3. 蹂躙

021. 暫しの休息

 結果から言うと、剣虎はその後、警戒する涼一たちの前に現れることはなかった。

 大通りを東進し、ドスバーガーを過ぎる頃には、陽も完全に隠れて真っ暗になってしまう。

 カラスはきっちりと今夜も襲来し、彼らだけで撃退するのは厳しい状況だったかもしれない。


 無傷で駅前に戻れたのは、強力な援護射撃があったからだ。

 涼一たち以外にも生き残った住民はまだまだおり、彼らとて、いつまでも為されるがままに縮こまってはいなかったということである。


 たどり着いたコンビニは、もう酷く荒されており、店内の食糧は大方が消えていた。

 店員らの死体を嫌がった若葉たちのために、男性陣で外に運び出し、青いビニールシートで覆う。

 シートがめくれないように縁をブロックで押さえていったが、カラスの声も聞こえるため、作業は短時間で済ませた。

 荒らされるとは予想されても他にやりようがない。アカリや救出された大人たちは、シートに向かって手を合わせていた。


 全員が店の中に入り、扉を再び閉鎖すると、涼一たちもようやく一息つく。

 昼夜をこの世界で過ごし、一日の長さは地球とそう変わらないことが分かる。

 時計は全て止まっているので、正確な時間を知る方法がないが、夜の七時くらいだと思われた。

 前夜、ロッカーに隠しておいた食糧を配りながら、涼一が皆に提案する。


「扉の前に見張りを立てよう。交代でいいか?」

「それは大人が担当するわ。私たちは、ほら、たっぷり寝たから……」


 佐伯先生が、なぜか恥ずかしそうに言う。

 寝たと言っても、休息になっていたか微妙な気はする。それでも任せてくれと、若夫婦も涼一に頷いていた。


「それなら、お言葉に甘えるか」


 クタクタの彼には、正直なところ、ありがたかった。

 学生たちは思い思いの場所を確保して、縫いぐるみやバッグを枕に寝床を作る。先生と市役所の職員は、飲食コーナーに腰掛けて外を見張った。

 横になったものの、まだ起きている涼一の隣へ若葉がやって来て座り、耳元で囁く。


「お兄ちゃん、これからどうするの?」

「レーンの脱出を手伝いたい」


 恩もあれば、彼女の事情に感じるものもあった。


「ただ……」

「なに?」

「お前は帰りたいだろ?」


 もちろん、元の世界へ、だ。

 若葉はクスリと笑い、彼の鼻の辺りを指差した。


「戻り方、知ってるの?」

「ん、それは分からないが……」

「なら、お兄ちゃんを手伝うわ。私、これでもタフなのよ」


 笑顔のまま、彼女はさらに続ける。


「それに、レーンさん、美人だしねえ」


 それは関係ないだろうと、涼一は鼻白む。

 ともあれ、兄妹の当座の指針は決まった。他のメンバーがどうするつもりかは、明日尋ねて回ることにする。

 レーンを外へ見送った後については、彼にも考えは無い。地球に戻るのために何をすべきかも、分からない。

 しかし、先が分からなかったのは、日本でも同じだった。

 であれば、難易度が上がっただけだとも思う。ハードが、ベリーハードになったのだと。


 固い床の寝心地の悪さに拘わらず、涼一は夢も見ずに翌日まで熟睡した。

 いや、目が覚める直前に、廃墟にたたずむ少女を見たかもしれない。

 栗色の髪の少女を。





「……リョウイチ、起きて」


 もうすっかり明るい。昼まで寝てしまったのだろうか。涼一の他に寝ているのは、アカリと山田くらいだった。

 起こしに来たレーンに、他のメンバーの居場所を尋ねようとして、その硬い表情に気がついた。


「来たわ。帝国の本隊が」


 彼女の顔は、蜂の巣に突入する時よりもずっと険しく、張り詰めていた。

 日の出直後、一番に起きたレーンは、ゾーンを囲む帝国兵の様子を観察しようと駅の改札まで偵察に行く。

 そこで遂に肉眼で見える距離にまで本隊が迫ったことを、彼女は知った。


 成人組とサッカー部員、若葉らが次に目を覚まし、ゾーン境界へと赴く。

 初めて境界を見た彼らにとって、黄色い砂塵が舞う荒野はかなりショックな光景だったらしい。

 皆一様に口数少なく、今後への不安を語り合っていた。

 その様子を眺めながら、涼一は、横に立つレーンに尋ねる。


「で、その本隊を突破するんだろ?」


 彼女は即座に否定した。


「東には、征圧部隊が展開してた。一人で交戦できる数じゃない」

「征圧部隊ってのは、中に入ってくるのか?」

「ええ。おそらく今日中に」


 レーンの考えはこうだ。

 戦闘力の高い征圧部隊とやり合うのは、無謀もいいところである。彼らが臨戦態勢を取るゾーン内部では、特に遭遇したくない。

 本隊は、北西の街から派遣されていると聞く。先に展開した守備隊も、ゾーン北西から西にかけて主力がいたはずだ。

