030. 挑発

 征圧部隊の指令所、ゾーン北方の大テントでは、ド・ルースが内部に突入した部隊の報告を受けていた。

 進攻開始より四時間が経ち、順調に推移すれば日没前後に作戦は完遂されるだろう。

 だが、ここにきて、前線の魔導兵部隊が全滅したと聞き、彼は訝しそうに眉を上げた。


「全滅?」

「はっ、上級魔導兵十六名を失いました」


 これまでのところ、最初の会敵を除いて、ゾーン内にまともな抵抗戦力は存在しなかった。

 散発的な反撃をされたところで、いまさら牽制班を丸ごと失うのは予想外だ。


 彼の前には、ゾーンで回収された武器が並んでいる。術式弾を発射する遺物は、帝国兵では扱えなかった。

 威力は相当なものと報告されてはいても、ド・ルースにはどうにも魅力に乏しく見える。褒賞として賜った腰の剣と比べても、玩具のようだ。

 大方、初めて遭遇する武器を相手に、対処を誤ったというところか。彼は傍らに控える参謀へ、現況を確認した。


「北部の制圧は完了したな?」

「はい、地図の作成を急がせているところです。既に主要地点に兵を配置し、中央に拠点を建設しました」

「では、少し楽しませてもらうか。鼠狩りの仕上げだ」


 彼は何より、戦場が好きだった。

 駐屯地より戦場が。指令所より前線が。


「馬を用意しろ。ゾーン中央に、わしも移動するぞ」

「了解しました」


 部隊司令の命を受け、兵が指令所を飛び出す。

 周りの兵より頭一つ大きい巨体を起こし、ド・ルースは愛馬に向かって歩き出した。






 ゾーンの北半分では、あちこちに大火が発生している。兵の移動用に残された道路以外は、瓦礫と死体の山で埋められた。

 転移翌日の朝も酷い様相だったとは言え、ビルや家は健在だったことを考えると、現代日本らしい伏川町の面影は急速に失われつつあった。


 中央部、ギガカメラからドスバーガーにかけて、帝国兵が列を成す。少し南に対術式部隊が展開し、最前線の盾を担っていた。

 ギガカメラに近い交差点にはいくつも野営テントが建設中で、最も大きなものが征圧部隊の内部指令所である。ここはちょうど、佐藤たちがバリケードを築いた場所だった。

 指令所へ馬に乗った指揮官が到着し、彼を迎える下士官たちが整列する。歓迎などいらんと吠えたド・ルースは、すぐに部下を仕事に戻らせた。

 唯一、内部拠点の統括責任者である大隊長だけを残し、現場の状況を再確認する。

 これがド・ルースの部下として初めての仕事となるマルテ大隊長も、ゾーンへ派遣されるのは三回目であり、手順に沿って粛々と制圧を進めていた。


「進攻に支障は無いか?」

「はい。牽制小隊への攻撃のあとは順調です。住人たちは全員、南下を始めました」

「よろしい。では、全軍で南端まで進軍せよ。総仕上げだ」

「はっ、了解し――」


 マルテの返事は、突然の衝撃で掻き消されてしまった。

 ズカーンと尾を引く爆音が響き渡り、テントの天幕が細かく震動する。

 音の方向へ顔を向けた二人は、最前線を担う対術式部隊の辺りで、激しい土煙が巻き上がるのを目撃した。





 ド・ルースが巨馬にまたがってゾーン内を進んでいた頃、涼一も独り中央へ向かっていた。

 征圧部隊を相手にするにしては、今彼が持っている遺物は少ない。大半はトラップ用に残してきた上に、あまり敵に種ばらしもしたくないと考えたからだ。


 有るのは佐藤にも渡したライターが少々と、それを撃ち出すスリングショット。逆に佐藤からは、魔導兵から回収した火炎の魔石を貰った。

 遺物と比べると貧相な威力しか出せない魔石ではあるが、彼にすれば“弱い”術式はありがたい。ライターの発動は、これでぐっと楽になるだろう。


 佐藤と会った場所から北上すると、盾を構えた敵の前線が見えてくる。

 欧州風の鉄鎧に、身を隠す大きな盾。後ろには弓兵も控えているのが、盾の隙間からでも窺えた。

 ヒューの話では、あの盾は触れた魔素を吸収する能力があると言う。鉄に魔石粉をコーティングした厄介な代物だ。

 トイランドでさらえた商品の中に、対抗策になりそうな遺物があって助かった。


 盾隊の前は直線道路で、真正面から接近すればすぐに発見されてしまう。涼一は狭い裏路地を通り、少しずつ北へ進んだ。

 最後は、レストランの勝手口から店内に入り、その中を移動することで距離を稼ぐ。

 洋食器が散乱する床を静かに歩き、入り口から外へ飛び出せば、守備隊まで七十メートルという地点にまで近づけた。


“目的は機能を規定する”


