第4話『ようやく外です』

「……」

「カラクリ仕掛けですね。古いタイプの罠ですが、魔法ばかり警戒する輩は見落としやすいのです」

「へ、へえ……」

「少し先の方を確認してきます。そこで待っていてください」


 そう言って彼は、罠だらけの危険地帯をずんずんと進んでいった。

 大丈夫だろうかと少し心配になったが、この手のことに関してはあちらのほうが玄人である。ともかく部屋の中は安全だろうし、しばらくは待っていることにした。

 人形が留守にしていたのは、精々十分ぐらいの間だろうか。

 帰ってきた彼は別に他の罠にかかった様子もなく、けろりとしたものだった。


「罠自体はそれほど面倒なものはありませんでした。いくつかは解除済みだったり古くて稼働していなかったぐらいです。ただ通路自体が巨大な迷路状になっているらしくて、出口までは半日ほど歩かなければならないかもしれません」

「は、半日って……そんなに? いやまあこの際だから文句は言わないけど……」

「いえ。お嫌でしょうし、ショートカットしましょう」

「ショートカット?」

「ええ。どこか適当な壁を掘って迷路を無視する通路を作れば、一時間ほどで地上との階段に出るはずです」


 そう言って一方の壁を指差す。確かに半日が一時間になるなら大幅な短縮である。

 ただそれは、作業時間のことを考慮しなければの話だが。


「あの、君って身体能力は大人よりちょっと上ぐらいなんだよね? いくら50人いるったって、一時間分の距離を掘ることなんてできるの?」

「確かに、本来なら非常に労力のかかることでしょう。私たちは疲労という概念を持ちませんが、人数がいたところで穴掘りでは全員に仕事が行き渡りませんし。ただそれは本来ならば、の話です」

「含みのある言い方だね」


 どうやら自信は十分あるらしい。

 人形はちょっと気取った感じで指を鳴らした。


「では、今こそその札を使い、私たちに活動を命じてください」

「どうすればいいの?」

「札を掴んだまま念じるだけでいいのです。――『10人の従僕が10の針を越える、我が意に従え』と」

「……10人? 10の時っていうのは?」

「どうぞ、言った通りになさってください」


 人形は言い重ねる。少女は釈然としないものを感じつつも、言われた通りに念じてみた。

 すると、札に書かれた50という数が書き変わり、40になる。


「これでいいの? 何が起こるんだろ」

「いえ、もう起こっていますよ」

「えっ?」


 人形は壁を指差し、それに合わせて少女の目線が移動する。

 ぽっかりと穴が開いていた。

 広い穴だ。少女が通ってもまだ十分に幅があるほどの。奥行きは先が見えないほどに続いていて、まるで何十人の人が何日もかけて作る炭坑のよう。


「これ、いつの間に……」

「10時間前です。……私たちは先ほど人形と名乗りましたが、厳密にいえばインターフェイスである私以外の個体は召喚存在と呼ばれるものです。普段は特殊空間内で出番を待ち、所持者の命令に応じて呼び出されるもの。しかしその召喚のされ方が特殊でして、私たちは現在ではなく過去に召喚させるシステムになっているのです」

「過去に?」

「はい。ご主人様は先ほど、私たちを10時間前のこの場所に召喚しました。そしてその時間から今までの間、私たちはずっと穴を掘り続けたていたわけです。まあ正確にいえば9時間と21分で完成してしまったので、10時間きっかりとは言えませんが」

「……そうか、あなたの魔法がやたらと準備のいるものばかりだったのは、これを使えということなのね」

「はい。熟練の鍛冶職人が二人いても、片方が一日で、片方が一月で剣を鍛えろと命じられては、その性能に差が出るのは当然です。しかし私なら一日で一月の剣を鍛え、盾を鍛え、鎧を鍛え、それを幾万の兵に行き渡らせることすらできます。――如何でしょう、ご満足頂けるでしょうか?」

「ご満足も何も、それ以上だよ。まさか時間を越えられるだなんて」


 過去への召喚。時間の不可逆性を凌駕するその魔法は、あまりにも強力だといえた。しかしそんな彼が自分に従ってくれるのは、正直心強い。


「まあもっとも時間にしろ人数にしろ、極端に使い過ぎるとご主人様への負担もあります。そのため時間は一度に100時間まで、人数は一日に合計でもある50人までしか召喚できないよう設定されています。いずれにしろよっぽどのことがないと限度を超える必要はありませんが」

