さん。でも、誰かがこれを閉じなきゃ」
「おいっ、アカリ!」
涼一は口を大きく開け、驚愕の表情のまま陣へと倒れ込んだ。
彼を見送ったアカリは、急いで火炎の魔石を発動させ、鳥居の根元に転がす。
彼女の足の怪我は、神社ルートのトラップを発動させる時に負ったものだ。
涼一は発動に手間取ったせいだと考えたが、アカリは術式にすぐ馴染み、得意なくらいだった。
罠の発動が遅れたのは、彼女が兵を殺すのに躊躇し、その隙に攻撃を受けたためだ。
今日一日、自分の覚悟の無さと力不足に、何度も悔しい涙が出そうになった。その度に、涼一と若葉の姿を見て、気合いを入れ直していた。あの兄と妹は、強い。
――少しは借りを返せたかな。二人には叱られるだろうけど。
柱に火が回ると、青の魔法陣は薄く消えた。
燃える鳥居は輝きを失い、また夜の闇が戻ってくる。
鳥居の最後を見守るアカリへ、男が近づいた。
「いるのは……お前だけか」
リゼルは信じられないという顔を、彼女に向ける。
いきなり姿を消す作戦目標たち。これも遺物の、操術士の力だと見せつけられ、彼の口も重い。
後ろに控える兵に、辛うじて得た戦果を捕らえるよう指示するのが精一杯だった。
「一緒に来てもらおう」
突撃兵が、彼女の左右に進み、両腕を拘束する。
「殺しはしないのね?」
言葉が通じることに少しだけ驚いたのか、リゼルは目の前の少女を改めてじっと観察する。
怯えも、狼狽も、そこには存在しなかった。
「急がないと、死ぬことになるかもな」
リゼルの合図で、兵たちはゾーン境界を目指し、足早に歩み始める。
アカリは二日間共に過ごした青年から、仲間から、大事なことを学んでいた。
まだ終わりではない。諦めるのは、涼一たちへの冒涜だ。
「終わらせてやるもんか……」
小さなつぶやきが、変わり果てた伏川の街に溶け込んでいく。
この夜、伏川町全域に兵が配置され、障壁部隊は通常の防衛任務へと戻った。
街を自由に歩く者は、帝国兵の他には存在しない。
ここに、アレグザ第十二ゾーン特別地区制圧作戦は、終結したのであった。
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