018. 女王の意地
ギギッと小さな声が、銀の顎から漏れ聞こえる。
バズーカから放たれた球は、この知性的な昆虫モドキを警戒させるのに充分な禍々しさだった。
自らの脚にかすったことで、それが毒であることも看破されてしまう。
子たちが叫ぶ悲鳴は女王の頭に響き続けており、反撃の機会を見計らっていた。
毒は、バーメたちも身に宿す武器である。
それが子に向けられ、あまつさえ自分を狙うとは、女王にとって誇りを傷つけられる事態であったろう。
だが、この時の女王の鳴き声は嘲笑だ。なんと矮小な毒針か、と。毒を使う存在であるからこそ、蜂たちはその使い方にも熟練している。
毒は無限ではなく、乱打してしまってはいずれ尽きる。
涼一たちの一斉攻撃が途切れた瞬間を契機にして、六枚の羽が高速で動き、激しい空気の渦を作り出す。
女王の身体は空中に浮き、床に溜まる毒霧を吹き飛ばした。
「なっ!」
空気の壁が毒弾を阻んだのを見て、涼一が目を見開く。
アカリは信じられないという顔で、次の行動に迷って立ち尽くしてしまった。
バズーカを使い切った今、やる気になった女王と対峙し続けるのはマズい。
「瀬津、逃げろ!」
彼の叫びは、間に合わなかった。濃緑が薄れた隙間から、銀の手がアカリに伸びる。
肉を殴る鈍い音と共に、彼女は壁へ向かって
床を転がり、巣材の破片にまみれたアカリへと、女王が静かに迫る。
「くそっ、この野郎!」
涼一が空のバズーカを投げつけたが、女王の右手はカキンと缶を打ち払う。顔はアカリに向けたままだ。
彼女はくの字に体を曲げ、苦痛のあまり息を吐き続けて悶絶していた。
考える暇は無い。瀬津から敵を引き離そうと、涼一は半ば反射的に飛び出す。
ポケットにあった最後の徳用マキローを握り締め、彼は女王に肉弾戦を挑んだ。
彼の体を狙って、女王は鉤爪のついた手を振り上げた。人間の反応速度を超える動きを、涼一が見切るのは難しい。
彼がマキローを胸の前に掲げたのは、単なる勘による動きだ。これが頭を狙った攻撃なら、即死したかもしれない。
しかし、彼はこの博打に勝った。銀の爪は、マキローの容器へ突き刺さる。
ただ、その強烈な力をいなすことは出来ず、爪は容器を貫通して涼一の左の掌を砕いた。そのまま胸へと刺さり、心臓近くで止まる。
冗談のように、勢いよく噴き出す涼一の血――その血と共に渦巻く、回復の術式。
赤と青が螺旋に絡み、拮抗した。
「ぐぅっ!」
激痛に顔を歪めながらも、彼はそのまま勢いに任せて足を蹴り出す。
女王がバランスを崩して手を引き抜いた隙に、涼一は抱き着くように前へ跳びついた。
四つの鉤爪が、彼の背中に食い込む。
獲物を絞め殺す必殺の抱擁に対抗して、涼一も意識を失うこと無く、力も緩めなかった。
先とは違う、戸惑うような低い声で女王が鳴く。
女王が動揺したとしても無理は無い。
この校舎に入って以来、涼一は大量のマキローを浴びていた。その累積した効果が、彼に非常識な継戦能力を与えていた。
穴だらけにされ、ゴロゴロと床をもつれ転んでも決して女王を離さない。
中央の穴に振り落とされそうになると、涼一は床を蹴って防いだ。
痛いだけなら耐えられる。視界にチラリと映るアカリへ、今のうちに起きて逃げてくれと彼は願う。
女王の抱擁に、一層の力が籠もった。
甲殻を持たない軟弱な生き物を、骨ごと砕こうという全力の締め付けに、涼一の身体が軋みを上げる。
「がああっ!」
ベキンッと肋骨の一本が折れる。
彼が
殺虫剤が切れても、まだアレがある。教室の入り口に置いてきた袋を思い出せど、拘束されていては顔を向けるだけで精一杯だ。
「ギギギギギッ!」
女王は上を仰ぎ、大音量で叫びを上げた。
その意味は、近づく振動が教えてくれる。大量の羽音は待機中だった蜂たち――女王はここにきて一対一の戦闘をやめ、援軍を呼び寄せたのだった。
