019. 救出

 廊下に飛び出た三人に、残敵を警戒していた山田が駆け寄ってきた。


「やったのか!」


 彼は足を引きずり、怪我もまだ癒えていなかったが、出血の酷いアカリよりはマシだ。

 見た目で言えば、涼一の状態はもっと酷かった。


「ああ……、あれで死んでなきゃ、もうどうしようもないよ」


 涼一は、心底疲れた笑みを浮かべる。


「……それより、若葉は?」


 マキローをアカリに吹きながら、山田は3の9を顎で指した。


「小関と大門が、捜してるとこだ」


 女王のせいで一番乗りは譲ってしまったが、涼一は自分が何をしに来たのかを忘れたりしない。

 教えられた教室へフラフラと歩き出す彼を見て、レーンが呼び止めた。


「リョウイチ、回復しないと無茶よ」

「大丈夫だ」


 女王部屋の横には飼育部屋が有り、人の乳児くらいの芋虫や卵が転がっている。

 幼虫が生きていれば気味の悪い部屋だったろうが、今は動いている物はいない。世話をする蜂の姿も、すっかり消えていた。

 巣は捨てられ、当分の間、蜂はここへ戻って来ないだろう。


 夕闇が訪れ、転移後、二度目の夜が伏川町に来ようとしている。

 飼育部屋の隣、3の9の食料保管所では、ライトを持った後輩二人が生存者の救出に務めていた。


 入り口の巣材は乱暴に剥ぎ取られ、既に何人かが外に連れ出されている。

 若葉の姿は、まだそこに無く、涼一は部屋の入り口から中をうかがった。漂ってくる異臭に、彼は顔をしかめ、鼻と口を手で覆う。

 惨い有様だ。


 校舎に死体が無かったのは、ここに集められたからだった。

 血まみれの“動く死体”、バラバラの四肢。ライトに照らされ、原形を失った死体が浮かんでは消える。

 この中に、より新鮮な麻痺されただけの者たちもいるはず。

 山田の持っていた薬を飲み、歩けるまで回復したアカリが、涼一の肩越しに様子を覗く。


「うえぇっ」


 あまりの光景に、彼女は胃の中の物を廊下に撒き散らした。


「ライトを」


 レーンがアカリの代わりに、バッグからライトを出して彼に渡す。

 死臭を気にも留めず、部屋に入った涼一は死体を掻き分け始めた。


「いたぞ!」


 大門が、昨夜共闘した見覚えのある顔を見つけ叫ぶ。部屋の奥、御丁寧にも、死体の下に並べられていた。

 サッカー部員二人が息を合わせて、生存者を外に運んでいく。

 その顔を、涼一は一人ずつ照らしていった。


 ――どこだ、若葉?


