009. ドスバーガーにて

 もうすぐ学校も見える場所まで来ていたが、言葉が通じるなら涼一には話したいことがある。


 少し落ち着ける場所を探し、リザルド族の遺体の近くにあるファーストフード店を選んだ。ドスバーガー、Dのマークのハンバーガーショップだ。

 通りに面したウインドウにはヒビが入り、店内には案の定、死肉が散乱している。

 とは言え、通りの状況も似たようなものだ。彼は椅子に座れるのを優先し、躊躇うことなく店内に入る。


 中には血の臭いが充満していたため、せめて扉は開けっ放しにしておく。開き戸の近くのテーブルに進み、涼一は椅子に腰かけた。

 彼の恐怖心や嫌悪感というものは、異変後半日以上経って、早くも麻痺してきていた。少女を案内するような場所でないという常識は、すっかり忘れられている。

 レーンも血溜まりを踏まないように気をつけつつ、彼の前に座る。


 涼一は最初に、一連のレーンの行動の意味を尋ねた。

 彼女曰く、二人ともが術式を発動させ、念話を成立させたかった、と。“念話の術式”とは、異言語の理解を、イメージ伝達も交えて可能にするものだ。今の会話中も、チラチラとレーンの考える映像が、頭に浮かぶことがある。


 魔石に自分の魔素を注入し、術式を発動させる、それが手順だった。涼一自身にも魔素はあると言われたが、その制御方法を彼が知るはずもない。

 そこで、強引に発動するために、魔石を彼に飲ませたということだ。

 ジェスチャーで水を飲む真似をすればよかったんじゃないか、涼一はそう思ったが、彼女には言わなかった。


 名前を教え合ったことは別にして、初めてまともに言葉を交わした二人は、お互いの印象を微修正する。

 レーンは会話の節々で、涼一が常識が通じない異世界人であることを再認識したらしい。涼一の感想は、彼女は見た目ほど幼くない、だ。無駄を嫌い、簡潔に話す彼女は、少なくとも子供っぽさとは無縁だった。


 その後はレーンの主導で話は進み、彼女の知るゾーンの概要が語られる。

 魔法陣、転移の術式、帝国と軍――。

 涼一は、椅子に深く座り直し、店内の惨状に視線を漂わせつつ、彼女の話を反芻する。


「……伏川町は円形に切り取られ、この世界に召喚された、と。その結果が、これか」

「なぜ、とか、どうやって、なんて聞かないでね。私にも分からない」

 レーンが芝居がかったやり方で、両手を挙げて頭を振る。

「地球人、つまり俺みたいなのが現れたのは初めて?」

「人工の遺物があるんだから、別世界の人が呼び出されてても不思議じゃないわ。それが“地球”人かは知らないし、遭ったこともないけど」

「助けになりそうな先輩もいないんだな」


 涼一は途方に暮れる。予想はしていたが、一大学生に対処できる問題じゃなかった。

 普段なら一笑に付すような事態だが、昨夜からの経験が、彼女の話の信憑性をこれでもかと裏付ける。

 こうなると、気になることを、一つ一つ潰していくしかない。


「俺は…… 妹がここにいるか知りたい。高校が転移していれば、俺の知り合いも何人か来てる可能性がある」


 仲間が欲しいというより、情報交換がしたかった。


「できれば、それまではレーンと一緒に行動したいんだ。構わないか?」

「ええ、いいわ。ただし、交換条件があるわよ」

「俺に出来ることか?」


 レーンは自分の来た目的を告げる。至宝の遺物、そんなものを見つける手助けをして欲しい、これが彼女の頼みだ。


「いいけど……、そんなお宝、見当も付かないな」

「天候を操る宝玉、時間を遡る魔時計、なんだっていいわ。派手なやつなら」

「無茶言うなよ。地球に魔法なんてカケラも存在しないぜ?」


 そうなの? と言いたげに、レーンが片眉を上げる。

 彼女は怪我をしていた脇腹をポンと叩き、昨晩の“魔法”を彼に思い出させた。


「凄かったじゃない、回復の遺物。あなたが発動させたわよね?」

「マキローはただの殺菌剤だ。魔力なんて無いんだけど」


 確かに魔法としか思えない光が現れたが、術式を使った自覚は無い。涼一の否定を聞いて、しばし考え込んでいたレーンは、何かに思い至ったようだ。


「目的は、機能を規定する」

「えっ?」

「機能が結果を定めるんじゃない。魔素制御の基本よ。リョウイチの世界に魔素が存在していないのなら、ここの遺物の魔素量はおかしい。転移の時に大量に吸い込んだのだとしたら――」


