4. 脱出

034. サイクリング

 “消火の術式”の威力は凄まじく、神社ルートの火災は、一度完全に鎮まってしまった。

 その後も火炎弾の投擲は続いているものの、泡が残る内は延焼が防がれている。

 炎の消えた道路をハイツへ急ぎつつ、涼一は若葉から現在までの状況を聞かされた。


 電波塔ルートは、アカリの神社ルートと似た経緯を辿った。罠は上手く作動したが、火炎弾の投擲で今は炎上中である。

 素早い退避に成功したので、若葉は無傷だ。逃げられたのは、電波塔の上からヒューの援護があったからだと、彼女は説明する。

 なんでも彼は若葉を狙う敵兵を、高所から何人も倒してくれたそうだ。その方法は、涼一にはさっぱり推測できないが、リザルドの男に心の中で礼を言った。


 南伏見ハイツにも火炎弾は届いており、上層階から道路まで火の洗礼を浴びていた。

 火球が建物へ突き刺さっていく様は、ミサイル攻撃を受けているようだ。

 住民の一部は地下駐車場に入らず、屋外で状況を監視していたらしい。彼らは火と瓦礫の雨に晒され、かなりの被害を生む。

 生き残った住民は、予想より少ない七十人強。火投機が、最後に人数を減らしてしまっていた。


「それで、お前はどうやってここまで来たんだ?」


 涼一は、並走している山田に尋ねる。


「兵が来るのを見て、みんなで学校方向に逃げたんだよ。そっちも兵士だらけだったんだけどな……。なんとか学校前まで行ったら、アレがいたんだ」

「アレ?」

「虎だよ、虎。あいつら、ちょっかい出したらしくて、大暴れしてやがった」


 帝国兵も、虎には手を焼くようだ。魔石や矢で応戦していたと言うが、虎を仕留めた様子はなかったと言う。


「そのどさくさに紛れて、逃げた。後は真っ直ぐ南へ進んで、若葉ちゃんに遭ったわけだ」


 山田が若葉の方を見て、ブサイクなウインクを決めた。

 トラップが発動したあと、山田は彼女について行き、道中これまでの涼一側の経緯を聞く。

 レーンも若葉の退避を助けてくれており、罠に掛からなかった弩弓隊は魔弾の餌食にされたそうだ。

 今は火炎弾を避けつつ、突入してくる敵がいないか周辺を警戒している。


「コンビニにいた他の連中は?」


 涼一に質問されるのは予想していただろうが、山田は答えづらそうに顔を背けた。


「学校前までは、一緒だったんだよ……。逃げるのに必死だったからなあ。小関たちとは、バラバラになっちまった」

「先生は?」

「……歩いてった」


 涼一が、どういう意味だと彼に問い質した。


「目を離した隙に、兵の溜まってるとこへ歩いてった。学校でバラけたのは、それもあってだよ。隠れてたのを敵に見つかったからな」


 涼一は、天を仰ぎそうになる。危うい人だとは思ったが、そこまでとは彼の予想を超えている。


「お喋りはそこまで、お兄ちゃん」


 火炎弾を避けながら会話する兄たちを、若葉が呆れ声で制した。

 彼女は駐車場の入口を指し、到着を宣言する。


「さあ、着いた。脱出準備よ!」


 陽は沈んだ。脱出の刻限だった。



 地下の駐車場へ下りた先には、佐藤が立って涼一たちの到着を待っていた。


「待ちくたびれたぜ」


 住民たちは過酷な退避行を経たせいで、皆一様に憔悴している。


「みんなに脱出計画の説明はしたのか?」

「おう、全員その気になったよ。このままじゃ殺されるのは、身にしみたからな」


 それを聞いて、涼一は地面に座り込んだ住民たちの前へ進み出た。


「みなさん、聞いてください。今から南に、煙幕を張ります。横の駐輪場を抜けたら平原が広がっているので、煙に紛れて全力で走ってください」


 ここで一度、彼は全員の顔を見回す。

 この計画自体は既に佐藤が伝えていたものの、詳細を知りたいと、たまらず質問がされる。


「平原は安全なの?」

「いいえ」


 涼一が即答したことで、住民たちは一斉にざわめいた。


「南には、街を囲んでいる兵士がいます。そこを抜けても、野生動物のいる荒野です。危険なのは確かですが、それでもここで待つよりはいいと思う人は、脱出に参加してください」


