024. レーンの誘い

 ドーン……ドーン……。


 トイランドを発ってすぐ、低い打楽器の音が遠くから響いてくる。

 応援団の叩く太鼓のようだが、今の伏川町で聞くと、もっと不吉なものを連想してしまう。


「軍の進攻の合図だわ」


 レーンの言葉が、その悪い予想を裏付けた。


「全域を見渡せる場所に行きたいわね。やっぱり、あそこかしら」


 彼女が視線を向けたのは、南伏川ハイツだ。

 この転移した範囲では、もっとも背が高い建物で、上階からなら視野も広く取れる。


 国道の先は転移円で途切れるため、途中で脇道に入った。

 この辺りは二階建ての住宅が並ぶ地区で、見通しが悪い。大きな火災はここでも発生したらしく、広範囲で建物が焼失していた。


 トイランドでも使用したマスクを、今回はレーンも含めて着用する。

 これで息苦しさは無くなるものの、目が煙たいのはお手上げだった。煙に加え、征圧部隊の動きに注意を払っていたため、レーンの索敵能力も減じてしまう。


 同行するならコミュニケーションが取れるようにすべきだと、ユキシロでレーンは女子高生二人にも念話の魔石を飲ませた。

 やっと会話ができることを喜んだ若葉は、道中、いくつも質問を浴びせたが、レーンの口は重い。

 妹も最後は世間話を諦めたようだ。


 フィドローンの少女は元々、無駄話をするタイプではない上に、この切羽詰まった状況では仕方がない。

 そんな若葉のせいではないのだろうが、この時、四人を尾行する者がいることをレーンも感知できていなかった。


 そのまま何度か交差路を曲がった先に、二十階建てのマンションが正面に現れる。

 空へ切り立つこの高層住宅は、ギリギリのところで境界線に削られるのを免れていた。

 北と南側にベランダが並び、東側に駐輪場、地下に駐車場がある。正面玄関の脇には、地下へ向かうスロープが続く。


「これを登るの?」


 若葉が不安げな声を出す。


「階段があるわ。屋上まで続いてる」


 レーンはこれで大丈夫と言わんばかりだが、妹の心配は、そこではない。

 さっさと先に進むレーンを横目にして、女子高生たちはヒソヒソとお互いの持久力に探りを入れ合っていた。


「お前と瀬津は、荷物番をしていてくれるか?」


 涼一に頼まれた二人は、階段登攀を免除されてホッとする。

 屋上へは、涼一とレーンの二人で登ることとなった。





 レーンは身軽にスイスイと階段を上って行き、十階を越す頃には、涼一でもついていくのが精一杯だった。

 若葉を同行させたら、悲鳴が上がったはずだ。


「王都に螺旋階段のタワーがあるの、同じくらいの高さのね。マリダを連れてったら、途中でヘタレて大変だったわ」


 彼女には余裕があるらしく、思い出話までしてくる。いや、これは涼一への警戒感を、少しは解いた証かもしれない。

 逆に、まだ妹たちをそこまで信用していないのだと思うと寂しくもあるが、レーンらしいとも思う。


 珍しい機会に、彼女に聞きたいことはあっても、涼一は生返事をするくらいしかできなかった。

 彼はフィドローンの風景を想像する。

 街の外みたいな荒れ地ではないだろう。森の国と言っていたか。

 古いヨーロッパを思い浮かべつつ、その予想に自信は無かった。


 屋上への階段だけは施錠されており、鉄柵をよじ登る必要がある。

 この最後の難関をクリアして屋上に到達した時には、彼の息はマラソン後のように荒れていた。


「リョウイチ、見える?」

「火事か?」


 レーンの視線は、街の北方に向いている。三か所ほど、火の手が上がっているのが見えた。

 昨晩から続く火事のことかと思った涼一が、トイランドで手に入れた安い双眼鏡を覗くと、ビルの間にいくつも閃光が瞬いているのに気づいた。


「あれは……帝国軍が?」


 双眼鏡に術式を発動させて遠視能力を高めようとするが、上手く行かない。

 自転車や箸を生まれて初めて使う時と同じで、理屈は分かっていても、力の制御ができなかった。

 練習さえすれば、楽に発動できる気配はあるのだが。


「典型的な包囲戦ね」


 典型的。彼女の頭にあるのは、かつてのフィドローンでの戦いだ。

 一定の方向から無差別に攻め、狙う場所へ敵を誘導する。帝国のやり方は変わらない。

 遺物の宝庫、ゾーンであろうが、焼き払う気だ。

 彼女は南方、アレグザの平原に振り向く。


「こっちが、逃げる敵の受け皿ね。陣地構築はあんまり進んでいないみたい。突破を急ぎましょう」


 涼一が街の外に双眼鏡を向けると、何やら建設作業をする兵の姿が見えた。


「術式と土木機械で、壁を作る気なのよ」


 そこで言葉を切り、彼女は改めて涼一に向き直る。


「一緒に壁を越えてくれる?」


 涼一の魔素を扱う潜在力は、レーンを遥かに上回っていた。

 術式発動の専門職、操術士と変わらないレベルだと認定され、涼一も言わんとすることは理解した。

 遺物・・を簡単に発動させるのは、この世界の人間には驚異的であろうと想像できたからだ。

 帝都の神官を頼らずとも、あなたならマリダを回復できるかもしれない。瀕死から術式で回復する、あなたなら――そう頼まれては、断りづらい。


 街から脱出するかは、レーンに尋ねられなくても昨夜から決断に迷っていた。

 伏川町を離れる、それはこの異世界で生き抜いて行く覚悟を求めてくる。レーンに直接頼まれたことで、やっと彼の気持ちも固まった。

 元の世界に未練なんて無い。気がかりなのは、あと一つだけだ。


「妹を放っておけない。あいつの返事を聞いてから、答えていいか?」


 彼女もそれでいいと、結論を出すのは待つことになった。若葉が街に残ると言うなら、涼一はそうするだろう。

 実のところ、若葉に念話の魔石を飲ませたのは、レーンからも説得したかったからだと言う。


「私から頼んでも、構わないでしょ?」

「別にいいけど、あいつは頑固だぞ」


 どこの世界でも妹は似たようなものね、そんなレーンの感想に二人は笑い合う。

 敵の出方を把握できたなら、次は帝国部隊の突破方法を考える番だ。さっさと地上へ戻ろうと、彼女は涼一を待たずに階段へ向かった。


 上りよりも軽快に、彼女は勢いよくマンションを下りていく。

 朝から歩きづめの上に、この登り降りである。涼一のふくらはぎも、不平をこぼしまくった。


 ――レーンに合わせたりしないで、俺も自転車を探せばよかったかな。


 嘆息しながら、彼は少女の後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る