 レーンの言葉を頭の中で繰り返しながら、遺物を握り締める。トイランドで手に入れたのは、教育用玩具の永久磁石である。

 望む結果を出来るだけ鮮明にイメージしながら、彼は全力で通りを駆けた。

 自分たちへ走ってくる姿を確認した盾兵が、味方に警告を発する。


「前方に敵、一人だ!」


 帝国兵は多数、ここは先手を取りたい。

 スリングショットを構えた涼一は、磁石を弾受けにセットする。彼の手元を観察できれば、指先に青い光が集まるのに気付いたことだろう。


 敵まで六十メートル、目標は敵兵の足元辺り。

 彼は短い棒状の永久磁石を、やや下向けに、道路を転がすように撃ち出した。

 コツン、コツンと磁石は路上を滑走し、兵の一メートル先で止まる。


 盾兵は彼の不可思議な攻撃に戸惑ったものの、後列は構わず矢を射掛けた。

 たとえ爆発物であっても、大盾が防いでくれるという判断だろうが、ゾーンで戦う兵としては常識に囚われ過ぎだ。


 磁石は瞬時に魔法陣を構成し、円い文様が地上に描かれる。紫色のアラベスク模様のような複雑な線描が、複数の同心円に絡んで浮かんだ。

 自分が放つ術式が、ハッキリと魔法の形を取るのを見たのは、涼一にとって初めての経験だった。

 思わず立ち止まって、敵前にもかかわらず成り行きを見守ってしまう。


 本来ならそんな涼一を貫いたであろう矢が、発射直後に地に叩き落とされた。

 カンカンと硬い音を立て、十二の矢尻がアスファルトに貼り付く。何が起こったのか、兵たちが理解できない内に、超常の効果は彼らをも襲った。

 矢の次には盾が、兵ごと倒れ込んで磁石へと引き摺られる。魔法陣に近い物ほど、強烈な引力が働き、盾は兵の手を離れて一点に重なっていった。


 盾は魔素を吸い込み、いくらかは磁石に抵抗したため、兵には逃げる猶予が生まれる。

 その貴重な時間を、盾を取り返すことに使ったのは、愚策もいいところだった。


「うぉっ、体がっ!」


 ついに盾兵自体が、その着込んだ鎧が、前方へ引っ張られ始める。癇癪を起こした子供が人形を床にぶちまければ、ちょうどこんな光景になっただろう。

 兵の身体は為す術無く、魔法陣へ吸い付けられた。


 さらに愚かなことに、後列で陣の影響が少なかった弩弓兵は、次の斉射を放った。

 まだ煌々と光る紫の術式は、再び地面へと矢の行き先を捻じ曲げる。

 リピート再生したように同じコースを辿った矢は、倒れた盾兵を襲った。


「ああっ!」

「よせっ、撃つな!」


 盾兵の何人かは、鎧の継ぎ目、関節部に矢が突き刺さる不運に見舞われる。鈍い銀色の光沢に混じって、赤黒いまだらが飛び散った。

 兵たちが混乱する間に、やるべき仕事を思い出した涼一は懸命に走る。


 敵まで二十メートルと迫った瞬間、奇妙なオブジェと化した鎧と盾の混合物へ、彼はありったけのライターを投げ付けた。

 発動はしていないため、ライターはただ地面にばらばらと落ちる。


「盾で吸い込んでみろよ。できるならな」


 身動きがとれず、ジタバタと狼狽する兵たちは、声の方向へ必死に目だけを向ける。

 涼一の手に握られた物に気づくと、盾兵の顔が恐怖に歪んだ。


「やめろっ、やめてくれっ!」


 乞われたところで、今さら容赦する気はない。

 スリングショットが、火炎の魔石を撃ち出した。魔石は火を生み、ライターを誘爆させる。

 兵の絶叫が、街に反響した。

 その声すら焼き尽くさんと、灼熱の風が一画を漏れ無く撫でて回る。


 火と土煙の竜巻が、中央拠点の南に立ち上った瞬間だった。

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