第7話『新しき我が家です』

 外の喧騒を聞き、アリスは目を覚ます。

 ベッドからゆっくりと上体を起こし、簡素な部屋を見回した。

 寝具の他にはテーブルと小さな棚ぐらいしかない。起床を促した騒がしさは、働き盛りの若者たちが食事とともに談話しているからだろうか。眠ったのは明け方であるため、今はもう太陽はてっぺんで輝いている。

 アリスにとっては、異世界について初めての街の姿だ。盗賊の男、人形のシオン、それにこの街で別れたイグナーツ。今まであった人の数がそれほど多くなかったこともあり、実はあまり現実味を感じていなかった節がある。

 この街に来て、ひと眠りして、ここでようやく実感を得られた気がした。

 そんな記念すべき瞬間、アリスは心中の思いをぽつりと呟いた。


「――背中が痛い」


 異世界のベッドは堅い。それもまたアリスの得た異世界だという実感の一つだった。




 部屋の外に出ていたシオンを連れて、アリスは階段を降りていく。一階では店主が大きな身体を丸めてグラスを磨いていた。


「ようアリスちゃん、お目覚めかい?」

「クリフさん、おはようございます。……いや、こんにちはかな」


 イグナーツと別れた後、アリスは彼の情報をもとにうたた寝の灰犬亭を訪れた。夜中の営業が終わり店の片づけをしていたところだったらしいのだが、店主のクリフは急な宿泊を快く許してくれた。身体が大きくて少し威圧感があるが、中々気風の良い親切な男性だ。


「まったく、夜中に馬車を走らせるなんて大した嬢ちゃんだよ。事故でも起こしたら大変だぞ?」

「でも野営はしたくなかったの。これでもかよわい乙女なもので」


 実際のところ、馬車を走らせたのは地上ではなく障害物のない空の上で、おまけに満天の星空ということもあってそれほど危険な旅ではなかったのだが。

 何となく店内を見回すと、疎らだが席に着き談笑する客が見かけられた。ここでは昼間は何も出していないそうだが、宿泊客もいるためかまったく人が集まらないわけではないらしい。


「ねえクリフさん、私のこと聞いてきた人はいた?」

「掲示板に貼ったやつのことかい? 流石にまだ誰も来てないよ」


 昨日、アリスは寝てしまう前に盗賊の男との約束を果たしておくことにした。店の掲示板を借りて男が死んだ旨を連絡したのだ。

 彼は結局自分の名前を明かさなかったので、とりあえず探し人である息子のニコラという名前だけ明記して、あとは単に盗賊団の頭目と書いた。特徴もいくつか記入しておいたので、気付かないということはないだろう。

 実のところ、これを行うことには多少の抵抗があった。自分は盗賊という明らかにアウトローに属する人間に関わっているわけで、それを吹聴すると噂になるのではないかと。

 ただこれはシオンと店主にあっさりと否定される。この世界の常識では、騙され奪われるほうにも非があるということになるのだ。行きずりの盗賊から頼まれ事をするぐらい非難されることではないらしい。


