第28話『最終決戦です』

「素晴らしい。なんと素晴らしい光景だ!」


 第二の精霊サガンの登場は、カルデニスとニコラのいる場所からもしっかりと見ることができた。

 二体の精霊による対決はサガンがやや劣勢という様子だが、アグデラも着実に消耗している。このままではサガンを倒すだけで大きく力を消費してしまうだろう。しかしそれを見ているカルデニスには焦りなど一切見られず、たださっきのように歓喜の声をあげるばかりだ。

 ニコラはそんな彼に、形容しがたい不気味さを感じていた。


「……何がそんなに素晴らしいって?」

「貴様には彼らの戦うさまが見えんのか? あの雄々しい姿! 力と力のぶつかり合い! 見ているだけでも心躍るではないか!」

「へっ、随分余裕じゃないか。事情は分からないにしても、あの精霊はお前の呼んだ精霊を倒そうとしてるんだろ? 計画が頓挫すればお前も困るんじゃないのか」


 ニコラが皮肉っぽくそう言うと、カルデニスは少し真顔に戻る。


「事情なら分かっている。あれを呼び出したのはアリスだ」

「……なんだって!?」

「どうやらあの小娘、地獄から舞い戻って来たらしい。驚くべき執念よな」

「そっか……あいつ生きてたんだ」


 ニコラはカルデニスの言葉も聞かず、安堵のため息を吐いた。会ってたった数日しか立っていない相手だが、彼女は自分の過去についても親身になってくれた人だ。おせっかいではあったが、嫌いにはなれない。


「ふん、だが無駄なことよ。私がもう一度地獄に落としてくれる」


 ニコラの思いに水をさすように、カルデニスが笑う。


「ニコラよ、さっきお前は俺の余裕を問うたな。答えは簡単だ。いくら消耗しようが、俺にはこの切り札がある」


 そう言って取り出すのは、赤い宝石。あの魔道具だ。


「……一体それがなんだって言うんだ。お頭は本当に何も知らなかったみたいだけど」

「まあそうだろうな。これはこの国の建国以前に作られたものだ。かつては由縁があって受け継がれていたのだろうが、すでに形骸化していてもおかしくない。……ところでお前は、魔法がいつ頃に確立した技術知っているか?」


 突然そんなことを言われて、ニコラはきょとんとする。


「知るわけないだろ。そんなこと」

「正解だ。答えは『誰も知らない』。霊素の存在は有史以前から知られ、それを肉体に取り込んで筋力を強化する体質も存在した。しかし霊素を火霊、風霊、水霊、土霊などに分けて定義し、念波干渉によって炎や水流を作り出す魔法というものは、ある時突然歴史上に姿を現した。いつ、誰が研究し始めたのか誰も知らない。それどころか原理を解明できぬまま、ちゃんと発動するからという理由だけで使われている魔法も少なくないのだ。そして精霊召喚は、それの典型的な例だといえる」


 カルデニスは朗々と話す。学のないニコラには今一つ理解が及ばない内容だったが、彼は気にした風もなく言葉をつづけた。


「精霊召喚は複数の魔法によって構成されている。空間に穴を空ける魔法、特定の精霊だけに信号を送る魔法、精霊に霊素を供給する魔法。そして、『命綱』だ」

「『命綱』?」

「精霊と彼らの世界を結びつけたままにしておくためのシステム。これがあるからこそ、精霊召喚には維持限界が存在する。だが、その厄介な魔法を排そうという試みもあった。それがこの国の建国以前、呪われた土地と呼ばれていた際にここにいた原住民たちよ。過酷な地に生まれた彼らは、そこで唯一豊富だった霊素を支配する呪術民族でもあった。自らの命運を大いなる存在に託そうとした彼らの、祈りと研究の成果がこの赤く宝石だ」


 段々と事態が理解できてきたニコラは、ごくりと息をのむ。


「つまり……そいつを使えばあの精霊はずっとこの世界に残り続けるってことか?」

「そうだ。今のように門を維持する必要はない。これがあればアグデラは死ぬまで暴れ続けられる。そしてそれだけではないぞ? 『命綱』を切り離された精霊は、この世界に満ちる霊素を直接取り込むことができるようになる。普段霊素の少ない世界にいた彼が、濃密な霊素にありつけるのだ。人間のような弱い存在ならその差に耐えきれぬが、彼らは違う。その力を何倍にも膨れ上がらせ、今以上に強力な魔法すら使えるようになろう。そうなればバックアップすら受けてない精霊など赤子同然。この大地ともども一瞬で滅ぼすことすらできる」

