第8話『酒場でこの世界を知る感じです』

「うーん、まだ来てないんだね」


 あれから数日が立とうとしていた。

 アリスは住まいを灰犬亭からシオン作のツリーハウスへ移した後、この世界の歴史や一般常識を知るために忙しい日々を送っていた。

 それらが一息ついたところで、掲示板の反応を確認しようと久しぶりに灰犬亭に出向いた。しかし結果は空振りである。

 アリスは小さくため息を吐き、注文したミルクをちびちびと飲む。


「別によろしいのでは? 特別急ぐ話でもないわけですし、のんびりと構えていれば良いことです」

「まあそうなんだけど、目の前の問題が片付かないと何となくやきもきしちゃうんだよね」


 あの盗賊の男には恩がある。少なくともアリスはそう感じていた。

 結局尋ね人が見つからずに義理を果たせずじまい、というのはちょっと困るのだ。


「そういうもんかねえ。けどあんまりせっかちだと損するぜ、お嬢ちゃん」


 カウンター席の向かいにいるクリフが、アリスたちの前に寄って来た。


「どうせやっこさんは死んでるんだろ? 本当なら破っちまってもいい約束だ、気にするのも馬鹿馬鹿しいってもんよ」

「クリフさん、店主が仕事してなくていいの?」

「おう! うちは有能はスタッフに恵まれてるからな!」


 彼が力強い肯定の声を発すると同時に、件の有能なスタッフたちがギロリとこちらを睨みつける。

 不真面目な上司がいる職場は大変だなあとアリスは思った。


「嬢ちゃんもミルクだけじゃなくて何か頼んだらどうだい? 今日はいい肉が入ってるぜ」

「肉? 何の肉?」

盗賊鼠ダーディラットさ」


 それは確か湿地に生息し、腐った死骸からゴミまで何でも食べる巨大ドブネズミの名前だ。


「魔物肉はいらないです……」

「あれっ、嬢ちゃんそういうのはダメなタイプ?」


 ダメじゃないタイプもいるらしい。

 どうやらこの世界は、自分の許容範囲よりやや上のレベルで殺伐としているようだ。

 いずれにしても、シオンの手料理があるうちは他の食べ物は要らないなと感じていた。彼の作ったものは一度味わってしまうと離れがたい。

 しつこく勧めてくる店主が少々鬱陶しくなって、何気なく他所へ視線を向ける。

 掲示板には、彼女が張った言伝のものを含め、たくさんの紙が張られていた。たまに客たちがその前に立って見定めし、しばらくして一枚だけ剥がして去っていく。

 そういえば自分は張り紙を用意するだけで、ちゃんと掲示板を見たことはなかった。

 アリスは何となく気になり、クリフの声をさえぎって問いかける。


「ねえ、あそこって普段どんな張り紙があるものなの?」

「ん? 掲示板か? まあ体外は魔物退治の依頼だな。安全確保のためにどこどこの魔物を一掃してくれだとか、何々って魔物の希少部位を取ってきてくれだとか」

「それじゃあここのお客って魔物専門のハンターみたいなものなの?」

「まあな。うちはこの街の退治屋御用達のお店さ」


 この世界ではその手の職業を退治屋と呼ぶらしい。

 今まではそういう目で見てこなかったが、よくよく観察してみると客たちはどこか体格の良い人が多い。流石に酒場でまで帯刀している者や装備を整えている者は少ないが、それでも少ないなりにちらほらと見かける。

「へえ、知らなかった。魔物退治で生活するのって、なんかカッコいいな」

「どうかねえ。俺が言うのもなんだけど、退治屋なんてものは食い詰め者の終着点みたいなもんだから」

「その通りです、アリス様。彼らといえば大抵は家業を継げなくなった者が仕事を求めて行きつくもの。農家の三男坊や、職人の元から逃げ出した弟子。そんなやつらばっかりです」


 シオンが口を挟む。しっかりものの彼は、この手の話題だと中々辛辣だ。


「けどさ、こっちじゃ魔物の被害って結構あるんじゃない? そいつらと戦うんだから、人気もありそうなもんだけど」

「魔物と直接対峙することのある役割は、退治屋以外にも二つあります。一つは自警団、こちらは市街の治安維持活動や、市民からの細々とした依頼を片付ける組織です。もう一つは騎士団、領主或いは国家に仕え、有事の際に身体を張って敵対勢力の討伐にあたります。人気ということなら後者の騎士団員のほうですね。彼らはエリート中のエリート、実力と家柄の両方を備えた戦士たちです」


