第26話『気が付いたら精霊の人がいました』

「……ふん、あの小娘は死んだか。召喚門を開いた時は驚いたが、存外あっけない末路だったな」


 カルデニスは呟く。

 彼はまだ湿地林の中にいた。戦場となっているところとは別の開けた場所で、距離もさほど離れていない。魔道具が手に入ったと早馬が知らせに来たのは、アリスたちが来る直前だった。そのためすぐに退路を用意することはできず、拠点だけずらして兵を囮にするという策を選んだのだ。

 幸い、陣地に張り巡らせた探知除けの結界が功をなし、まだこの場所のことは見つかっていない。精霊召喚を行う彼の弟子たちも、今この場で儀式の最終段階を進めていた。彼らは十数人程度で円陣を組み、魔法陣の中で霊素を練っている。シオンの40人よりも少ないが、それも当然。彼らの組織には精霊召喚を行えるほど優秀な魔法使いが少なく、その人数を埋めるために年単位の時間をかけて術式を構築していったからである。儀式を細分化し段階に分けて取り組み、長い時間をかけて作り上げた魔法が今ようやく完成しようとしている。

 カルデニスはふと目線を下げる。この場にいて彼の弟子ではない唯一の人間がそこにいた。


「アリスは死に、騎士どもは足止めを食らい、お前はここで掴まったまま。これでもう我々を邪魔する者はいなくなったわけだ。なあニコラよ」


 両手両足を縛られて地べたに転がったままの少年、ニコラは悔しそうにカルデニスを睨みつける

「もっともお前は我々の障害たり得なかったがな。所詮は子ども、勇気と無謀の区別もつくまいか」


 ニコラはアリスの忠告を受けながらも、仇討ちを我慢できず単身この湿地林まで来たのだ。だが当然のようにカルデニスの配下に捕まり、身柄を拘束されることになった。


「……っ。アリスが死んだなんて、嘘吐くなよ」

「信じぬか? それもよかろう。もはやあの小娘など些事同然のことだからな」

「カルデニス様」


 と、そこに弟子たちが彼を呼ぶ。


「儀式の準備、ついに整いました。いつでも精霊アグデラを呼び出せます」

「そうか! よくやったぞ諸君!」


 カルデニスは朗らかに笑みを浮かべる。汗を流し疲労した様子を見せる弟子たちを、一人一人抱擁してねぎらった。


「長い年月をかけることになりましたが、ようやく悲願が達成されますね」

「ああ、これも皆のおかげだ。心から感謝するぞ」

「勿体ないお言葉です、師匠」

「私たちも感無量の気持ちです」


 口ぐちに喜びの言葉を述べる弟子たち。カルデニスは彼らの言葉を頷きながら聞き、一拍置いてから再び口を開いた。


「私の教えをよく聞き、よく習い、よく実践した。お前たちはもう他の者とは違う、選ばれし稀代の魔法使いよ。私はお前たちを誇りに思うぞ。――さて、これであとは魔法を発動するだけだ。諸君はもう用済みだな」


 そう言い彼はぱちんと指を鳴らす。すると弟子の魔法使いたちは時が止まったかのように硬直し、一瞬で石と化した。


「なっ……!」


 一連の様子を見ていたニコラは絶句する。さきほどまで活き活きと笑い合っていた者たちが、瞬時に物言わぬ石像になったのだ。


「召喚を行った後の魔法使いは、霊素を集め供給するだけのタンクとなる。ならば命などいらんだろう」

「こ、殺したって言うのか!?」

「少なくとも、もとには戻らぬ」


 カルデニスはそっけなく言葉を返した。

 ニコラには意味が分からない。ついさっき惜しみない称賛を贈った相手に、まったく逆の仕打ちとは。否、そもそも彼らはカルデニスが手塩にかけて育てた弟子たちのはずだ。それを彼は、たった一瞬で無に帰した。


「どうしたニコラよ。私がそんなに不気味か?」

「……お前、一体何がしたいんだよ」

「愚問だな。私はただ、破壊と蹂躙を眺めていたいだけだ。本来なら貴様も殺してやるところだが……折角だ、冥土の土産に我が悲願の達成を見物していけ」


 そう言って、カルデニスは石となった弟子たちが囲む魔法陣の中心に立った。天に手を掲げ、霊素を流し込む。魔法陣が赤い光を放ち、空を引き裂くように空間に穴が現れた。どんどんと穴は広がっていき、ここ一帯を綺麗に覆うような漆黒が生まれる。

 ニコラは身の毛が弥立つのを感じた。アリスの呼び出した召喚門はここからでも見えたが、そこからは何も現れることなく消えてしまった。だが今度は、誰も止める者はいないのだ。


「時来たれり! 死に満ち溢れたこの場所で、私は貴公を呼ぼう! 遍く世界の秩序を滅ぼし、混沌の爪痕を刻むのだ! 出でよ、泥と病毒の精霊アグデラ・メカルよ!」


 穴の中から、ゆっくりと何かが現れる。

 ずんぐりとした巨体に、ぎょろっとした目玉。緑色の光沢のある皮膚には、ところどころにイボのようなものがある、その姿は、この世界の動物で例えればカエルによく似ていた。しかし額には大きなまぶたのようなものがあり、必ずしも同じ生物出ないことが分かる。


