第10話『怪しい依頼人は追跡します』
「さ、どうぞこちらへお乗り下さい」
ミリアは、いきなり馬車の中へ促されて少し面食らった。
依頼について正式に承諾したという手続きを経てすぐ、コルドラから出発するという旨を聞かされたのだ。
本来なら一度宿屋で休息し、朝一番に出発するのが常というものである。しかしコルドラはより早く目的地に向かうことを求めた。
「しかし、わざわざ夜道を馬車で行くなんて……」
「御者はこのあたりの道をよく知っています。魔物や山賊のおらぬ経路にも詳しいので、危ないことはありません」
コルドラはそう説明するが、ミリアの口は真一文字に結ばれたままだ。
そもそも彼女も腕に覚えのある人間である。別段襲撃など怖くはない。それでも、彼らの様子に言い知れぬ違和感を覚えずにはいられなかった。
「睡眠は馬車の中で取って頂くことになります、そこだけはご容赦を」
「いや、そういうことじゃなくてですね……」
一向に乗ろうとしないミリアに焦れたのか、コルドラは胸に手を当てて懇願するように訴えかける。
「私は、一刻も早く村人たちのもとに戻りたいのです。彼らは今、魔物たちに支配されているも同然なのですから」
そう言われるとミリアは弱い。
気持ちを振り払うように頭を振り、ダメ押しに両手で頬を叩いた。
「分かっています。まいりましょう」
そういってコルドラともども、馬車の中に入っていった。
そして――その様子を遥か上空からアリスたちは眺めていた。
彼女はシオンとともに、大きなカーペットの上に座っている。急ごしらえで彼に作ってもらった、いわば〝空飛ぶ絨毯〟だ。
夜中であることに加え、家々の屋根に隠れるような形で盗み見ていたので、誰もアリスたちに気付いた様子はない。
「外に出るようです」
「うん、私たちも後を追おう」
すいっと、空中の滑るように絨毯が動き出す。流石にシオンの用意したものだけあって、馬車のスピードに遅れることはなさそうだ。
馬車は酒場で客たちに言った通り、北西を目指して走っている。
「アリス様、そろそろ教えて頂けませんか? あのコルドラという男のことがなんだというのか」
「え? ああ……別に直接何々を企んでいる、みたいなことが分かるわけじゃないんだけどさ、言動がいちいち不審で気になってたの」
「不審というと?」
「まず一番におかしいなって思ったのは、身なりが良過ぎることだね」
アリスは最初この街に来た時、同行していたイグナーツが富裕層の人間だということに気付けなかった。
そのことをひっそりと反省していた彼女は、それ以来人々の服装や佇まいをちゃんと見分けることを心がけていた。コルドラとその仲間たちは、一目見て良い服を着ていることが明らかなのだ。
「生地がしっかりしていて、質のいい感じがしたの。街の人の中にも時たまこれぐらい良い服を着ている人は見かけるんだけど、地方の村から来た人があの服装ってのはまずあり得ないよ」
「そうでしょうか。彼はまとめ役という様子だったので、村長か何かだったのでは? 立場のある人間なら、街へ来るのに多少身なりを良くしておいたというのもあり得ます」
「どうだろう、こういう状況下で村長が直接来るかな? 村を支配している半獣族たちにリーダー格がいなくなってるなんてバレたら、どんどん村人の立場が悪くなるじゃない」
本当に魔物に搾取されている環境下にあるなら、こうして街に助けを求めるのも危険な行為のはずなのだ。それを考えると違和感がぬぐえない。
「なるほど……」
「大体さ、その半獣族って呼び方もなんか変なんだよね。シオン君が説明してくれた感じだと、獣人っぽい魔物の総称って感じの意味なんでしょ」
「ええ。そんなところですね」
「村人なら絶対その魔物の姿を見てると思うんだよね。仮に名前を知らなかったとしても、牛っぽいとか猫っぽいとか犬っぽいとか、外見ぐらいは説明できるはずだよ。依頼の説明をしている時に、なんでそういう情報をぼやかす必要があるの?」
「それは、確かに変ですね」
「多分、何か隠している。それが何なのかまでは分からないけど、隠すってことは後ろめたいことがあるってことだよ」
アリスの視点は一点に、真下の馬車に向いている。何を考えているかは知らないが、決して逃がさないつもりだった。
シオンがまじまじとアリスの顔を見つめ、感心したように頷く。
「? 何よ」
「そんなことまで考えていらしたんですね」
「……普段の私は、何も考えてないように見える?」
「いいえ、ただこの世界のことに対して、ちゃんと興味を持って頂いていることが嬉しいのです」
しみじみとそう語る彼の姿は、なんだかお爺さんのようだった。
いや、実際彼は長い年月を経ている。先代のアリスに作られてから、あの魔法の箱の中で長い間眠っていたのだから。
いつ来るかもしれない自分の役目を、ただただ待っていたのだ。
