015. 剣虎

 アレグザ平原の食物連鎖の頂点にいる生物、それが剣虎だ。

 奇しくも地球と同じサーベルタイガーの名を付けられているのは、上顎から突き出た巨大な牙のせいだろう。


 体毛は白く、黒い縞模様が入るのも虎と似ている。

 逆に地球産と違うのは、三メートル近い巨体が産む圧倒的な膂力りょりょくと、体を覆う硬質の金属毛だ。


 針のように生え並ぶ体毛はしなやかで、剣虎自身の意志で自由に硬度を変えられる。術式以外の攻撃を弾き、剣刃や矢を通さない。

 レーンに限ったことではなく、狩人なら誰もが相手にしたくないものの筆頭だった。


 階下の小さな生き物を睥睨へいげいしながら、剣虎はそろりと彼女に近づく。

 昨夜の襲撃のあと、虎はそのまま学校に居着いていた。

 ここは彼にとって良い狩り場だ。ほどよく抵抗してくれる敵は、剣虎に充足感を与える。


 一息に飛び掛からないのは、獲物の手にある魔弓を見たからだった。

 昨夜の獲物には、小さな弓から、術式を連射してくる男たちがいた。

 身体にいくつもの疵をつけた、忌々しくも歯応えのある反撃。剣虎は、同様の攻撃が来るのを警戒していた。


 獲物の手から、牽制の矢が放たれる。

 螺旋状に飛び来る魔弾を見て、剣虎は身体を捻りつつ、後ろに跳び退いた。

 矢は虎を追いかけ、側面から右肩を直撃するが、硬質化した体毛が弾き返し事なきを得る。


 カンと乾いた金属音が、階段に響いた。

 昨夜の武器ほどの威力は感じられず、剣虎は自分の防御力に自信を取り戻す。獲物を仕留めるべく、前傾姿勢を取った虎から、低い唸り声が上がった。





 剣虎が初撃を躊躇ったのは、レーンにとって運が良かった。

 ただ、先手を取れたとは言え、それが有効だったとは言い難い。


 魔弾と言えど、そのダメージ源は加速した針で突く物理的な力であり、鉄壁の剣虎には通用しない。

 それでも敢えて魔弾で狙うなら、柔らかい目か、口の中だろう。


 虎が矢を避けて距離を取った隙に、彼女は次弾を剣虎の目に向けて撃つ。

 凄まじい動態視力で矢を見切った虎は、斜め上へと跳んで避けた。

 だが彼女の本当の狙いは、目ではない。極限の集中で精密操作された矢は、途中で鋭角に曲がり、さらに稲妻のように軌道を変える。


 制御は完璧、一分の狂いもなく、意図するピンポイントを目掛けて赤い線が伸びていった。

 針の穴を通す射撃を成功させたレーンは、心の中で快哉を叫ぶ。


 ――魔弾よ、内側から食い破ってやれ!


 剣虎のもう一つの弱点へと、矢の先が向かう。

 牙を剥き、半ばほど開いた虎の口へ、魔弾が飛び込む――が、その瞬間、虎は鋼の硬度を持つその歯で、矢を噛み止めた。


「なんて奴なの!」


 ダンッと壁を蹴った虎は、刹那の間にレーンへ迫り、前脚を振り下ろした。

 後方に飛び下がった彼女の足を、虎の爪がかする。

 直撃を避けられたのは彼女の技量によるものではなく、虎の蹴りの衝撃に壁が耐えらず、表面が崩れてしまったからだ。

 昨晩、警官と剣虎との戦闘は苛烈を極め、多数の弾痕が壁に作られいる。これがレーンを助けた形となった。


 空中で体勢を崩し、狙いを外した剣虎は、着地してすぐ再撃を狙って身を屈める。

 砕けたコンクリートの粉塵が舞い、煙幕と化したのが、さらに彼女を助けてくれた。

 視界が晴れるのを待つ僅かな時間に、レーンはハチジェットを取り出し、虎の鼻先へと噴きつける。


 出鼻を挫かれた剣虎は、また緑の霧が消えるまで足止めを食らう。

 毒が効いている素振りは無いが、やはり術式攻撃には警戒しているようだ。逃げるなら、今がチャンスだろう。


 ――逃げる……どこへ?


