040. 操術士

「こんな馬鹿な術式があってたまるか!」


 眼前に広がるお伽話のような光景に、狙撃班長リゼルは憤った。

 涼一の花火が発動したのは、第二陣の突撃兵が火壁を抜けようかという時だ。

 魔石がおもちゃに感じる規模の術式――美しい、そうリゼルは小声で漏らす。すぐに思い返し、一瞬でも心を奪われて魅入った自分を恥じた。


 南から北上した狙撃班は、ゾーン外の障壁部隊と協同し、対象を挟み撃ちにすることに成功する。

 神社近くの民家や、小さなビルの上に展開した彼らは、突撃兵の戦闘を遠間から援護した。

 いや、していたはずだったのだが、操術士の発動した術式が作戦を狂わせる。

 空中を漂う光の霧と、道を覆った奇妙な黒い壁が、彼らの視界を奪ってしまった。


「これでは援護も観察もできん。第一小班は私と黒壁が無くなる地点に回り込む。第二小班はこのまま援護射撃を続けろ」

「了解しました」


 第一陣の突撃兵四人は戦闘の末に死亡。後方にいた第二陣は、バチバチと跳ね回る火花に包まれ、焼き消された。

 狙撃班にも被害が出ている。魔弾のように空中を飛び回る光の矢で、四名が貫かれた。

 操術士は、複数の大規模術式を、同時に発動させることができるのだろうか。もしそうなら、司令が征圧部隊の不興を買ってでも捕縛しようとした理由が分かる。


 ――しかし、司令、潜入作戦で対処できる相手ではないかもしれませんよ。


 リゼルは苦い顔をしたまま、部下たちと西に向かった。





 街の境界線から神社口まで、走れば五分も掛からない距離だ。

 蛇花火が作った壁には所々隙間もあり、そこから中を走る涼一たちへ火矢が射られる。

 狙撃班の腕は確かではあっても、小さな穴を通して攻撃するのは無理があり、大半の矢は壁が防いだ。

 蛇の腹は土壁ほどには固く、可燃性も低い。防火壁として申し分無い働きをしてくれた。


 神社まで半分の道程を残すところで、蛇の壁が大きく崩れ、夜空が楽に見通せる箇所に差し掛かる。

 狙撃隊にとっては絶好のポイントであり、蛇の外側を並走していた彼らは、涼一たちの進路を妨害すべく激しい攻撃を開始した。

 涼一たちの直前で火矢が炸裂し、数分ぶりに熱風が顔を舐める。


「近い、気をつけろ!」


 壁は低くとも、蛇花火と瓦礫のおかげで遮蔽物には恵まれていた。

 若葉とアカリは燃え尽きた自動車の陰に、他は黒壁に隠れて、敵の射線から逃れる。


「発炎筒を!」


 ラストの一本を持っていたのは、アカリだ。涼一の声に従い、彼女が発炎筒を発動させる。発動スピードだけなら、アカリは相当優秀だ。

 何度か遺物の発動を繰り返したことで、涼一以外の地球人二人も、次第に術式のコツを習得し始めていた。





 スイッチを入れる、ライターを点火するといった行為は、術式の発動効果には本来影響しない。

 それはあくまで彼らの記憶にある事物の操作方法で、“機能を規定する”助けになるだけだった。

 遺物に魔素を流し込む時、ちゃんと規定ができるのなら、地球での操作に拘わらなくともよい。遺物には、既に術式が仕込まれているのだから。


 若葉とアカリは魔素注入の感覚をつかみ出した段階、涼一は術式発動の基礎を覚えたくらいである。

 甚大な量の魔素を扱える地球人は、熟練者が指導すれば術式の鬼神として活躍できるであろう。


 その時間が無いことが返す返すも残念だと、ヒューは考えていた。

 このゾーンには、魔素と術式が溢れている。遺物だけではない。土地も、建築物も、住民自身も、未知の可能性の塊だ。

 涼一たちなら、ゾーンの真髄に触れられるかもしれない。そのためにも、彼らを生かして脱出させなければ。それがヒューの主目的に据えられた。


 彼の薄く黄味がかった目が、壁の向こうに赤い光点を捉える。彼らを狙う狙撃班の矢尻だ。

