2. 転移の街

008. 伏川町の朝

 簡易バリケードをどけて、涼一たちはサークルエイトの外に出た。


 明るくなった駅前は、既に動く物は無く、無惨に食い散らかされた肉片だけが点在していた。

 カラスたちが運んだせいで、遺体の数そのものは少ない。涼一の精神衛生は多少守られたが、あちこちに残る血溜まりが、犠牲者の尋常で無い多さを物語っている。


 レーンは彼の横を通り過ぎると、広場の真ん中に横たわるカラスの死体へ一直線に向かっていった。昨夜、唯一彼女が撃ち落としたヤツだ。

 カラスのそばに腰を落とし、その首を押さえたレーンは、腰のナイフを取り出す。涼一がコンビニで見つけた包丁より、一回りは大きい。

 彼女は慣れた手つきでカラスの頭を切り落とし、頭部をナイフで叩く。カラスの頭蓋はあっさりと割れ、その中に彼女は手を突っ込んだ。


 ――何をしている? まさか食べる気か?


 やがて大きな針のような物を頭から取り出すと、作業は終了する。彼女は手と針の血を布で拭い、その針を肩から掛けたベルトに装着し直す。

 一連の作業を見て、涼一もようやく理解した。

 彼女の武器はレーザーではなく、あのダーツのような針だった。回収までするところからして、無駄撃ちはできないということか。


 手はともかく、返り血を浴びた彼女の顔は殺人鬼のようだ。明るくなってもぼーっと輪郭が霞むローブに、誰かを殺したばかりかのような姿。

 構わず道を行こうとするレーンに、涼一は慌ててタオルを差し出す。

 キョトンとしている彼女は、涼一の顔を拭う仕草を見て、ようやくタオルを使った。

 綺麗になったレーンに、彼は駅から続く大通りの先を指し示す。


「まずはこの駅前大通りを、進んでみよう」


 高校も途中に見えるから、彼女さえよければ立ち寄れる。異論の無さそうなレーンとともに、彼は駅を後にした。




 駅から離れてもアスファルトを汚す血は消えず、加えて炎上するバイクや自動車が増え、黒い煙を上げていた。

 空を見上げれば、街のあちこちで似た煙が立ち上がっているのが分かる。大きな火事に発展したのか、北西の空は広い範囲で黒くくすんでいた。


 遠くに大きな鯉のぼりが、たなびいているのが見える。

 そういえば明日はこどもの日だったなと、そこだけが場違いな日常に思え、涼一はやり切れない思いがした。


 気になるのは、人影が無いことだ。

 いや、窓の奥や扉の向こうに、何人かの生存者は確かにいた。ただみんな、涼一が近づくのを見て隠れてしまう。第一、それらを勘定しても人の数が少な過ぎる。


 おびただしい血と、少ない人影。なかなか認めたくなかったが、そこから出される結論は一つ。

 この時点で、伏川町の大半の住民は死亡してしまったのだ。カラスに食われたのか、“動く死体”となったのか、直接の死因は不明だが。


 十分ほど歩いて、ようやく話ができそうな四人組の集団に出会う。量販電気店ギガカメラの店の前で、彼らは何事かを相談していた。


「おいっ、止まれ!」


 集団の中で、最も屈強そうな男が怒鳴る。四人とも涼一以上に血だらけで、手には各々が武器になりそうな物を持っていた。


「何があったか、知りませんか?」


 軽く両手を上げて涼一が近づくと、男は鉄パイプの先をこちらに向ける。


「動くな! そいつは何モンだ?」


 男はレーンに目をつけた。


「恰好はこんなんですが、助けてもらったんです。警戒しなくて大丈夫ですよ」

「信用できるか」


 胡散臭いとは思うものの、問答無用とは随分だ。しばらく睨み合った後、男が折れて話を始めた。


「……そいつみたいに得体のしれない連中が、暴れ回ってやがる」

「暴れ回る?」

「ああ、家になだれ込んできたと思ったら、いきなり刺しやがった。ヨメも子供も殺された。倒れてて抵抗できないのをいいことにな。こいつらも似たようなもんだ」


 他の三人も、昨夜を思い出し顔を歪ませた。


「カラスに蛾、街はバケモンだらけだ。あいつら、絶対に許さねえ」


 涼一もカラスの襲撃を思い返したが、刺し殺すという表現は当てまらない。不審者がいるのかと尋ねた彼に、ヒステリックな早口が返ってきた。


「この先に、一人始末したヤツが転がってるぜ。お前も見れば分かる、アレはバケモンだ。 ハッ!」


 血走った男の目には、既に狂気が宿り出している。

 涼一は会話を続けるのを諦め、四人組から離れようとした。


「そいつは人間みたいだからな。兄ちゃんに免じて、見逃してやるけどよ。せいぜい、後ろから斬られんようにな!」


 男は涼一から関心を失ったのか、またボソボソと他の三人と喋り始めた。この隙に、通り過ぎてしまう方がいい。

 どうやらレーンの姿は、涼一が思う以上に警戒されるらしい。


 一方、彼女は会話の間もキョロキョロと何かを探していて、男たちには興味が無かったようだ。

 いきなり襲われても、上手く反撃しそうなレーンではあったが、人と戦うのはカラスとは訳が違う。


「変装させた方がいいのかな……」


 涼一が独り言をつぶやきながら歩いていくと、男が言った「始末したヤツ」が、車道の真ん中に転がっていた。

