第13話『依頼人は本性を現したみたいです』
さしあたって、今は目の前に寝転がっている教徒をどうするかだ。
みんな見事に気絶しているようだが、このままでは起きた時逃げられてしまう。取りあえず縄か鎖かで縛っておくのが無難だろうか。
アリスは生憎どちらも持っていない。シオンなら用意できるだろうが、今はここにいない。何か呼び出す方法はないかなと思い、懐からあのカードを取り出す。
その時だった。
黒い粘液状の何かが闇の中から飛び出してきて、アリスの腕を絡め捕る。
「なっ……!」
とっさのことで、アリスは反応できなかった。
黒い粘液に弾かれるようにして、カードを手放してしまう。
そのまま腕から全身に伸び、瞬く間に粘液は彼女の身体を拘束する。身じろぎすらできない状態だ。
「これは……魔法?」
「そうとも、お前の使うニセモノとは違ってな」
黒い粘液が伸びた先、森の暗がりの中から人影が現れる。
コルドラだ。彼がこの粘液を操っているらしい。
「礼拝堂ではその札を手にとって魔法を発動したようだったからな、今度は先手を打たせてもらったぞ」
「あんた、一体いつから……」
「さっきからここにいたさ。驚くことじゃない、お前も同じようなことをしただろう」
そう言われてはっとする。
自分たちがさっきまで使っていた〝隠蔽〟の魔法、あれを使ったのだろう。相手も魔法使いなら、出来ない理由はない。
「多様な魔法具を持っているようだが、使い慣れているわけではないのか? さっきなど霊素の残量を見誤っていたようだったしな」
「言う義理がある?」
「確かにない。私も正直あまり興味はないからな」
コルドラが僅かに手を動かすと、それに合わせて粘液がより強くアリスを締めつける。
「ぐあっ……!」
「だが気に入らんのだよ。魔法具使い……ニセモノの魔法使いが、本物である私をコケにしたことがな」
彼は暗く、陰湿な笑みを浮かべた。
おそらくこの人物がミリアを眠らせたりしていたのだろう、ということがアリスの脳裏に思い浮かぶ。シオンが高位の魔法だといった、転移の魔法陣までこの男の仕掛けたものなのかは判断がつかない。それでも、今自分を縛り付けることが出来るほどには厄介な相手だ。
「くっだらない……本物とかニセモノとか、そんなことが自分のアイデンティティなの?」
肺や胃を圧迫されながら、尚も虚勢を張る。危機的状況だからこそ相手に呑まれてはいけないと、アリスは本能的に理解していた。
コルドラは僅かに顔を歪ませつつも答える。
「貴様のような輩には分からんだろうな。私がどれだけの苦労を重ねて魔法を得たのか、どれだけの研鑽を重ねてこの教団で地位を獲得したのかを」
「あなたの魔法は、あの野蛮な行為をするのにさぞ役立ったでしょうね。反吐が出るわ」
「供物のことか? ふっ、野蛮とは失礼なやつめ。もっとも、我々の崇高な使命……神の召喚は凡人が理解できるようなことではないがな」
「神の、召喚?」
また随分大きく出たものだ。
「その通り。貴様のような愚か者には一生縁のないことだろうが、我々は違う。悲願を達成するためにも、今お前に逃げられるわけにはいかんのだよ」
「あんたの脳内にいる神さまでしょ。そりゃ私には縁なんてないっての」
「神はいる。貴様は我々のことをただ狂った信者だと思っているようだが、大きな間違いだ」
コルドラは落ち着いた声でそう言い返す。
「供物たる心臓は我らが神の顕現を行うための養分となり、私を始めとする魔法使いたちが着々と召喚門の形成を行っている。貴様の言う野蛮な行為というのは、立派な儀式魔法なのだよ」
それはおそらく事実なのだろう。あの箱の中の死体は、かなりの数があった。この村があくまで下位教徒のものだというシオンの推察を考慮すれば、彼らの教団は極めて長期的に拉致および殺人を行っている。それでいてなお教団の存在を世間に隠し通せているのは、彼らが規律で纏まった優秀な組織であることを物語っていた。けして神という言葉にあてられた狂人ばかりの烏合の衆というわけではないのだ。
アリスはそれを十分に理解し――その上で冷やかに一蹴する。
「どの道、狂っているには違いないわ」
「……やれやれ、平行線だな」
コルドラの声が不快の色を帯び、小さく舌打ちする。
苛立っているのはアリスだってそうだ。彼らは自分たちが崇高なことをしているという陶酔感に溺れ、そのために人を殺すことに何の違和感も感じていない。
自分がいた地球より倫理の概念が薄いこの世界だろうと、彼らのような存在は認めてはならない。
「もういい。信仰を介さない者との問答など無意味だ。それを再確認させられたよ」
「そうだね、私もあなたたちに常人のモラルなんて期待できないと再確認した。これでもう十分」
「ふん、今にその減らず口を閉ざしてやろう……永遠にな」
コルドラは手を握るような仕草をする。黒い粘液がそれに合わせてのたうち、首のほうまで伸びて来た。
アリスは、粘液が口を覆う前に、小さく笑みを浮かべる。
「そう――十分。これぐらい時間稼ぎしたんだから、そろそろだよね」