 戦闘経験の豊富なヒューは、ある程度敵の動きを読んでいた。狙撃班の目的は、彼らをこの場に釘付けにすることだろう。

 自分たちを捕縛したい敵にすれば、どこかで接近戦を挑まなくてはいけない。兵のいくらかは死角から、おそらく蛇壁の内側から近づきたいはずだ。


 火矢で時間を稼ぎ、その間に別働隊は先回りを図る、そんな作戦だと推察された。

 ぐずぐず踏みとどまっていると、また挟撃される可能性が高まる。

 未知の可能性を秘めたゾーンの青年を、彼は多大な期待を込めて振り返った。





「リョウイチ」


 ヒューが出来るだけ小さな声で、数メートル後ろに隠れる涼一へ話しかけた。


「どうした、走り抜けるか?」


 物陰を利用して一気に通り抜ける、そのタイミングを涼一は見計らっていた。


「いや、術式の講義をしよう。これを使ってくれ」


 ヒューは茶色の小瓶を、彼に投げて寄越す。


「住人の家で集めた遺物の一つだ。俺が扱うには、魔素が多過ぎて危険な遺物だが、リョウイチなら使えるだろう」


 瓶には錠剤が入っている。


「これは……医薬品か」


 涼一はラベルを読んだ。狭心症の薬、ニトログリセリン。


「使い方の注意点は二つ。一、絶対に暴発させるな。二、攻撃用の術式を選べ。どういう訳か、そいつからは相反する二つの術式が感じ取れる」


 そりゃ、治療薬だからな、と涼一は声には出さず答える。

 多重術式は帝国でも稀に存在するが、治療と攻撃を同時に発動した結果は、ヒューにも予想がつかなかった。


「着火や魔石に頼らず、自分の力で術式を発動させるんだ。それが無理なら、逃げ切ることはできん。今のお前なら出来る」


 いけるのか? 涼一には不安しかない。

 今までの発動時には、結果のイメージが鮮明に現れ、現実の風景と重なるような感覚があった。それを再現すれば、発動も可能か。


「敵はこの方向、壁の向こうだ。心配するな。失敗しても、リョウイチが吹っ飛ぶだけさ」


 ――このトカゲ、無茶苦茶言いやがる。

 この文句も心中に留め、涼一はヒューの言う方向を確認した。


「あそこにピンポイントに投げ込むのか? 遠すぎて届きそうにないぞ」


 その方法は言わずもがな、そうヒューは涼一の腰を指す。スリングショットだ。

 涼一は瓶を開け、錠剤を一つ取り出す。

 ミント菓子のようなその小さな粒を、スリングショットにセットした。

 ニトロが壁の隙間を通り、敵の民家に着弾する様を願うが、すぐに涼一は頭を横に振る。


 ――違う、そうじゃない。

 考えるのは、目標が爆発する白昼夢じみた映像だけだ。

 発動させようとすると、強い力が体内へ流れ込もうとする。

 ニトロの持つ魔素が膨大な証拠であり、これを涼一自身の魔素で抑え切る。逆流はさせない。


 赤い光を放ち始めた錠剤を、彼は目標に撃ち出した。

 ヒュンッと空気を切る音が、蛇壁の外へと消えていく。

 重力に逆らって軌道を曲げながら、ニトロは標的の民家に吸い込まれた。


 一拍置いて、耳を聾する轟音が街に響く。

 一軒の家屋が、丸ごと微塵となって爆散した。


「どこが俺が吹っ飛ぶだけ、だ!」


 ギュルギュルと鳴くヒューに、涼一が怒鳴る。

 ニトログリセリンを使いこなす涼一は、真に帝国軍側が恐れていた術式の化け物となろう。


「さあ、あと二、三発練習しようか」


 リザルドの諜報員は、優秀な生徒を得て上機嫌に笑った。





 連続する爆発音を聞いたリゼルの頭に、獲物を逃がしてしまう不安がよぎる。

 彼は第一小班を率いて蛇腹の先へ走り、逆走して獲物を捕まえる途上だった。


 第二小班のいる場所をあらかた爆破した操術士たちの一行は、再び西へ移動を開始する。足止めは失敗したが、まだ諦めるには早い。

 獲物の行動の意図に、リゼルは思いを巡らせた。


 ――やつらは何故、この道を戻ってくるのだ。どこかで道を折れて、北上する気か?