「第三の目は開かぬか。あの小娘にやられたからな……まあよかろう。召喚さえしてしまえば些細な問題だ」


 カルデニスがそう呟き、それに呼応するかのようにアグデラが鳴き声をあげる。ひどく不快でおぞましい声が大気を震わせ、戦場へ、そして街へ、己が存在を示すように響き渡った。

 戦いの終局が、近づいている。




 アリスは目が覚めると、自分が柔らかい草の上で寝転んでいることに気がついた。

 起き上がってみると、そこが広い草原であると分かる。見渡してみても人や建物の姿はない。そして奇妙なのは、あたりがもう暗く、頭上には満天の星空が広がっていたことだ。

 街を出たのは確か早朝のはず。いや、そもそも自分は草原ではなく湿地林にいたのだ。そこでカルデニスの兵たちと戦い、その最中に動死体の騎士に腹を刺されて――。そこまで思い出し、アリスは慌てて服をめくる。しかしそこに傷跡はなく、血で濡れた感触すらしなかった。


「気が付いたか」


 どうなっているのだ、と困惑していたところに背後から声がする。振り返ると、そこにはさっきまではなかった真っ黒な物体が横たわっていた。

 それが建造物などではなく人間の足だと気付いて、上を向く。大山かと思うほどに巨大な男が、後ろで胡坐をかいていた。

 全身が影を立体化したかのような艶のない黒色で、目と口と見事な辮髪べんぱつだけがそこに浮き上がって見える。あまりの身の丈に圧倒されてしまうが、その体つきはどこか幼く、人間と同じ大きさなら少年ぐらいかと思われた。


「召喚門から落ちて来た時は驚いたぞ。おまけに腹から剣まで生やして」

「あなた……何者? あなたが傷を治してくれたの?」

「俺が分からないか? お前を助けたのはこれで二度目なのだかな」


 そう言われて考え込む。ここに来て以来誰かに助けられることは何度もあったが、こんなに巨大で真っ黒な知り合いは――と、そこまで考えてふと思い出した。

 黒く、巨大な腕。シオンと会った最初の日に魔物から助けてくれた相手。


「あなた、もしかしてシオン君が契約している精霊なの?」

「いかにも。俺の名はサガン・バ・ウーゴ。月光と闇夜の精霊だ」


 その男、精霊サガンは頷いた。確かに彼ならばこの大きな姿も納得だ。

 驚きつつもアリスは感謝の言葉を述べる。


「助けてくれてありがとう、サガン。私はアリスよ」

「ほう、あいつと同じ名前だな」

「異邦の勇者アリスのことを言っているの? 私はあの人の名前を襲名したの。勝手にだけどね」

「少々呼び難いが、まあいい。それにしても治療した俺が言うのも何だが、お前よく生きていたな」


 サガンはなにやら感心するかのように顎を撫でる。


「あんなふうに身体を貫かれて……いや、それ以前にここにいて何の影響も受けてないのが驚きだ」

「どうして?」

「この精霊界は極端に霊素が薄いのだ。だから普通、霊素の豊富なあちらの世界の者はここに適応できない。現にお前とともに落ちて来た死体どもは、形を保てなくなって消滅したぞ」

「そうなんだ。けどそれならおかしくないよ。私はあっちの世界で生まれた人間じゃないもの」


 アリスは地球からこの世界へやってきた人間だ。そしてアリスが考えるに、おそらく地球に霊素は存在しない。この世界でこれだけ魔法が知られているのだ、あちらでも霊素という元素が存在するならとっくに発見されているだろう。ゆえに霊素が薄いぐらいでは影響がないのも当然だ。


「霊素の存在しない別の異世界か。奇妙なものだな」

「先代アリスも同じなはずだよ?」

「あいつはそもそもここに落ちるような馬鹿な真似はしなかったぞ」


 ばっさりとそう言い返されてアリスは「うむむ」と口ごもる。当然といえばあまりにも当然なことだった。

 会話を続けるうち、段々とアリスも考えの整理ができてきた。確か今はまだ戦いの真っ最中のはずだ。それも、カルデニスがついに精霊を召喚しようとしているところである。幸運にも死なずに済んだのだから、ここに長居はしていられない。