「……!」


 ニコラの背に悪寒が走る。冗談じゃない、今ですら被害が大きそうな戦いを繰り広げているのに、これ以上強力な力を発揮されたら本当に国の危機だ。

 だが、それと同時に頭の中で閃くものがあった。彼はゆっくりと手元をよじる。これでも元盗賊だ。自分を縛る縄はこっそり解いておいた。足のほうまでは上手くいかなかったが、これで何とかカルデニスの目論見を止めなければ。


「ふん、無駄なことはよせ」


 どきりとした。絶妙なタイミングで、カルデニスが振り返る。


「私が貴様を殺さぬのは、貴様があまりにもとるに足らない存在だからだ。腕だけが自由で何ができる?」

「……取るに足らない、ね。だから盗賊団員の中で、俺一人取り逃がした時も気にしなかったのか?」


 突然違う話にすり替えられてカルデニスは少し面を食らう。しかしすぐに笑みを浮かべ直した。


「頭目がいなくなった後のことか? その通りだ。子ども一人どれだけ奔走したところで、私の計画は揺らがない。現に貴様は何もできていまい」

「アリスも言ってたよ。戦えない子どもは連れていけない、過去は胸にしまって前を向けって。けどな、やっぱりお前に仕返しをするまでは、過去の清算なんでできっこない。……俺はここに来る時、覚悟を決めてきた。明日を生きるために今日を乗り越える覚悟だ。お前の計画は必ず潰える。それが嫌なら、今ここで俺のことを殺しておけよ」

「はっ、言いよるわ小僧! ならばやってみるがいい! 俺は一度殺さぬと決めた者は殺さぬ。貴様の小細工で私の目論見を打ち砕いてみろ!」


 そう言って、カルデニスは背を向ける。彼の前にあるのは、アグデラの召喚門。そこから光のクダのようなものが生え、アグデラの背と繋がっている。これが『命綱』なのだろう。

 彼はそのクダに向かって宝石を掲げる。霊素が集まり、赤く輝き始めた。


「古き民の秘石よ、その役目を果たせ! 精霊を縛るしがらみを断ち、この地へと降ろすのだ!」


 その瞬間、ニコラは自由になった手である物を掴み、渾身の力で投げ飛ばした。

 同時に、カルデニスは予め身体に仕掛けておいた防御魔法を作動させる。


「ふんっ、所詮は浅知恵か! 小石を投げるごときしかできないとはな!」


 だがニコラが投げたものは、カルデニスの遥か頭上を飛び越す。狙っていたのはカルデニスではない。その先にある『命綱』だ。

 投げたものが『命綱』に触れた瞬間、宝石の魔法を発動する。赤い輝きが光線となり、『命綱』を消し去ろうと放たれる。しかしクダを打ち消す寸前、光線はもう一つの光に遮られる。白く、淡く、包み込むような光。それはニコラが投げたものから放たれていた。


「あれは……結界魔法!?」


 それはカダルからアリスへ、アリスにからニコラへと送られた守りの魔道具。『アイダの守護石』だ。仲間ではなく、自分ではなく、かき消されようとしている『命綱』に対してそれを発動し、宝石の魔法を弾いたのだ。

 まったく予期しなかったことに、カルデニスは慌てる。


「そんなっ……! も、もう一度だ! 秘石よ、もう一度役目を!」


 だが、再び宝石に輝きが宿ることはなかった。この魔道具はすでに、アリスが起こした誤作動によって霊素を大きく失っている。そして今もう一度不発を起こしてしまい、すでに燃料切れなのだ。再び大気中の霊素をかき集めるにしても、また長い時間がかかるだろう