「……何?」
直後、コルドラとアリスの間に何かが飛来する。
白銀の剣とともに降り立ったそれは、落下速度を乗せて黒い粘液を叩き切った。
斬撃の勢いに粘液の飛沫が飛び散り、同時にアリスの拘束も解ける。自分の縛っていたものはただの黒い水になって地面に滴り落ちた。
「ご無事でしたか?」
「うん。どうやら魔法は解けたみたいだね」
突然の乱入者、それはミリアだった。
彼女はアリスを庇うように立ち、コルドラに向けて油断なく剣を構えている。その様子は意外にも様になっていた。
アリスの方を少しだけ一瞥し、目立った怪我がないのを確認して薄く笑顔を作る。
「事情はそちらの彼から聞きました。危ういところを助けて頂いたこと、深く感謝いたしますわ」
彼女の言葉を聞いて後ろを振り向くと、そこにはかしずいて叱咤を待つシオンの姿があった。
「此度はアリス様を危険な目に合わせてしまったこと、深くお詫び申し上げます。どのような罰も謹んでお受けする所存です」
「ううん、今は止そう。それより目の前の相手が先だよ」
アリスの言葉に頷き、シオンも立ち上がる。
これでコルドラは、三人に追い詰められる形になった。突然のことに彼は驚きを隠せない様子だ。慌てて黒い粘液を自分の手元に引き寄せるが、切り捨てられた半分はもはや操ることはできない模様である。
「そんな馬鹿な……昏睡の魔法は三日間解けないはずだぞ」
「生憎、うちの魔法使いは腕がいいの。あなたとは違ってね」
皮肉たっぷりにそう答える。
コルドラは、そして教徒たちには一つ勘違いがあった。アリスのことを単独犯だと誤解していたのだ。だからさっきも、ミリアをどこかに隠したまま一人で攻撃を仕掛けてきたものと思っていた。
なぜならあの儀式の際、彼らに食ってかかって注目を浴びたのは彼女一人だから。シオンは自分が唱えた〝隠蔽〟の魔法効果を保ったまま隠れていため、存在を知られることはなかったのだ。
「おのれ……!」
コルドラが素早く手を振りかざす。その動きに合わせて残った粘液が蠢き、再び目の前の相手を絡め取ろうとする。
だがその瞬間、ミリアがすでにコルドラの懐にいた。
「なっ――」
「神妙になさい」
ミリアが畳みかけるように数回、剣を振るう。
繰り返すたびに粘液は分断され、ついにはただの水しぶきになって霧散する。
アリスを窮地に陥れたコルドラ自慢の魔法は、あっさりとミリアの剣のもとに敗れ去ったのだ。
「私の
驚愕の言葉は、喉もとに突き付けられた刃によって封じられる。彼女がほんの少し力を入れるだけで、コルドラの命は簡単に奪われるだろう。
それらは瞬く間もなく行われたことで、アリスも素直に感心してしまった。
「へえ、やるじゃん」
「彼女は他のところは難アリですが、戦いのセンスであれば目を見張るところがあります。アンバランスなのが惜しいですね」
確かにその様子は、酒場で見せた世間知らずな態度とは別人のようだった。剣を抜き、敵と相対すれば、彼女ももはや立派な戦士だ。
もっとも、コルドラにあっさりと眠らされていたことを考えれば、必ずしも退治屋として優秀とはいえないだろうが。
実力差を察したコルドラは、取り繕うようにミリアへと笑みを浮かべる。
「ミ、ミリア殿……あなたは騙されているのです。そいつらは魔物が化けて……」
「再び私を謀ろうというのですか? 残念ですが、ここに来るまでに一度教徒を捕まえ、言質は取っています」
「うっ……」
「ここにも何人か転がっているようですが……」
そう言いながら、倒れている教徒の一人を足で小突く。教徒は軽く呻いて身をよじらせた。
「ほら、ちゃんと生きている。あなたは彼女をその魔法で殺そうとして、彼女は死なせない程度に無力化した。一体どちらの方が耳を傾けるに足る相手ですか?」
コルドラは答えられない。ミリアはすでにどちらを信じるか決めているのだ。もう言葉で言い包めるのは不可能である。
暫くの間彼は沈黙していたが、やがて諦めたように卑屈な笑みを浮かべてこう言った。
「わ、分かりました。もう抵抗はしません。……あなた方の欲しい物は私が持っています、これを渡せば命は助けてもらえますか」
「はい? 欲しい物なんてありませんが」
「しかし、教団のことを知りたいのでしょう? ならばこれが欲しいはずです」
そう言ってコルドラは懐から何かを取り出し、ミリアの方へ差し出した。
少し後ろにいるアリスからは、彼が何を手に持っているのかは分からない。しかしミリアの目線が片方の手に集中した瞬間、逆の手が腰に差したものへと触れるのを見た。
はっとして叫ぶ。
「ミリアっ! 危ない!」
彼が引き抜いたのはナイフだった。
ミリアが声を聞き、ナイフのことを察知する。彼女は目を見開き、すぐに自分の急所を庇おうとした。
だが、ナイフが狙ったのはミリアではない。
その刃は彼女の首でも心臓でもなく、所持者であるコルドラ自身を貫いた。
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