「了解、これからは頼りにさせてもらうよ」

「はい、どうぞ好きなようにお使い下さいませ。……さ、早くここから出ましょう」


 人形に誘導され、少女は部屋に開けられた穴の中に入っていく。

 最初はただ掘り進んだだけかと思っていたのだが、すぐにそれは違うと分かった。床部分は明らかに丁寧な整地がなされており、躓く余地がないほどに平らだった。また本来なら手元が見えないほど暗いはずなのだが、一定の間隔でランプのようなものが備え付けられており、十分すぎるほど明るい道になっている。


「随分丁寧に作ったんだね。いくら君たちが疲れ知らずだとしても、十時間で完成するようには思えないけど」

「はは、私たちは物作りが得意だということをお忘れですか? 魔法を付与すれば、泥を掻くように岩盤を削れるスコップも作れますし、邪魔な土を好きなだけ吸い込める亜空間直結の作業袋だってお手の物です」

「なるほど……もう一つ聞きたいんだけど、君たちは過去に戻って穴を掘っていたわけだよね? その時間帯には私と盗賊のおじさんが会話していた時間も含まれると思うんだけど、私たちは君たちに全く気付かなかったってわけなのかな?」

「それは正解であり同時に間違いです。私たちが過去に行くのは、いわば時間という分厚い本を開いて、ペンで新たに文章を書き足していくようなものです。私たちの行動には誰も気付けませんし、それゆえ誰も邪魔をすることはできません」

「ははあ、便利なものね」

「しかし逆もまたしかりで、私たち自身も過去の人物に影響を与えることはできません。ですので過去を変える、というような使い方はできないのです」


 それは例えば、少女があの盗賊を治療するか、罠にかからなくしてやって欲しいと命令しても、聞き届けられないということだろう。

 もっとも男が瀕死の状態でなければ、今のように彼女にとってうまく事は運んでいない。彼は追手を警戒して彼女を殺していたかもしれないし、それを免れても盗賊の下働きか、あるいはもっと下劣なことさせられて一生を過ごしたことだろう。


「ま、約束はちゃんと守ってあげるよ。おじさん」


 少女は懐にあるペンダントをぎゅっと握りしめた。

 二人は掘り進められた通路をどんどん歩いて行く。閉塞的な通路を一時間も歩き続けるというのは、精神的にも肉体的にも消耗の激しいことだ。しかし少女は一言も文句を言わず、ただ突き進んだ。

