033. 泡
新たに南部制圧作戦の指揮を任じられたマルテは、部隊を三つに分け南下させた。彼らはさして警戒もせず、涼一が罠を仕込んだ三ルートを進む。
真っ直ぐに南下する針路をとったのが本隊で、マルテ自身が率いていた。歩兵が主体の中央隊は、街を縦に貫く
左右には砲撃部隊が配備され、中央の侵攻を支援する。
夜までに完遂せよ、と急かされた結果、スピードを重視して組まれた編成だった。
住民たちの動きは単純で、三つの集団に固まって逃げていると前線から報告された。
術式で反撃する者は少数、いくらか味方に被害は出ようが、数で圧倒すればいい。そう彼は楽観する。
何より、中央拠点で檄を飛ばす司令官が圧殺を望んでいた。
これは征圧部隊の力を過信した故の失策だろう。焦りかもしれない。
“磁場の術式”で受けた攻撃を、もう少し慎重に勘案すべきだった。
南下する部隊の動きこそ単調で、索敵もロクに行わなかったため、
このゾーンで最も背の高い建築物が、征圧部隊の前方に迫る頃、音爆が彼らの頭上で炸裂する。
合図――何のための? 部隊後方で指揮を執っていたマルテの疑問は、すぐに氷解した。
隊の最前列に閃光が見えたかと思うと、瞬く間に後列へと光の筋が繋がっていく。
「何だあれは……?」
こちらへの解答を出すには、伝令兵を苛々と待ったため、しばらく時間を要した。
やっと報告を聞いたところで、使われた敵の術式はマルテの理解を超えている。訳が分からないと、部下の制止を振り切って前に出ていった彼は、眼前に広がる光景に言葉を失った。
自分の眼で見ても信じられるものではない。
「危険です、下がってください!」
電撃がマルテへも届こうという寸前、部下が咄嗟に身体を後ろに引いて助ける。
魔道兵による雷撃は、即座に消えてしまう術式だ。だがいつまでも残る電気の光に、マルテは指示を出すことも出来ず、立ち
自分の部隊を構成する歩兵たちが、地に縫い付けられた挙げ句、葬り去られていく。
兵の報告に、彼はようやく自分を取り戻した。
「前の部隊が全滅です、三班を失いました!」
「この一瞬で……! この光は単なる雷撃じゃない、魔素そのものだ。それも異常な量の」
「もう前進は無理です。どうされますか?」
「隊を組み直すぞ。左右の別働隊へ、援軍要請を伝えよ。追撃が来るかもしれん、残る盾兵を防壁にして一時退却する」
急ぎ馬で駆け去る兵と入れ替えに、左右のルートを進軍していた隊からも伝令二人が到着した。
「東侵攻隊、歩兵隊が全滅です!」
「西侵攻隊、歩兵隊と弩弓隊を失いました!」
甚大な被害に、マルテはまたも動きを止めそうになる。
「……魔導隊は?」
「後方にいた部隊は無傷、投擲機も無事です」
「そうか。では、方針変更だ。一旦、進軍を停止し、その場から砲撃せよ。目標は、あのデカイ建物だ」
「はっ!」
左右隊にも砲撃を伝えに行く兵たちに、彼は指示を付け加える。
「魔石は全部使用して構わん。ゾーン南端を焼き払え!」
中央拠点から歩兵が増派されるまで、突撃は不可能となった。閣下の希望には添えないが仕方あるまいと、マルテは次善策を採る。
砲撃に追われて荒野に抜けた住民は、障壁部隊が片付けてくれるだろう。そうは思うものの、彼は増援要請を聞いた将軍の顔を想像すると、身震いを抑えられなかった。
日没は、もうすぐだ。
ゾーン内部の制圧戦は、ここに大詰めを迎えていた。
◇
避難してきた住民は、既に全員が南伏川ハイツの地下へ隠れたらしく、道路には彼以外の姿を見かけない。
マンションの前まで戻ってきたところで、彼は迷った。分岐する左右の道。そのどちらへ援護に行くべきなのか?