「馬鹿な……私の計画が、そんな……」

「言っただろ、俺は必ずやるってな」


 ニコラはにやりと笑った。カルデニスは振り返り、憤怒の表情を浮かべる。


「忌々しい小僧め……! 殺してやる!」

「一度殺さないと決めた相手は殺さないんじゃなかったっけ?」

「黙れ! もはや我慢ならぬ! 心臓を抉り、骨を砕き、むごたらしく殺してやる!」


 カルデニスの怒りは常軌を逸したものだった。ニコラは観念して目をつむる。未来なんてのは、俺の手にはあまるものだったらしい。そう胸の中でアリスに謝りながら。

 しかしカルデニスは手を振りかざす寸前、急にその場から飛び退いた。そしてさっきまで立っていた位置に、強烈な風魔法が放たれる。


「ニコラ君!」


 まるで見計らったかのようなタイミングで、アリスが彼を助けに来たのだ。




 間一髪のところでカルデニスが手を下すのを阻止したアリスは、そのままニコラとの間に割って入る。


「シオン君、ニコラ君を安全な場所へ!」

「はいっ!」


 彼を背にしながらシオンに命じる。ニコラはシオンに足の縄を解いて貰いながらもアリスに呼びかけた。


「アリス、あの魔道具のことはもう心配ない」

「えっ?」

「俺にできるのはこれまでだ。後は任せたぞ」


 そう言い、シオンとともに戦線を離脱する。アリスはしばらくその意味を考えていたが、やがて薄く笑みを浮かべた。


「まったく。何でこんなところにいるのかと思ってたけど、子どもは行動力ありすぎだよ。……でも、私もちゃんと自分の役目を果たさなくちゃね」


 そう言って、眼前のカルデニスに杖を構える。カルデニスは怒りの矛先を失い、溶岩のように顔を真っ赤にしていた。彼の背後には魔法陣と、等間隔に並んだ石像が立っている。どういうものかは分からないが、召喚門の近くにあることを考えればこれが召喚を維持していると見ていいだろう。


「カルデニス、観念なさい。あなたはもうおしまいよ」

「おしまいだと!? よ迷い事を! ここまで計画を邪魔されれば、なおのことを終わりになどできぬわ!」

「あなたは魔道具を失い、アグデラもサガンとの戦いで消耗する。あなたが嫌だと言っても、もはやその計画は潰えている」


 冷たく言うアリスに対し、カルデニスは駄々をこねる赤子のように首を振った。


「いいやまだだ! アグデラを命綱から解放することはできぬとしても、私がこの魔法陣を守る限りアグデラは留まり続ける! ここ一帯の霊素が枯渇するまで魔法陣を維持し、ギリギリまで戦ってくれる!」

「無意味よ。例えいくらかアグデラが暴れる時間を稼いだとしても、精々街一つがなくなるぐらい。それはこの国にとって大きな損害じゃない」

「国だと? そんなものどうでもいわ」


 カルデニスが吐き捨てた言葉に、アリスは眼を見開く。ここにきてあまりにも意外な答えだ。彼はこの国に復讐するのが目的だったのではないのか。

 動揺するアリスを見てカルデニスは鼻を鳴らす。


「どうやら貴様、この私の記録を調べたようだな。それを見て、俺の目的が不当な処罰をしたこの国へと復讐だとでも思ったのだろう」

「違うっていうの?」

「違わない、最初はな。俺は当時の国王とその臣下どもを見返してやるために魔法を研究していた。多くの弟子を取り、禁術にも手を出して。……だがな、そんな時に精霊アグデラとの契約を行い、俺は魅せられたのだ」

「魅せられた?」


 カルデニスの怒りの形相が和らぎ、うっすらと恍惚の色が顔に現れる。


「そうだ。精霊は圧倒的な力を持っていた。新たな生命を生む方法、高出力の魔法を下準備なしで放つ技術。人間の手が及ぶ範囲を軽々と通り越し、超然と君臨する異界の霊長。素晴らしいと思った。そして、同時に疑問を感じた。なぜこんなにも偉大な存在が、こちらではなく霊素の薄い世界に縛られているのかと。知りたい、そして見たい! 彼らが豊富な霊素を得て万全の力を発揮し、この世界に思うまま魔法を降り注ぐ姿を! その様子を見られるなら、私にはもうなにもいらない。国など、人など、もはや些事同然! 蹂躙が望みなら蹂躙を、破壊が望みなら破壊を! 私ただ、その力の奔流を一番近いところで眺めていられればいいのだ!」


 哄笑するカルデニスに、アリスが悪寒を感じた。

 この人は何故こんなにも狂ってしまったのだ。――たかが、そんなことぐらいで。


「貴様にも理解できるのではないか? 精霊と一言でも言葉を交わしたなら、その深淵の一端を――」

「理解できない。まったく、これっぽちも」


 吐き捨てるようにそう言うと、カルデニスも僅かに顔をしかめた。


「私は確かにサガンと話した。でもそれで分かったのは、精霊なんて人間と殆ど変らないってこと。拗ねたり、偉ぶったり、時々友達が欲しくもなる。そんなごく普通の相手だってことだけ」

