022. ガルド・アイングラム

 魔導兵ヴェルダは、極度の緊張に晒されていた。


 ゾーン北の野外テントの中に、質素だが大きいテーブルがおかれ、上には作戦地図が広げられている。

 テーブルの回りには十の椅子が並んでいるが、彼が座ることはない。

 入り口近くで直立不動のまま、最奥の椅子に腰掛ける、金髪の涼やかな偉丈夫を注視した。


「――それで、敵は守備班隊長を矢で倒した、と」

「はっ、三つの矢を同時に放ち、障壁の術式を破りました」


 叱責を受けることは、覚悟している。

 事実、昨日の時点で、上官への報告を繰り返させられ、小言や嫌味をたらふく食らわされた。

 しかし、今日また本隊への報告をさせられるとは、予想外だ。

 目の前の人物は、自分のような小物と一対一で話す立場にはない。


「魔操槍の配備は、君の申請かね?」

「はっ、工兵の槍を、魔導兵で強化してやれると考えました」


 彼は冷や汗が出そうだった。味方のためとは言え、武装の変更は一兵卒の権限を越えている。

 巨大ゾーンはどんな危険があるか分からない、そう考えて、知り合いの装備担当者へ無理を通したのだ。


「面白い戦術だ。ご苦労。隊に戻りたまえ」

「はいっ、失礼します!」


 助かった。

 それどころか褒められる幸運に、ヴェルダは深く息を吐き出す。これなら左遷されずに済むと、明るくなった未来に喜びつつ、彼は脱兎のように退出した。





 魔導兵の報告を受けたガルド・アイングラムは、第三軍副司令官時代を思い出していた。


 ――揺らぎのローブ、三連の弓。フィドローンか?


 彼は平凡な貴族家出身ながら、将官の職まで登りつめた帝国軍人である。

 一時、上官、つまり正司令への不服従が問題となり、北方辺境守備軍の統括司令に左遷された。

 今回、帝都に呼び出され、アレグザ・ゾーン対策本隊の司令に急遽任命される。


 対策本隊司令の肩書は、本国の軍団司令と同位だが、軍規模の小さい不人気職位だ。通常の軍団指揮官から抜擢されることは少ない。

 旨味が無い割に、高い実務能力は要求されるため、難しい職位と言える。

 軍内では偏屈で反抗的、しかしながら、部下の信望と実績に優れるガルドは、任命権を持つ帝国上院にとって都合のよい人材だった。


 昨晩深夜に到着した本隊は、今朝から壁を構築中だ。

 対策部隊は、大きく三隊から構成される。

 ゾーン内外を封じるガルドの障壁部隊。

 壁や関連施設の建設を進める工作部隊。

 そして、今、魔導兵と入れ替わりに現れたド・ルースの率いる征圧部隊だ。


「そろそろ始めさせてもらうぞ、アイングラム司令」

「ああ、全域に兵が回れば、合図する。我々の目的が、遺物の確保だということを忘れんようにな」

「ふん、抵抗する者は、排除して構わんのだろう」


 名目では、ガルドが三隊の責任者であり、ド・ルースは副司令となる。

 しかし、彼の態度は、勝手にさせてもらうと言わんばかりだった。

 この戦闘狂め、そうガルドは苦々しく、帝国きっての武闘派の背中を見送る。


 上の覚えもよく、懇意の上院議員もいるド・ルースは、扱いにくい相手だった。大方、この任務で箔を付け、次の昇任への踏み台にするつもりなのだろうと思われる。

 この二人の任命には、上院議員のほとんどが賛成したという。唯一最後まで反対していたのは、術式研究所の所長だけだそうだ。

 実戦派の将官を任命したということは、迅速な制圧遂行が望まれてるということである。


 人がいなくなったテントで、彼は頭を後ろに大きく倒し、薄日の透ける天幕を仰ぎ見た。


 ――初めてのゾーン任務で出遭うのが、フィドローンの亡霊とは。皮肉な巡り合わせだな。


 机に置かれた帝国規定の司令帽を取り、短く刈り揃えられた金髪を納め直す。

 ド・ルースにせっつかれる前に、配兵だけは終わらせようと、ガルドは立ち上がった。

 側にいた副官に、よく通る大きな声で指示を与える。


「正午までに全域へ兵を配備せよ。司令部はこれから南に移る」

「はっ、了解しました」


 副官は駆け足で、部隊用の作戦厩舎に向かった。

 アレグザのゾーンは規模が大きいにも関わらず、対策部隊は通常の人員数のまま派遣された。ガルドには、そこが不安材料に思える。


 包囲戦を仕掛けるなら、全周から一斉にではなく、主力を固めて運用したい。

 ド・ルースの部隊で侵攻し、ゾーンを制圧しながら南下させる。障壁部隊は南部を厚くして、挟撃に持ち込む。

 作戦図を前にガルドが今後を検討している時、首席参謀のクラインが、工兵部隊との相談を終えて北部テントに戻ってきた。

 参謀が口を開く前に、先に司令が彼に尋ねる。


「狙撃班も編成しておきたい。隊長候補は誰だ?」

「リゼル・ゴースがよろしいでしょう」


 クラインの答えに、彼は満足した。その名は知っている。術式を扱う狙撃弓兵として活躍した者だった。

 彼の征圧部隊に配属されていたと知り、狙撃班への辞令書へサインする。

 リゼルの処遇が決まると、参謀は状況説明に移った。


「実戦部隊と工兵との連携に問題はありません。しかし、壁を後回しにしてよろしいので?」


 彼はガルドに就いて久しい、初老の熟練参謀である。

 司令への信頼は厚いが、ガルドが壁の構築を一時中断したことに疑問を持ったようだ。


「一度は建設を始めた、それが重要なのだよ」


 この答えを聞き、司令官の目的を推察したクラインは、なるほどと納得する。


「仕事はするさ。誰一人通さん」


 参謀を安心させつつ、ガルドはテントから出る。

 各所に向かう馬を見ながら、彼はこれから起こることに思いを馳せた。


 ――アレグザのゾーン、中から何が出てくる? 


 亡霊か、宝物か。

 それとも、見たことのもない魔物だろうか。


 平穏な辺境警備よりは退屈せずに済みそうだと、僅かに彼の頬が緩む。

 その視線の先には、ゾーンの街が黒煙と砂塵にくすぶっていた。

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