010. 山田修治
涼一たちは、蜂の脅威から逃れた人々と程なくして合流した。
怯えた様子で走って来たのは、高校生や若い会社員風の男たちで、中年以上の年配者は見受けられない。
みんなレーンを警戒しているようで、チラチラと彼女を見ている。そう言えば、ローブ姿が不審に思われることを、レーンに伝えてなかった。
皆を安心させる上手い説明はないかと、涼一が言葉に詰まっていると、大きな声で名前を呼ばれた。
「おーい、涼一! 涼一だろ?」
学生たちを掻き分け、前に出てきたのは
高校では調子のいいムードメーカーといった感じで、他県に進学したと聞いている。誰とでも屈託無く話し掛ける山田は、涼一にも遠慮はなかった。
今も人懐っこい笑顔だが、顔は泥だらけ、服もボロボロだ。
「蜂のバケモン、涼一も見たか? 赤いレーザーみたいなのが凄かったんだよ。あれが退治してくれなかったら、ヤバかった」
興奮気味に、自分を救ってくれた赤い一撃を語る山田。蜂は次々と羽根を砕かれ、地上に落ちて藻掻いているらしい。
「そのレーザー、彼女が撃ったんだよ」
涼一は、後ろに立つレーンに顔を向けた。
フードを被っていないため、髪からはみ出た尖った耳が少し見えてしまっている。皆に気付かれる前に、隠せと言おうとすると、山田が口を挟んできた。
「おい、めちゃくちゃ美人だな、そのコ。どこで知り合った。この世界の人間か? いやエルフか? 紹介してくれよ」
「本当に変わってないな。お前は」
レーンのことはともかく、“この世界”という言葉に、彼は反応する。
「今がどういう状況か、知ってるのか?」
「いや、まあ……。警察署は真っ二つって言うし、化け物は襲ってくるし、蜂はアレだろ? 異世界にでも飛ばされたのかな、と」
どうやら、涼一以上に順応性があるらしい。その推測で合っていると、山田を適当に褒めておく。
二人のやり取りを聞いて警戒を解いたのか、高校の制服を着た女の子が近寄ってきた。見たことがある顔だが、涼一はよく覚えていない。
「すみません、朝見涼一さんですよね?」
「そうだけど」
やはり彼と面識があり、服装からして伏川高校生であることは見て取れる。涼一の後輩にあたる彼女は、思い詰めた顔で彼に迫った。
「お願いです、若葉を助けてください!」
「なんだって!? 若葉はどこだ?」
彼の鼓動が、ドクンと速くなる。
回りの人々も、どよどよと声を上げ始めた。
「そうだ、この人たちなら……」
「まだ生きてるのか?」
「見捨てる気かよ!」
涼一は手を挙げて、皆が喋るのを制止する。
「とりあえず、何があったのか話してくれ」
ようやく妹の情報を得られそうなのに、不穏な雰囲気が彼の不安を掻き立てた。
大通りの真ん中で立ち話も不用心なので、涼一たちはレストラン横の路地に移る。
エアコンの室外機がならぶ小汚い横道だが、血溜まりや墜ちた蜂が視界から消えるため、逃げてきた人々には好都合だったようだ。
路地の出口、大通り側には、レーンが見張りに立ってくれている。
ショートボブの女子高生、
山田がこれまでの概況を説明してくれる。
「実際、酷いもんだった」
彼は先程とは一転して真剣な様子で語りだす。
山田も伏川町に早く着き過ぎ、準備を手伝うために、先に同窓会場に向かっていた。学校のすぐ近くで、転移に巻き込まれたそうだ。
瀬津は部の臨時活動で休日登校しており、美術室で友人たちと一緒に転移する。若葉もその一人だった。
転移後しばらくして、学校には近隣の住民が集まり始める。緊急避難場所を目指す心理は、人々も涼一と同じだ。
その人々の中には、学校から少し西に離れた警察署の者も混じっていた。
山田が警察官に聞いたところによると、警察署の状況は駅前と似たようなものだ。建物は駅と同じように転移円で切断され、転移後の生存者はほとんどいなかった。
わずかに残った者が、武器をかき集め、学校に向う。
車で移動しようとした警官は、エンジンを掛けた瞬間に爆死したらしい。どうやら車両の起動は危険なようで、昨夜続いた爆発音の原因は主にこれだろう。
警察署にあった拳銃は有効どころか、威力が増しており、カラスを撃退しつつ警官数人が学校に辿りついている。
今の涼一なら、なんとなく拳銃に起こった現象が理解できた。
