第5話『オーグルエイプってのがヤバいらしいです』

「えーと、確か東に街があるんだっけ」


 グラトンワームを倒したアリスとシオンは、その後しばらく休憩を取っていた。

 何せ歩き通しの後で、しかも外という久しぶりの解放感の中だ。休むなというほうが無理というものだろう。

 見渡す中で一番大きな樹に背中を預け、涼しい木陰で話し合う。


「おそらく、街道があるでしょう。王家の墓がここにある以上、最寄りの街は城下町か、そうでなくとも王族の影響力が強い街です。いずれにしても交通の便は行き届いているものかと」

「なるほどね、じゃああとは道を見つけるまでが問題かな。方角以外に手掛かりはないし、そもそも方角を知る手段がない」

「それならご心配なく。私にはそのような機能も備わっています。方位、時間、気温に天気、あらゆる情報は常に把握できるようになっておりますので」

「さっすがシオン! 頼りにしてるよ」


 言われてシオンは、えっへんとばかりに胸を張る。中々ひょうきんな奴である。

 いつの間にかてっぺんにあった太陽は傾き、少し冷えた風が吹き出す。

 夜になってしまうのはさすがに拙いな、アリスはそう思い、ゆっくりと立ち上がった。


「じゃ、体力も回復したし歩こっか。街までどれぐらいかかるか分からないしね」

「歩く? どれだけかかるか分からないからこそ、あてどなく進むのは危険ですよ」


 そのまま行こうとするアリスをシオンが呼び止めた。


「それはそうだけど、歩く以外にないじゃない」

「そんな時こそ、この私を頼っていただかねば」

「何か案があるの?」

「ええ、是非お任せ下さい。5人で1時間もあれば十分です」


 そういうことなら、とアリスはカードを取り出す。

 シオンは具体的に何をするのか説明しなかったが、彼女も特に聞こうとはしない。彼がなにも言わないのは、自分を驚かしそして喜ばせようとするからだ。それをわざわざ無碍にすることはない。

 言われた通りの人数と時間を思い浮かべ、カードを持って『我が意に従え』と念じる。

 カードの数字が変わったのを確認してから、シオンに向き直る。


「さて、どうなったのかな?」

「どうぞアリス様、後ろをご覧ください」


 くるりと振り向くと、そこには豪華な馬車が停まっていた。

 木製の車体は丁寧に漆が塗られ、派手になり過ぎない程度に貴金属による装飾が施されている。

 車を引く馬も、艶やかな毛並みを持ち気品に満ちていた。

 この世界の価値観からしても、かなり立派な馬車だろう。おそらく彼が制作の魔法を使って作ったはずだが、急ごしらえであることを感じさせぬ出来栄えだった。


「わぁ……凄いよシオン君。これ作ったの大変だったんじゃない?」

「いえいえ、これぐらいお手の物ですよ。私を作った先代アリスに感謝ですね。ささ、どうぞ中へ」


 言われた通り、アリスは車部の扉を開いて中に入る。

 予想はしていたことだが、中はより一層手が込んでいた。手狭な空間を最大限に広く取り、暗くならないようにと内装も明るい色で統一されている。座席はふかふかと柔らかく、心からリラックスできそうだ。


「これ、枠組みは木製だから分かるんだけど、他にも色々と材料が必要だったんじゃないの? どれもこんなところじゃ見つからないと思うけど」

「一部は私がもともと収納していた素材を使っていますが、そもそも制作魔法には存在の変換という概念があります。物質の材質や純度を変化させる工程のことで、座席は繊維、装飾は金属というベースを守ればまあ何とでもできますよ」

