第21話『ついに首謀者の登場です』

 あの時いっしょに捕まえたものと思っていたが、まさか逃げ果せていたのか。


「ニコラ君下がって! こいつは危ない」


 アリスは素早く懐に手を当て、護身用に持っていた風霊の杖を引き抜く。


「あ、危ない……? どういうことなんだ?」

「説明してる暇はないの。私の後ろに隠れて、機会を見て逃げ……」

「おっと、気をつけろよ。――それ以上後ろに下がると、ぶつかってしまうぞ」


 はっとして、二人同時に振り返る。

 気付かぬうちに大男が二人、自分たちの背後に迫っていた。大男は両サイドからニコラの身体を掴み上げ、羽交い絞めにしようとする。


「この……っ!」


 杖を振りかざそうとするが、寸前で思い止まる。あまりにも距離が近過ぎるのだ。今は魔法を発動したら、風弾にしろ輻射にしろニコラごと吹き飛ばしてしまうことになる。

 そうこうしている間に、大男たちはニコラを地面に押さえつけてしまった。


「お前ら……オラスにダリオ!? どうしたんだよ!」


 動きを封じられたままのニコラが、驚愕の叫びをあげる。


「ニコラ君!? 今助け……」

「待ってくれ! こいつら盗賊団の仲間なんだ!」


 ニコラが悲痛な声でそう言った。

 アリスは再び硬直する。もはや何がなんなのか分からない。白い牧師服の男の名をニコラが知っていた理由もそうだし、盗賊団の団員が何故ここにいて、ニコラを掴まえたのも意味不明だ。

 だが、最後の疑問だけは次の瞬間に理解させられた。よく見れば二人の大男は、妙に肌が青白い。顔の筋肉が凍ってしまったかのように無表情で、唇は紫に染まっている。それは常人には受け入れ難いことだが、アリスは彼らと同じような状態の者を一度見ていた。


「これは動死体!? まさか団員がいなくなった理由って……!」

「……えっ?」

「ご名答だ。彼らには我々の役に立って貰っている。心臓も、それ以外もな」


 牧師服の男、カルデニスが冷たくほほ笑んだ。

 この二人だけということはないだろう。おそらく全員、盗賊団の者たちはこの男によって殺された。心臓を抉り出し、死後もその肉体を弄んでいたのだ。人の尊厳など歯牙にもかけぬ、恐るべき死の再利用だった。


「この盗賊団には俺が作った魔道具を卸していてな。いずれ乗っ取って配下にするつもりだったが、頭目がいなくなった途端に烏合の衆へと化けやがった。ちょうど供物も足りなくなっていたし、愚か者に考える頭なんぞ要らんだろうから取り除いてやったまでさ。動死体としてならそこそこ役に立つのが救いだな」

「……あなた、本当に下種ね」

「かもしれんな。しかし下種というならば、この盗人の集団もそうではないか? 所詮は罪人、生きているだけで社会を害する者たちよ。……その坊主も同じこと。いくら社会に順応しようとも、一度悪事を働いた者は善良な一般市民と同じ価値観の中では生きられん。ここで殺してやったほうが情けだとは思わんか?」


 そう言いながらニコラを一瞥する。ニコラは訳が分からぬという表情で、大男たちやアリスの顔をきょろきょろと見比べていた。

 カルデニスはその道化めいた様子を鼻で笑う。


「さて小娘、アリスとか言ったか? 俺がここに来た理由は分かっているだろうな」


 アリスは胸元に手を入れ、服の中に隠していたペンダントを見えるようにする。


「あなたたち、これはよっぽど欲しいみたいね」

「ああ欲しいとも。そいつを手に入れるためのわざわざ盗賊団と接触を持ったというのに、いつの間にやらそれが頭目とともに消え、何故かは知らんが貴様のような馬の骨が所有している。まったく遠回りをさせられたものだ」

