第6話『この馬車飛びます』

 目の前にあったのは、無残に壊された馬車、そして人間の死体だった。



 ただ倒れているわけではないと分かったのは、腕や頭、胴体などが力任せに引き千切られていたからである。

 馬も同じような状態で、夥しい血が流れて地面を濡らしている。


「この人たち、イグナーツさんを置いていったゴロツキじゃない?」

「た、確かにその通りです。馬車も見覚えがあります」


 窓からそっと顔を出してイグナーツが答える。関心はあれど、アリスと同じように外に出る勇気はないらしい。


「こんな風に人を殺せるなんて、相当の力持ちじゃないと無理だよね。ということは、さっきの話に出ていた魔物?」

「他に情報がない以上、そうだと思われます。オーグルエイプといえば器用な手先と強靭な肉体を併せ持つ厄介な魔物です。訓練の受けてもいないただの荒くれ者では勝ち目はないでしょう」


 しかし、その魔物は石材がなければ襲ってこないのではなかったのか。

 壊れた馬車を覗き込むが、別に特別な荷物を積んでいる様子はない。

 周りを見回せば、近くには薪の準備がしてあった。どうやらここで野営するつもりだったらしい。休息中に見つかってしまい、不意を打たれる形で襲撃されたのだろう。悪人とはいえ、哀れな末路だ。


「積み荷があるようには見えないけど……?」

「ええ。それに詐欺とはいえここで護衛を受け持っていたのなら、オーグルエイプについての情報も仕入れていたはずです。……最も、その情報に誤りがあった場合は意味などありませんが」

「どういうこと?」

「そもそも石材で暴れるというのは経験則でしかない、ということです。少なくとも私はそんな話聞いたこともありません」


 シオンはひょいと御者席から降り、死体の傍に寄って何かを抜き取った。

 血のべったりついたそれがアリスたちの前に掲げられる。


「それは……マント?」

「おそらくこれがオーグルエイプを凶暴化された代物です」

「そ、そんな馬鹿な。その真っ赤になったマントがなんだというのですか」

「はい、真っ赤です。しかしそれは血がついたからで、もともとは白い生地で作られています」


 その言葉に、アリスもピンと来た。


「つまり……色ってこと?」


 石材というのは、鮮やかな白い石灰石だとイグナーツは言った。どちらも同じ色だ。


「私の内部にある記憶媒体データベースには、オーグルエイプの群れとの戦闘において白い盾を持った重装備兵を前衛とし、後方の弓兵と魔法使いで殲滅するという戦術について記録されています。これは東方の国で使われる方法のようですね」

「彼らの場合はマントが同じような効果を発揮して狙われた、と」

「ええ。このマントは非常に質のいいものです。おそらくイグナーツ殿を騙したのと同じ手口で、どこぞの名士から奪い取ったのでしょう。とはいえこんなもの、行商人が荷台一杯に詰め込んだ石灰石に比べれば目立たないはず。夜が更けてきたこともあって、本来なら襲われずに済んだでしょう。しかし薪の傍で仲間たちと騒ぎながら、これみよがしにマントを見せ合いでもして、そこに運悪くオーグルエイプが現れれば……」

「不運にも標的になる、ってわけね」


 特定の色によって生物が過剰反応するという例は、アリスのいた地球でも存在する。例えば蜂などは黒い物体、生物に対して本能的な敵愾心を抱くという。


「オーグルエイプが白いものに闘争本能を掻き立てられるのは、生息域の近い白猿種を連想させるから。猿同士のいさかいに人間が巻き込まれてしまったわけですが、悪党には相応しい末路だったかもしれませんね」

「シオン君、そういうこと言っちゃ駄目だよ」

「あ、あのう。よろしいですか?」


 馬車の中で縮こまっていたイグナーツが、控え目に呼びかける。


「ごめんごめん、足止めし過ぎてたね」

「それはよろしいのですが……彼らと私たちの馬車、さほど離れてなかったはずですよね」


 確かに。アリスたちはイグナーツを乗せてすぐ出発したので、タイミングとしてはほぼ同時だ。彼から話を聞きつつ進む予定だったのでスピードはあまり出していないが、それでも間隔としてはあまり極端ではないだろう。


