第14話『ヤバそうなのが現れました』

 その刃は彼女の首でも心臓でもなく、所持者であるコルドラ自身を貫いた。


「――!」

「ぐ……げはぁっ!」


 何の抵抗もなく、ナイフは彼の腹部に深々と突き刺さる。

 ミリアはぎょっとしてコルドラから離れる。あまりにも不気味な行動だった。

 彼女らが疑惑に包まれるもつかの間、突如としてコルドラの肉体に異変が起こる。

 顔に、手に、むき出しになった皮膚の全てに不気味な文様は浮かび上がったのだ。まるで刺青のようなそれは、奇妙なことに淡く光を放ちなっている。

 シオンが鋭く声を発する。


「アリス様! ミリア様! 警戒を、コルドラは自分の身体に魔法を仕掛けているようです!」

「な、なんだって!?」


 言われてみれば、コルドラの刺青は魔法陣の模様に似たところがあった。


「自死をトリガーとして発動するようになっていたのです! 自分自身を霊素へと変換し、儀式級の魔法を発動するつもりでしょう。これはおそらく――召喚魔法!」


 コルドラはにやりと笑う。

 唇は震え、腹部からも夥しい血を流しながら、それでもなお彼は不気味な笑顔を浮かべた。


「そうとも……私もまた供物の一部。死ぬならば憎き異教徒にではなく、神へと己自身を捧ぐのだ!」


 彼は刺したままのナイフを勢い良く引き抜き、そのままバンザイをするように手を高く上げた。

 そして叫ぶ、神への末期の言葉を。


「おお、暗きところに御座す我らが主よ! 我が人生の幕引きに、あなたの姿をせめて一度お見せ下さい!」


 瞬間、文様の光が闇に転じ、コルドラの姿を包み込む。

 彼の肉体を取りこんだ闇の塊は、ゆっくりと空中に浮き上がった。

 そしてアリスたちの頭上高くまで持ち上がってから、闇の中から何かが現れる。


「こ、これは……」


 それは眼だ。

 闇そのものがまぶたの働きをし、空間に巨大な眼球を顕現させた。

 その姿を見た瞬間、アリスは身の毛が弥立つのを感じる。

 圧倒的な存在感。自分たちとは全く違う、異質な気配。だが彼女は、その感覚に覚えがあった。


「こ、こんなもの、恐れるに足りません!」


 ミリアが、自分を奮い立たせるように叫ぶ。

 自分との圧倒的な格差を実感しながらも、彼女はけして屈しなかった。

 それは見事な気迫だったが、ただそれだけの無謀な行いである。


「ミ、ミリア!」


 彼女は剣を握り直し、闇の中の眼球に立ち向かおうとした。そして眼球もまた彼女に焦点を合わせる。

 瞬間、彼女の身体は硬直する。

 走り出し、足で大地を蹴るその直前の状態で固まったのだ。まるで金縛りにあったかのように。


「こ、これは……」


 喋るのも苦しいのか、くぐもった声が発せられる。

 視線を向けるだけで動きを封じる。これがコルドラの召喚したものの力か。

 やがてミリアの両手足がだらんと垂れ下がり、そのままひとりでに空中に浮かび上がる。

 このままではまずい。直感的にそう感じたアリスは、慌てて周囲を見回す。コルドラが弾いたシオンのカードは、少し離れたところに落ちていた。

 さっと駆け出し、カードに手を伸ばす。しかし指が触れる瞬間、ミリアを見つめていた眼球がアリスの方を向く。


「うっ……!」


 アリスにもまた、眼球による金縛りの効果がもたらされる。

 全身に感じる強烈な圧迫感。まるで空気そのものが壁になり、アリスの身体の形に合わせて鋳型を作っているかのようだ。

 これは確かに辛い。そして途方もない恐怖だ。

 生きたまま棺の中に押し込まれ、ただ死を待つような感覚。


「アリス様!」


 自分の後ろで、シオンの叫ぶ声が聞こえる。

 彼は眼球からの邪視に晒されていないようだ。しかしそれも意味はない。彼が直接戦闘において使用できる魔法は限られている。

 それとも、自分で過去に戻って儀式魔法を使ってくれるだろうか――それもたぶん無理だ。もしそれができるなら、アリスがわざわざカードを握って命令する必要はない。

 万事休すか。彼女がそう心の中で諦めかけた瞬間、異変が起こった。

 胸のあたりが熱い。首を動かせる範囲で下を向くと、その部分で何かが光っている。

 光が不意に一瞬激しくなり、やがて消えた。

 同時に、身体の拘束も解ける。急に金縛りから解放され、アリスは訳も分からずすっ転んだ。


「な……何がどうなって……」

「アリス様!」


 再びシオンが叫ぶ。

 アリスもはっとして気を引き締める。今はそれどころじゃない。

 闇の中の眼も動揺しているのか、焦点が定まらないようだ。転んだ拍子にカードには手が触れている。いまこそ最大のチャンスだ。

 力強く掴み取り、カードに念じる。


『我が意に従え』


 応じるように、シオンがさっと手を掲げる。

 掲げた手の先、眼球よりさらに高き上空に巨大な魔法陣が浮かぶ。過去へと召喚されたシオンが作り上げた、この状況を打破するための魔法。


「血戦魔法――無血制裁の聖絶剣へーレム・アウリエル!」


 彼の詠唱とともに、魔法陣からゆっくりと輝くものが現れる。

 巨大な剣。漆黒の闇を照らさんばかりの光輝を纏った、美しい武具だ。

 それは霊素によって実体を与えられた、高出力のエネルギー塊。すなわち、膨大な量の熱そのもの。


「貫け、眼下の敵を蹂躙せよ!」


 重力に従って落下するかのように、光の剣が闇の眼球に向かって放たれる。

 二つが触れ合う瞬間、激しい熱波が戦場全域に広がる。

 アリスはたまらず顔を腕で覆った。

 皮膚が焼けるような痛みと、目を焦がすような明るさ。

 そして何かが燃えるような激しい音。

 やがて、その全てが少しずつ収まる。

 アリスは目がちかちかするのに耐えて、辺りを見回した。

 眼前には何もない。ただ焦げくさい臭いだけを残し、あの眼球は完全に消滅してしまった。

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