「何も分からぬままこんな世界に放り出されるなんて、本来なら無気力になったりやさぐれてしまいそうなもの。しかしあなたはそんなこともなく、常に前向きだ。それが私にはとても喜ばしい」
「……ま、勿論思うところはあるけどさ、私はこの世界が結構好きだよ。良い人や面白い人がたくさんいて、新鮮な体験に溢れている。ちょっと困ることがあっても、君が助けてくれるしね。だから今が嫌だとか、そういう気持ちはないかな」
だからこそ、悪事ならば見過ごせない。
人が折角楽しんでいるのに、嫌なものを見せつけられたり、耳触りな
彼女たちは、そのまま暫く馬車を追跡した。
件の村というのがどこにあるか分からない以上、その距離も不明である。だから数日ほど時間を取られることも覚悟していた。
ところが、その心算はすぐに裏切られることとなる。
馬車はある程度走ったところで不意に街道から逸れ、どんどん人通りのない方向へ向かった。
そしてある地点に差し掛かったところで、当然煙のように姿を消したのだ。
「……あれ、見失った?」
「いえ、どうやらそういうわけではなさそうです」
シオンは空飛ぶ絨毯を一旦下降させ、馬車が消えたあたりで地面に降りた。
落し物を探すかのように俯きながらうろうろしていたかと思うと、不意に「やっぱり」と呟く。
「ここに転移魔法の痕跡があります。おそらく発動させたのはコルドラたちでしょう」
「転移? じゃあそれで目的地まで跳んでいったってこと?」
「はい。これは空間に干渉する高位の魔法。いよいよきな臭くなってきましたね」
まったくその通りだが、それよりも追いかける相手を見失ってしまったことになる。思いもよらぬところで距離を稼がれてしまった。
「ねえシオン君、一回私がカードを使うから、過去に戻ってあの馬車を捕まえられない?」
「前にも一度申し上げたと思いますが、私は過去で起こることを変えられるわけではありません。もしあの馬車を止めようとしても、私たちの身体は彼らに触れることすらできないでしょう」
確かに初めて会った時、そんなことを言っていた気がする。
「そっか……まいったね」
「ですがご安心を。このシオン、アリス様の望むところを叶えるのが役目ですので」
シオンはおもむろに数歩ほど足を進め、ある地点で唐突に大きく足踏みをする。
そして次の瞬間には、地面にうっすらと魔法陣が浮かび上がってきた。
「これは魔法の残滓に過ぎませんが、私ならば再起動させることができます」
「おお、流石シオン君。やっぱ頼れるね」
「身に余る賛辞をありがとうございます。……おっと、これを忘れていました」
では、とシオンがさっと手をかざす。
何らかの呪文が唱えられ、アリスとシオンの身体を半透明の膜のようなものが包んだ。
「〝隠蔽〟の魔法を使いました。少し目立ちにくくなる程度ですが、潜入には役立つでしょう」
「ありがと、それじゃあ行こうか」
シオンに手を差し伸べると、彼は頷いてしっかりと掴む。
二人して魔法陣の上に立ち、シオンがそこに霊素を注いで起動を促した。
魔法陣が輝き、同時に奇妙な酩酊感がアリスを襲う。
目の前の景色がまるで歪んでいるかのように見えた。――というより、実際に歪んでいるのだ。
空間そのものが霊素の働きでねじれ、全く別の地点へと繋がる。何かの奔流に呑み込まれるような感覚の中、アリスはただしっかりとシオンの手を握りしめた。
そしてそれが収まった頃に目を開けると、周囲にはさっきまでとは全然違う景色がある。
「アリス様、お具合は大丈夫ですか」
手を握ったままのシオンが彼女を見上げる。
「……具合はちょっと悪いかな」
「申し訳ありません。もともと複数回使用することを前提とした魔法ではなかったので、やや乱暴な形になってしまいました」
「うん……いや、まあ大丈夫。大体気分はマシになって来たから。それよりも……」
アリスは改めて周囲をぐるりと見回す。
どうやらここは森の中であるらしい。鬱蒼と草木が生い茂り、かなり深いことが分かる。
しかしそれに反して、アリスたちが立っている場所には綺麗に整備された道があった。
「ここは……あのコルドラって人が言ってた魔物の住む森?」
「少々お待ちを」
シオンが再び、何かの魔法を発動させる。
「彼は確か北西に村があると言ってましたが、ここは全く別の方角ですね。このあたりは確かまだ未開の地域も多いはずです」
「そっか……」
コルドラの言っていたことのどこまでが嘘でどこまでが真実なのか、まだ何とも言えないところだ。
見れば、地面には真新しい轍が付いていた。おそらくこれが、彼らを乗せた馬車のものだろう。
「シオン君、とにかく先に進もう。警戒は怠らずに」
「ええ」
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