「アリス様、暫くはここに滞在して様子を見ましょう。その盗賊の息子がいつ来るかも分かりませんし」


 胸に抱いたシオンが手を挙げてそう進言する。

 それを聞いていたクリフはおっと嬉しそうに声を上げた。


「長期契約なら歓迎するぜ。うちは一月ひとつき部屋を使うなら一割お得になるシステムだ」

「え、えーっとどうしようかな」


 背中がまたずきずきと痛む。彼には悪いが、これではシオンの作った馬車で寝た方が遥かにマシだ。


「とりあえず今は保留ってことで。案外すぐに見つかるかもしれないし」

「そりゃ残念。ま、気が変わったらいつでも言ってくれよな」


 にこやかに答えるクリフに愛想笑いを返し、外を散歩に行くと告げて酒場を出た。

 扉を閉めてすぐ、シオンをくるりと自分に向き直らせる。


「アリス様、どうかなさいましたか」

「シオン君、私のお家作って」




 数時間後アリスは、シオンとともにアルジェンテの街から少し離れた平原に来ていた。

 先日着いたばかりなのにわざわざ外に出て何を、と問われれば、ここには土地を探しに来たのだ。

 日本でぬくぬくと生きてきた自分は、どうやら安宿では満足できない。しかし街の中に家を作ろうとすれば、まず土地を買う金を用意する必要があるし、そもそも殆どが古家とセットになって売られている。難民が街の外で掘っ立て小屋を作ったりすることは見逃されているらしいので、同じ要領で街の外に家を建てれば文句を言われることもないだろう。

 前を歩くシオンが、ふと振り返って聞く。


「ちなみにアリス様、どのような住まいがお望みでしょうか」

「ベッドふかふか」

「なるほど、他には?」

「いや、あるにはあるけど際限なくなっちゃうよ」


 そもそもこの世界は日本とは文化レベルが違うのだ。いくら彼が頑張っても完全に満足できる家は作れまい。

 しかしシオンは、それでもなお意見を求めた。


「遠慮なんかなさらずに、どうぞ好きなだけ仰って下さい。私にとっては、主が居心地良くいられる空間を作るのは当然のこと。アリス様には私に遠慮し過ぎですよ」

「うーん……」


 そう言われると口ごもってしまう。かと言ってやはり細かく注文する気にはなれず、何となく目を泳がした。

 そこでふと、近くに生えた大樹に目が止まる。

 街に来た時も見かけていたので、前から立派だなとは思っていた。しかしよくよく考えれば街道から逸れた開けた場所にあり、街からもそれほど遠くない。立地としては中々優れているのではないだろうか。


「ねえ、シオン君。ツリーハウスとかって作れたりする?」


 ついポツリと口走ってしまう。


「ツリーハウスですか?」

「あーいや、こっちに来てから自然の姿に新鮮さを感じることが多くてさ。そういうのもいいかなって。まあそういう家って利便性とか考慮すると微妙かもしれないけど」

「いえ、大変よろしいと思います。不便に感じるようになれば、その時に別の家を探せばいいのです」


 シオンは思いのほか好意的であるようだった。

 彼はてこてこと大樹の目の前まで近づき、そっと手で触れる。


「大きさに似合わず若くて力のある樹木ですね。常緑樹なので景観を損ねることもありませんし、これならば最適でしょう」

「できるの? ベッドはふかふかじゃないとやだよ?」

「無論です。私の建築技術、アリス様に御披露致しましょう」


 アリスは頷き、カードを取り出した。

 いつも通りシオンが必要な人数と時間を述べて、彼女それを思い浮かべながら念じる。


『我が意に従え』


 すると大樹が淡い輝きとともに変貌する。

 根元から順に縄梯子がうっすらと輪郭を現し、枝分かれの始まった一部がくり抜かれるような形で広い床ができる。次いで壁、天井が現れベランダや外の照明など細々とした部品がつけられていく。まるでシオンが過去で行った仕事が、現在という一瞬に詰め込まれているようだった。

 ちゃんと見たのは初めてだが、シオンの召喚によって作られたものはこのように出てくるらしい。

 ツリーハウスそのものの姿も相当見事なものだ。

 日曜大工で作られるようなシンプルなものをイメージしていたが、もっと本格的なものに見える。居住施設としての性格を十分に備えているのだろう。それでいて樹木の自然らしさとも殺し合わず、しっかりと一体感を持っていた。


「相変わらずの職人っぷりだね、シオン君」

「素材が良かったこともあり非常に捗りました。さ、中へどうぞ」


 促されるまま、アリスは梯子を上った。

 家の内部はすでに家具類が整えられている。ほぼワンルームの形だが、外から見るよりもずっと広い。アリスが大の字でごろんと横になっても、まだスペースはあり余っているようだ。