「あら、まだ渡すだなんて言ってないんだけど」

「分かっていると思うが、もし貴様が拒むと言うならこの坊主は殺す。この動死体どもなら子どもの首の骨をへし折るなど訳ないことだ」

「あなたこそ分かってる? 私とこの子は今日会ったばかりで、別に親しいわけでもない。多少後味は悪いけど、あんたみたいなのにこの魔道具を悪用されるぐらいなら、切り捨てるわ」


 冷たくそう言い放つ。背後で、ニコラが息をのむ音が聞こえた。緊迫した空気の中、しかしカルデニスはせせら笑う。


「つまらん腹芸はよせ。貴様が何故我々の共同体を襲撃し得たのかは調べがついている。コルドラが騙して連れて来た王女ミリアローズを助けに来たのだろう? しかも当時は身分を隠していて、ミリアという素人の退治屋でしかなかったのにだ。赤の他人にすら救いの手を差し伸べる人間が、はたして目の前の子どもを見殺しにできるか?」

「……」

「沈黙か? それもよかろう。こちらとしても貴様には借りがある。なおも意地を張るというのならば、他に貴様が大切と思う人質を探すまでだ。――あれを見てみろ」


 カルデニスが顎で彼方をさす。その方角には、遠く自分たちの街が見えていた。

 街がどうしたのかとアリスが言いかけた時、カルデニスがおもむろに指を鳴らす。瞬間、街全体に赤い光が広がる。

 もともとはこの国の首都だったと言われているアルジェンテの街だ。その規模はかなりのものである。その街をすっぽりと、赤い光が覆ってしまった。


「――!」

「見事だろう? 我々があの街に仕掛けた魔法を分かりやすく可視化させたのだ。もしやろうと思えば、指先一つ動かすことなく彼らの生命を搾り取ることだってできる」


 そう言って、カルデニスが余裕に満ちた笑みをこぼした。

 対して、アリスのほうは流石に絶句する。あの教団がここまでの規模の魔法を、それも誰にも気づかれずに仕掛けていたというのか。クラウスは教団の目的が、この国を脅かすことだと言っていた。その時は正直誇大妄想の類だと思っていたが、冗談じゃない、彼らは本気でこの国と争うつもりなのだ。


「さて、あの街の人間ならどうだ? しばらく暮らした場所だけに、親しくなった者もいるだろう。あの掲示板があった酒場の主人に、助けてやったミリアローズ。ああ、勿論貴様の家も範囲内だぞ。中々洒落た住まいじゃないか、失うのは惜しくないか?」


 アリスの家も魔法の影響下にある。それは、いま家にいるはずのシオンも人質であるということだ。

 それを意識すると、アリスは身の毛の弥立つような不快感に襲われた。彼を失うということが、他の何よりも恐ろしい。――何故? 彼の持つ圧倒的な力を手放したくないから? アリスはそう自問するも、答えは返ってこなかった。


「どうした、アリスよ。これでもまだ人質には足らぬか?」

「……あなたたち、あの街をどうする気なの?」

「街そのものは重要ではない。ただ我々が事をなした後には、拠点が必要となるだろうからな。そのための下準備というわけだ。言っておくが、全員見逃せというのは無理だぞ? もともと彼らは労働力として利用する予定なのだからな」


 カルデニスは皮算用を語りながら、その未来を思い浮かべてか悦に浸る。

 アリスは小さくため息を吐いた。彼らが国家転覆を成し得るかどうかはともかく、そのために奴隷扱いされるのはたまったものではない。少なくとも、自分が関わった人たちをそんなことに巻き込むのは御免だ、

 彼女は下げていたペンダントを取り外し、それを掴んだ腕をカルデニスに突き出す。


「決心したか? そうだ、それでいい。どうせ貴様には無用の長物、我々が有効に使ってやろう」


 カルデニスは笑いながら、アリスのほうへと近寄っていく。それを見て拘束されたままのニコラが「ああ……」と呟いた。彼自身は拒んだとはいえ、あのペンダントは育ての親の形見。仲間を殺した人物の手に渡ることを、辛く思わないわけがなかった。

