第27話『そろそろラスボス倒しに行きます』

 泥の地面を靴底が叩く音がする。ぬかるんだ道なき道を、騎士たちが走っていた。


「それで、この先で間違いないのだな!」

「ええ。探知除けの結界が張られていたようですが、召喚門があるなら術者もその近くにいるはずです」


 クラウスとシオンが走りながら会話を交わす。

 精霊が召喚されたことで、戦場の空気は一変した。騎士団はすでに動死体の兵をあらかた片付けていたが、こちら側からも幾人かの死傷者が出ていた。本来ならこれ以上の戦闘は困難だ。それでも、精霊アグデラがこの地を脅かそうというのを見過ごすわけにはいかなかった。幸いにもシオンと合流したことで、治癒魔法や活力増進の魔法によって動ける程度にはなった。アグデラの目を掻い潜るように林の中を走り抜け、敵の首領たるカルデニスを探している。

 しかし、困難は尚も立ちふさがった。


「――クソッ、またこいつらか!」


 彼らの前に現れたのは、アグデラの眷属だ。手足の生えた巨大なオタマジャクシのような姿をしている。強靭な顎を持ち、おまけに体表からは絶えず毒素の霧を発していた。一体ずつならまだしも複数で来ると手が付けられない。


「ここは我々が食い止めます!」

「クラウスさんは早くカルデニスを!」


 数人の騎士たちが盾を構えて前に出る。クラウスは僅かに逡巡するが、部隊を任された者としての答えは決まっていた。


「……すまん、任せたぞ!」


 数人を残し、騎士団は再び走り出す。カルデニスを、召喚門を維持している魔法使いたちを倒せば、精霊もその眷属もこの地から返っていく。ただそれだけを考えて疾駆した。

 幸いなことに、アグデラは今のところ眷属を産むことに専念している。気がかりなのはむしろこちらの戦力だ。仲間たちは皆無理を押して戦ってくれているが、万全の状態に比べれば半分以下の力しか発揮できまい。


「シオン、君はどの程度戦える? 何度も魔法を使って貰って済まないが、今は少しでも戦力が欲しい」

「援護は行えますが、直接戦闘向きの魔法はありません。条件が揃えば大規模魔法も使えますが、それはアリス様がいないと無理です」

「む、いや、そうか。それは失礼した」

「私は、アリス様がいなければ何もできない」


 シオンは再び呟いた。


「魔法だけじゃありません。私はアリス様に従い、守るために作られた。あの時アリス様を助けられなかった自分には、もはや存在理由はありません」

「……アリスさんのことは残念だった。だがあまり自棄になるな。騎士が動死体となって彼女を襲ったなら、責は我々にもある」

「そういうことではないんです。私の全てはアリス様を中心に回っているんです。私は一度起動されてしまえば、再び眠りにつくことはできない。自分から壊れることも許されてはいない。自分の生涯の全てを賭けてアリス様一人のための魔道人形なんです。なのに私は彼女を失ってしまった。こんなにもあっさりと主人を亡くしてしまった! 私にはもう何もない! アリス様をお慕いするこの心を抱いていかなければならないのに!」

「……っ いい加減にしたまえ!」


 クラウスは耐えかねて、突然立ち止まるとシオンの胸ぐらを掴んだ。

 その小さな身体を自分の目線のところまで持ち上げて、真剣な表情で叱咤する。


「この非常時に腑抜けたことを言うのは許さん!」

「クラウス殿、でも私は……」

「主人が死んで存在価値がなくなったのに、眠ることも壊れることもできないだと? それがどうした。それは自由意志があるということではないのか!?」


 その言葉に、シオンは驚いたように顔を上げる。


「自由……意志……?」

「そうだ。自分の生涯を賭けたいと思う相手を見つけることも、その人と死に別れてしまうことも、人間にだってよくあることだ。そしてそんなことがあっても、辛さを堪えて生きていく人のほうが多い。例えお前が人形であろうと、自分の人生を投げ出すような真似は俺が許さん!」

「……!」


 その言葉はシオンを想像以上に動揺させたようだ。身体を硬直させ、考え込むように沈黙する。クラウスは少々酷だとは思いながらも、やはりシオンに奮い立って欲しかった。彼にこれから先も未来があるというのなら、尚更だ。