「ということは、彼らを殺したオーグルエイプはまだこの近くにいるかもと……。むしろ彼らを襲ったことでより昂ぶっている可能性だってあ……」


 突如、雄叫びが響く。

 大気をざわめかせ、全身が粟立つような声。

 アリスは一瞬硬直し、そしてすぐ警戒心を浮き上がらせた。

 これがオーグルエイプなら――近い、あまりにも。


「アリス様!」


 シオンが手を伸ばす。アリスは殆ど反射的にその手を掴んだ。

 ふわりと、シオンの手に引っ張られアリスの身体が浮く。そのまま彼に抱き包められるような形で御者席に乗った。

 驚いたが、そもそも彼は大人と同程度には身体能力を持っているのだ。子どものような身長そのままに判断してはいけない。


「出発しますよ!」


 馬に鞭打ち、疾風のように飛び出す。

 アリスは先ほどまでの運転がどれだけ自分たちに気を使ったものなのか理解した。周囲の景色が目まぐるしく動いていく。あまりにも荒々しく、そして勢いある走りだ。

 飛ばされないように座席にしがみつきながらも、少し気になって車体の脇から後方を振り向く。

 ちょうどその瞬間、茂みの奥から巨体が飛び出してきた。

 毛むくじゃらの身体に太い角が生えた頭。長い手足にはそれに相応しいだけの筋肉を備え、その上で鋭利な爪と牙を持っていた。

 さらに表情は見るも恐く、明らかに殺気立っている。


「あれがオーグルエイプ……」


 アリスの声を聞いてか、イグナーツも窓から顔を出す。しかし鬼気迫る様子でこちらを追いかけてくる姿にすぐ「ひいっ」と叫びながら引っ込んで行った。

 逃げ切れるだろうか。この馬車もかなり早く走っているが、あちらはこの辺りの地形を熟知している。

 もしものことを考え、懐のカードに触れる。しかしその腕に傍らのシオンが手を置いた。


「ご安心を、アリス様。このような状況も予測していなかったわけではありません」

「予測って、どういうこと?」

「こういうことです――いざ、真なる姿を!」


 叫んだ瞬間、馬車全体が光に包まれる。

 何事かと思う間もなく、まず車体を引く馬に変化が現れた。

 地面を蹴る蹄が今一度大きく音を立てたかと思うと、そこから脚全体に纏わりつくように炎が噴き出す。脚だけではない。たてがみも熱を放ちながら燃え始め、炎そのものが長い髪と一体化する。ただの馬だと思っていたが、とんでもない。彼もまた紛れもなく魔法の力を秘めた召喚獣だった。

 次いで、馬車の側面から何かが飛び出す。それを何と呼ぶのかは難しい。光で描かれた文様そのものが、馬車に付随する形で空間に浮かび上がっているかのよう。感覚としては空中に浮かぶ魔法陣に近いが、その形はまるで翼のようだった。


「まさかこの馬車……飛ぶの!?」

「さあ、しっかり掴まってて下さい!」


 鞭がしなり、炎馬が嘶きとともに一度大きなジャンプをする。タイミングを合わせて光る翼も羽ばたきを始め、そのまま馬車ごと空中に飛び出した。

 火を噴く蹄はもう一度地面を踏むことはなく、今度は空の上をまるで透明な階段があるかのように駆け上げる。足取りは確かで、馬車の座席にいるアリスたちも殆ど地面を走るのと同じ感覚だった。

 高度はぐんぐん高くなり、さっきまで自分たちが走っていた道が俯瞰して見える。


「すごい……この馬車も魔法が仕掛けてあったんだ」

「はい、もしアリス様に何かあったら大変ですので。それに私は物を作る時、いつも手を抜かないことを心がけております。作られた人形としての、ちょっとした矜持です」

「……ちゃんと発揮されてるよ、シオン君のそういうこだわりが。だからこそこんなにも立派な馬車を作れたんだ」


 シオンはアリスの称賛を感慨深そうに聞き、恭しく頭を下げた。

 ふと、馬車の後ろのほうでガタッガタッと大きな物音がする。そういえば後ろの座席にいるイグナーツのことを気にしていなかった。

 彼はまたも頭だけ窓から突き出して、小さな悲鳴を上げる。


「な、なんですかこれは! どうなっているんです!?」

「まーまー、落ち着いてよイグナーツさん。シオン君の自信作だから落ちたりはしないよ」

「そうですとも。これでオーグルのほうも手出しはできないでしょう」


 オーグルエイプはすでに、馬車から見て豆粒のように小さくなっていた。

 跳んだり跳ねたり、時には近くの石を拾って投げつけて来たりもしたが、どうしてもこの馬車に攻撃を加えられないらしい。仕舞いには悔しいのか地団駄を踏み始めた。


「ふふん、いい気味だね」

「さて、どうしましょうかアリス様」


 シオンは炎馬の脚を一旦休ませて問いかける。


「このままオーグルエイプは捨て置くこともできますが」

「……いや、ここで退治しよう」


 アリスは不意に眼を細め、真面目な表情になる。


「あれはもうたくさんの人を殺してる。石材の一件で行商の障害にもなっているみたいだし、流石に見過ごせない」

「畏まりました。では、この馬車の最終兵器をお見せいたしましょう」


 シオンが馬車をオーグルエイプのほうに向き直らせる。

 すると空気を震わすような音とともに、馬車後方に複数の魔法陣が展開された。中央に巨大なものが一つ、それに連なるように四つ。それらは赤く輝きを放ちつつも、星空から更なる光の粒子を集めていた。


