013. 蜂

 涼一たちが校舎に入るのを見送ったレーンは、再び魔弾の網を張る。グラウンド中央に目を遣ると、先ほど使った矢の一本が転がっていた。

 玄関に三本、網に六本。落ちているものを回収しても、八本は消耗したことになる。


一見無敵に見える魔弓だが、いくつか弱点はあった。大量の敵と相対した時、この弱点は看過できなくなる。

 一つは、弾数。この数の蜂を皆殺しにするには、矢が少な過ぎる。既に消費はハイペースだ。

 二つ目は、装填の隙があること。一回の射撃、つまり三本の矢で対処できない敵には、撃ち漏らしが起きる。


 蜂も少しずつ魔弾に慣れはじめており、そろそろ飽和攻撃を仕掛けて来そうだった。

レーンは網を微妙に移動させつつ、徐々にグラウンドの真ん中へ移動していく。


 何匹かの蜂が、網を迂回して彼女の後ろに回った。矢の推進力が弱まったためだと見て取ったレーンは、意識を背嚢に移す。

 矢が落ち、赤い網が消えたのを契機に、蜂は一斉に彼女へと飛び掛かった。

 前に六匹、後ろに五匹。

 正確に状況を把握し、速やかに魔弓をホルスターに戻す。


 代わりにレーンが背嚢から取り出したのは、二本のハチジェット。

 腕を前でクロスして横手に缶を持ち、噴射ボタンを押しながら、彼女はその場で三百六十度のターンを決めた。

 薄い緑の霧が、ドーナツ状に彼女の回りに噴き上がる。


 ――術式、死毒の結界。


 勢いよく毒霧に突っ込んだ蜂たちは、羽の震動を弱め、彼女を取り囲むように墜落していった。


「地球の術式、好きになりそうだわ」


 自ら名付けた術式名と、その結果にレーンの頬も緩む。

 近場の敵は一掃できた。新手の蜂が再度攻撃してくる前に、さらに校舎の右側へと移動する。


 彼女では性能を引き出しきれないのか、リョウイチが使った時ほどには、ハチジェットは強力に作用していない。

 地上に落ちた蜂たちも死にはせず、未だもがき続けている。


 容量に制限もあることを踏まえると、無駄使いが禁物なのを彼女は理解した。

 魔弾と術式、この二つで、必要な時間は稼げるだろう。


 ――後はあなたの仕事よ、リョウイチ。





 レーンが華麗なターンを決めている頃、涼一たちは、玄関から二階に至る階段へ進んでいた。

 校舎内は、割れた窓ガラスが散乱し、あちこちに血溜まりがある。

 犠牲者の死体は無く、蜂が作り出した茶色の壁が、あちこちデタラメに付着していた。最終的に、この学校全体を巣に作り直す気なのだろう。


 先頭の山田は進行方向にハチジェットを細かく噴射し、次いで涼一とアカリ、最後を大門と小関が続く。

 最後尾の小関も後ろを向き、一階から回り込んでくる蜂に応戦していた。


「大門、代わりのハチジェットをくれ。もう切れる!」


 小関が叫ぶや否や、すかさず大門が次の缶を手渡す。

 二人は同じサッカー部で、今も部活の格好そのままの服装をしている。

 小関はキーパー、大門はフォワード希望だ。大門は他選手との体格差が原因で伸び悩んでいたが、小関たち非レギュラーメンバーが、休日の自主練習に付き合ってくれていた。

 転移が起きたのはその時で、生き残ったのは二人だけ。仲間と一緒に揃えた神社の必勝祈願のお守りが、友人たちの形見のようになってしまった。


 二人は昨夜から現実感を喪失し、逃げ回るだけだったが、ここに来てようやく意欲と目的を取り戻しつつあった。

 部活由来のコンビネーションを見せる後輩二人に負けじと、山田も道を切り開いていく。

 彼は二階に一歩足を踏みいれると、ハチジェットを四方に撒き散らした。


「くらえ、死毒の舞っ!」


 レーンが聞いていたら嫌な顔をしそうな技名を叫び、周辺の蜂を奥に引かせる。毒霧を理解した蜂は、徐々に慎重に動くようになってきていた。

