第16話『お食事会をしました』

「おっと、そろそろ完成するみたいだよ。ねえシオン君、早くお皿持ってきて」

「はいはい、少しお待ち下さい」


 シオンから返事がある。

 彼にはアリスたちが話をしている間、後ろのキッチンで料理の支度を頼んでいたのだ。折角地球の料理をこっちで食べられるのなら、人に御馳走しない手はない。

 好奇心旺盛なミリアはすぐにそちらへ興味が移ったようで、シオンの盛り付け作業を不思議そうに見つめた。


「アリスさんの故郷の料理なんですよね、なんだか嗅いだことのない不思議な香りがします」

「美味しいよ。きっと二人とも気にいると思う」

「作ったのは私なんですが……はい、どうぞお二人とも」


 シオンが皿を持ってきて、みんなの前に並べる。クラウスは無言だったが、ミリアはシオンに対してもありがとうと軽く言葉を返した。

 シオンは王家の墓に封印されていた魔道人形である。王族やそれに近い人間がシオンのことを気付いたかどうかというのは個人的に気になる点だったが、どうやら杞憂で終わりそうだ。年若いということもあって事情を知らないらしい。


「これは、一体何という料理なんですか?」


 ミリアが皿のものを見つめる。

 ライスに、とろりとした茶色のスープがかかっていた。スープには肉と様々な野菜が入っていて、刺激的な芳香が広がる。

 食文化の発達にやや遅れの見られるこの国では、これほどたくさんの食材を使い、並べられるだけ食欲をそそる食べ物はそうはないだろう。


「これはね、カレーって言うの」

「カレー、ですか?」

「物は試しってことで、どうぞ召し上がれ」


 アリスに先を促され、ミリアはスプーンでひとすくい口に運ぶ。

 口に入れた途端、ミリアの目が大きく見開かれた。そしてすぐ、きゅっと目をつむる。まるで顔全部を使ってその一口を噛み締めるように。

 咀嚼し、カレーを飲み込んで、ゆっくりとスプーンを口から離す。まだ余韻があるのか、その表情はまさにとろけるようだった。

 ごくりと、隣のクラウスがつばを飲む。つられるようにカレーを口に入れ、やはり彼もびっくりしたような表情になった。


「う、うまい……こんな料理初めてだ」

「ええ、本当に! 私すっごくびっくりしました!」

「そりゃ良かった。私は二人の表情だけでお腹いっぱいになりそうだよ」


 やはり、この世界の人にとって地球の料理はインパクトが大きいようだ。

 アリスも、スプーンを手にとって味を確かめる。舌にカレーが触れると、つい吐息をこぼしそうになった。知識ばかりで食べた記憶は失われているが、それでも懐かしさを感じずにはいられない。

 流石はシオン、カレーの出来もほぼ完璧だ。

 しかしふと気になって、こっそりと彼に耳打ちする。


「カレーって香辛料とかたくさん必要なんじゃないっけ。こういうのも全部先代が用意したの?」

「ええ。ただ地球のそれに相当するスパイスがないか、あるいはまだ見つかっていないケースも何度かありました。ですのでその場合はまったく別のスパイスで代用するか、あえて省いているものもあります」

「えっ、じゃあ完全に同じものじゃないの? なんだか意外」

「そこは私の腕の見せ所です。味の違いを大きく見せないように調整して、美味しさは最大限に発揮できるようにスパイスを選びました」

「なるほどね……」


 考えてみれば日本のカレーも本場のものとは違う。あくまでバリエーションの一つとして受け入れられるように味を調えたということなのだろう。実際美味しさでは引けを取らないし、流石と唸るばかりだ。

 初めて食べた二人にとっても、このカレーは大満足のようである。一口食べたらもう一口と、スプーンを動かす手に止まる様子がない。

 ふとクラウスが皿から顔を上げた。


「もしよろしければ作り方を教えて頂けませんか? 是非他のみんなにも食べさせてやりたい」

「えーっと、そのあたりのことはシオン君に聞いて」

「お教えしてもよろしいんですが、これは複数のスパイスを使っているので値がはります。おまけにこのあたりでは取り扱っていない物もありますので、これと同じ味のものは作れないかと」