 見つかったのは全部で五人。後の自己紹介で分かったことだが、四人は英語教師と近隣の若い夫婦、それに役所の男性職員だ。

 最後の一人が、涼一の求める伏川高校生だった。


「若葉っ!」


 彼は冷たい彼女の首元に触れ、脈を探る。

 弱々しいが、生きている。妹の顔に付着した蜂の分泌物を、涼一は丁寧に取り除いていった。


「待ってろ、引っ張りだしてやる……」


 若葉の胴体を抱え、早く外へ出してやろうと引きずる涼一だったが、上手く力が入らない。

 左右に体を振って奮闘する彼の肩へ、レーンの手が置かれた。


「手伝うわ」


 二人で死体の山を踏み分け、部屋の入口を目指す。

 なんとか廊下まで妹を連れ出し、先に運ばれた生存者の横に並べた。


「ああ……よかった、若葉!」


 傷を押さえて蹲っていたアカリが、親友の元まで駆け寄ってくる。涙ぐむ彼女は、涼一がしたように若葉の粘ついた顔を手でぬぐった。

 マキローを持つ山田が、喜ぶ彼らの方を向いて困った顔をする。


「みんな顔色はよくなるんだけどよ。起きねーんだ。マキローもこれで最後だ」


 残量が無いと、彼は容器を振ってみせる。


「小関が持ってるはずだ。塗ってみてくれ」

「“塗る”?」


 アカリが涼一に尋ねる。


「ああ。パンダ堂の薬だよ」


 小関が二本のチューブ容器の薬を持ってきて、一本を涼一に手渡した。

 抗ヒスタミン剤、虫さされの塗り薬だ。地球では、市販の弱い効果しかないが、この世界ならばどうだ。


「効いてくれ……」


 チューブから押し出された大量の薬を、ちょっと躊躇いつつも、若葉の顔や首に塗りたくる。

 やはり術式が発動し、水色の薄い光の膜が浮かび上がると、彼女の体内に吸い込まれていった。

 涼一は彼女の横に両膝をついて、その手を握る。


「……ん、ここは……?」


 ゆっくりと、彼女が目を開けた。


 ――やったぞ、若葉。成功だ。


「……お兄……ちゃん?」

「ああ、俺だ。よく頑張ったな」


 虫の苦手な彼女は、巨大な昆虫が現れた時、悲壮な顔をしていたと言う。

 今、目が覚めた若葉は、ここに転移してから会いたかった肉親の顔を見て、やっと穏やかに微笑むことができた。

 両手で包んだ彼女の手を、涼一は自分の額に当てる。


 ――本当に、よく助かってくれた……。


「お兄ちゃん!」


 妹の体に重なるように、彼は頭から倒れた。赤みを増していたはずの若葉の顔は、またしても固く強張る。

 真っ先に動いたのは、兄と妹を横で見守っていたレーンだった。


「リョウイチ!」


 レーンは涼一の身体を仰向けにし、口に手を当て、頸動脈を押さえた。脈が弱い。

 どこも傷だらけだが、ある程度は術式で回復しているはずだった。治ってないのは、外から見えない内臓か、それとも脳か。

 彼女は涼一の身体に手を這わせ、魔素の流れを読み取ろうと試みる。

 怪我の探知の定番方法だったが、その魔素量の多さにたじろいだ。


 ――なんて強い! でも、ここで淀んでいる……


 レーンは彼のシャツのボタンを外し、バッとはだけてみせた。


「……っ!」


 不安そうに見守っていた若葉とアカリが、同時に息を飲み込んだ。


「こんな傷で動き回ってたの!?」


 彼の胸は、心臓のちょうど真上に裂け目ができていた。十センチくらいの切り口から、ピンク色の鼓動が脈打つのが見える。

 その上に重なる青い光の渦は、回復の術式がまだ機能していることを表しているが、今にも消えそうに弱い。


 助かったばかりの若葉が、泣きそうな顔で涼一を見つめる。

 いつの間にか、彼女とアカリの二人ともが、彼の手を固く握っていた。

 思いの外、傷が深いことに、レーンはどうするべきか悩む。ここで外科手術なんて無理だ。


 術式を使う場面だろう、使える手段なら有る。有るが、これは、レーンの妹マリダに試そうと考えていたこと。

 ここに来る前に、彼女はパンダ堂への調達について行った。薬が有る、その言葉に惹かれたからだ。

 地球での効果は知らなくても、薬剤コーナーの棚は初めて見る術式の波動に溢れており、その全てが回復の系統だった。

 獲得した錠剤や粉薬は、背嚢に大事にしまっている。


 ――半分、そう、その半分をリョウイチに使おう。


 目の前の瀕死の人間は、昨夜あったばかりの異世界人である。

 彼女にはなんの義理もないはずだが、赤の他人とも言い切れなくなっていた。妹のために奔走する姿を見たあとには、特に。


 彼女は丁寧に折り畳まれた野牛の革布を取り出し、床に置く。

 包まれた布を開くと、色とりどりの薬剤が現れた。

 薬を二つの山に分け、半分は床へ。残りはまた、包み直して背嚢に戻す。


 床に置いた薬をナイフの柄で砕き始めると、若葉が説明を求めてまくし立てた。言葉の通じないレーンは、彼女へ振り向きもしない。

 アカリが必死で若葉を宥めている間に、粉々になった薬を右手に集めた。

 意識を集中させ、手の内に魔素を流すと、寒色系の様々な光が漏れ出してくる。


 これほど強力な術式は、レーンの力量を超えてしまう。しかし “目的”は薬が最初から内包している。発動させるのは、彼自身がやってくれるだろう。

 彼女は光の粉を、涼一の胸の穴に注ぎ入れた。

 横たわった身体が、ビクンと痙攣する。


「カハッ!」


 上半身を跳ねさせ、彼は固まった血を吐き出した。


「お兄ちゃん!」

「涼一さん!」


 自分の胸元に左手を当て、若葉は涼一の回復を祈る。

 アカリは首から掛けたお守りを、祈るように握り締めていた。

 痛いほど強く力を込めた二人の手は、彼の脈動を感じ始めたことで、ようやく少しずつ緩んでいく。


 涼一の頭から爪先まで、血管やリンパ菅をなぞるラインが青く脈動し、やがて身体中が発光したかと思うと、その光がまた体内に吸収された。

 胸の傷が、少しずつ、時間を逆回しするように閉じ始めるのを見て、レーンはホッと溜め息をつく。


「これは貸しよ、リョウイチ。聞こえて無いでしょうけど」


 実際、涼一には気を失っていた認識が薄く、しばらく経って上半身を起こした時には、不思議そうに皆の顔を見回した。

 怪我を回復したのだと聞くと、妹の顔を見て微笑み、レーンを見て感謝の視線を送り、改めて手を握り泣くアカリに、心配しすぎだと首を捻る。

 若葉までがアカリを妙な目で見ていたが、すぐに兄に向き直った。


「お兄ちゃん、調子はどう?」

「意外と……平気そうだぞ」


 彼は自力で体を起こすと、肩を回し、痛みも無いと皆に告げる。

 助けられた人たちも、山田たちに簡単に状況説明を受け、涼一たちを待っていた。

 彼が動けるなら、ここに留まる理由はない。全員が夜を過ごせる場所を、確保しなくては。


「じゃあ、行こうか」

「待って」


 涼一の合図を、レーンが遮った。

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