 彼女の言葉は、突然の爆発音で遮られた。

 ドーン、という地響き。次第に大きくなってくる悲鳴と、近づく多数の足音。

 それに加え、モーターの回るような震動音が、わずかに聞こえてくる。

 レーンは立ち上がり、魔弓に矢を装填した。


「当然、昼はあいつらが来る頃ね」


 二人は店の外に出て、悲鳴の方向に目を凝らす。

 先に状況を把握した彼女は、ドスバーガーの店外看板に身を隠しつつ、片膝をついてしゃがんだ。

 何が起きているのか分からない涼一も、大人しくレーンの真似をして、街路樹の後ろに隠れる。

 レーンは彼よりずっと早く、前方から迫る敵を目視した。


「七、八…… 九匹くらいね。無駄な戦闘は避けたいけど……リョウイチはどうしたい?」

 涼一には、小さな人影が見えるだけで、何が悲鳴の原因かは分からなかった。

「またカラスか?」

「“カラス”?」


 彼が昨夜の巨鳥のことだと説明すると、レーンは違うと言う。


「グライは夜行性よ。あいつらほど厄介じゃないけど、数が増えると面倒ね。逃げるなら今のうち」

「放っておけば、みんな死ぬ?」

「……おそらく」


 ただ闇雲に逃げ惑う人々の様子からして、いずれみんな捕まるだろうと、そうレーンは告げる。

 涼一は決して正義感溢れる性格ではない。自己犠牲なんてまっぴらだと常々思っている。しかし、見殺しにできるほどには、冷酷になれなかった。


「すまん、助けてやってくれるか?」

「了解」


 彼女は事もなげに頷く。


「矢でも処理できるけど、せっかくだし試してみましょう」


 彼女は使ってみたい戦法があると言い、リュックの中を漁り始めた。


「リョウイチはこれを持って」


 取り出された物を見て、涼一の伸ばしかけた手が止まる。


「……ええっ!?」





 逃げる人々が近づくにつれ、震動音は重低音に変わっていく。

 麻痺させていた本能的な恐怖心が、涼一の胸に再び蘇った。


 レーンと涼一は通りを挟んで二手に分かれ、物陰に潜んで時機を待つ。

 作戦はこうだ。敵は複数。まずローブを脱いだレーンが、何匹かを射殺する。

 敵の探知能力は高く、残りの連中が殺気を放った彼女に向かうはずなので、それを涼一が背後から倒す。


「……俺が倒すのかよ」


 ダメなら私が自力でなんとかするわよ、そうレーンが笑って言わなければ、こんな作戦には乗らなかった。

 彼女はずっとローブを着たままだったので、今の姿は新鮮に感じる。

 使い込まれた革のチュニックに、カーキ色のパンツ、見ようによってはカウガールのようなスタイルだ。


 通りの向かいの彼女を、つい眺めていると、レーンの魔弾が発射された。

 赤く空に引かれる魔素の光は、昼間でもハッキリと見える。


「やるだけやるか。不安しかないけどな」


 赤い光線は、遠方上空で、絡まった糸のように不規則な塊を描いた。

 この攻撃で、既に何匹かは倒していると思われる。涼一はレーンの腕前を疑わなかった。


 すぐに重低音が大きくなり、空中を高速で飛来する物体が三つ。相手にする敵の姿が、涼一にももうはっきり見えた。

 透明な四枚羽、赤と黒の縞模様。

 地球の物とは、細部がずいぶん違うが似てる――蜂だ。


 涼一が手に持たされたのは、サークルエイトで手に入れた殺虫剤ハチジェットだった。缶のイラストは、赤地に黒の二色刷りのため、襲来する敵と瓜二つに見える。


 ――でも、レーン。地球の蜂は、あんなに巨大じゃない。昨夜のカラスと同じ大きさじゃねえか!


 蜂はあっという間に涼一の真横まで飛来し、二匹はレーンのいる方に、そして一匹は彼の方に向き直った。

 蜂の羽が巻き起こす風が、近くの商店の窓ガラスを、ビリビリと震動させている。


 ――ダメだ、気付かれた。


 涼一は巨大な複眼と目があった気がした。


「ええいっ、くそっ!」


 ヤケ気味に、殺虫剤を掲げ持ち、聖火ランナーのように蜂に向かって行く。


「当たれ!」


 噴射ボタンを押した涼一は、目茶苦茶に缶を振り回した。

 殺虫剤の効果は派手で、昨夜のマキローの比ではない。ハチジェットから濃い緑色の光が噴き出され、視界を埋めるほどの魔素の渦を作りだす。


 渦に閉じ込められた蜂たちは、三匹ともピタリと羽を静止させて地上に落ちた。ドサっと鈍い音が、三重になって響く。

 緑の渦はしばらくの間、その場に留まり、やがて何事も無かったように霧散した。

 レーンは魔弓を降ろし、まだ緊張の解けない涼一へ、ゆっくりと歩み寄る。


「瞬殺の毒霧。侮れないわね、地球の術式は」


 劇的な成果を得て、満面の笑顔だ。


「…………おうよ」


 楽しそうな彼女を横目に、彼はその場にへたり込む。


 ――若葉がいたら、一缶欲しがるだろうな。


 死んでなお不気味な蜂を眺めつつ、涼一は虫嫌いの妹を思い出していた。

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