 魔道人形に聞けと言われてクラウスは少々面食らったようだが、すぐにシオンの返答を聞いて肩を落とす。


「そ、そうか……」

「ただ、もしよろしければ私が備蓄しているものをお分けすることもできます。数に限りがあるので大量にとはいきませんが」

「本当か!? 是非頼む!」

「ええ、勿論です。そのかわり今後ともですね……」


 二人の会話が段々声をひそめたものになっていくようなので、アリスは視線を外しミリアの方を向く。ミリアはあっという間に自分の皿のものを平らげたらしく、話に熱中しているのを良いことに、こっそりクラウスの皿に手を伸ばしていた。

 アリスが小さく笑みを浮かべると、ミリアはちょっと恥ずかしそうに口に手を当てる。


「今日はお呼びして頂いて嬉しかったです。こんな美味しい物までごちそうになって」

「正直来てくれるとは思ってなかったから、ちょっとびっくりしたな。お姫様なんだし」


 そう言うと、ミリアはおもむろに手につけていたブレスレットを見せる。


「これ、毒見の魔法が付与されてるんです。もしこの料理に毒が入っていたら、色が変わって知らせてくれる仕組みでした」

「……へえ」

「これをつけて、それから多分クラウスが付き添うって言ってくれなかったら、来るのも止められていたと思います。あんなこともあったし」


 ミリアが弱弱しく笑みを浮かべる。先ほどもクラウスから厳しい言葉をかけられていたが、今日まで色々な相手から同じようなことを言われたのだろう。


「どうしてあんな真似を……なんてのは野暮か。王女でいる以上あんな力を振るう機会はないものね」

「ええ」


 酒場で見せたあの怪力、そしてコルドラとの戦いで繰り出されたあの剣さばき。彼女には間違いなく武の才があった。

 それはこの国の王女としてはまったく不必要な、しかし魔物のはびこるこの世界にとっては稀有かつ不可欠な才能。それを持ちえた彼女が、自分の将来について何も悩まなかったとは思えない。


「この力のことは王家の者と、クラウスと含めた何人かの騎士や家臣しか知りません。隠すわけではありませんが、民を惑わすから安易に口にするなと父王から言われています。……今でこそ仕方のないことだとは思いますが、それを受け止めるにはあまりに憧れが大きくなりすぎました」

「それで、鎧を着て酒場に?」

「はい。本当はあそこに座って店の空気を感じるだけで満足だったはずなんです。自分の身一つで戦い、競い合う戦士たちを肌で感じられれば。けどあの時村人を装ったコルドラから話を聞き、居ても立ってもいられなくなりました。……愚かだったと思っています。結局彼らにとって、私は火の中に飛び込む羽虫でしかなかったしょう」


 あの時コルドラの馬車で、ミリアは魔法によって眠らされていた。巧みに騙された末のことだが、それを素人ゆえの慢心だと指摘されれば否定はし難い。


「まあ、そうだね。私が言うのもなんだけど、戦いに必要な才能は強さだけじゃないから」

「……そうですね。それもよくわかります」


 ミリアが小さく息を吐く。

 ふと空気が重くなっているのに気付いてか、おどけた風に再びクラウスの皿からカレーを一口奪った。


「美味しいです、やっぱり。もしあのまま死んでいたら味わえなかったですね」


 取り繕うような笑顔を浮かべる。

 きっと彼女は、これから真っ当なお姫様になるだろう。愚かでも立派でもない、民の前でにこにこと今のような笑顔をする王女に。


 アリスは、半ば無意識に口を開いた。


「……でもね、私はあの時のあなたの行動が少し嬉しかったの」

「えっ?」


 キョトンとした顔になるミリア。突然何を言い出すの、というところだろう。

 構わず言葉を続ける。


「村を助けて欲しいっていうコルドラの依頼に、誰も名乗りを上げなかった。それは別に良いと思うんだ、退治屋にとって自分の身体は商品だし、安売りはできない。……けど気にいらなかったのは、みんなが笑っていたこと」


 自分の中の思いが、せきを切るように言葉として溢れていく。


「みんなが一つの村の危機を、ただ他人事だからと笑いの種にしていた。そこんところは、私にとってもすごく不愉快だった。だからあなたが怒ってくれたことは、私にとってすごく痛快なことだったの」

「でも、結局嘘だったのですから……」

「でも、みんながそれに気付いていたとは思えない。あの人たちにとっては、真偽なんてどうでもよかったんだと思う。あの村のことを身近に感じ、その窮地に義憤を感じていたのは、ミリア。あなた一人だけだよ」