『術式起動、霊脈経路に異常なし。火霊集束中――充填完了。開帳準備整いました』


 シオンのものともアリスのものとも違う、機械めいた声が響く。同時に、魔法陣の光が最高潮に達した。

 シオンがさっと手をかざし、そのままオーグルエイプのほうへ振り下ろす。


「攻撃、開始」

『了解、血戦魔法を開帳――火焔光背・灼熱破却砲アウレオラ・イラブション!』


 魔法陣から、極太の赤熱光線が放たれる。

 極限まで熱量を高められた光の奔流が、眼下の地上を埋め尽くした。アリスはとっさに目を覆ったが、瞼の裏側からも眩しい光が入ってくる。

 尋常ならざる力、容赦なき破壊が具現化したかのような一撃が、夜の闇を一条に切り裂く。

 光線を浴びた大気の一部は、激しい熱エネルギーに翻弄され突風を起こした。魔法による浮力を得ている馬車すらも、その風に軽くよろめいたほどだ。

 やがて光の流れは細くなり、不意に途切れる。全てが嘘のように、再び静寂が戻った。

 そっとアリスは目を開け、オーグルエイプの姿を探す。

 街道には腕の破片一つ転がっておらず、ただ地面に焦げ付いた染みが残るだけだった。




 アリスたちはその後、空を飛んだまま街を目指した。

 心地良い夜風を受け、絶景の風景に目を奪われながらドライブを楽しむ。こんな経験、この世界に来なければ得られなかっただろう。

 夜が明ける前に街を見つけられたので、そのまま地上に降りて街門の前までやってきた。 馬車を降りたイグナーツは、アリスたちへ丁寧に頭を下げる。


「いやはや、このたびは誠にありがとうございました」

「なんかごめんね、バタバタしちゃって。イグナーツさんも大変だったでしょ」

「とんでもない。びっくりすることは多かったですが、この歳になって貴重な経験をさせて頂きましたよ」


 実際、イグナーツは怯えた顔と同じだけ感嘆の表情を浮かべていたような気がする。

 彼にとっても空中飛行は魅力的な体験だったようだ。


「アリスさんはこれからどうなされるおつもりで?」

「うーん、とりあえず眠いのでどこかで休んで、それからうたた寝の灰犬亭って酒場に行かなきゃならないの」

「おお、あそこですか。確か二階で宿も貸していたのでちょうど良いですな」


 それは良いことを聞いた、とアリスは笑う。


「この街は広いので、知り合いもたくさん増えるかと。是非友達作りに励んでください」

「イグナーツさんも私の友達になってくれてもいいんだよ?」

「ほほう。それもまた楽しそうですな。しかしまずは、ちゃんと借りをお返しせねばなりません」


 そう言って懐から小袋のようなものを取り出し、アリスの手のひらに乗せる。

 どうやらこれが、護衛の代金ということらしい。


「はい、確かに頂きました」

「私は当分この街に滞在するつもりです。何かあれば、いえ何かなくとも気が向いたら訪ねてきてください。あなたの訪問なら他の用事を取り消してでもお構い致しますよ」


 そう言って、イグナーツは大通りを歩いて行った。


「うーん、良い人だったねあのお爺さん。このあたりのことも幾つか聞けたし」

「いつもこうだとは限りませんよ。追い剥ぎが化けていることだってあります」

「その時はその時に考えるよ。ま、それはいいとして……」


 アリスは渡された小袋を握ったり、お手玉のように投げたりした。

 そしてひとしきりそれが終わるとうーんと唸る。


「どうしました」

「いやさ、明らかに軽いんだよねこれ。中身もスカスカだし。まあ小遣い程度でって言ったのは私だけどさ」


 袋を開くと、やはり予想した通り硬貨は一つだけだった。これではわざわざ袋に入れる意味がない。

 シオンが硬貨を覗き込もうとするので、彼女は見えやすいようにしゃがんでやった。


「これはユグドライアの記念硬貨ですね」

「へ? 何それ」

「建国した年に発行された特別な硬貨です。もう何百年も昔のことなので、これほどちゃんとした形で残っているのは珍しいです」

「……ちなみに、どれぐらいの価値があるの?」

「この街に豪邸を一つ立ててもまだお釣りが来ますよ」

「……」


 アリスはケチだなと思ったことを猛省した。

 しかしそれはそれとして、あの人は私たちの護衛にどれだけの価値があると思っているのだ。ここまで法外な料金を取るつもりなんかなかったのに。


「もしかして相当なお金持ちだったのかも」

「そうでしょうね。おそらく何らかの身分を持った人だったのでしょう」

「ていうか護衛詐欺の人も、下手に欲目を出さなければこの硬貨貰えたんじゃないかな」

「いずれにしてもオーグルエイプに殺されてしまったことでしょう。あの世でお金は使えません」

「うん……」


 異世界の人生は奇禍奇縁に満ちている。アリスはそう思うのだった。

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