 内装もどこか品があり、アリス好みだった。ふとベランダに出ようと入り口とは反対になる扉を開ける。しかしそこは外ではなく、シャワールームに繋がっていた。


「ちゃんと水が出るんだね。でもどこから汲み上げてるの?」

「水魔法を利用して、近くの川と樹の幹を繋ぐ水路を作りました。住まいを建てること自体は基本的に手作業ですが、ツリーハウスという構造上の欠点……例えば災害や魔物からの防衛、樹の劣化やダメージなどの問題は魔法によって対策を行いました」


 確かに、本来は家を建てるはずの場所ではないのだから問題もあるだろう。それを全部解消できる魔法というのは随分便利な技術だ。


「そっか。丁寧にやってくれたんだね」

「アリス様の御意向を十分に叶えることこそ、私の使命ですので。ベッドの方も厳選しましたので、最高の品質ですよ」

「……ほほう?」


 アリスはがばっと起き上がり、そのままベッドに倒れこんだ。

 ベッドは彼女の自重で大きくへこみ、それでいて見事な弾性を発揮する。きめ細かく滑らかなシーツの肌触りもあって、そこにいるだけで力が抜けていきそうだ。


「ああ……っ、すごいよシオン君。これは文句なしに最高だよ。ふかふかで、柔らかくて、すべすべもしててホント気持ちいいっ」

「私が用意できる中でも最上級のものです。この街の領主ですら、これほどのベッドでは寝られないでしょう」

「うう、こんな贅沢してていいんだろうか。……駄目だ、起きたばっかりなのにどんどん眠くなる」

「おっと、それはいけませんよ。これから食事にしようと思っていたのに」

「えっ、食事?」


 アリスがむくりと起き上がる。


「はい。朝ごはんを灰犬亭で食べ損なったでしょう? あまり栄養を取る機会がなかったことですし、何か口に入れなければ」


 実際、アリスは空腹には違いなかった。

 別にこの世界に来てからまったく食べていないわけではない。今までに食事は二度ほど。一度目は馬車の中で流石に限界を感じ、イグナーツから携帯食糧を貰った。

 しかしこの世界における保存食というのは、堅焼きにしたがちがちのパンのことである。その堅さは満足に齧ることもできないほどで、どうしても口の中の唾液でふやかす工程が必要だった。味も妙に酸味がきつく、食べ慣れないアリスには少々辛い。

 二度目は灰犬亭で、寝る前に少しだけ用意してもらった料理だ。今度こそちゃんとした料理が食べられると思っていたのだが、出てきたのは麦か何かを牛乳でどろどろになるまで煮込んだものだった。軽めで安上がりなものをと頼んだのでもっとマシなものもあるのだろうが、その麦粥だってここでは一般的な料理には違いない。

 アリスは「これが異世界の洗礼か」と今後の食生活を思って涙したものである。


「あのー、シオン君ちょっといいかな」


 おそるおそるシオンに問いかける。


「なんでしょう?」

「いやさ、私この世界の食べ物ってちょーっと相性が悪いみたいなの。多分味覚が合わないのかな。できればそこらへん配慮してくれると嬉しいなって」


 家を作る上でここまで見事に自分の意を汲んでくれたからこそ、料理ではどうなのかが気になった。

 シオンが日本人好みの料理を作れるかは、アリスにとっては唯一の頼みの綱である。

 しかしシオンはアリスの言葉に答えず、おもむろにキッチンから何かを取ってテーブルに並べる。

 それは五種類の小ビンだった。


「何なの?」

「調味料です。右から、醤油、味噌、ケチャップ、マヨネーズ、ソースです」

「へっ? ……! えええ!?」


 慌てて右端の小ビンを掴み取り、ぺろりと一舐めする。

 確かにこれは醤油だ。多少の違和感はあれど、その独特な香ばしさと塩味は間違いようなく醤油のものだ。他のビンのものも試していくが、どれもちゃんとした調味料になっている。