 征圧部隊の本格的な進軍が、北と西から始まっている。これ以上、ここに留まっていては、仲間に撃たれかねない。

 リゼルは最後の捕獲ポイントとして、丘の登り口を選んだ。涼一たちの目的地、伏川神社へ登る場所だ。

 狙撃兵四人、突撃兵四人、計八人の臨時特殊部隊が、標的を待って闇に身を潜めた。


 捕獲対象者には、操術士と戦輪使いがいる。魔弓は一度直撃を当てたため、もう使えないのではと期待された。

 いずれにせよ、どれも攻撃時に魔素を纏うため、追魔の弓が有効だ。

 狙撃班員は、いずれも対術式矢を装備して敵を待ち構えた。


 まずダメージを与え、その後、突撃兵で抑える。

 少兵での戦闘になるので、初手が重要である。黒壁に囲われた前方の暗闇に、狙撃兵達が目を凝らした。

 牽制は必要無い、引き付けて、当てる。


 ――来た! 


 リゼルが待つこと数分、道の先に揺れる影を認める。遮蔽物に隠れながら進んで来る数は、全部で五つ。

 追魔の矢を二斉射、敵が術式で迎撃しようとすれば、それを矢は追尾する。これを三回繰り返し、相手の継戦能力を奪う。

 五つの影が、全て同時に遮蔽物から出る好機を彼は待つ。


 ――まだだ、標的が揃っていない……。


 影ははっきりと人の形になり、狙うべき脚もこの距離なら外さない。標的たちが足を早め、道の真ん中に寄ったのを見て、リゼルは号令を下す。


「撃てっ!」


 四本の魔矢が、銃の弾丸のようにほとんど水平に射出された。これだけでは不十分だ。

 初弾が到着する前に、さらにもう一斉射が放たれた。

 しかし、最初の四本は目標に着弾せず、到達寸前で何かの力でグニャリと軌道を変えられてしまう。


「防御壁だと!」


 次の四本も、途中から大きく逸れ、フラフラと迷走して飛び去る矢まであった。

 リゼルは最初、防御の術式を疑ったが、それならば術式の壁に矢が当たるはず。

 放たれた矢は、軌道を狂わされている。目標を見失ったように――。


「この光!?」


 未だ周辺を漂う光の粉の存在に、リゼルは思い当たった。

 涼一が発動させた、“魔花の術式”は、各種術式の“色”を帯びた光を散布し、追魔の力を封じていたのだ。


「操術士の狙いはこれか! 全員、通常矢に持ち替えろ!」


 リゼルが命令を言い終わる前に、部下の潜伏ポイントが爆風に襲われた。


「ぐああっ!」


 第二小班を攻撃していた爆発の正体を、リゼルたちも思い知らされる。遠距離攻撃の不利を察知し、突撃兵が敵に向かって走り出した。

 彼らを援護するため、リゼルは通常矢で敵前列を射る。術式が使えなくても、彼の弓の腕は部隊でトップクラスだ。

 矢は見事に敵の脚を貫き、操術士は膝を折って前方に勢いよく倒れた。


 その操術士を庇いながら、リザルド族が反撃に転じる。男の投げた投擲矢によって、最初に突っ込んだ突撃兵が首を貫かれた。

 それを見た仲間は、追撃を避けようと左右に散る。

 直後、奥に控えていた敵の手に、魔弾の赤光が淡く浮かび上がった。


 ――マズい、相手は魔弓をまだ使える。


 突撃兵一人が、瞬く間に魔弾の餌食となった。


「一度退く! 後方に狙撃場所を確保!」


 魔弾の範囲から逃れることを選択し、残る部下にリゼルが叫ぶ。

 味方三名を無為に失ってしまったことを悔いれど、もう遅い。

 ガチャガチャと装備を鳴らすうるさい音が聞こえる。征圧部隊が、ついに近くまで侵攻してきたのだ。


「ここまでか……」


 初任務の失敗が濃厚となり、狙撃班長は暗澹あんたんたる思いであった。

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