 足が棒になる、という言葉が身近に感じられるようになった頃、ようやく穴の通路に終わりが見えた。穴は広間のような場所に繋がっていて、そこには地上へと続く階段がある。


「やった、これでようやく外に出られる!」


 少女は嬉しさのあまり、つい小走りになって階段に近づく。

 しかしその時、急に地鳴りが響いた。階層そのものが揺れ始め、石造りの壁面から砂利がこぼれ落ちてくる。


「な、何これ!?」


 少女が思わず叫んだ。


「地震……いえ、もっと別の何かですね。震源は移動しているようです」

「言ってる場合じゃないでしょ! 早く出ないと!」


 冷静ぶってる人形をひっつかんで、階段を一段飛ばしで駆け上る。こんなところで立ち止まっていたら生き埋めになりかねない。

 上階部は小さな神殿になっていたようだが、詳しく見てる暇もなく一気に走り抜けた。

 扉を蹴破り、そこから脱出する。外に出た途端、大きな音とともに建物が崩れた。地下墓地への道が完全に閉ざされたのだ。

 久しぶりに暗がりから解放された少女たちへ、太陽の光が溢れんばかりに降り注ぐ。それは地下に慣れた眼にはあまりに鋭く、思わず顔を背けた。

 だが――この光こそ地上の証だ。

 埃臭くもなく、じっとりと湿ってもない。肺いっぱいに吸い込める綺麗な空気に満ちていた。


「……っ! よしっ!」


 ほんの一瞬、存分に解放感を味わってから、即座に気持ちを切り替える。

 あたりには木々が立ち並び、周囲に建築物や人影はない。どうやらここは人里から離れた小高い丘のようなところらしい。

 そして、まだ振動は収まっていない。


「うわっと。ねえ、震源は移動してるんだよね?」

「はい、揺れそのものも非常に局地的なものです。おそらくこれは、地中に生息する大型動物の……」


 次の瞬間、明らかに揺れが強まる。

 近いのだ。そう思うと同時に、眼前の地面が大きく盛り上がった。

 爆音とともに地面から現れたのは、巨大なミミズ。身体の幅だけでも大人一人分の身長と同等であり、その長さは一部を地中に残した今の状態でも、周りの樹木を軽々と飛び越えるほどである。

 頭のほぼ全面を占める口には、本来なら存在しないはずの鋭利な犬歯が生え揃っており、その間からどろりとしたよだれが滴り落ちてくる。


「うわっ、何あれ……グロさにも限度があるでしょ」

「あれは悪食蠕虫グラトンワームです。普段は地中の浅いところで眠っているが、腹が減ると地表に現れて人や獣を襲う危険な魔物です。しかもこの個体は通常の倍は大きいですね」

「ランチタイムに偶然出くわしたってこと? 冗談じゃないって!」

「いえ……もともとはどうか知りませんが、ちゃんと飼い主がいる魔物みたいですよ。ほら、首のあたりを御覧ください」


 言われた通りに首――はないので、頭の少し下あたりを見る。

 金色の巨大な輪があった。抜けないようにとワームをきつく締め上げている。また魔法の類なのか、幾学的な文様が輪っか全体に刻まれていた。


「あれはおそらく生物を従属させる系統のアイテムです。幾重にも罠で守られたこの迷宮の、最後の砦なのでしょう」

「盗人を盗掘品もろとも食べて始末する、地下墓地の番人って感じ?」


 おまけに墓地そのものまで封鎖してしまうのだから、大層手の込んだことだ。よっぽど奪われたくなかったらしい。


「けどお生憎さま! こっちが正当な相続者なんだから、返してなんてやらないよ! ……で、いいんだよね、人形くん!?」

「はい、ご主人様には間違いなく私の所有権がございます。私が思うに、これは作り主アリスの望んだことではありません。であれば我々はこの不当な取り立てに対して、毅然とした態度で立ち向かわなければなりません」


 人形が一歩前に出て、少女を庇うように立ち塞がる。

 少女は意図を理解し、懐からカードを取り出した。


「ではご主人様、20人で50時間、お暇を頂きたく」

「うん!」


 カードに手を当て、強く念じる。

『20人の従僕が50の針を越える、我が意に従え!』

 カードの数字が40から20に変わる。

 同時に、グラトンワームが猛然と襲いかかってきた。

 女の細腕など容易く噛み砕いてしまいそうな、鋭く力強い歯が迫ってくる。

 遅かったか。そんな言葉が頭に浮かんだ。

 しかし寸前、人形が右腕を高く掲げて叫んだ。


「我が声は帳を越えて響かん! 誓いを違えぬならく応えよ!」


 大気に乗り、耳を、木々を、世界を人形の呼び声が揺らす。

 そして――人形と少女まであと一歩というところで、グラトンワームは静止した。

 少女は視線を僅かにずらし、驚愕する。その長い胴の中腹を、黒く巨大な手が鷲掴みにしていたのだ。

 その腕は地面に突如現れた魔法陣から生えており、全貌は計り知れない。この腕に相応しい大きさとすれば、身体は山一つ分ぐらいあるだろう。

 しかしその姿の一部を見れたのも一瞬。

 黒い掌はグラトンワームを握りしめたまま魔法陣の奥へと引っ込んでいく。ワームは必死にのたうって逃げようとするも、凄まじい力になすすべもない。周囲に巨大なわだちだけを残し、魔法陣で繋がったどこかへと去って行った。