 更にもう一声かけようかと口を開いたところで、シオンの身体が不意にビクンと震える。そして突然辺りを見回し始めた。


「……? どうかしたか」

「今、魔力の反応が――あそこです!」


 シオンにつられるように頭上を見上げる。すると次の瞬間、空に再び裂け目ができた。裂け目はみるみるうちに穴に変わって、そこから黒く巨大な人影が現れる。

 まさかもう一体精霊が。クラウスの身体に悪寒が走る。しかしその黒い人影の肩に乗っている何者かを見つけ、違和感を覚えた。

 そしてシオンは、その身体に備わっている強化視力を持って、よりはっきりとその姿を見ていた。


「――アリス様ぁ!」




 アリスはサガンの肩の上で、何か小さな声を聞いた。


「……何だが、誰かに呼ばれた気がする」

「ああ、どうせあの人形だろう。すぐ送り届けてやる。だから先に俺の話を聞け」


 サガンは真剣な表情で話す。目の前のアグデラは目をつむり、触手をゆらゆらと動かしているだけだが、それでも彼は決して視線をそらさない。


「はっきり言って、俺ではあいつに勝てない。実力では勝ると自負しているが、今回はバックアップの差がある」

「どういうこと?」

「俺たち精霊は召喚される際、術者から霊素を補給しているのだ。だが今の俺は、いわば自分で自分を召喚したような状態。いくら俺の使う魔法が強大でも、燃料となる霊素が少ないのだから多様はできない。それどころか、無理をすれば召喚門もすぐに消えてしまうだろう」


 それは困る。精霊を取り巻く霊素の供給源というのは、意外にも大きな問題のようだ。


「つまり……できるのは時間稼ぎまでってことだね」

「そうだ。とりあえずこいつの動きは食い止めてやろう。お前はそのうちに、召喚を行っている者たちを何とかするのだ。召喚門さえ閉じれば精霊自体を――むっ!」


 突如、アグデラの目が開いた。サガンは話をしながらも警戒を緩めていたわけではない。だが、その瞬間アグデラの持つ触手が異常な速さでこちらに向かって来て、そのままサガンの胴や腕に巻きついた。

 ぐらりと身体が揺れ、アリスは慌てて彼の首にしがみつく。


「ふんっ……。ようやく起きたか老いぼれカエルめ」


 触手にきつく締め付けられながらも、サガンが不敵にそう言った。アグデラはそれに返すようにおぞましい鳴き声を響かせる。おそらく言葉は違っていても、精霊同士で意思の疎通ができるのだ。


「アリス、お前を乗せたままでは戦えん。そこから魔道人形のところへ向かえ」


 サガンがくいっと顎で指す。肩の先から階段状に魔法陣が出現し、それが地面まで点々と続いていた。この先にシオンがいるのだろうか。


「分かった。後は任せたよ!」


 アリスはその場から軽くジャンプし、魔法陣の上に飛び乗る。降り立ったときの感触はしっかりと固く、踏み外さなければ落ちる心配はなさそうだ。アリスはそのまま魔法陣の階段を駆け下りる。しかし駆け下りながらも、やはりサガンとアグデラの様子が気になって度々振り向いた。

 サガンは触手に捕らわれていないほうの腕を天に掲げる。すると彼の頭上に光が収束した。光の粒子が形作るのは、無数の槍。月光を押し固めたかのような青白い輝きを放ち、閃光のように放たれる。槍が大地に突き刺さり、轟音とともに地面が波打った。その際に何本かがアグデラの触手を穿ち、容赦なく引き千切る。アグデラの悲鳴が鳴り響いた。

 サガンは更に畳みかけるように槍を形成する。今度はサガン自身の身体と同じような、艶のない黒一色の槍だ。サガンはそれを掴み、投げ槍の要領でアグデラめがけて放った。槍が空を切る瞬間、勢いに巻かれた風がこちらまで吹いてくる。ジェット機のような轟音。しかしその槍は、アグデラに届きはしなかった。アグデラのすぐ目の前で突然に空間がぐにゃりと歪み、そこにできた『捻じれ』の中に槍が絡め取られる。原理は分からないが、何らかの防御魔法であることは明白だ。