妹だけを優先、とも割り切れない。
彼の決断を助けてくれたのは、レーンだった。神社側から走ってきた彼女が、止まらずに叫ぶ。
「アカリがこっちに向かってる、迎えてやって」
レーンはそのまま電波塔に向かっている。
「ワカバは私が見に行く」
「頼んだ!」
場慣れした彼女なら、妹を託すのに適任だ。自ら駆けつけたいという思いを封印し、ここは優秀なレーンを信じることにした。
涼一自身は、分岐路を東へ向かう。アカリのいる神社の横まで、左折を一度するだけの一本道である。
途中、小さな息子と連れ立った父親を見かけ、彼らにもハイツ地下を目指すよう進言した。
元々南部に住んでいた者には、状況が理解できていない人間もいるようだ。だからと言って、隠れる者を探し、今から家を見て回るのは無理な相談である。
親子連れを頭から振り払い、曲がり角に差し掛かった涼一は、カーブミラーを支えにして立つ目的の少女を見つけた。
「瀬津、大丈夫か!」
「涼一さん!」
彼女は左足を痛めたらしく、消毒液を噴きかけているところだった。
ふくらはぎの辺りが破れ、ダメージジーンズのようになっている。
「発動に時間が掛かって……矢がかすったんです」
「歩けないのか?」
「ううん、大丈夫。ちょっと痛いけど」
笑って答えたアカリだが、まだ左足を
涼一は彼女の手を取って、右肩を貸した。
「みんなと合流しよう。そろそろ脱出時間だ」
「はいっ」
彼女は涼一につかまり、左右に揺れながらもバランスをとって走り出す。
なんとかなりそうだと、涼一は空を見上げた。
太陽はビルの裏側に隠れようかというところで、あと十分もすれば暗くなるだろう。避難民に発破をかけて、街から出るよう決意させなくてはいけない。
先ほど会った親子が道の先に見える。子供のペースに合わせて、ゆっくりと歩いているらしかった。
彼らのような足の遅い者は、脱出を渋るかもしれず、説得の仕方には注意が必要だろう。
これからの手順を涼一が頭の中で確認している時、目の前に眩しい光が落下してきた。
「なんだっ!?」
道の先が真っ赤に染まり、前にいた親子連れが消えた。
瞬時に生まれた炎の厚い壁が、涼一たちの行く手を阻む。
二人は火を迂回し、僅かな隙間をすり抜けようと試みるが、またしても間近に光る球が落下してきた。
小さな隕石を思わせる燃える球が、家を、道路を、デタラメに爆撃していく。
敵の無差別爆撃だと、涼一にもすぐに見当がついた。この辺り一帯を、火で一掃する気だ。
火炎が完全に道を覆う前に抜けないと、自分たちも身動きが取れなくなってしまう。
火炎の球の威力はライター並で、直撃すればマキローでどうこうできる怪我で済みそうもない。
道路脇に吹き飛ばされた小さな遺体――もはや人の
「瀬津、駐車場まで走るぞ」
「は、はいっ」
刻限も迫っている上に、この火球を避けられそうな場所はそこくらいのものだ。涼一は、強行にハイツを目指すことにする。
アカリを抱えてでも走り抜けてやる、そう決めた瞬間、彼の真横で火炎が炸裂した。
火炎弾投擲機は投火機とも呼ばれ、攻城用として開発された帝国の最新兵器である。
増爆の術式を仕込んだ核を、火炎の術式の外殻で包んだ弾を使用している。弾はカタパルトで投射され、標的を火炎で
安価な兵器ではないが、ゾーン征圧部隊には計十機が引き渡されていた。
「涼一さん……重い」
「あ……」
至近に落ちた火炎弾の爆風によって、涼一は真横に吹き飛ばされる。
民家の玄関前へ顔からスライディングして倒れ、麻痺した五感では頭を起こすのも難しい。
アカリの声が届いたことで、彼にもやっと現実感が戻ってくる。偶然ではあるが、アカリを庇うように抱えて飛んだため、彼女は涼一の下敷きになっていた。
「顔が……」
「ん……?」
彼の顔に膜を張るように、淡い光の粒子が舞う。
爆炎で焼け爛れていた涼一の横顔は、光が消えるとともに、煤汚れだけを残して回復した。
緊迫した状況にもかかわらず、アカリはその不思議な現象を最後まで見守る。
彼女から体をどけた涼一は、アカリの怪我を調べつつ尋ねた。
「すまん、足の調子はどうだ?」
「平気。痛いとこが、他にも増えたけど」
アカリはなぜか残念そうな顔で微笑む。
涼一が盾となったおかげで、彼女はさほど爆風を浴びていない。火炎弾による被害が打撲と擦り傷だけなら、ほぼ無傷と言っていい。
彼も体を起こし、手足の動きを確かめるが、行動に支障は無さそうだ。痛みもあっという間に消えた。
この超回復も二度目となると、彼の勘違いとは思えず、何らかの理由で回復力が増大していることが疑われた。
道路はもう一面の火の海となっており、ゆっくりと彼の能力について考察するのは後回しにすべきだろう。何よりもまず、このピンチを切り抜けなければ。
超回復が可能である、それを前提とすると、涼一だけなら無理やりに炎を突破できそうだった。
ただそんな手段を取れば、アカリが耐えられそうにない。
火炎弾が、さらに一発、向かいの家に落ちた。
屋根を突き破り、割れたタイルやガラスが撒き散る。アカリの前に立って、破片から彼女を守りつつ、涼一は必死で二人が助かる方法を考えた。
――一人で助けを呼びに行くべきか……誰を呼べばいい。二人とも助かる方法は?
アカリは平気そうなフリをしていても、立つと同時に腕へしがみついてくる。
薬を飲みながら突っ切る? 水を生む遺物はないか? 考えのまとまらない涼一の耳に、よく知る声が届いた。
「お兄ちゃーん!」
「若葉か!? ここだっ!」
「お兄ちゃん!」
火炎越しに、姿の見えない妹へ窮状を訴える。
「火が回って、脱出できないんだ!」
「待ってて!」
――妹には、何か策があるらしい。水だろうか。何にしろ、急いでくれ。
手をこまねいていると、助けに来た若葉も危険だ。
ほんの
火炎の海が、得体の知れない白い波に呑まれて行く。
「泡?」
「みたいですね。火が消えていきます」
涼一もアカリも、この不思議な現象に面食らった。
どこかファンタジックな、白く不透明なあぶくの波だ。彼らの周りにまで押し寄せた泡に、二人は手を触れてみる。泡には違いないが――。
「――これは術式だ。魔素で光ってる」
「綺麗ですね……」
“消火の術式”、幻想的に見えたのは、泡が自ら発光していたせいだった。
「一体どうやって……」
アカリを支えながら、涼一が若葉の声がした方に進み出る。
その答えは、場違いな陽気さと一緒に、泡を掻き分けてやって来た。
「タイミングはバッチリだっただろ、涼一?」
若葉の隣にいたのは、いつも通りの笑顔を見せる同窓生だ。
「山田、無事だったか」
「重いの我慢した甲斐があったぜ」
再会した友人の手には、使ったばかりの消火器が握られていた。
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