 本隊も同様なら、まだ手薄な可能性があるのは――。


「――南。南に穴が無いか確かめる」

「オーケー、分かった」


 二人は店内に戻り、床に残っている円の落書きを前に座った。涼一が、サインペンと近隣の地図を持ち出してくる。


「駅から警察署が、転移した直径だ。なら、南の端は南伏川ハイツだろう」


 彼は円周上に、グリグリと黒点を書く。

 本来なら駅から三分という好立地のマンションだが、その駅は伏川駅ではなく円周の外にある別路線のものだ。

 このゾーンでは中心から離れた、最も外側に位置する。


「背の高い建物なら見えたわ。あれがそうね」

「いい眼だな。まあ、砂で煙ってなければ、俺でも見えると思うけど。ここからは、国道を使うと一番楽に行ける」


 そう言いながら、円周に沿うように、伏川駅から南へのラインを引いた。最後は円の外に途切れるが、マンションのすぐ近くまで広い道が続いている。

 線の途中に一点、マンションの近くにもう一点、彼は追加の黒丸をつけた。


「国道の途中にあるのが、大型おもちゃ店のトイランド。マンション北東は小高くなっていて、伏川神社がある」

「ジンジャ?」


 念話での会話は、うっすらと相手の考えるイメージが頭に浮かぶこともある。

 今のレーンは、その見えた映像に戸惑っていた。


「神社は、宗教施設だ。特に何があるって訳じゃない」

「聖堂みたいなものね。他に特徴的な建物はある?」

「南西にはNNTの基地局があって、電波塔が建ってる。これもほぼ境界線上だろう」


 彼女は進路を把握し、最後に涼一に尋ねた。


「南には、ここにいる全員が来るの?」

「いや……。すまないが、ちょっとだけ時間をくれ。みんなと話してくる」


 彼は全員を集め、状況を説明することにした。

 まず若葉に頼んで、アカリを起こしてもらう。山田はついさっき起きて、サラミを齧っていた。

 コンビニの中に他の高校生や大人組も集合し、涼一の話に耳を傾ける。


「――というわけで、俺はレーンと一緒に南に行き、彼女の脱出を手伝う」


 レーンから教えられた情報を説明し終わると、まず佐伯先生が口を開いた。


「その帝国軍っていうのは、友好的じゃないの?」


 極力接触を避けたいという説明に、先生は納得のいかない口ぶりだ。


「信用できる相手じゃなさそうですね」


 簡単にではあるが、レーンの祖国のことは教えてもらっていた。帝国軍が人道主義者とは、とても思えない。


「先生は、日本に帰るのが第一だと思います。生徒の安全も、優先しなくてはいけません」


 そう言って、若葉たち現役高校生を見回す。


「無理に移動せず、ここを拠点に、様子を見てはどうかしら」


 意外と喧嘩っ早い若葉がすぐに反論しようとしたのを、涼一が制止して代わりに答えた。


「今日にもここへ帝国兵が来るでしょう。捕まるか、殺されるか、ロクなことになりませんよ?」

「それでも、人と戦うよりはいいです」


 それが先生の信条なのだろう。敵は敵だという涼一とは、相容れないが。

 その後も、彼はいくつか質問を受け付け、皆の意思を一人ずつ確認する。

 先生と小関、大門、山田はコンビニに残ることに決めた。他の成人組は、知り合いの家の様子を見に行きたいそうで、各自が別行動となる。


 アカリは、涼一たちに付いていくと言う。彼に反対されると思っていたのか、あっさり涼一が認めると、ガッツポーズで喜んでいた。

 物資をリュックに詰め、南行きメンバーがコンビニを出たところを、山田が追ってきた。


「涼一、気をつけてな。こっちも様子見て、先生連れて逃げるわ」


 涼一にも分かっていた。山田はコンビニ残留が危険なのを理解して、皆を説得する気なのだ。


「無理すんなよ」


 軽く手を挙げ、山田の気遣いに応える。「またな」そんな普段と変わらない挨拶を交わし、涼一たちは先で待つレーンと合流した。

 若葉はともかく、アカリが来たのを見ても、レーンは何も言わなかった。


 南での行動に向けて、物質は適宜、補給したい。増える荷物を運ぶのにも便利なので、若葉とアカリには自転車を押してもらうことになった。

 歩道に放置された自転車の鍵を壊し、二台用意したところで、念のため涼一はレーンに質問する。


「自転車には乗れそうか?」


 彼女が胡散臭そうに、若葉たちの押す器械を見る。


「馬なら乗れるけど」


 それはそうだろうと、イメージ通りの発言に頷くしかない。


 ――自転車エルフなんて、珍妙だしなあ。


 徒歩の彼女に合わせ、涼一も自分で歩くことにした。

 四人は国道に向かって駅前を出発し、血臭が消えない伏川町を南下する。


 最初の目的地は、トイランドだった。

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