 やがてカルデニスもペンダントを掴もうと手を伸ばす。

 その時だった。アリスは急にペンダントを両手で持ち直し、思いっきり力を入れて引きちぎった。


「!?」

「なっ……!?」


 ニコラも、カルデニスも驚愕する。ペンダントは鎖から解き放たれ、連なっていた小さな宝石たちも地面に散らばった。

 遠くへ転がっていくもの、風に飛ばされるものもあり、拾い集めても元通りになるかは分からない。


「き、貴様自分のやったことが分かっているのか!?」


 カルデニスはなわなわと唇を震わせ、怒りにまかせて叫ぶ。否、怒りだけではない。その顔を驚くほど真っ青で、手には震えが見て取れる。彼は明らかにアリスの行動に狼狽していた。


「よくも、よくもこんな真似してくれたなっ! 我らが悲願を貴様の如き小娘に邪魔されるなど我慢ならぬ! その血で贖って貰うぞ! いや、もはや貴様一人では許せぬ! その坊主も、街の者どもも、貴様とか関わった者は一人残らず殺し尽してくれる!」


 その吐き散らされた言葉にも、アリスは表情一つ変えなかった。彼女はおもむろに地面へ手を伸ばし、落ちている宝石の一つをつまみ取る。


「これよ」

「その残骸がなんだというのだ!」

「これが、この魔道具の核。ペンダントのほうはただの土台よ」


 アリスは冷静にそう答える。彼女が掴み取った宝石は、散らばったものの中でも一際大きく美しいものだ。鮮やかな赤色で、もともとはペンダントの中心に配置されていた。

 カルデニスはアリスの返答に言葉を失う。どうやら彼も、この魔道具の構造については知らなかったらしい。もっともアリス自身、動死体の襲撃があったあとシオンにもう一度〝鑑定〟を頼んだからこそ知り得たことだが。


「土台なんだから壊しても発動する魔法には影響はないわ。霊素も、術式も、これ一つあれば事足りる」

「い、意味が分からん。問題ないからと言って何故それを壊す必要がある! 貴様、私を虚仮こけにしたつもりか!?」

「動揺、したでしょ?」


 アリスの目が鋭くなり、冷たい光を放つ。


「なっ、何を……」

「今はっきり確信できた。私がこれを壊したら、あなたたちは詰むチェックメイト。困るとか不利になるとかじゃなくて、確実に目的が潰える。あなたの動揺にはそれほどまでになりふり構わないものだった」

「……はっ。読心の真似事か? 下らんお遊戯だな。どうせ貴様は、その魔道具が何に使う物なのかも分からんのだろう」

「そうね、確かに分からない。シオン君ですらその魔道具の仕組みを完全には読み取れなかったし。けど、予想するには十分な材料がそろっている。……この魔道具は儀式級の魔法をトリガーとする。あなたたちが使おう目論んでいる魔法を考えれば、それは分かり切っている」


 今、アリスとカルデニスの距離は近い。アリスは彼の額に、うっすらと汗がにじんでいるのを見逃さなかった。


「――精霊アグデラ・メカルの全身召喚、それに関わりあるのね。大戦でこの国を危機に陥れた魔法だとはいえ、それはあくまで国家という巨大な組織が使った場合。あなたたちのような一介の教団では十全にとまではいかないはず。であればこの魔道具は、それを何らかの形で補うためのあるってところじゃない?」

「……っ!」


 カルデ二スは言い返そうとして、しかしすぐに言葉に詰まった。アリスの予想は当たらずとも遠からず、というところなのだろう。

 アリスはうろたえる様子のカルデニスを見て、薄く微笑する。


「腹芸が下手なのはあなたも同じね」

「くっ、だがそれでも貴様に出来るのは予測することだけだ! あの坊主や街の住民たちがいる限り、我々に抗うことなどできまい!」

「あなたはそこを勘違いしている。確かに私は、自分のせいで誰かが傷つくことを望まない。正直人質ってのはベストな作戦だよ。けど、こっちだってあなたたちの弱点を握っている」