 例えばゲームなんかでイメージする冒険者が、この世界では分野ごとに分けられているということだろうか。自警団は警察と何でも屋が一緒になったような仕事で、騎士団は軍隊に近いもの、という印象だ。おそらく、それぞれが実力相応の依頼を受けて活動できるというところに利点があるのだろう。


「しかし退治屋が人気職ってのは間違いじゃないぜ。民衆にとっての、というより成り上がり目的の連中にだけどな」


 クリフがシオンの解説に一つ補足を加える。


「どういう意味?」

「自警団が市民から、騎士団が国から依頼を受ける組織だとしたら、退治屋の依頼主は主に商人だ。あいつらは行商の開拓や大口の依頼のために、魔物が邪魔になったり必要になったりするからな。そして商人の良いところは、有能な人材には援助を厭わないところだ。依頼を受けて、自分の有能さをアピールすれば、依頼主は喜んでスポンサーになってくれる。実際そういう形で有名になったやつも多くてな。自警団や騎士団は組織主体で動くことになるが、退治屋はフリーランスだから全ては自分の実力次第。腕に覚えのあるやつにはこういったところが受けてるのさ。」

「なるほど、ロマンのある職業なんだね」


 何となく男の世界、という感じがする。

 そういう名誉欲はアリスにはあまりピンとこない感覚だが、この世界で暮らす人には大事なことなのだろう。街の文化レベルを鑑みれば、人々の貧富の差は大きい。さきほどシオンが言っていたような社会からあぶれた人間が、名声を得て良い暮らしに憧れるのは当然のことだ。


「しかし嬢ちゃん、こんなことも知らないなんてよっぽどの世間知らずだな」

「あー……、まあ田舎育ちでさ」

「へえ。さっき『こっちじゃ魔物の被害も……』なんて言ってたが、お前さんの故郷じゃ魔物はあまりいなかったのか?」

「そういうこと、ははは……」


 少々喋りすぎたようだ。変な興味の持たれ方をしてしまった。

 何とか誤魔化そうと愛想笑いを続けていると、突然慌ただしく扉が開かれる。

 出て来たのは、身なりの良い服を来た数人の男たちだった。

 彼らは客たちの視線を集めながら酒場の中心に立つと、リーダーらしき禿頭の男が大声で周囲に呼びかける。


「皆さん、しばしご静聴願います。私はここより北西の村から来たコルドラと申します。本日は皆さんに、魔物の討伐を依頼したい」


 突然のことに、客たちはみなシンと静まる。

 クリフだけは流石に眉をひそめ、カウンターから出てきた。


「おいあんたら、依頼があるならそこの掲示板に……」


 呼びかける男に歩み寄ろうとしたが、彼の取り巻きたちがクリフを引きとめる。


「どうかお目こぼしを、すぐに済みますので」

「いやすぐ済むとかそういうことじゃなくてだな」

「我々には時間がないのです。どうかご容赦を」


 そのようなことを言いながら、自分たちの身体でクリフのことを遮る。ふと見ると、彼らの胸には共通のバッチのようなものが付けられていた。

 禿頭の男コルドラはクリフたちを一瞥だけし、再び話し始めた。


「私たちの村は、つい最近できた小さな村です。恵み多い森の近くにあり、村人たちも皆心やさしい者ばかりでした。しかしある時から、その森に半獣族の群れが済みつくようになったのです」


 聞き耳を立てていた客たちが、僅かにざわつき始める。


「ねえシオン君、半獣族ってどういうの?」

人狼ワーウルフ牛魔ミノタウロス猪男オークなどといった獣の特徴を持つ亜人型の魔物の総称です。知能の幅も広く、人間と同等に意思疎通ができる種もいます。規模にもよりますが、徒党を組んだ半獣は退治屋にとっても厄介な相手と言って良いでしょう。なにせ彼らは多数での戦いに長け、野生に由来する強力な感覚能力を持っています。一瞬の油断すら命取りになるのです」