 案外と利口な巨大昆虫たちに、涼一は気を引き締める。


「山田、そろそろ分かれるぞ」

「オーケー、結果を期待して待っててくれ」


 アカリに目で合図すると、涼一は三階への階段に進む。


「瀬津、持ってくれ」


 山田から受け取ったビニール袋をアカリに渡すと、彼女は少し首を傾げた。


「保険だよ、使う暇があるか分からんけどな」


 山田たち三人は、二階廊下へ進み、涼一たちからは姿が見えなくなった。

 涼一は三人の成功を祈る。この作戦の要は、二階組だ。





 三階に入る階段前の攻防は、熾烈を極めた。毒霧で殺されても、次々と蜂は湧く。


「瀬津、ハチジェットっ!」

「は、はいっ!」


 各教室は、完全に巣穴化しているようで、廊下の左右から出てくる蜂は尽きることがない。

 の保管所を探そうにも、倒されたハチがうずたかく壁になるため、先へ進むのは難航した。

 せめて窓に引っ掛かってる連中くらいは落とせないものかと、涼一はハチジェットを足元に置き、死骸を窓外へ押し出そうとする。


「朝見さんっ」


 アカリの声で振り返った時には、既に遅かった。一匹の蜂が、仲間の死骸の間から尻を突き出し、針をこちらに向ける。

 大丈夫だ、この距離なら届かない――そんな涼一の推測は甘い。

 針は彼の左肩、数十センチ先で動きを止めはしたが、その針先から、透明の毒液が噴出されたのだ。


「ぐぉっ!」


 皮膚が泡立ち、黒いタールのように変色するとともに、猛烈な痛みが左肩から腕にかけて襲う。

 その場に膝から崩れた涼一は、なんとかハチジェットを拾い、針目掛けて噴射した。


「お返しだっ!」


 ギギギと短い奇声が聞こえたあと、死骸の奥はすぐに静かになる。

 アカリが駆け寄り、大量のマキローを彼の半身に噴きかけた。青く輝く渦は変色した皮膚を明滅させ、しばらくして痛みを連れて消えていく。


「ありがとう」


 アカリは首を横に振って、少し笑う。


「まだお礼は早いです」

「ああ……そうだったな」


 彼女の笑顔に勇気づけられつつ、立ち上がった彼は、行く手を阻む蜂たちの亡骸を見る。

 山田たちのためにも、少しでも敵の注意を引きたい。グズグズしている暇は無いと、涼一は強行手段を選択した。


「瀬津、マキローをガンガン俺に掛けてくれ」

「はいっ……えっ?」

「死にやしないさ」


 端から順に死骸を放り出す作業を再開すると、先と同様、生け垣のようになった死骸の壁から毒針が突き出される。


「涼一さん、また針が!」

「見えて――ぐっ」


 毒液が掛かるのも気にせず、彼は死骸を一つ、窓から投げ捨てるのに成功する。

 アカリは必死の形相で、マキローのボタンを連打した。


「その調子だ」

「無茶です、朝見さん!」


 マキローだけではダメだと、彼女がハチジェットを奪った。マキローとハチジェット、回復と攻撃の二刀流だ。


「俺は道作りに専念する。頼んだぞ」

「こんなことして、薬は足りるんですか!」

「いけるさ……多分」


 三階班が救出の先鋒とは言え、二階での作戦が成功するまでは、涼一たちの役割はおとりに近い。

 “囮なら囮らしく”、涼一は陽動役を、猛然と遂行し続けた。





 二階はまだ作りかけの巣であり、三階よりは通行も楽だった。

 教室にも自由に出入りできる状態で、扉を利用して一撃離脱できるのも、山田たちには有利に働く。

 もっとも、大量の蜂がいることに変わりはなく、ここでも殺虫剤がフル回転で撒き散らされた。


「2の8クリア!」


 軍隊風に、小関が蜂の撃退状況を叫ぶ。