 アリスは左手に赤い宝石を掴み、右手に風霊の杖を携えている。彼女が杖の先端をそっと宝石に近づけると、カルデニスがすぐに顔を青くした。


「ほらね。私たちは、お互いに弱みを握っているという点で対等であるはず。あなたは自分が一方的に強者であるかのように振舞ったけれど、それは大きな間違いと言える」

「……っ!」

「いい? さっきのは警告よ。もしも次、あなたが立場を考えず私を脅そうとすれば、私は自分の中の正義よりも怒りを優先する。今度こそこの魔道具は砕かれ、あなたたちの目論見は潰えることでしょうね。それが嫌なら、ちょっとは考えを改めなさい」


 アリスはさらに一歩、カルデニスの前に歩み寄る。手を伸ばせば掴むこともできる距離、逆上されれば首を絞めることも容易いほど近くで、彼女は平然と啖呵を切って見せた。

 それに対してカルデニスは、言い返すこともできず沈黙する。忌々しげにアリスを睨みつけ、歯を噛み締めながらしばし口をつぐんだ。やがて彼は不意に大きく息を吸い、ためこんだ苛立ちを捨てるかのように吐き出した。


「……認めよう。貴様を見くびっていたことを」

「あらそう? それはありがと」


 彼は軽く鼻を鳴らし、おもむろに手を振るった。すると背後の大男たちが手を離し、ニコラを開放する。

 アリスが意外そうに目を向けると、カルデニスは答えた。


「いまさら坊主一人を人質にしても仕方ないからな」

「ふーん、まあ街の皆がいるもんね」

「いや、それすらも意味がない。明朝が来れば、我々はアグデラの召喚を実行する。その魔道具のあるなしに関わらずな」


 カルデニスの宣告に、アリスもさっと表情を変える。

 何気ないふうだったが、それはこの地で争いを起こすという宣戦布告に他ならない。


「貴様はその魔道具のことを召喚魔法を補うとものと読んだが、それは厳密な答えではない。ただ召喚するだけではあれば我々にとっても容易いことよ。国を滅ぼすとまではいかずとも、ここら一帯を荒れ野原にするぐらいならできるだろう」

「だから私の言い分なんて通用しませんってこと? 舌戦の都合でそんなこと言い切っちゃっていいのかしら」

「違うな、もともと決まっていたことだ。召喚のための儀式もすでに始まっている。貴様の襲撃によって我々の存在が表舞台に知られてしまったからな。この国が本格的に調査して来る以上、我々も後戻りはできない。ここでお前からそれを奪い、それができぬなら最後の一花を咲かせるというわけよ」

「……」

「だが、魔道具が得られるならばそれが一番とも言える。……もう腹の探り合いなどというまどろっこしい真似はやめだ。我々はその魔道具が欲しい、貴様は我々の目論見を阻止したい。ならば話は簡単、貴様が明日の作戦実行までに我々を潰しに来ればいい。」


 それはアリスにとっては意外な提案だった。要するにお互いの意を通すために戦いで雌雄を決するという、いわば決闘の申し込みみたいなものだ。

 もっとも、決闘というにはあまりに規模が大きい。賭けるのはこの街の命運であり、国すらも危ういところにある。


「いいの? そんなこと言っちゃって。後がないのなら尚更、私に準備したり危険を知らせる時間を与えることになるよ?」

「好きにしろ、今さらそんな些事に構ってられん。重要なのはお前の持っているそれが奪えるか、そうでないかだけだ。我々が精霊召喚の術を持っている以上、貴様はそれを無視できまい」

「……そう、なら分かったわ。正々堂々、真っ向から叩き潰してあげる」


 アリスはそう言ってカルデニスに応える。まさかこんな大事に巻き込まれるとは思ってなかったが、今さら後戻りをする気もない。自分たちをおびやかすというのならば、全身全霊で抗うしかないのだ。


「我々はアルジェンテ北東の湿地林で待つ。アリスよ、貴様にはコルドラのことや今日の一件で借りがある。明日こそ全てを清算してくれよう。来る時が楽しみだぞ」


 そう言ってカルデニスはくるりと背を向けた。大男の動死体たちも、ニコラから離れて彼のそばへと戻る。

 やがて三人はすうっと景色に溶け込み、最初からいなかったかのように消えてなくなった。

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