第24話『いざ戦いの始まりです』

 やがて、夜が明ける。


 アリスはまだ薄暗いうちに、街の入り口でクラウスと近衛騎士らに合流した。また、そこにいた領主の騎士たちに件の魔道具を預ける。

 自分たちの方は準備もほどほどにし、すぐ出発する。カルデニスの指定した湿地林は街からそう遠くないが、彼らも着々と儀式を進めていると思えば、決して暢気にはしてられない。

 騎士団の面々も黙々と歩みを進める。湿地林に入ってからは足がぬかるみと捕らわれることもあり、アリスは置いて行かれないように気をつけなければならなかった。この湿地は運河の支流に異国の植物が生えるようになり、それが水をせき止める形で形成されたらしい。実際、どこか異様な雰囲気がある。


「アリス様、疲れはありませんか」


 腕の中のシオンが、時々アリスを気にかけて呼びかけてきた。


「大丈夫、平気だよ」

「アリスさん、休息が必要なら言って下さいね。無理をしては返って危険ですので」


 クラウスも、同行者である彼女を度々気にかけてくれた。しかしアリスは苦笑して首を振る。戦地を前に神経が鋭くなっていく感覚を、休むことで失いたくはなかった。

 やがて、湿地林の最奥までやって来た。木々が少なく、思っていたよりも開けた場所になっている。

 そして向こう側にはいくつかの人影。カルデニスと彼の配下が立っていた。

 すぐさま騎士たちが散開する。カルデニスはそれをつまらなそうに見つめ、ちらりとアリスに目を向けた。


「良く来たな小娘。怖気づいたとて誰も責めぬものを」

「あなたもね。野望を捨てて、他の国にでも夜逃げしていればこうはならなかったのに」

「つまらんことを言うな。我々が死ぬか、この国が死ぬか、二つに一つよ。……魔道具は持ってきただろうな?」

「……ええ」

「ならば結構、あとは死力を尽くして奪い合うのみだ」


 カルデニスの合図とともに、配下の魔法使いたちが杖をかざす。すると彼らの背後からぞろぞろと、動死体の兵たちが現れる。


「……うっ!?」


アリスは彼らの姿を見て、思わず呻いた。

 今までの襲撃における動死体とは様子が異なっていたのだ。アリスが見た動死体は、青白い肌と紫の唇、白濁した目ぐらいが特徴である。しかしこの動死体の兵たちは、皆が腐敗していた。

くり抜かれたような眼窩、ぐずぐすの皮膚、むき出しになった骨。想像を絶する不快な姿に、思わず顔をしかめる。

そしてそれは周りの者も同じらしい。後ろの騎士たちが明らかにたじろいだ様子を見せた。


「おや? どうしたのかな栄えある騎士団諸君。我が兵どもがそんなに恐ろしいのか?」


 カルデニスはそう言って彼らをあざける。

充満する腐敗臭と、視界いっぱいに広がる死相の軍勢。アリスの戦った動死体たちは隠密のために防腐剤でも使っていたのだろう。だがそれを行っていないこの死体の群れは、目の前に立たれるだけでも異様な存在感があった。

動死体化が禁術と呼ばれるだけのことはある。並みの戦士では恐怖に呑まれ、実力を出し切れずに敗れることとなるだろう。


「目をそらすな! 死んでいようが生きていようが、人間の雑兵には変わりない! 己が王に認められし騎士であることを思い出すのだ!」


 クラウスが彼らを叱咤する。一部隊を任せられる騎士隊長としての胆力か、この空気の中でもその声は揺るがない。

カルデニスはクラウスを見て冷たい笑みを浮かべた。


「ほう、存外気骨のある者が混じっていたようだな。騎士にしておくのが惜しいぞ」

「黙れ外道め。国家に対する反逆の罪、残酷極まる数々の非道、その血で贖って貰うぞ」

「吼えるのは結構だが、一つだけお前の言葉を訂正しておこう。……お前の言うところの雑兵だけが、我が兵ではないぞ?」


 彼がそう言うと同時に、突如大きな地鳴りが響く。騎士たちはにわかに慌て始めるが、敵陣には何ら動揺が見られない。振動は重く、そして断続的だ。それはまるで、足音のように。


「あ、あそこだ!」


 誰かが叫ぶ。アリスが振り返ると、自分たちの歩いて来た道を塞ぐように巨大な魔物がそこにいた。

 筋肉隆々とした人型の怪物で、人間とは違い顔の半分以上を大きな一つ目が占めている。そしてカルデニスの兵と同じように、身体のところどころが腐り、強烈な臭いを放っている。