 これには彼も認めざるを得ない。

 どう見ても、死体は人間ではなかった。





 リョウイチが鉄の棒を持った男と話している間も、レーンは遺物を探していた。

 ゾーンにある物は全て遺物であり、そういった意味では、手当たり次第に持ち帰ればいいだけだ。昨夜待機した場所には、それこそ手頃な遺物が、ゴロゴロあった。

 だが、最も価値の高い物を、となると難しい。


 今のところ、リョウイチが使ってくれた治癒の遺物が印象深かかった。

 脇腹の痛みはすっかり消え、傷口は塞がっている。その効果にも、術式を発動させた彼にも驚いた。


 術式は、大量の魔素を含んだ魔石に刻むのが基本だ。魔素を簡単に取り出せる魔石なら、魔導兵のような素養のある者は容易に扱える。

 レーンは魔石を使わずに術式発動できる能力があり、これは普通ではあり得ない。王国ではかなり珍しく、帝都でも可能なのは一部専門職くらいだろう。


 昨夜の遺物は魔石とは異なり、誰にでも扱える物ではないが、価値があるのは間違いない。しかし、どうせならもっと未知の効果の遺物が欲しい。

 リョウイチと話せれば、探索もスムーズに進められるのにと、また何度目かの後悔を心の内でボヤく。


 レーンがゾーンに辿り着けたのは、幸運が重なった結果だ。

 時機良く出現する魔法陣。最短距離で到達した、警備の穴。家族に降りかかった悲運を、まるでここで取り返しているようでもある。

 そして、彼女の幸運は、まだ終わっていなかった。


 道を行くレーンの目の前に、皮鎧を着込んだ冒険者が倒れていた。

 昨夜、南から突入した一人だろう。緑の鱗に、黄色い眼。知性あるトカゲ、リザルド族の遺体だった。



 リザルド族は帝国北西の島に住む種族で、文化も言語も、人族とは似ても似つかない。

 フィドローン王国では、ほとんど見かけない種族であり、帝国北方を中心に少数が傭兵や冒険者として活動している。優れた身体能力は、戦闘者向きなのだ。


 意外と温厚な性格の者が多く、この遺体も武器を取り出した形跡が無い。

 大方、冷静になるよう呼び掛けたところを、いきなり後ろから串刺しにされたんだろう。うなじに、ナイフが突き刺さったままになっていた。硬い表皮を貫いて一撃とは、殺害者は相当な膂力の持ち主だろうか。


 レーンがこの遺体を見て喜んだのは、その持ち物に期待できるからだ。

 人族とコミュニケーションを取るために、リザルド族なら、貴重な“念話の魔石”を持っていることが多い。


 果して、予想に違わず、腰のポーチに三つの魔石が入っていた。

 死体を漁る姿に、リョウイチが妙な顔をしているが、構いはしない。

 使い方は簡単だ。お互いが石を持ち、自分の魔素を送り込むだけ。リョウイチに一個押し付け、彼女も自分の右手に握り締める。


 ――後は魔素を流し……ん?





 涼一がトカゲの死体を見つけたと同時に、レーンはダッシュで駆け出した。いきなり死体のポーチを漁り出す彼女に、さすがに涼一も引く。


 ――んー、他国の慣習に口を挟むもんじゃないな。特に、耳の長い人種なら。彼女なりの供養かもしれん。


 黙って見ていると、レーンはポーチから小石を取り出す。

 涼一の手に、その石を一つ持たせると、何か期待した顔で彼を見つめた。


「えーっと、分け前か?」


 そのまま固まっていると、彼女はバタバタと手を振り回して、ジェスチャーゲームを始める。


 ――うん、石を。強く握って…………振り回す?


 手をグルグル回し始めた涼一を見て、彼女の顔が絶望的な表情に変わった。

 レーンは涼一の石を奪うと、地面に叩きつけた上にガシガシと踏みつけ始める。


「レーン、物に当たるのはよくないぞ」


 段々と、幼女を構う父親の気分になってくる涼一。

 本気のレーンの攻撃を受けた小石は、ついに粉々になり、アスファルトの上に散らばる。それを彼女は、丁寧に手で集め出した。


 彼の顔には、さぞ大きいクエスチョンマークが浮かんでいたことだろう。

 彼女の手が涼一のリュックを探り、“八甲のおいしい水”を掴み出した時も、されるがままになっていた。

 レーンはナイフでペットボトルの口を切り飛ばし、集めた小石紛を中にサラサラと流し入れる。


「おい、何をする気だ?」


 彼女はカラスを狙う、あの狩人の顔に戻っていた。

 熟練した狩人の手は、一瞬で涼一の首根っこを抑える。ペットボトルを口に押し当てられ、水が口腔から溢れ出した。


「ごぶぁっ!」


 地面に水を撒き散らしながらも、相当量が胃に入る。鼻からも水を出し、涼一は恨みがましい目でレーンを見た。

 一仕事終わった彼女は、満足そうに獲物を開放する。


「はあ、疲れた」

「こっちのセリフだよ」


 すかさず言い返した涼一は、すぐにおかしいと気づく。


「あれっ、今、言葉が――」

「上手く行ったわね」


 レーンは悪戯が成功した子供のように、ニヤリと笑った。

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