 アリスは解説を聞きなるほどと頷く。

 シオンの説明の間も、コルドラは客たちに村の現状を訴えかけていた。


「当初、我々は彼らを下手に刺激しないようにひっそりと暮らしていました。しかし彼らは自ら村を荒らしにやってきて、あまつさえ自分たちに貢物を要求してきたのです。私たちはなけなしの食糧と、それに村の娘まで差し出すことになりました。こんな……こんな非道なことがありましょうか!?」

「で? それを俺たちに何とかしてくれって言うのか?」


 客の中の一人が口を挟む。


「そういう仕事なら騎士団の領分だろ。なんで態々俺たちに依頼するんだ?」

「無論、最初は私たちも領主に嘆願致しました。しかし先ほど申した通り、私たちの村はまだ作られたばかりの小さなところ。他の村との流通もなく、人員を動かすほどの価値がない村なのです……」

「領主が渋ったってのか? まさか」

「或いは、何かお考えがあったのかもしれません。しかし村人たちは今まさに苦しんでいるのです。これ以上は耐えられません」


 コルドラはこぶしを強く握って訴えかける。


「退治屋のお方々は、皆騎士団に勝るとも劣らない実力を持っていると存じます。その剣で、魔法で、憎き魔物どもを討伐して頂けないでしょうか。私たちが心の平穏を取り戻して暮らしていくためにも、なにとぞよろしくお願いします」

「へっ、ごたくは十分だぜ」


 また客の中から一人、今度は典型的な荒くれ者といった風貌の男が口を挟む。


「村の現状なんざどうでもいい、どうせ俺たちには関係ないんだからよ。それよりも、依頼を出すならまず金の話だろ。俺たちが魔物を退治したら、一体いくら払ってくれるんだ? 額次第なら例えどんなやつが相手だろうとぶっ殺してやるぜ」


 男はぼきぼきと指を鳴らし、凶悪そうな笑みを浮かべた。


「ええ、勿論報酬もご用意しています。ただ……」


 そこでコルドラは少し、言葉を濁した。彼の後ろに控えていた仲間の一人が、テーブルに革袋を置く。


「先ほど申しました通り新しい村ですので、あまり蓄えもありません。皆に募って何とかこれだけ集めましたので、どうかこれでよろしくお願いします」

「で? そこにはいくら入ってるんだ?」

「……金貨20枚ほどになります」


 一瞬の静寂。

 次いで、酒場に失笑の渦が巻き起こる。


「小さな村とはいえそこまで金がねえのかよ!」

「おいおっさん、せめて相場ぐらい踏まえてから来てくれよな!」

「あーもう、笑わせてくれるぜ」


 客たちは笑みを浮かべ、口々にコルドラを揶揄する。

 聞いていたアリスには何となく事情が呑み込めず、こっそりシオンに耳打ちする。


「ねえ、20枚って結構高額な気がするけど……」

「大体一月ほど不自由なく暮らせる程度の金額ですね」

「それって少ないの?」

「はい。もともと退治屋を雇うには高額の金が必要なのです。危険な仕事だからというのもありますが、彼らは武具の購入や手入れにいくらでも金銭を必要としますので」


 なるほど、と頷いた。おそらく彼らの依頼主が商人中心というのは、金持ちでないと雇えないという理由もあるのだろう。

 ひとしきり笑った客たちがまたそれぞれの会話に戻っていくのを見て、コルドラは慌てて言い連ねる。


「待って下さい。私たちの用意した金額で足りないのであれば、借金をしてでもお支払いします。今はまだ無理でも、村が大きくなればきっと……」

「誰がそんな小さな村の未来まで保証できるんだよ。俺たちはすぐ金を準備できない奴には用はねえ」

「そういうこった。信用に値しない依頼主に協力する奴なんぞいない。諦めて帰るんだな」

「村人たちは私が皆さまがたを雇って戻ってくるのを待っているのです! このまま戻るわけには……」

「そんなこと俺たちには関係ない。精々魔物たちと仲良くやれよ、媚を売っておけばまあすぐに殺されることはないだろうさ」


 コルドラは彼らにすがりつくも、容赦なく一蹴される。アリスはそんな様子を尻目に、再びミルクを飲み始めた。

 実際、客連中の言っていることは正論である。部外者の彼女としては、極力関わらないのが無難だろう。

 大きめのグラスを手早く空にして、さっさと会計を済ませようと懐から小銭を取り出す。

 ちょうどその時だった。


「見損ないましたわ。金金金と、地獄の亡者すらあなた方ほどには強欲ではないでしょうとも!」

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