単眼巨人サイクロプスの動死体だと……!?」


 クラウスが絶句する。だが、ことはそれだけでは終わらなかった。

 サイクロプスの登場を皮切りに、ぞろぞろと他の魔物たちが現れる。空からは獅子の顔を持つ大鷲が、林の奥からは三つ首の大蛇に水晶を生やした狼。多種多様な魔物の群れが、騎士団をぐるりと取り囲む。おまけに彼らは全て、その身を腐らせた動死体なのだ。


「う……そんな……」


 周りから声が漏れる。獰猛な魔物たちまでが動死体となって彼らに牙をむくのだ。もとからいた人間の動死体と数を合わせれば、おそらく騎士団の人数を超えるだろう。痛みを知らぬ死体の兵たちを相手に、自分たちは不利な戦いをしなければならないのだ。


「どうだ!? 圧巻の光景だろう! これが我々の持つ戦力、百騎の葬列よ! 見渡す限りの死体の軍勢! 腕の一本や二本取れたぐらいでは進撃を止めぬ、不屈の兵たちだ。これはもはや、争いの理想を体現した存在だと言えよう。貴様らも憧れを感じぬか? ん? ……案ずることはない、ここで死ねばこいつらと同じように我が軍に加えよう。さあ、喜び勇んでかかってくるがいい!」


 もはやカルデニスは完全に空気を支配していた。周りの者は怯えの表情を浮かべ、誰もが尻込みしている。

 このまま騎士たちは逃げ出してしまうのか。そんな予感すら過ったその時、不意に風を切る音が響いた。

 何ごとかと思う暇もなく、カルデニスの顔のすぐそばを何かが通り過ぎた。次いで、ぬかるんだ地面に突き刺さる音。


「な、なんだ!?」


 カルデニスとその配下の者が後ろを振り向く。そこには、棒きれのようなものが立っていた。唖然とするうちに、その棒きれの先端に纏められていた布がほどける。そこには、大樹と剣をかたどった紋章が描かれていた。


「あれは……我が国の旗?」


 騎士の一人が言った。確かにそれは、ユグドライアの軍旗である。

 カルデニスの背後ということは、敵陣地の真ん中。そんなところに自国の旗を叩きつけたのだから、それが意味するところは一つしかない。挑発だ。


「……誰だ。この旗は誰が投げた!?」


 カルデニスは叫ぶが、無論名乗りでる者はいない。そもそも彼は騎士団の人間全てを見渡せる場所に立っているのだ。誰かが奇妙な動きをすればすぐに分かるはずである。


「こ、このっ……」


『――誉れ高き騎士たちよ、私の声を聞きなさい』


 突然声が響く。誰かが発したというよりは、己の脳内に直接響くような声。

 続いて快晴の空、この場の者たちの頭上に映像が映し出される。それは豪奢な鎧で着飾り、ティアラをつけた美しい女性。この国の王女であるミリアローズの姿だ。


「……!」


『今まさに悪逆のやからと戦う護国の勇士たちよ、恐れを抱いたならばあの旗の大樹を見なさい。荒れ果てた土地に生まれた我が国が栄えたように、ここにいる皆にも偉大なる世界樹の加護があります』


 誰もが唖然とする中、映像の中の王女は朗々と言葉を紡ぐ。普段の様子とは打って変わり、凛々しくも悠然とした表情。魔法によって映し出された虚像であるにしても、その姿は驚くほど様になっていた。


『皆の行いは天の意であり、その剣は闇を打ち払う稲妻。それゆえに皆が悪に屈すれば民は惑い、世は混沌に包まれることでしょう。秩序の灯を絶やさぬためにも、その胸の闘志をもう一度奮い立たせなさい。かたわらの仲間たちとともに、巨悪に立ち向かうのです』


「……っ! この映像を流している者は誰だ!」


 カルデニスが叫ぶ。折角自分が作り出した空気を、より大がかりな演出でぶち壊されたようなものだ。この演説を最後まで続けさせてはならぬと躍起になっている。――彼の様子を見て、アリスはこっそりとほくそ笑んだ。


「受信のタイミング、ベストだったよ」

「ええ、ミリアローズ殿下が緊張を振り切って行動を起こしてくれたおかげです」


 シオンが頭上を向いたままそう答える。彼の顔である文字盤は淡い光を発し、空にミリアの映像を流し続けていた。それでも敵から見つかっていないのは、クラウスたちが会話している間に騎士団の人ごみの中に紛れ込んでいたからだ。