 アリスはそっと彼女の手を取る。僅かに震えていた。

 自責の念に包まれて小さくなった心が、その手のひらにあった。


「や、止めて下さい。私は王女で、あんなことしたらいけなくて……」

「うん、そうだね。それは私も同意見。あなたの命は国の命、けして擲ってはいけない物だと思う」


 ミリアが顔を上げる。アリスはそれに、柔らかい笑顔を返した。


「でも自分の行いは反省しても、気持ちまでなかったことにはしないで。小さな村の痛みを自分の痛みのように思える人が、この国の将来の為政者であることは、とても喜ばしいことだって私は思うから」


 ミリアの目から、一筋の涙が流れる。

 次いで、ぎゅっと手のひらが握り返された。


「わ、私も……! あなたに助けられたことを、すごく、嬉しく思っていますっ。私は見ず知らずの相手なのに、自分の身を顧みず、そんなあなたに私は……」

「そっか。ありがと。ねえミリア……これからもミリアって呼んでいい? 身分は違うけど、きっと私たちは良い関係になれると思うんだ」

「そんな……私のほうこそ、これからも親しくさせて下さい。あなたがいると、とても心強いです」


 ミリアは恥ずかしげに笑みを浮かべた。

 アリスはその時、小さな実感を得た。ミリアと、確かに心が通ったのだと。

 この異世界で、自分にとって何の縁も所縁もない世界で、確かに彼女の力になれた。

 それが何となく、嬉しかったのだ。




 それから暫く会談したのち、会はお開きとなる。

 アリスは後片付けをシオンに任せ、二人を街の広場のあたりまで見送った。

 広場には高級そうな馬車が停まっており、やっぱり彼女はお姫様なんだなと感じされられる。


「本日はありがとうございました。是非シオン殿にもよろしくお伝え下さい」


 クラウスはシオンから、香辛料を割引価格で売ってもらう約束をしたらしい。始終ほくほく顔で、最初彼に対して見られた不遜な態度もなりをひそめている。

 ミリアも元気を取り戻したらしく、張りのある笑顔をアリスに向けた。


「ではまた。今度はこちらがご招待しますからね」

「うん、楽しみにしてる」


 そうして二人は去っていった。

 アリスは長い間向こうへ消えていく馬車を見ていたが、不意に誰かがぽんと肩に手を置く。

 振り返ると、見覚えのある大男が立っていた。


「あれっクリフさん、こんにちは」

「おう。……さっきの相手、もしかして王女様か? いや、流石に見間違いだと思うけどよ……」

「なんで? 王女様で間違いないよ」


 クリフが驚いたような顔をする。それが少し面白くて、くすりと笑みを浮かべた。


「この間の、邪教団体の件で色々ね。以後の経過とか教えに来てくれたの」

「ははあ、まあそういうこともある……のか? いや、それにしても王女様と話ができるなんて得したな嬢ちゃん。俺らみたいなのにとっては雲の上のお人だ」

「そうだね。さて、シオン君を家に残してるからそろそろ行くよ。酒場にはまたいずれ」


 歩き出そうとしたアリスを、クリフが慌てて呼びとめる。


「ああ、ちょっと待ちな」

「どうしたの?」

「掲示板で探してた相手だが、ようやく見つかったぞ。今日の朝うちに来たんだ」


 今度はアリスのほうがびっくりする番だった。

 もう来ないかと半ば諦めていたところに、突然の知らせだ。


「まあ相手さんがはっきりそう言ったわけじゃないけどな。張り紙について詳しく話を聞いてきたから、多分そうだろ」

「そ、それでその人は?」

「ペンダントはお前が持っているって言ったら、住所を聞いて出て行ったよ。街の外のでっかい木の上って言ったら、流石に驚いてたけどな」

「そっか……いつ来るとか言ってなかった?」

「さあな、ただ事情が事情だし、少なくとも今日の内には会いに来るんじゃねえか?」


 確かに、父親が死んだとなれば相手も慌てるはずだ。

 さっきまでは客が来ていたわけだし、遠慮して帰っただけでもう来ていたかもしれない。


「うん、分かった。ありがとね」

「おう、お前もまたうちの店に来いよな」


 そう言って、クリフとは別れる。

 振り向いて歩き出しながら、アリスは無意識に胸元へ手を当てた。そこにはまだペンダントを下げている。

 お前ともこれでお別れだね。

 心中でそう呟くと、ペンダントが少し震えたような気がした。

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