――くそっ、
焦る彼の目の端に、ヨロヨロと起き上がるアカリが映る。
「袋だっ、袋をくれっ!」
朦朧としながらも、涼一の指示を理解した彼女は、教室の入り口へと向かう。
彼女も重傷なのは間違いなく、腹を押さえた左手の隙間から大量の血が流れ出しているのが見えた。
アカリはなんとか入り口まで戻り、袋の前に
しかし、蜂たちの動きの方が早い。廊下の外窓から数匹の蜂が顔を覗かせ、遅れて反対側、教室の窓側からも女王の下僕が現れた。
アカリが蜂たちと直接殴り合うことを覚悟した時、少女の声が響く。
「リョウイチッ!」
赤い閃光が、近寄る蜂たちをグルグルと縫い合わせる。
廊下に落ちた蜂をナイフで弾き飛ばして、ローブの少女が駆けつけた。
教室内の様子を把握するや否や、すかさず三発の魔弾が放たれる。
二発は外からの蜂を防ぐべく窓側へ、残りの一本は女王の羽を目掛けて弧を描いた。
レーンの矢は的確に羽の付け根を急襲したが、硬い音を立てて跳ね返される。
彼女が蜂の相手をしてくれている間に、アカリは再度、涼一の近くまで膝歩きで戻っていた。
「カイロを寄越せ!」
「は、はい……」
袋から出した携帯カイロを、アカリがやっとの思いで投げて渡す。カイロは涼一の手に当たり、床に落ちた。
魔弓を仕舞ったレーンがそれを拾い、“骨砕き”を右手に持ち替えて走る。
「だぁっ!」
三歩で女王までの間合いを詰めたレーンは、その肩口に骨砕きを振り下ろした。
女王の腕に衝撃波が撃ち込まれ、涼一を絞めていた拘束が緩む。
だが、女王に大きなダメージは与えられず、銀の腕がレーンの肩を突き、さらに別の腕が彼女を薙いで吹き飛ばした。
「お前の相手はこっちだ!」
多少なりとも自由が利くようになった涼一が、両脚で女王の胸を蹴る。
力任せの一撃でついに女王が彼から離れ、床を滑った後、羽の力で宙に飛んだ。
片膝で立ったレーンが、涼一にカイロを投げて寄越す。
「これを」
「おうっ!」
投げられたカイロを、今度はがっちりとキャッチする。
服に貼って使う携帯カイロ「ピタホット」、その包装を口で破る。シールを剥がした涼一は、大きく振りかぶった。
女王の胸目掛けて、彼は渾身の力でカイロを投げつける。
「売れ残りの特価品だがな。くらいやがれっ!」
水平に投げられたピタホットは、ビターンと小気味良い音とともに女王の胸、身体の真ん中に貼り付いた。
毒が効かなかった時の保険と言うには、この遺物の方がよほど激烈な効果を生む。
“熱の術式”――カイロから赤い同心円が幾重にも浮かび上がった。
「離れるぞ!」
レーンと涼一でアカリを引きずり、部屋から脱出を図る。
女王は自分の胸を掻きむしり、熱源から逃れようとするが、カイロの接着部分にも術式は組み込まれていた。爪で引っ掻いた程度で、“粘着の術式”から逃れることは叶わない。
三人が教室入り口まで逃げた時点で、カイロの温度は摂氏三百度。
女王が外に出ようと窓側に取り付いた時には、接着面は九百度を超えた。
山田の術式を発動させたその熱が、銀の身体を容赦なく溶かす。
「ギュギギギギギッ!」
虫の言葉が理解できるなら、それが悲鳴だと知れたことだろう。
当然、子の蜂たちにはそれが伝わる。女王の悲痛な呻きは伝播し、無感情なはずの彼らに恐怖がもたらされた。
女王を失えば、次の巣場所へ移動し、新たな指導者を決めるのが摂理。銀の指導者はその役割を終え、子を指揮する声は消えた。
断末魔の後に残されたのは、巣穴と混じり溶けたスライム状の塊だけである。
女王の熱は教室の窓にへばり付いていた巣材を焼き、外へ通じる穴が大きく広がった。
地平線に沈む陽の光が、教室の中にまで届く。
もうすぐ夜が来る。
巣穴から逃げ出そうと伸びた銀の
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