 今ミリアがいる領主の城には、シオンの分身が一人残っていた。彼が撮影した映像がこの場のシオンに受信され、それを直接空に放映しているのだ。近衛騎士団の皆にとっては、自分たちが守るべき姫君からの激励。これで何も感じぬはずがなかった。

 そして先ほど飛来した旗はといえば、これはミリアが渾身の力で投擲した物だ。とはいえ無論、それ以外に何もしてないわけではない、彼女の体内に満ちた霊素を基盤として、シオンが筋力強化と精密行動の魔法を重ねがけした。そして旗のほうには、あらかじめ着弾座標を刻みこむ魔法が施されている。正直アリスとしては、こっちのほうは成功しなくても良いというつもりで提案した。しかし最大限発揮されたミリアの腕力は、領主の城からこの湿地林までの距離を軽々と飛び越してしまったのだ。


「ええい……サイクロプスよ!」


 痺れを切らしたカルデニスが、己の動死体兵に呼びかける。サイクロプスは実に緩慢とした動きで、しかし登場の際と同じ地鳴りを響かせながら一歩前に出る。


「アリス様、ここが手札の切り時かと」

「うん、分かってる」


 あのサイクロプスは、おそらく相手側にとって最強の兵。その巨体が強いインパクトにもなり、放置しておけば後々厄介な存在だ。こちら側に波が来ている今この時だからこそ、あれにはご退場願わなければならない。

 アリスはカードを取り出す。精霊召喚に40人、ミリアのもとに一人、さらに今この場にいるシオンの本体を覗き、残り8人。

 彼ら全員に向け、強く念じた。『――我が意に従え』。

 するとサイクロプスの頭上と足元、両側に魔法陣が展開される。魔法陣は小さな火花を放ったかと思うと、次の瞬間サイクロプスに向かって光の柱が叩きこまれた。

 それは、極太の雷撃。天と地の両方から電流が放たれ、眩い光で死体の巨人を包み込む。空を裂き肉を焼く雷の音が、戦場にけたたましく響き渡った。

 騒音の中、直接脳内へと届けられるミリアの声だけが鮮明に聞こえる。


『皆に辛い戦いを強いるのは、とても心苦しいことです。できるのならば私もその場に立ち、ともに戦いたい。しかしそれが愚行であることも痛感しています。だからせめて、心だけは皆のそばにあると言いたい。あなた方が武具を揃えて戦いに赴くように、私も鎧を纏い、剣を佩いて待ちましょう。そして帰還した暁には、誰よりも早く皆を出迎えたい。私は皆が必ず勝利し、勇ましく帰って来ることを確信しております。――どうか武運を』


 ミリアの映像が消えるのと同時に、サイクロプスを焼く雷が止んだ。雷光の中から出て来た巨人は全身が真っ黒に焦げていて、そのままゆっくりと倒れる。たとえ死を超越した動死体の兵であっても、体中の筋肉が炭化してしまえば動くことはできない。


「馬鹿な……一体何が……っ」


 カルデニスは絶句する。最強の兵であるサイクロプスはあっさりと倒れた。おまけにシオンの魔法は、サイクロプスの近くにいた動死体の魔物たちをもいくらか巻き込んでいる。戦力を削るという点では十分過ぎる働きをしたと言えるだろう。

 そして騎士団にとっては、それ以上にミリアの演説が耳に残っている。


「見たか皆の者! これが王女殿下の威光の力だ! 腐臭を放つ悪鬼は倒れ、殿下は我らに道を示された! もはや死体の兵など小賢しきもの、天が味方する我らに敵うはずもなし!」


 クラウスが叫ぶ。どうやら全てをミリアの力で片付けるらしい。無論、騎士たちも今のが何者かの魔法だということは勘付いているだろう。しかし今この時に限れば些末な事。彼らは自分たちの胸に舞い戻った活力を、決して逃がさぬよう吼え立てる。


「そうだ! 我ら王都の騎士に敵なし!」

「死者を再び地に返そうぞ!」

「今こそ姫君の信に応える時! 我が剣の冴えを見せてやろう!」

「王女殿下に勝利を捧げるのだ!」


 形勢は完全に逆転していた。今や彼らの声は戦場を包み込み、敵陣の魔法使いたちのほうがたじろいでいる。ミリアの声は彼らへと確かに届いたのだ。

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