 全てはほんの数秒のこと。自分たちに向かってきたあれほどの巨体が今や、影も形もない。

 静寂が戻った後、少女は人形へと問いかける。


「……あれは、何だったの?」

「精霊――人魔と神の中間とされる上位存在です。ちょっとシャイな方なんですが、儀式魔法を使って召喚に応じて頂きました」

「はは、変わった友達がいるのね」

「今度ご紹介しますよ」


 人形は澄ました様子でそう言った。

 アクシデントの連続だったが、とりあえずこれでひと段落と言えるだろう。風にそよぐ木々と、崩壊した地下墓地への入り口を見て、少女はふとこれからのことを考える。

 まずここから街に行き、盗賊の男との約束を果たさなくてはならない。自分の身の振り方だってまだちゃんと決まってないし、問題は山積みだ。


「ご主人様、どうかしましたか?」


 人形が小首を傾げ、少女に問いかける。

 少女はしばし無言でいたが、ふと思いついたように顔を上げる。


「人形くん、ご主人様って呼び方は止めてくれないかな。そう呼ばれるのは気持ちがいいけど、君とはもっと親しくなりたいから」

「では、なんとお呼びいたしましょう」

「そうね、もう前の名前は分からないし……アリスって呼んで」


 人形はちょっと驚いた様子だった。


「それは、名前を引き継ぐということですか?」

「ええ。私は二代目アリス。先代にあやかって……そして私自身、この世界で新たに人生を始めるという気持ちを込めて、この名前を襲名したい。ダメかな?」

「いえ――とてもよろしいと思います、アリス様。私どもはあなたのしもべとして、これからも力を尽くさせて頂きます」

「よろしい。そして今度は、君の番だよ」


 少女――アリスは人形を優しく抱き、ゆっくりと自分の顔のそばまで持ち上げる。

 時計そのものとなっている彼の表情は読めないが、慌てた様子であることを何となく感じ取れた。


「アリス様?」

「アガシオンって名前に慣れなくて人形くんと呼んでいたけど、ちゃんと名前を付けてあげなくちゃ」

「いえ、私にそのようなもの……」

「シオン君、というのはどうかな?」


 彼が否定する間も与えず提案する。

 アガシオンという字面から後ろ三文字を取っただけだが、今までずっと考えていた名前だ。


「お戯れを。私にはあまりにも勿体ないことです」

「主人の私が言うんだから、ちゃんと拝領しなさい。それともこの名前じゃ不服だった?」


 意地悪くそう言い返す。例えどれだけひどい名前だろうと、彼が不服だなんて言うわけがないと分かってのことだ。

 案の定、彼は激しく首を振った。


「とんでもございません。ただ私はあくまでも人形、おいお前、とでも呼んでいただければいいのです。名前など必要ありません」

「そんなこと言わないでよ。必要とかじゃなくて、私がそう呼びたいの。……私はね、これからたくさんの友達を作ろうと思ってるの。あの地下墓地であったおじさんからそう言われて、私自身もここでなら出来ると思って、そうすることに決めたの」


 アリスは最初、あの墓地の中で死ぬかもと思っていた。

 けれど盗賊の男からタリスマンを貰って、箱を開いてこの人形――シオンと出会った。ついには外に出て、さっきなどあんな魔物にすら勝つことができた。

 自分はやれるのだと、そんな自信がついたのだ。この世界はアリスにとって知らないことだらけだが、その未知を受け止めて生きていけると思った。

 だが、それには彼が必要だ。こんな自分のことを無条件で助けてくれる彼を、アリスはもっと大事にしたいと思ったのだ。


「君はさっき自分のことをしもべだと言ったね。それが君のアイデンティティであるなら、否定はしない。でも人に決められた主従だけじゃなく、親しさでも君と繋がっていたい」

「アリス様……?」

「私はこれからたくさんの友達を作るよ。けれど、君はその中でも特別。この世界での友達第一号で、誰よりも信頼できる相手。今すぐには無理でも、そんな関係を目指したい」


 アリスは片腕に抱くシオンにもう一方の手を差し伸べた。


「改めてよろしく、シオン君」


 シオンはアリスの手と顔を見比べる。時計の顔は心を映さない。

 それでもやはり、どこか照れくさがる気持ちが伝わってきた。

 彼の小さな手が指に触れ、アリスはそれをしっかりと握り返す。

 アリスの第二の人生が、ようやく始まろうとしていた。

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