 クリアと言っても、割れたガラスで隙間だらけの教室では、注意を怠った途端に奇襲されよう。


「ともかく、真ん中まで進むぞ!」


 山田がリーダーとして、後輩二人に指示を出す。

 巣の中央には産卵部屋がある。その隣が養育部屋。餌が保管されてるのは、さらにその隣――これがレーンから聞いた、ここの巨大蜂の習性である。

 二階班は、下から巣の重要拠点を襲撃することを考えていた。

 捕まった人間に被害が出ないようにするには、産卵部屋直下、中央の教室が好ましい。


「2の7、クリア!」


 目指すのは、十一教室の真ん中、2の6。いよいよとなった教室の前で、山田が扉に手を掛ける。


「開けるぞ」


 小関が、山田の言葉に頷く。大門は廊下で飛来する蜂の相手をしている。

 山田が勢いよく扉を開けると、中には、五匹の蜂が待ち構えていた。


「撃てぇっ!」


 号令に従って、小関がハチジェットを噴射する。山田自身も加勢すると、蜂の動きを止めるには十分だった。

 緑の毒霧が晴れると、小関が再び叫ぶ。


「2の6、クリア!」


 その声を聞いて、教室入り口にいた大門も、こちらを見る。


「よし、中央に机を積み重ねるぞ」


 事前の作戦に従って、山田と小関が机を三つ縦に積んでいく。

 できあがった台を、山田は不器用に揺れながらも、最上段へと登りつめた。


「バッグを取ってくれ」


 下に待機する後輩から、持ってきた自分のスポーツバッグを受け取る。


「蜂が来ないか、見張っててくれよ」

「了解」


 微妙に安定の悪い即席台に難儀しながら、山田はバッグの中身を机の上に出した。

 正座するように、机の上で両膝をついた姿勢で、蜂対策のとっておきを並べる。


 ――大量の百円ライター、こいつを使って、上の巣穴を火炙りにしてやるんだったな。


 涼一は、蜂対策に熱を採用した。

 どこまで有効か分からないものの、地球のスズメバチは高温で弱る。サイズは桁違いだが、レーンも恐らく火や熱は効くだろうと賛同した。


 噴出式殺虫剤のバルサ―も候補に考え、山田にパンダ堂で探してきてもらったが、パッケージを見たレーンに止められたと言う。

 どうも、まだ涼一にも理解できていない術式運用上の問題があるらしい。


 山田の手によって、百円ライターがキャンプファイヤーの焚き火のように組まれて行く。

 難点は、どうやってこれに火を点けるのか、だ。

 ライターには、魔素がコッテリ含まれてる。単に着火すると、おそらく手榴弾のように炸裂し、自分の手が吹き飛んでしまうと、涼一は予想した。


 そこで調達リストに書き加えた品がある。

 バッグをゴソゴソと手探り、山田はもう一つ、必要な物を取り出した。

 携帯カイロだ。


 こいつを使えば、術式が発動して膨大な熱を発生するはず。熱の術式――涼一のこの予想は、結果から言えば正しかった。

 しかし、まだ地球の常識が残っている山田は、カイロの温度で着火することに不安を覚えたため、リストに無かった物を勝手に持ってきている。

 彼はバッグから、ゲル状の着火材を取り出した。野外バーベキューなどで使うアレである。

 これをライターの上に、これでもかと景気よく絞り落とす。


「山田の術式、上手くいってくれよ……」


 地球でも物騒であろう発火物が完成すると、カイロのシールを剥がし、ライターの山の上に置いた。


「さあ、逃げるぞ。急げ!」

「はい!


 山田は机を倒さないように、それでいて可能な限り全速力で下に降りる――いや、降りようとした。

 後一つ机を降りれば、というところで、熱の術式は発動してしまったのだった。

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