 改めて危険を宣告され、人々は口々に不安を吐き出す。だが佐藤の言う通り、既に覚悟は決めていたようだ。

 先の質問をした若い母親が、落ち着いた口調で答えた。


「わかりました。ただ待つだけはイヤ。脱出に賭けます」


 彼女は隣の子供の手を、強く握り締める。

 涼一へは、この後も何人かが手を挙げて質問を続けた。

 花岡という男性からは、街の外にいる動物について尋ねられ、レーンから聞いた内容を伝える。最も危ないのは剣虎だろうが、これはそうそう出食わす相手ではない。

 花岡と行動を共にしてらしい隣の男は、平原のさらにその先の状況を知りたがった。


「荒野を抜けられれば、安全なのかい?」

「東に向かえば、森が広がっています。フィドローンという王国で、街に来た帝国兵とは敵対的な勢力です。確証は出来ないけども、いきなり攻撃してくるようなことはないでしょう」


 これもレーンの受け売りではある。しかし、彼女のこれまでの言動から考えて、涼一は王国は帝国よりも友好的だろうと信用していた。

 新たに得た情報を元に、住民たちは思い思いに自分の心情を吐露する。出来るだけ固まって東を目指そうと、何人かのリーダー格が皆の意志をまとめていった。


 話が一段落し、彼らが再び静まるのを待って、涼一がこれからの手順を説明する。彼の言葉を聞き逃すまいと、住人たちはこれまで以上に真剣な表情だ。

 説明が終了すると、もう涼一へ質問する者はいなかった。





 マンションの南、ゾーンの境界線近くまで、涼一たち先発隊が進んで行く。彼らの仕事は、まず脱出を援護する煙幕を張ることである。

 涼一たちに山田も加わり、計六人が建設中の障壁近くで煙を発生させ、また一度ハイツまで戻ってくる手筈だ。


 火炎弾の爆音は、しばらく前から消えており、逆に嵐の前の静けさのような不穏な雰囲気が漂う。

 電波塔から帰ってきたヒューによると、火勢が弱まるのを待って、征圧部隊が侵攻を再開するつもりだろうということだった。


 涼一は地面に発炎筒を並べ、各自に分配する。トイランドの駐車場で、車に備えられた物を失敬したやつだ。

 割った火炎の魔石がガムテープで筒にくっつけてあり、これを起動用に使う。

 まだまだ術式に慣れない涼一たちでは、いきなり本体を発動させるのは危い。暴発させるのを防ぐ仕掛けが、この魔石だ。


 全部で九本、その内のまずは六本を、若葉、アカリ、山田が二本ずつ受け持つ。

 残り三本は予備で、涼一には別に投げたい物があった。

 レーンとヒューは、彼らを擁護するのが仕事だ。


「ここから南に限界まで走って、発炎筒を一本投げる。投げたら、また全力でここに戻ってくる」


 手順を再確認する涼一に、若葉たち三人が頷く。


「煙が足りなかったら、二本目も投げる、いいな?」


 了解だと、全員が理解したのを見て、涼一はレーンへ顔を向けた。

 煙幕発生後、彼女とヒューは彼らと合流せず、街の南東へ移動することになっている。住民と涼一たちの脱出ポイントは違うからだ。

 レーンに異論が無いのを見て、涼一は自転車へと歩み寄った。


 脚力に自信のあるヒューたちはともかく、現代日本出身の四人には長い走行距離となる。

 少し楽をさせてもらうため、駐輪場にあった自転車も四台用意し、鍵は術式で破壊した。

 少々やり過ぎて同数以上の自転車が吹っ飛んだが、文句を言う所有者はもういない。


「コケそうなら、自力で走れよ」


 昼に見た荒れ地の様子からすると、上手く走れるかは微妙なところである。ぶっつけ本番で行く。


「始めるぞ!」


 涼一の掛け声で、荒野のサイクリングが開始された。

 レーンとヒューは左右に別れて駆け出し、四人の走行音が平原に響く。


 ――悪くない。


 タイヤから感じる硬い地肌に、涼一はほくそ笑んだ。

 岩や窪みにさえ気をつければ、包囲網を突破したあとも自転車を使えそうだ。幸運に喜びながら、彼はレーンから受けた説明を思い返す。


 ゾーン境界線から出て最初に通過するのは、木杭や柵が点在する防衛陣地だ。これは転移の直後、仮設置されたものらしい。