遺物となった拳銃は、術式が発動しているのだろう。伏川町住人の全員かは分からないが、転移者は術式を扱える可能性が高い。
警官が到達した時点で、学校内には近隣住人と生徒を合わせ数十人がいた。
問題はここから。
「虎が来やがったんだよ」
山田が昨夜を思い出し、苦い顔をする。
「虎?」
「ああ、牙の長い、サーベルタイガーみたいなヤツだ」
そいつが一人、また一人と嬲るように学校内の人間を仕留めて行き、学校から逃げだした者はカラスの餌食となる。
明け方までに弾を撃ちつくし、警官は全滅、生き残った者は、二十人に満たなかった。
そして、陽が登ってから襲来する蜂。今一度、自動車での脱出を試みた者が爆死、他の者は学校外に走って逃げ出す。
蜂の襲来については、アカリが替わって話した。
「蜂に襲われた若葉が、私の目の前で、生きたまま連れ去られた」
彼女が泣きそうな顔で、先刻の出来事を思い返す。
瀬津は若葉と二人で生き残っていたが、妹は足を挫き、蜂に捕まったらしい。
「どこに連れて行かれたか分かるか?」
涼一が尋ねると、山田とアカリが同時に答えた。
「巣よ」「巣だ」
蜂は校舎の三階を根城にし、巣造りを始めたと言う。
学校を放棄して逃げ出す時に見た校舎は、三階壁面が六角形の穴で覆われ、地球の蜂の巣とそっくりだったと。
「確かに、若葉が生きてるか分からない。でも……」
「お前の妹だったとはねえ」
山田も神妙な顔になっている。彼は若葉と会ったことがなく、これまで涼一との関係も知らなかったそうだ。
幼い頃の妹は、涼一が守るべき存在だった。泣き顔で下校してくることもよくあり、その度に彼は言っていた。
“俺が守ってやるから、心配するな”
いつしか成長し、兄を諌めることも増えた妹だが、涼一の印象はあまり変わっていない。
――くそっ、若葉はここに来ていて欲しくなかった。
二人の話を聞き終わると、涼一はレーンにいくつか質問するため、大通りに戻る。
彼女の機嫌が悪く見えるのは、余計な足止めを食ったと考えているせいだろう。
「さっきの虫に攫われた人間は、どうなるんだ?」
「食糧ね。巣に持ち帰って、麻酔で眠らせ、少しずつ幼虫の餌にするのよ」
涼一の気持ちを知ってか知らずか、彼女はサラっと説明する。
「どれくらい生き延びられる?」
「運が良ければ……三日くらいかしら」
「なら、まだ望みはある。巣にいる人たちを助けたいんだ」
「手伝う気はないわ。帝国軍本隊が来るまで、あまり時間がないもの」
彼女の答えは、彼も予想していた。
レーンにとって、救出はあまりに利の無い行動だ。
「俺の妹も捕まっているんだ」
この言葉には、レーンもピクリと反応するが、返答には迷っている。妹を助けるには、彼女の協力がどうしても欲しい。
今回は、蜂が巣を作った場所が良かった。涼一はもう一押しする。
「学校には、いい遺物があるぜ。派手かは分からんけどな」
「へえ。聞かせて貰おうかしら」
レーンは露骨に興味を示し、詳細を求めてきた。
正直、少し卑怯なやり方かな、と涼一は思う。学校に行っても、本当にレーンの求める物があるかは分からないからだ。
ただ、母校には優秀な科学部があったせいか、理科系の比較的充実した資料室が存在した。平凡で小さな町にしては、貴重な物もあったはずだ。
マキローやハチジェットの経験から、伏川町の物質は魔力を帯びていると、彼は推察した。レーンの言う、“魔素”が注入された状態だ。効果から考えると、含む魔素はかなりの量だろう。
地球の産物は乾いたスポンジの状態であり、転移を経て魔素という水に漬け込んだのだと、涼一はイメージしている。この彼の想像は、そこまで間違ってもいなかった。
魔素は、それ自体に効果が内在しているわけではない。
「目的は機能を規定する。つまり、先に効果が定められていて、魔素がそれを増幅発現するのよ」
彼女は、そう説明した。
原理は皆目分からないが、殺虫の効果がハチジェットに規定されてしまい、魔素によって、超常の力にまで増幅されたということだ。これが“術式”を組み込むということ。
ならば、試してみる価値があるあれこれが、涼一の頭を巡った。
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