「じゃあ馬は?」

「あれは召喚存在です。色々種類がありまして……」


 アリスはシオンの解説をかなり熱心に聞いていた。

 初めて目にする魔法には未だ理解が及ばないところもあるが、それでも奥が深いと感じる。言ってしまえば、アリスは魔法という未知の技術にすっかり感心してしまったのだ。

 落ち着いたら自分にも使えるのか聞いてみよう、彼女はひそかにそう決心した。


「座席には座っていただけましたか? では出発しましょう。」


 窓からのぞくと、シオンがひょいと御者の座席に座る。どうやら彼が操縦してくれるらしい。

 先頭の馬が小さく嘶き、馬車が発車した。

 街道に出るまでは当然道もでこぼこだらけで、大きく揺れることになる。しかしアリスは、不思議とそれが気にならなかった。これも魔法の一種なのか、単にシオンが揺れないように気を使っているのかは分からない。いずれにしても彼の計らいによるものなのだろう。感謝しつつ、存分にリラックスする。

 そのまま外の景色をぼうっと眺めていると、次第にアリスの瞼は重くなっていった。外での休憩ということもあり、完全には疲れがとれなかったらしい。


「ごめんシオン君、私ちょっと眠っちゃうかも」

「どうぞお休みなさいませ。今日は忙しかったですし、十分に英気を養ってください」


 うん……と聞こえているかも分からぬほど小さく呟く。まどろみに身をゆだね、アリスの意識はゆっくりと眠りの底へ落ちて行った。




 夢すら見ないほどに深い眠りを経て、アリスは眼を開ける。

 どれぐらい眠っていたのだろう。日は暮れかけで、辺りはもううす暗くなっていた。

 もう街道には入ったかなと外の風景を見て、ふと景色が動いていないことに気付く。この馬車は何故か停まっていたのだ。

 周囲にはまだ疎らに木々が生えているが、比較的遠くまで見渡せる開けた地形だ。どうやらあの一帯からは抜けたらしい。

 では何故停車しているのだろう。不思議に思い、アリスは御者側の窓をノックした。

 シオンがくるりと振り返る。


「ああ、おはようございますアリス様」

「今は夕暮れだよシオン君。どうかしたの?」

「いえ、先ほど通行者を発見したのですが、どうやらもめているらしくて」


 シオンが頭を引っ込めると、窓から遠くのほうに馬車が見えた。

 彼の言う通り、その周囲では数人の男たちが言い合っている。馬車に乗っているのは年寄りの男性で、外にいる男に馬車から引きずりだされそうになっているようだ。


「あまり関わり合いになりたくないので彼らが通り過ぎるのを待とうかと。巻き込まれると厄介ですから」

「ふーん、けどあの様子だとこじれそうだよ」


 そう言っていると案の定、彼らは交渉決裂したようだった。

 男性は外に追い出され、代わりに他の男たちが馬車に乗ってそのまま走り去る。

 置いて行かれた彼は途方にくれた様子で周囲を見回し、ふとアリスたちの方を向いた。どうやらこちらの馬車に気付いたらしい。


「どう致しましょうか、無視して行くことも出来ますが」

「……いや拾っていこう。何か聞けることもあるだろうし」


 アリスは扉側の窓から手を出し「おーい」と呼びかける。老人は助かったとばかりに歓喜の表情になり、ひょこひょことこちらに歩いてきた。




「いやあ、助かりました。馬車から落とされた時は、もうどうしようかと」


 話してみると、彼は中々人懐っこいお爺さんだった。

 口元に短く整えた髭をつけ、頭のてっぺんは綺麗に毛がなくなっている。しかし心身に衰えは見られず、佇まいにはどこか品があった。


「申し遅れました、私はイグナーツと言います。こっちには北西の街から来ております」

「私はアリス。こっちの彼はシオン君だよ」

「ほほう、良い名前ですな」


 イグナーツはにっこりと笑った。

 アリスという名前に違和感を覚えた様子はないが、それはむしろ予想していたことだ。おそらく有名人にあやかった名前などよくあることなのだろう。


「それにしても、いったい何があったの? 色々ともめてたみたいだけど」

「ええ、あの者たちは私が前の街で雇った護衛なんですが、あそこに差し掛かったところで突然料金を釣り上げてきたんです」


 彼は眉を八の字に曲げ、実に見事な困り顔でそう話す。


「そりゃ酷い。こんなところに置いてかれたら進むのも帰るのも大変でしょうに。けどイグナーツさんはそれでもお金を渡さなかったんだね」

「いえ……私自身いくらか余分な金銭は用意していたのですが、有り金全部に加えて私が知人へ届けるはずの品々まで寄こせと言われたのです。流石に応じるわけにはいきませんでした」