「ザガン、話は後にしよう。私たちあなたを呼び出そうとしてたの。早く戻らないと」

「残念だがそれは無理だ。ほら、上を見ろ」


 言われて、見上げていた首をさらにそらせる。しかしそこにはただ夜空があるだけだ。


「さっきまではあそこに、召喚魔法によって作られた裂け目があった。だがお前がこっちに落ちてすぐ閉じてしまったのだ。あれがなければあちらの世界に行くことはできん」

「そんな……」

「というか、今あちらの世界では何が起きているのだ? ちょっと映像を見させてもらうぞ」


 サガンをさっと手を振る。すると目の前に四角く区切られた外の風景が見える。まるでテレビのスクリーンのようだ。

 彼が指先をちろちろと動かすと、それに合わせるように次々と映像切り替わっていく。それをしばらく繰り返すと、ようやくアリスたちのいた湿地林の様子が映った。


「ほう、これは……」


 サガンが興味深そうに呟く。湿地林には、恐ろしく巨大なイボガエルが鎮座していた。


「なっ……!」

「精霊アグデラ、こいつが暴れているのか」


 サガンはニヤリと笑う。アリスは彼の言葉で、あのカエルがアグデラ・メカルであることを理解した。

 ならば事態は一刻を争う。実際に精霊が出て来てしまったとなれば、あの場のシオンや騎士たちには何もできないはずだ。

 と、その時アグデラの姿に異変が生じる。全身のイボと思われていたものが突如としてにゅっと伸び、触手のような形に変わったのだ。さらにその触手の先端からゼリー状の塊を吐き出し、地面に落としている。


「あれは……?」

「卵だ。眷属を産み落としているのだろう。奴らはその場で孵り、土地を汚染して回る。土を痩せさせ木を枯らし、川に毒を流す厄介な生物だ。おまけに下手な魔物より強い」

「大変じゃない……! ねえ、何とかならないの?」


 一縷の望みをかけてサガンに訴えかける。この場に何かができるとしたら、それは彼以外にはありえない。するとサガンはこんなことを言った。


「まあこちら側から穴を開けなくもない」

「本当!?」

「いや、だが駄目だ。さっきも言ったがここは霊素の薄い世界。お前を治療するのにも魔法を使ったのに、これ以上安請け合いはできん。あちら側から再び召喚魔法が行われるのを待つんだな」


 アリスは絶句した。そんなの無理に決まっている。

召喚魔法は本来長時間の儀式を必要とするもの。シオンにはそれを短縮する方法があるが、それはアリスの持つカードの効果があってこそのことだ。もし何らかの理由で再び召喚を行うことになっても、それが発動する前にアグデラがここ一帯を滅ぼしてしまうだろう。


「そんな、ここで見てるだけしかできないなんて……」

「ふん。あいつもそうだったが、お前ら異世界人はよく分からんな。故郷とは違う、勝手に連れてこられただけの世界を何故か愛おしがる」


 サガンはどこか不満げに言う。


「あちらの世界は諦めて、ここで暮らすというのはどうだ? ここは何もないところだが、生きて死ぬ分には不便はない。生まれた場所でないのならどこも同じだろう?」


 それは突然の勧誘だった。

 サガンはこの世界をご覧じろとばかりに腕を広げる。星と月だけが照らす、夜の闇と自然だけの世界。彼自身が言うように何もないも同然の世界だ。

だがこの世界がどのようなものであっても、アリスの答えは決まっていた。


「それは無理だよ」

「何故だ? 魔法に長けた我々のいる世界なら、もとの世界に戻る方法も見つかるやもしれないぞ」

「それでも、無理。だって私は、あの世界にたくさんの友達を作ってきたから」


 それは、この世界で初めて会った盗賊の男からのアドバイス。あの言葉を胸に抱いて日々を過ごしてきたら、いつの間にか様々な出来事を経験することになった。もはやそれは、記憶にないもともとの世界なんかよりも遥かに貴重な思い出になっていたのだ。


「友達? あの世界で暮らすようになってからそれほど時間は立っていないだろう」

「時間なんて関係ない。私は自分に関わってくれた全ての人を友達だと思ってるよ。イグナーツさんに、クリフさん、ミリア、クラウスさん。ニコラ君にカダルさんも。みんな大切な友達だよ。そして……そう、シオン君だって」


 彼の名前を出すと、サガンはせせら笑う。


「あれは魔道人形だぞ。お前に従えと命じられているだけの、単なる人形。そんな相手に友情を期待するのか?」

「確かに、それはずっと考えてた。シオン君は私のことを何とも思ってないんじゃないかって」


 彼は活き活きと喋り、自然に自分を気遣ってくれる。それはそう設定されていたことで、意味はないのかもしれない。


「でも、やっぱりそんなの関係ないよ。私はシオン君のことを好きになった。友達だと思った。ただそれだけなんだ」


 例え彼の気持ちが作りものでも、彼に報いたいと思う自分の気持ちに偽りはないのだから。

 アリスの回答に、サガンは何か感じるものがあったのだろうか。彼はただ目を見開き、沈黙した。やがて幾ばくか置いて、ぽつりと呟く。


「条件付きでなら、こちらから裂け目を作って召喚されてやってもいい」

「本当!?」

「だが……いや、不可能だろうな。この条件をこなすことは」

「私、何でもやるよ! だからお願い!」


 アリスの言葉を聞き、サガンは胡坐になっていた姿勢を正す。目線をアリスに合わせ、彼女に手を伸ばし、それから黒い頬を僅かに赤く染めた。


「その……俺とも友達になってくれないか」

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