 その奥に、帝国の障壁部隊が展開している。作りかけの土壁が、それだ。


 発炎筒は障壁部隊の近くで発動させたいが、かと言って、近づき過ぎれば攻撃される。防衛陣地辺りで折り返すのが無難だろう。

 若葉とアカリはそこを投下目標とし、男二人が限界まで遠くへ放り込む予定だ。


 涼一の投げる物は、自動車にあった発炎筒ではない。学校の職員室から拝借してきた、防災訓練用の発筒だ。

 文字通りこの発煙筒は、煙を発生させるのに特化しており、多大な効果が期待できた。

 四人は横に大きくスペースを取り、自転車で並走する。今のところ速度も上々で、脱落者はいない。

 ゴーと響く車輪の音が耳障りなため、隠密行動は不可能と思われた。


 涼一は思い切ってスピードを上げ、他の三人を数車体分、引き離す。その様子を見た山田もすぐに加速し、彼の右横へ追いついた。

 こんな時まで対抗心を燃やすかつての級友に苦笑いしながら、涼一は前方の地面を注視する。


 ――見えてきた。木の柵だ。


 後輪を滑らせ、彼は自転車を横向けに急停止させた。ザーッと立ち上る砂埃が収まる前に、発煙筒を構える。

 敵兵の動きは無く、防衛陣地には存在しないようだ。

 涼一は左手を挙げて、皆に投擲の合図を送った。


「ツいてる、敵がいない。さっさと投げて帰るぞ!」


 発煙筒に貼り付けた魔石を発動させると同時に、思い切っり前へ缶を投げる。

 弧を描いて飛んで行ったスチール缶は、地面に落ちるとカランカランとけたたましい音を立てて転がった。

 すぐに地面を蹴り、街へ自転車を向ける。

 必死でペダルを踏みつつ、一度だけ振り返った時には、既に濛々もうもうとした煙が発生していた。


 防衛陣地を越えたずっと先から、警告の笛の音が響く。兵は土壁の辺りに駐屯しているようだ。

 壁から矢が飛んで来るかと警戒したが、特に攻撃されることも無く、四人は境界線まで戻った。

 一番乗りで帰還した山田が自転車を降り、二番手の涼一へと興奮して駆け寄る。


「おい、見ろよ。スゲーぞ!」


 山田は壁の方を指していた。改めてそちらに目を向けた涼一は、唖然とする。


「おいおい、あんなに出るのかよ」


 発煙筒は、夜空でもくっきりと際立つ厚い煙の層を形成していた。地上に雲が降りてきたように。

 雲は障壁前の風景を覆い尽くし、白く塗りつぶした世界に赤い点がポツポツと光る。


「赤い光が自動車のやつだな。涼一のほどじゃないけど、あれも効果はあったぜ」

「防災訓練用が、桁違いに凄いってことか」


 通り抜けるのも大変そうなこの煙幕も、決してやり過ぎではないと涼一は思う。できるなら、南全部を雲で覆いたいくらいだった。

 帰還した涼一たちの元に、駐輪場を通って住民たちも前に進み出てくる。

 先頭に立っていた佐藤が、彼らを鼓舞するように叫んだ。


「よし、成功だ! 全員あの煙を目指して走れ!」


 その声に、一人、二人とスタートを切る。一人で走り出す男、手を繋ぐ二人組の男女、涼一たちのような自転車組もいた。

 彼らを見送る佐藤へ、神崎が血相を変えて駆け寄って来る。


「佐藤さん、敵兵です! ここへ向かっているようです」


 雷獣の術式がようやく治まり、征圧部隊の尖兵せんぺいが最南端まで詰めてきていた。

 逃げる住民をギリギリまで自分たちで処理・・しようという、失策を続けたマルテ隊長が命じた最後の意地だった。


「神崎、お前は行け」

「佐藤さんは!?」

「お前の気にすることじゃねーよ」


 そう言って、佐藤は追い払うように、手をヒラヒラとさせた。

 躊躇ためらうギガカメラからの部下を無視して、彼は涼一へ向き直る。


「てめえらも行けよ」

「……ありがとう」

「ふんっ、お前のためでもねえ」


 それは佐藤の本心だろう。

 自分たちを逃がすためではないことは、涼一も薄々勘づいた。であっても、彼は彼のやるべきことをするだけだ。


「レーンと合流するぞ」


 仲間たちと共に、涼一は街の南東へと急いだ。

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