「友達だと? 馬鹿を言うな。人の上位存在たる精霊にそんなもの必要ない」

「あなたには分からないでしょうね。精霊に対して勝手に陶酔するあなたには。はっきり言ってあなたは、ただ感受性が豊か過ぎるだけよ。初めて見る精霊に畏怖や嫌悪の感情を抱くことはあっても、心酔して人殺しまでするような人間はあなたぐらい。自分の異常さに他の誰かに巻き込まないで」

「なっ……」


 あまりにも冷たく一蹴され、カルデニスは絶句してしまう。アリスにとっては憐れみすら感じてしまうが、それでも杖を下ろすことはできない。


「召喚した精霊がアグデラのような凶暴なやつじゃなかったら、まだ救いようはあったかもしれない。でも、そうはならなかった。あなたは人を殺し過ぎたし、生命を冒涜し過ぎた。同情には値しない」

「……っ。はっ! ならばどうする!? 俺とともに魔法陣を砕いてみせるか!?」


 カルデニスはばっと手を広げる。そして同時に、自分の身体に施された防御魔法を拡張させた。半透明の被膜のようなものが膨らんでいき、彼と魔法陣を包み込む。


「私の防御を貫くことができるかな? 貴様のその杖の威力ならもう知っている。即席の魔道具としては見事な性能だが、私の結界に傷をつけるにはまだまだ弱い力よ」

「なるほど、あなたがそういうならそうなんでしょうね。でも、もしそれ以上の威力がでるとしたらどうかな?」


 瞬間、杖に込められた風霊が一気に先端へ集束する。

 教徒の村を制圧した莫大な量の風霊。その全てが杖の先端に集まっていく。


「――っ!? これほどの出力だと!?」


 ずっと考えていたのだ。かつてアリスは教徒の村で、無意識に風弾の魔法を輻射の魔法に切り替えて戦っていた。それが圧縮か拡散かという違いであれば、例えば全ての風霊の力を圧縮して放つような技もできるのではないかと。一撃ですらあの威力なのだ、もしそれができるならば、どんなものだろうが吹き飛ばすことができるはずだ。この戦いで杖を使ったのはまだ二回。杖には殆どの風霊が残っている。

 目の前に大気の球ができるのを感じる。光が屈折するほどの密度。ふと気を抜けば爆発してしまいそうだ。

 アリスは空いた手で汗を拭う。できるだろうか。シオンに魔法の才があると言われていい気になっていたが、今はまだ何の手解きも受けていない身だ。この威力の魔法が暴発すれば、おそらく自分は死ぬことになるだろう。

 だが弱気になり始めた彼女の足元に、淡く光る魔法陣が現れる。途端、あまりにも唐突に神経が鋭くなり、圧縮も安定し始めた。

 遅れて、背後からシオンがやってくる。ニコラを安全な場所に預けて戻ってきたのだ。


「霊脈強化の魔法を発動しました。……大丈夫です、アリス様。微力ながら力を尽くしますので、あなたも自分の才を信じて下さい」


 ああ、そうか。

 自分には彼がいる。力を貸してくれる。ならば、何を恐れる必要があろうか。

 風霊とそれが形成した大気が集束していく。大気とは、圧縮されると熱を持つようになる。高密度の空気塊となったそれは、段々と赤く輝いていった。

 極限まで赤く、小さく。目の前で米粒ぐらいに小さくなったそれが、一瞬の間を置いて、カルデニスに向かって弾ける。

 灼熱を身に纏った、一陣の風。

 大地を抉り、木々をへし折り、カルデニスの障壁に触れると一瞬で霊素構造を焼き尽くした。


「そんな、馬鹿なっ――」


 その叫びは、風が響かせる轟音に呑まれてアリスたちには届かない。

 のちにアリスが『燎原飛翔フィーニクス・ドライブ』と呼ぶ初めての魔法。その光と風圧の中にカルデニスの姿は掻き消え、石像と魔法陣も一緒に吹き飛ばされる。

 自らを維持するものがなくなったために、召喚門はゆっくりと閉じていく。命綱を追ってアグデラのほうへ振り向くと、悔しげに一鳴きして召喚門に吸い込まれる。同時に、眷属と思わしき怪物の影も同じように門の中に消えていた。


「ふん、やればできるじゃないか」


 戦っていたサガンがこちらを向いてにやりと笑う。


「終わった……の?」


 アリスは思わずへたり込み、そのまま仰向けに地面へと倒れた。

 見上げれば青い空があり、アリスを祝福するかのように太陽が輝いている。

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