「料理に関しては、先代アリスも非常に頭を悩ませたと言います。美味しくない、そもそも美味しさを求めるという文化がないのですから、故郷の味との差は明白。いっそ思い出ごと味の記憶もなくしていればよかったのですが、舌が忘れてくれません。長くここで生活していくことで慣れはしましたが、全てが終わった後、長い間料理研究に明け暮れたそうです」


 先代アリスってすごい。国一つ建てたあと次にやることが料理の研究とは。

 しかしこれが全てその成果なのなら、頭が上がらない。マヨネーズあたりなら知識があれば似たようなものは作れるだろうが、醤油やら味噌やらとなると一朝一夕で何とかなる問題ではないだろう。試作だけでも多大な手間と時間が必要で、下手をすればそれを何十回も繰り返すことになる。


「ていうかこれ、いくつかは材料すら手に入りにくい気が……」

「貿易や、直接原産地を開拓したこともありますね。殆どは品質が劣悪過ぎて使い物にならないので、魔法を使った品種改良を繰り返しました」

「そんなこともできるの? ホント何でもありじゃない」


 アリスにはこの世界のことはまだ分からないが、そんな技術があればもっと世界はガラリと変わるのではないか、という気もする。


「誰にでも、というわけではありません。例えば配合を最適化するために演算魔法というものを使います。これは極めて細かい操作が必要なもので、儀式魔法とは完全に逆のベクトルで困難です。おそらくどちらも同じ精度で行える魔法使いは一人として存在しないでしょう」

「けど先代アリスは出来たんでしょ?」

「先代はどちらもできませんでしたよ。先天的に霊素を魔法へ変換しにくい体質の者はいますが、彼女は純粋に才能がありませんでした。友人たちの手を借り、知恵を借り、思考錯誤の末に完成させたのです」


 やはり先代に多くの仲間がいたというのは本当らしい。この感じではシオンも先代に作られたというより、先代のプロデュースで作られた、というのが正しいのだろう。しかしそれは彼女が手柄を横取りしたということを意味するのではない。むしろ彼を作れるほどの人材を集めた、相当な人望の持ち主であるということを表している。


「ふーん、残念。私もそのうち魔法を教わろうかなと思ってたのに」

「アリス様はどうか分かりませんよ?」

「けど先代と同じでこの世界の人間じゃないし。あっちには魔法なんてなかったんだよね」

「魔法の才は元々先天的なものではありませんので、別に関係はないかと思われます。どちらかといえばセンスや根気の世界ですよ」

「どっちも苦手かも……」

「ま、それは追々ということで。ともかくご飯にしましょう」


 シオンは指をパチンと鳴らし、自分の分身を三体生みだす。


「腕によりをかけてお作りします。少々お待ち下さい」

「お待ち下さいって……過去に飛べばすぐじゃない」

「いいえ、それはだめです。待つ楽しみもまた食事の一部、調理の匂い、音を感じながら、是非お腹を空かしていて下さい」


 アリスが取り出したカードをひょいと奪い取り、シオンはそのままキッチンへ向かう。


「だから空腹なんだって……」アリスはそうぼやいた。




 スパゲッティ・ナポリタン、ハンバーグ、コーンスープ、シーザーサラダ……。

 日本にいたアリスにとってはありふれた、しかしここ異世界においては技術や食材の希少性などから食べるのが困難なメニューが食卓に並ぶ。

 アリスは久しぶりに心から美味しいと思える食事をした。あまりの感動に、不覚にも涙をこぼしそうになったぐらいだ。


「そう言えばシオン君、君ってご飯食べられるの?」

「食べられますよ。栄養を魔力に変換できるので」

「そっか。はい、口あけて。あーん」

「あ、アリス様、お戯れを……」


 しかしてアリスたちは、この美味しい料理をめいいっぱい堪能する。

 その結果お腹を壊し、その日一日をすっかり潰してしまうのだった。

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