 障害物の無いグラウンドは論外、運動能力に長ける剣虎が圧倒的に有利である。

 剣虎の横を抜けて、上に向かうのも無理。

 とすると、虎から後退し、一階廊下を走り抜け、正面玄関へ向かうしかない。


 きびすを返したレーンは、全力で廊下を走り出す。

 敵へ背を見せることになるが、後ろ手で殺虫剤を撒いて防壁とする。毒が効かなくても、剣虎が嫌がってくれれば充分だ。


 廊下には、再びバーメが二体現れていた。

 当初から、蜂は剣虎の気配を感じ取っていたのだろう。今も廊下の中ほどで止まったまま、それ以上接近せず、逆に後ろに下がろうとすらしている。

 背後から足音が近づく。虫の死骸を踏み砕くその音は、ゆっくりとだが大きくなっていく。


 ――挟まれたってわけね。


 魔弓で攻撃するなら、やはり蜂を狙うべきか。その時、彼女の真横にある窓から、もう一体のバーメが現れた。


「どきなさいっ!」


 ハチジェットを投げ捨てたレーンは、左手で素早くナイフを抜き、逆手に握る。

 自分自身で魔素を練り込み、調整を繰り返した短剣“骨砕き”。フィドローン伝統の狩猟ナイフを、独自にアレンジしたクレイデル家の特製品だ。


 横から噛みつこうと、バーメの顎が彼女の顔に迫った。

 その頭を、魔弓の台座でかち上げる。

 跳ね上がった虫の横面へナイフが連撃を加えると、激しい衝突音がこだました。蜂はもんどり打って、剣虎の迫る方へ転がっていく。


 “骨砕き”は、刃物としては、頑丈というくらいの特徴しかない。少し大きめのサバイバルナイフといった外見だ。

 その真骨頂は、組み込まれた術式から生まれる衝撃波である。


 バーメはすぐに体勢を取り戻せず、仰向けのまま、剣虎に踏みつけられた。蜂は咄嗟に、その六本の脚で虎の腹へしがみつく。

 剣虎は激しく唸りを上げ、絡むバーメを振りほどこうと暴れ回った。


 レーンは廊下奥へと走る。

 そこにも二匹のバーメが天井に張り付いて待っていたが、接触直前で背嚢を床に投げて滑らせ、自身もそれを追うようにスライディングした。


 蜂を追い越したところで反転し、降りてきた一匹を立ち上がると同時に蹴り上げる。

 もう一匹は、すかさずナイフで袈裟斬りに叩き伏せた。


 蜂の外皮は硬く、これでも致命傷にはならない。よろめかせるだけだ。

 しかし、その短い間隙にナイフを鞘に納め、素早く魔弓へ一矢装填する。

 発射された矢は、まだまだ元気な二匹へ交互にぶち当たった。


 赤い射線は何重ものループを描き、一匹の頭を、もう一匹の腹を、そしてまた胸をと飛び続ける。

 羽や間接は最初から狙っておらず、バーメの硬質な部位のみを矢が叩く。

 ドラム缶を叩きまくったような反響が廊下に満ち、鼓膜をろうした。


「ほら、お友達よ」


 二匹のバーメは矢に押されて、剣虎の元へと届けられる。

 しがみついていた一匹目を粉砕した虎は、再びバーメ二匹と格闘させられる羽目になった。

 今度こそ、この場から逃げる絶好の機会だ。もちろん、背嚢を拾うのは忘れない。

 だが、どちらへ逃げるべきか。


 玄関から外へ? それとも上?

 ゾーンの遺品と、リョウイチの姿を交互に思い浮かべつつ、彼女は決断を迫られたのだった。

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