「大事なものだったの?」

「私たちにとっては。それに、目的地へ行くために目的を失ってしまえば本末転倒ですから」


 そのせいで魔物にでも襲われたら、それこそ本末転倒な気がするが。

 しかしアリスがそう言う前に、御者席のシオンが口を挟んできた。


「その手の護衛詐欺は、ゴロツキ連中にはよくある手口ですよ。信用を得られないので何度も通用するやり口ではありませんし、真っ当な護衛を選んでいれば回避できたことです」


 彼にしては珍しく辛辣な意見だ。図星だったのか、イグナーツは気まずそうに頬を掻いた。


「耳の痛い話ですな。少々急いでいたので細かな手続きの要らない相手を選んだのですが、あなた方がいなければどうなっていたことか」

「私たちに感謝してよね。有り金全部は要求しないけど、お小遣いぐらいならくれてもいいんだよ?」


 アリスは笑みを浮かべながら、ちょっと気取った風に指を立ててそう言った。けれどこれは、逆に彼を驚かせることになる。


「お小遣いだなんて、勿論お金は払いますとも。命を助けて頂いたも同然なのですから、それに相応しい分お支払いします」


 イグナーツは頭を下げ、もう一度感謝の意を示した。

 そう畏まられると、アリスは少し困ってしまう。彼女にしてみれば何も苦労はしていないことなのだから。

 彼が何か言い重ねる前に話題を変えることにする。


「そういえばイグナーツさん、この先の街のことってどれだけ知ってるの?」

「アルジェンテのことですか? 緑に溢れ、人々も活気のある良い街です。確か現在は、王女のミリアローズ様がいらっしゃるとか」

「王族の人も来る街なんだね」

「このあたりは建国の際に王都とされていたそうです。現在は交易や経済の集中などの観点から他の都市に移されていますか、国としても重要な土地と位置付けられておるらしいですよ。王女様がいらっしゃるのも、そういう事情なのでしょうな」


 イグナーツの話に頷きつつも、アリスはここに王族が来ているということに警戒の意識を強めた。彼らからみれば、彼女は言い逃れのできないほどに罪人だ。魔封箱の中に入っていたシオンの姿を知っているかは分からないが、場合によってはトラブルを覚悟しなければいけない。


「アリスさん、あなたはあの街に何の御用なので?」

「うーん、別にあの街にってわけじゃないけど、こっちには友達作りのために来ているの」

「ほう、友達を作るためにわざわざ旅を?」


 彼はやや面食らったようだった。


「まあ生憎故郷のない身の上なもんで。別に良い街ならそこを拠点にしてもいいかなって思ってるけどね」

「事情はよく呑み込めませんが、若いのに大変な苦労をしてらっしゃるのですなあ」

「別にそんなことはないかなぁ。彼もいてくれるし、これからは楽しい暮らしになるなって思ってる」


 くいっと親指でシオンのことを指差す。彼は窓の外で手をひらひらさせた。

 そこでイグナーツはちょっと表情を変え、アリスに耳打ちする。


「アリスさん、その……彼は魔道人形の一種なんですよね?」

「うん、そうだよ。彼みたいなのって、珍しかったりする?」

「ええ。魔道人形自体も立派な魔法使いの方しか持っているのを見た事がありませんが、特にあれほど精巧で、人間同然に話すものは初めて見ます」


 イグナーツはどこか感心したふうに頷く。


「あー、まあね。製作者が凄い人だったらしいから」


 この世界で魔道人形がどういう受け入れられ方をしているのかというのは、密かに気になっていたことだ。彼の反応から察するに、直接蔑視や警戒につながることはないが好奇の目で見られることはありそうだ。