 その激しい攻防を見て、アリスは冷や汗を流した。シオンの魔法を何度も見て来た彼女には分かる、あの魔法一つ一つが儀式魔法規模の威力であることが。それもおそらく、精霊たちはシオンのような小手先の技で儀式を短縮しているのではない。ただ使えるから使える。魔法と言う技術の習熟度が、自分たちの理解できるレベルを遥かに超えているのだ。

 だが技術の大きさは逆に、霊素量による差を一層広げることにもなる。サガンは時間稼ぎをすると言ってくれたが、こちらも急がなくてはいけない。

 そのまま足早に魔法陣の階段を下りていくと、一番下の地面にたくさんの人がいると気付いた。クラウスと彼の率いる騎士団だ。そしてそこには、シオンの姿もあった。


「アリス様!」


 胸に飛び込んでくるシオンをアリスはしっかりと抱き止める


「やあシオン君。ちょっと心配かけちゃったかな? ごめんね」

「アリス様……本当にアリス様ですか? 偽物ではありませんよね?」

「シオン君は私の顔も分からないのかな? 正真正銘のアリスだよ」


 不安がる彼の顔を見つめ、アリスはにっこりと笑う。


「アリスさん。御無事で何よりでしたが、あなたは動死体に刺されて召喚門に落ちたのでは……?」

「うん、落ちたよ。けど彼に助けて貰ったの」


 戸惑うクラウスの問いにそう答え、今まさに戦っている最中のサガンのほうを向く。


「精霊サガンがアリス様を助けたと……?」

「ええ。シオン君もいつか言ってたけど、確かに彼ってちょっとシャイだね。……さて、それよりも今はカルデニスのことだよ」


 感動の再会もほどほどに、アリスは話題を切り替える。


「説明は省くけど、サガンでは今のアグデラには勝てないの。だから彼が時間稼ぎをしているうちに私がカルデニスを倒して召喚門を閉じさせなきゃ」

「ええ、それなら我々も向かっていたところです。シオンが言うには、この先に敵の拠点があるのだとか」

「よし、それじゃあ速くそこに向かって――」


 アリスたちが話をしている最中、突然不気味な鳴き声が響く。振り向くと、そこにはあのオタマジャクシの怪物がいた。


「ちっ、また眷属どもか! 一体ぐらいすぐに蹴散らしてくれる!」

「いや、これは――」


 アリスは辺りを見回す。一体ではない。いつの間にか、四方八方からぞろぞろと眷属の怪物が集まっていた。

 アグデラがこちらの思惑を見抜いたのだ。自身がサガンに足止めを食らっているならばと、眷属を総動員して自分たちを殺そうとしている。


「――っ。者ども剣を執れ!」


 クラウスの号令が飛び、騎士たちが各々眷属たちへ剣を構える。クラウス自身もアリスを守るように前に立ち、眷属を見据えながら言う。


「こいつらは引き受けますので、アリスさんはカルデニスを追って下さい」

「……大丈夫なの? 皆ボロボロじゃない」

「いえ、本来ならばカルデニスも我々が誅せねばならない相手。しかし恥を忍んでお頼みします。彼を討ち、この戦いに決着をつけて下さい」


 目の前の怪物たちを睨みつけながら、震えのない声色で言う。それは、覚悟を決めた者の声だ。


「……分かった。私行って来るよ」

「アリス様、お供します!」


 すぐにシオンがそう叫ぶ。アリスは一瞬、連れていくべきか迷った。不発とはいえ精霊召喚を使ってしまった以上、もう儀式魔法は使えないだろう。そんな彼を連れていくことに意味があるのかと。だか彼はそんな気持ちを察したかのように続けて言う。


「これでも戦闘支援ぐらいならばできます! ……お願いですアリス様。今度は決して、あなたを失いたくない」


 アリスはその言葉から溢れる強い思いに驚き、それから嬉しくなってニッと笑みを浮かべた。


「分かった。一緒に行こうシオン君!」

「はいっ!」


 二人は騎士団の皆が拓いてくれた道を駆け抜け、カルデニスのもとへと向かう。

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