「イグナーツ殿。私からも質問があるのですが、このあたりにはどんな魔物の噂などがあるのでしょうか」


 話している最中、シオン本人が声を発した。

 名指しされたイグナーツはやや慌てたようで、早口になって答える。


「そ、そうですな。生息している魔物の数自体は多くないという話でした。何度か巣が作られても、アルジェンテからの支援があるので即座に駆逐されるのだとか」

「しかし、あなたは急いでいても護衛を雇わなくてはいけなかった。それには理由があるのでは」

「ええ、まあ……。被害自体はそれほどの数ではないのですが、ここいらにはヌシと呼ばれる大きな魔物の個体がおるらしいです」

「ヌシ?」


 少々不穏な話になり、思わずアリスも食いつく。

 イグナーツは頷き、「私もあまり詳しくはありませんが」と前置きする。


「逃げ帰ることのできた旅人の話では、『地鳴りが響いたかと思うと、突然地面に怪物の口が出来て仲間が食われた』と。そいつは巨体をくねらせながら地中を潜り、人の足音を察知するすべを持つのです。その時魔物の腹が空いていなければ生きながらえることもありますが、もし空腹なら瞬く間に土の中から飛び出し、強靭なあぎとで土くれごとすり潰してしまう恐ろしい魔物です」

「……それって、グラトンワームのこと?」

「知っているのですか?」


 なんだ、とアリスは安堵のため息を吐いた。あのミミズの化け物ならついこの間シオンに倒して貰ったところだ。栄養補給のために旅人を襲っていたのは驚きだったが、今後はそのようなこともなくなるだろう。


「まあ、そちらは縄張りがある程度決まっているようなので、下手に近づかなければ問題はないですがな。むしろもう一方のほうが気になるところです」

「もう一方?」

「この辺りでヌシと呼ばれている魔物は二体いるのですよ」


イグナーツは声をひそめるようにして言う。


「そいつはどんな魔物なの?」

「ふむ、まあこいつはグラトンワーム以上に被害例の少ないので、基本的には無視していいということを前提に聞いて欲しいんですがな? このあたりにはぐれの巨角猿オーグルエイプが住み着いておるのです。頭のほうは所詮サルですが、非常に強靭な腕力の持ち主です。一度アルジェンテから数名の騎士が討伐に出たことがありましたが、あやつは瞬く間にこれを撃退し、死体をむさぼり食らったと言います」

「へえ、そんなのがいる近くを通るなんて危険じゃないの?」

「勿論危険ではありますよ。まあしかし対策として縄張りの近くに食糧を撒くようになってからは、人を襲う必要もなくなっておとなしくしているようです」

「それで問題はなくなったってこと? ……いや、違うか。被害の例は少ないだけであるにはあるんだ」


 イグナーツは頷いた。


「ある地点を行商人が通ると、何故か決まってオーグルエイプが襲いかかってくるのです。喰うわけじゃありません、ただ襲いかかって暴れるだけなのです。不思議に思って調べてみると、その行商人たちは決まって石材を運んでいたようなのです」

「……石材?」

「ええ。この地方には鮮やかな白い石灰石が取れる山脈がありまして、彫刻などによく使われたらしいのですぞ。まあそれが分かってからは、この道を通って石材を運ぶのはタブーになってしまいましたが。……そういえば、まさかこの馬車には積んでおりませんよね」

「そんな大荷物積めるわけないでしょ」


 あからさまにほっとした様子を彼を見てアリスは小さく失笑する。

 それにしても、なぜそのオーグルエイプとかいう魔物は石を運んでいるだけの相手を襲うのだろうか。イグナーツを含めここらの住民たちも良く分かってないようだったが、アリスもおかしな話だなと思った。


「……いえ、残念ながら安心は遠退きましたよ」


 シオンの声。そして車体を引く馬が突然停まった。


「シオン君?」

「障害物です。それもかなり迷惑な」


 アリスは扉を開け、馬車の外に出る。

 馬の後ろから覗き込み――そしてうっ、と小さくうめき声をあげた。


「申し訳ありません。少々ショッキングでしたか?」

「いや、大丈夫。だけど……」


 目の前にあったのは、無残に壊された馬車、そして人間の死体だった。

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